曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
相手に従ひ、事に従ひ、三十三身に身を變じ給うて、恰も、鏡の前に人が出れば、その人そのままの姿がその鏡にあらはれて、一瞬の間も滞ることがないのと同じやうに、何人をも滞りなく救ふことが出来るのである。何故
「この世界は觀世音菩薩の妙智力を示現せる世界であるのである。觀世音菩薩とは単なる一人の菩薩の固有名詞ではないのである。それは宇宙に満つる大慈悲であり、妙智力であり、“心の法則”であるのである。觀世音とは
“機”は“心のハタラキ”であるから、「全機」といふのは All Intelligence である。徧界に滿つる叡智が唯そのままそこに露呈しているといふのが「全機髑髏」である。「髑髏」といふのは現代の俗語でいふならば「まる
第五十三則 馬大師野鴨子【垂示】垂示に云く。徧界蔵さず、全機髑髏。途に蠋れて滞ること無し、著々出身の機あり、句下に私無し、頭々殺人の意あり。且く道へ、古人畢竟什麼の處に向ってか休歇する。試みに擧す看よ
趙州と同時代の人で、臨濟門下の俊秀で、灌溪志閑(かんけいしかん)といふ人があった。此の人の處へ行って、ある僧が問答したと傳へられている。「久しく灌溪と響く、到り来れば唯さら麻池を見る」(長い間、灌溪先生
わたしの『神様と竜宮の話』の童話からの引用はこれ位にしておいて、何故こんな引用をしたかと言へば、『碧巖録』のこの五十二則の“頌”にある「海に入らば還って巨鼇を釣るべし」といふ教訓に答へんがためなのである
ところが、「多くの人たちは、大きさと美しさとをきわめた“象牙の門”に気をとられていて、その横に、一段低く、実にめだたない質素な形の小さな門には気がつかないのです。わたしはその小さな門をつくづくながめまし
わたしは、最近、子供にも大衆にも眞理を解っていただくために『神さまと竜宮の話』といふ長編童話を書いた。その中に次のやうな寓話が書かれている。それには「素樸そのままの心」になったとき、無限の寶が満ちてい
例へば趙州和尚は、初學入門の修行僧に「佛法の要點を話して欲しい」と請はれた。すると趙州は、「お前、今朝お粥を食べたかな」「はい、食べてまいりました」と答へる。「それでは茶碗を洗ったか」「はい、洗ってま
【頌】頌に云く。孤危立せず、道方に高し。海に入らば還って須く巨鼇を釣るべし。笑ふに堪へたり。同時の灌渓老、劈箭と言ふことを解するも亦徒に勞す。【解釈】道は登ればいよいよ高いから、ゆっくりと、成るべく平
その事を趙州は説いて、「州言く、儞只略しゃくを見て、且つ石橋を見ず」とピシリと痛い警句を發しているのである。その意味は、どんな立派に石橋が見えても、外から見たら人工の極をきはめた石橋は、堅固なやうに見
だから進歩せんと欲する者はこの嬰孩病から脱却しなければならないのである。諸君は一つの過程を卒業したからといってそれで満足してはならないのである。この事業は此處まで伸びたから、もう一休みだなどと考えては
その事を趙州は説いて、「州言く、儞只略しゃくを見て、且つ石橋を見ず」とピシリと痛い警句を發しているのである。その意味は、どんな立派に石橋が見えても、外から見たら人工の極をきはめた石橋は、堅固なやうに見
ところでこの問僧、趙州和尚に向って「趙州の石橋といへば随分久しくから名が知れわたっているのに来てみれば、何ぢゃ唯の獨木橋ではないか」と相手を馬鹿にしたやうな挨拶で立ち向って来たのである。趙州は自分を馬
“垣の外に通っているのが道だ”といふ場合、墻とか垣とかいふのは人間の行動を圍ひによって縛っているもので、それに縛られて一歩も外に出られないやうな人間は、人類意識の迷妄に縛られて自由を失っているのである。
