著者:アマンダ。小学校1年生から6年生までをカナダとアメリカで過ごしたプロテスタント系クリスチャン。聖書的な視点から見た映画の感想やアメリカ文化・英語の解説などを載せています。
わたしが「こうなりたい」と憧れる人はみーんな、男性だなぁ。だからダメなのかなぁ。男性がダメとかそういう意味ではなく、女性である自分が「なりたくてもなりようが無い対象」をロールモデルにしても意味がないということ。究極の無い物ねだりを、わたしはしているのかな。 思えば幼稚園の頃からパー子ではなくパーマンになりたかったし、怪子ちゃんよりも怪物くんになりたかったし、しずかちゃんよりはのび太くんになりたかった。 わたしは同性愛者ではないんだけど、世が提示してくる「女性像」を魅力的だと感じたことがないんだよね。 わたしのほかにも、こういう女性っているのかなぁ。
いつまでも夢を追いかけるのは別にいいけど、腐るのだけはダメ。心の中が妬みや嫉みや怒りでいっぱいのひとがどんなに頑張ったところで夢なんか叶うハズがない。夢を追いかけることが惰性になったら、もう潮時だよ。
大切なひとが今日も生きている、そのことだけで、ひとは希望が持てる。何もしなくてもいい。何も成し遂げなくてもいい。元気じゃなくてもお金持ちじゃなくてもいい。ただ生きているだけで充分、大きな希望なのだ。
どんな仕事をするか、 とか、 どれぐらいお金がもらえるのか、 ということよりも、 「居場所がある」 ということのほうが、 重要なのかもしれない。
韓国映画 「新感染」を見てきた。 めちゃくちゃ面白かった。 以下、ネタバレを含む感想です。 (わたしは映画に詳しいわけでも、評論家になりたいわけでもなんでもないので、あくまで個人の感想だという点をご了承ください)
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