気分が悪くなる思考なら、どんな内容であれ「これは自分のためにならない考えだ」と認めていきます。ムカデが出ても、クモが出ても「嫌な虫が出た。これは掴みたくない」という一括りに認識していくイメージです。単に「虫が出た。掴みたくない」です。「この虫はムカデだ。てんとう虫なら許せるがムカデは許せない。なんとか仕返ししてやろう」。その後半部分が不要なのです。
「夢を叶える方法」や、俗にいう「引き寄せの法則」にどことなく漂う胡散臭さや宗教っぽさを排除して、オカルトやおまじないの類いで終わらせず、誰もが日常生活の中で実践できる「生活の智慧」にすることを目的に言葉を紡いでいます。
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気分が悪くなる思考なら、どんな内容であれ「これは自分のためにならない考えだ」と認めていきます。ムカデが出ても、クモが出ても「嫌な虫が出た。これは掴みたくない」という一括りに認識していくイメージです。単に「虫が出た。掴みたくない」です。「この虫はムカデだ。てんとう虫なら許せるがムカデは許せない。なんとか仕返ししてやろう」。その後半部分が不要なのです。
害の思考を相手にしないことです。思考そのものはただそこにあるだけで良くも悪くもありません。つまり、全ての物事は良くも悪くもないのです。あなたは自身が見たり聞いたりした出来事に対して、最初から良し悪しが決まっているように感じているかもしれません。
ある嫌な考えを支持し続けて良い方向に向かった試しなどこれまでにあったでしょうか。嫌な考えを持ち続けている間は、気が滅入ったり怒りが沸いてきたりするだけではないでしょうか。そんな「考えるだけ無駄」なことというのは、日々の思考の中でいくらでも湧いてきます。そのことについて考えると嫌な気分になるのなら、それは全て考えるだけ無駄なことばかりです。
現実とは陽炎のようなものです。ゆらゆらと揺らめいていて実体はなく、触れることも出来ません。けれど、その陽炎が固体となる瞬間があります。何かの考えをパッと掴まえた瞬間です。その一瞬だけ、幻のような陽炎が実体を成すのです。今日一日のことを振り返ってみてください。今日はどんなことがあったでしょう。
学術的でも、科学的でも、常識的でも何でもいいのですが、それらの「○○的な見解」を根拠にして「それが正しいに違いない」と決めているのはあなたです。その根拠がなんであれ、最終的な見解はあなたの手に委ねられています。あなたがどの考えを支持するかが、あなたの世界の最終見解です。
こんな例を出してみましょう。「勝手な振る舞いをすると人に嫌われる」「仕事をしなければお金は手に入らない」。さてどうでしょう。あなたはこの二つの事柄にイエスと答えるでしょうか、ノーと答えるでしょうか。この質問はどちらが正解ということはありません。
自分は人気がないとか、好かれていないとか、お金がないとか、ここがダメだとか、不幸だとか、満たされていないとか、そう言っているのは誰なのでしょう。そういった考えが浮かぶこと自体は仕方ありません。なぜなら、どんな思考が浮かぶかは自分では選べないからです。 あの人にこう言われたからそうに違いない、こんなことが起きたのをこの目で見た、だからそうに決まっている。
今この瞬間に「○○な自分」がいることを認めるかどうかです。自分がどのような存在かを決められるのは自分しかいません。他人が決めているわけではないのです。もしあなたが不幸だと感じているのなら、それはこの瞬間に不幸な自分が存在することを認めているのです。瞬間ごとに様々な自分が現れます。
お金持ちになりたければ「お金持ちな自分」を好きになりましょう。モテたければ「モテる自分」を好きになりましょう。個別の願望はそうして叶えれば良いのですが、それは面倒だというなら自分を丸ごと好きになるといいのです。自分が丸ごとうまくいくようになるからです。
どんな人に対してあなたが反感を抱いているのかをよく観察してみるといいでしょう。その中に、本当は羨ましくて仕方ないと思っている人物も含まれているはずです。犯罪者や奇行を繰り返す人にはなりたくないと思う人が大半だと思います。なぜあなたがそういう人にならないのかというと、そういった人を嫌っているからなのです。
あなたはどんな自分になりたいでしょう。「夢を叶えられる体質」で語った「好きになるとうまくいく法則」に則ると、あなたは「その自分」を好きになればうまくいくということになります。もっと楽に生きたいという夢を抱いている人は多いでしょう。
その対象が好きか嫌いかの判断は、単純にあなたにとって快か不快かなのですが、ここで疑問が生じる人もあるかもしれません。恋い焦がれているけれど、うまくいっていない相手がいるケースではどうなのかということです。答えを先に言うと、あなたはその相手のことが嫌いです。
空想は空想、事実は事実という区分けがそもそも必要なかったのです。どちらが空想で、どちらが事実でも、率直に言ってしまえばどうでもいいことだったのです。なぜなら、空想も事実も頭の中にある思考という粘土で出来ているのですから。そうはいっても、頭の中にあるだけではなく実際に体験したいと思うでしょう。
現実を変えようとすると難しく感じるかもしれませんが、自分の体質を変えるならできそうな気がしてこないでしょうか。あなたの体質は変わります。貧乏な体質から、お金持ちな体質に。愛されない体質から、愛される体質に。不幸な体質から、幸せな体質に。 あなたの体質が変わったら、あなたはその体質で世界に存在することになります。お金持ちな体質ならお金持ちなことが、愛される体質なら愛されることが、幸せな体質なら幸せなことが起こるでしょう。
思考は浮かんだ時点では事実でも空想でもありません。そのどちらでもないのです。僕らはそのどっちつかずの思考に信憑性を与えたり与えなかったりして事実と空想を自然と区分けしています。 ではその信憑性の根拠となるものはなんでしょうか。この信憑性の根拠となっているのは何が起きたか、何が起きているかではありません。
あなたの思考に何が浮かんでも構いません。それがたとえ卑猥だろうと残酷だろうと、その考え自体に罪はありません。良い悪いの判断は思考が浮かんだ後、あなたが行っているからです。 あなたは良い考え、悪い考えという判断をやめるといいのです。思考そのものは「どちらでもない」からです。
思考は頭の中でラジオのように絶え間なくおしゃべりを続けているでしょう。そのうちのどんな話題に耳を傾けるかなのです。何に対して「おっ?」と興味を示すかなのです。わざわざ聞きたくもない話題に周波数を合わせなくてもいいではありませんか。その放送局はきっと、あなたの揚げ足を取ったり、批判したりするような番組ばかり垂れ流しているのではないでしょうか。
どんな思考が浮かぶのかは予測できません。いつどんなどんな強さの風が、どんな方向から吹いてくるのか予測できないのと同じです。そして、あなたは風を起こすことができません。思考は風なのであって、あなたが起こしているのではないのです。あなたは風を見て、それがどんな風かを判断しているに過ぎません。
あなたが他人に対して持っているイメージは推測に過ぎません。後になって「こんな人だとは思わなかった」とか「意外な一面を見た」というようにイメージが覆されることがありますが、それこそ推測が的外れであることの証拠です。他人に対する推測は当てにはならないことの方が多いのです。
いま見ている映像の解釈は、過去の経験に基づいています。余計な記憶というのは、経験を根拠にして「間違いない」と思い込んでいる先入観のことです。先入観を関連付けずに映像を見るには、自動的に起こる解釈に対して「それはもう関係がない」「そのときと今は違う」と言い切ることです。
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気分が悪くなる思考なら、どんな内容であれ「これは自分のためにならない考えだ」と認めていきます。ムカデが出ても、クモが出ても「嫌な虫が出た。これは掴みたくない」という一括りに認識していくイメージです。単に「虫が出た。掴みたくない」です。「この虫はムカデだ。てんとう虫なら許せるがムカデは許せない。なんとか仕返ししてやろう」。その後半部分が不要なのです。
害の思考を相手にしないことです。思考そのものはただそこにあるだけで良くも悪くもありません。つまり、全ての物事は良くも悪くもないのです。あなたは自身が見たり聞いたりした出来事に対して、最初から良し悪しが決まっているように感じているかもしれません。
ある嫌な考えを支持し続けて良い方向に向かった試しなどこれまでにあったでしょうか。嫌な考えを持ち続けている間は、気が滅入ったり怒りが沸いてきたりするだけではないでしょうか。そんな「考えるだけ無駄」なことというのは、日々の思考の中でいくらでも湧いてきます。そのことについて考えると嫌な気分になるのなら、それは全て考えるだけ無駄なことばかりです。
現実とは陽炎のようなものです。ゆらゆらと揺らめいていて実体はなく、触れることも出来ません。けれど、その陽炎が固体となる瞬間があります。何かの考えをパッと掴まえた瞬間です。その一瞬だけ、幻のような陽炎が実体を成すのです。今日一日のことを振り返ってみてください。今日はどんなことがあったでしょう。
学術的でも、科学的でも、常識的でも何でもいいのですが、それらの「○○的な見解」を根拠にして「それが正しいに違いない」と決めているのはあなたです。その根拠がなんであれ、最終的な見解はあなたの手に委ねられています。あなたがどの考えを支持するかが、あなたの世界の最終見解です。
こんな例を出してみましょう。「勝手な振る舞いをすると人に嫌われる」「仕事をしなければお金は手に入らない」。さてどうでしょう。あなたはこの二つの事柄にイエスと答えるでしょうか、ノーと答えるでしょうか。この質問はどちらが正解ということはありません。
自分は人気がないとか、好かれていないとか、お金がないとか、ここがダメだとか、不幸だとか、満たされていないとか、そう言っているのは誰なのでしょう。そういった考えが浮かぶこと自体は仕方ありません。なぜなら、どんな思考が浮かぶかは自分では選べないからです。 あの人にこう言われたからそうに違いない、こんなことが起きたのをこの目で見た、だからそうに決まっている。
今この瞬間に「○○な自分」がいることを認めるかどうかです。自分がどのような存在かを決められるのは自分しかいません。他人が決めているわけではないのです。もしあなたが不幸だと感じているのなら、それはこの瞬間に不幸な自分が存在することを認めているのです。瞬間ごとに様々な自分が現れます。
お金持ちになりたければ「お金持ちな自分」を好きになりましょう。モテたければ「モテる自分」を好きになりましょう。個別の願望はそうして叶えれば良いのですが、それは面倒だというなら自分を丸ごと好きになるといいのです。自分が丸ごとうまくいくようになるからです。
どんな人に対してあなたが反感を抱いているのかをよく観察してみるといいでしょう。その中に、本当は羨ましくて仕方ないと思っている人物も含まれているはずです。犯罪者や奇行を繰り返す人にはなりたくないと思う人が大半だと思います。なぜあなたがそういう人にならないのかというと、そういった人を嫌っているからなのです。
あなたはどんな自分になりたいでしょう。「夢を叶えられる体質」で語った「好きになるとうまくいく法則」に則ると、あなたは「その自分」を好きになればうまくいくということになります。もっと楽に生きたいという夢を抱いている人は多いでしょう。
その対象が好きか嫌いかの判断は、単純にあなたにとって快か不快かなのですが、ここで疑問が生じる人もあるかもしれません。恋い焦がれているけれど、うまくいっていない相手がいるケースではどうなのかということです。答えを先に言うと、あなたはその相手のことが嫌いです。
空想は空想、事実は事実という区分けがそもそも必要なかったのです。どちらが空想で、どちらが事実でも、率直に言ってしまえばどうでもいいことだったのです。なぜなら、空想も事実も頭の中にある思考という粘土で出来ているのですから。そうはいっても、頭の中にあるだけではなく実際に体験したいと思うでしょう。
現実を変えようとすると難しく感じるかもしれませんが、自分の体質を変えるならできそうな気がしてこないでしょうか。あなたの体質は変わります。貧乏な体質から、お金持ちな体質に。愛されない体質から、愛される体質に。不幸な体質から、幸せな体質に。 あなたの体質が変わったら、あなたはその体質で世界に存在することになります。お金持ちな体質ならお金持ちなことが、愛される体質なら愛されることが、幸せな体質なら幸せなことが起こるでしょう。
思考は浮かんだ時点では事実でも空想でもありません。そのどちらでもないのです。僕らはそのどっちつかずの思考に信憑性を与えたり与えなかったりして事実と空想を自然と区分けしています。 ではその信憑性の根拠となるものはなんでしょうか。この信憑性の根拠となっているのは何が起きたか、何が起きているかではありません。
あなたの思考に何が浮かんでも構いません。それがたとえ卑猥だろうと残酷だろうと、その考え自体に罪はありません。良い悪いの判断は思考が浮かんだ後、あなたが行っているからです。 あなたは良い考え、悪い考えという判断をやめるといいのです。思考そのものは「どちらでもない」からです。
思考は頭の中でラジオのように絶え間なくおしゃべりを続けているでしょう。そのうちのどんな話題に耳を傾けるかなのです。何に対して「おっ?」と興味を示すかなのです。わざわざ聞きたくもない話題に周波数を合わせなくてもいいではありませんか。その放送局はきっと、あなたの揚げ足を取ったり、批判したりするような番組ばかり垂れ流しているのではないでしょうか。
どんな思考が浮かぶのかは予測できません。いつどんなどんな強さの風が、どんな方向から吹いてくるのか予測できないのと同じです。そして、あなたは風を起こすことができません。思考は風なのであって、あなたが起こしているのではないのです。あなたは風を見て、それがどんな風かを判断しているに過ぎません。
あなたが他人に対して持っているイメージは推測に過ぎません。後になって「こんな人だとは思わなかった」とか「意外な一面を見た」というようにイメージが覆されることがありますが、それこそ推測が的外れであることの証拠です。他人に対する推測は当てにはならないことの方が多いのです。
いま見ている映像の解釈は、過去の経験に基づいています。余計な記憶というのは、経験を根拠にして「間違いない」と思い込んでいる先入観のことです。先入観を関連付けずに映像を見るには、自動的に起こる解釈に対して「それはもう関係がない」「そのときと今は違う」と言い切ることです。
「この現実を創っているのはあなたです」引き寄せの法則や願望実現でよく聞かれる概念ですが、この言葉を聞いてあなたはどう思うでしょうか?なんか納得いかない…とか、そんなのは言いがかりだ!なんて思ったことはありませんか?「あなたの現実はあなたが創っています」その主張にあなたはこう答えます。「嘘だ!こんなヒドイ現実を自分が創るわけない!」望んでいることとは真逆に見えるような現実を目の当たりにしているあなたは、「それはあなたのせいです」と言われて納得がいきません。
あなたは身構えてファイティングポーズをとっています。「この闘いに勝利せねば…!」人生が、世界が、他人が、状況が、あなたの目には敵に映ることもあるでしょう。「憎き敵を討伐し我に勝利の美酒を!」あなたの意気込みは買いますが、ちょっと冷静に次の疑問を考えてみましょう。「あれ?いったい何と闘うんだろう???」
「普通そうだよね?」「こうするのが普通だよね?」何かに納得していない様子が見て取れるこの言い方。普通ってなんでしょうか。そして、あなたの言う「普通」に根拠はありますか?人の価値観は千差万別です。そして、全ての価値観が正しく、間違った価値観はありません。そこには「違い」があるだけです。
※この記事は旧サイトに掲載されていた記事の復刻版です。 あなたが生まれたときに脳内ラジオの放送がスタートしました。「こんな放送をしますよー」と番組表も見せてもらったはずなんですが、生まれたての小さなあなたにそんなことわかるわけありません。
離婚や破局の理由でよく聞かれる「価値観の違い」。 別れの原因となるぐらいですから、人間関係において大切なのはわかる。 でも、なんだか漠然としていてピンとこない。 そんな価値観というものを、こんな風に捉えてみましょう。
「夢を叶える方法」や、俗にいう「引き寄せの法則」に関する書籍や記述はこれまでも数多くありました。 こうした「願望を実現する方法」にどことなく漂う胡散臭さや宗教っぽさを排除して、オカルトやおまじないの類いで終わらせず、誰もが日常生活の中で実践できる「生活の智慧」にすることを目的に、2018年に執筆を開始したのがこの「Change the World」です。
ビデオカメラは淡々と見たままを記録し続けます。例えそれが目を背けたくなるなるような現実であってもです。 僕らは現実をありのまま見ていると思っていますが、必ず思考を経由するのでビデオカメラのようにありのまま捉えているわけではありません。 だからと言って、感情を押し殺してビデオカメラのように現実を見ましょうと言っているのではありません。あなたが現実と思って見ているものの正体を見破りましょう。