この僧が趙州禪師に「石橋かと思って来て見れば何のことはない獨木橋じゃないか」と問答をしかけたところに、圜悟は「人ありて来って虎鬚をなづ」と著語して、“趙州和尚をやさしい猫だと思ってその鬚を引っぱって戯
趙州はこの挨拶にこたへて、「驢を渡し、馬を渡す」と言はれた。驢とは驢馬のことで、小さい馬のことである。小さい馬のことである。“小さい馬も大きな馬も、この獨木橋を渡らないと奥山の山頂に山巓に達することが
ところがある日、ひとりの僧が趙州和尚を訪ねて来て挨拶したのはよいが、どんな挨拶をしたかといふと、「久しく趙州の石橋と響く、到り来れば只だ略しゃくを見る」(“趙州の石橋といへば久しく天下に鳴り響いている
第五十二則 趙州石橋【本則】僧、擧す。趙州に問ふ、久しく趙州の石橋と響く、到り来れば只だ略しゃくを見る。州曰く、儞只だ略しゃくを見て、且つ石橋を見ず。僧曰く、如何なるか是れ石橋、州曰く、驢を渡し、馬を
これが「同條生や共に相知る」といふ“末後の句”である。しかし現象の存在を見ると、(人間をも含めて)別々の親から生まれたもので、決して一筋の大生命から生れた存在だとは見えない。それはバラバラの存在であって
單に無相かと思ふと金波羅華で示すが如き具體的な實相があるのである。全ての存在は、この實相無相が雙々相重なっているのである。「實相は空なり」と言ふことも出来るが、空とは何もないのではなく、内に無限相を蔵
【頌】頌に云く。末後の句、君が為に説く。明暗雙々底の時節、同條生や共に相知る。不同條は死、還って殊絶す。還って殊絶す。黄頭碧眼、須く甄別すべし。南北東西、帰去来。夜深けて同じく看る千巖の雪。【解釋】巖
前々回の『彌陀の光明遍照の極楽世界』【解釈】に関しまして、誠に汗顔の到りで有りまして、睡眠不足の為か、文字打ちを錯誤しまして、他の【解釈】を重複記述してしまいました。尊師の高度の解釈に追いて行けず恥ず
『蛹』 もうろうとした永い永い時が経った。 そんな気がした。 どこかで時を刻むような音がした。 ミルク色の霞がどこまでも広がり 地の果ても天の果ても判らない。 限りなく永い 永い時が経った。 そんな
果して、この訪問僧には巖頭和尚の、それとなくたしなめられた言葉の眞意がわからなかったので、その僧は夏安居(舊歴四月十五日から七月十五日までの禪寺での修養期間)の末になって、再び前の話を持ち出して“末後
巖頭和尚は嶺南といふ地名をきいたので、“さうだ、嶺南なら、雪峰和尚の住んでいる所だ”と彼は憶い出して、なつかしく思ひ、「雪峰和尚に今迄お會ひになったことがありますか」(曾て雪峰に到るや)と訊いた。すると
雞の雛が孵化する直前、中から雛が卵殻を啄くと、外から母雛がその同じ場所を同時に啐いて卵殻を割るーーーこれを啐啄同時と言ふのであるが、すると雛が完全に成熟して生まれ出るのである。母雞と雛雞とは互いに顔を
ある時、二人の僧がその庵門に来って、合掌して雪峰和尚の方へ禮拝していた。内からその二僧の姿が見えるので、雪峰は座敷から降りて庵の門を開いて、門の外にその體を出して「是れ什麼ぞ」といった。すると二人の僧
【解釈】先づこの本則を理會する上に知っておかねばならぬ事は雪峰和尚と巖頭和尚とは共に徳山和尚の法嗣(教へのあとつぎ)で、年齢から言へば雪峰の方がいくらか年上であるが、法の上からいへば巖頭の方が先に悟り
【本則】擧す。雪峰住庵の時、両僧有り、来って禮拝す。峰来るを見て、手を以って庵門を托して、身を放って出て曰く、是れ什麼ぞ。僧亦曰く、是れ什麼ぞ。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巖頭に到る。頭問ふ、什麼の
だから、興党・野党の對立がある限り、どちらの方の政策が國民の福祉に關する一層善き法案なのか、その問題の裏までも模索して一絲毫ほどの解明する路でも求めなければならないのであるが、國會の審議をテレビで視聴
それは一方は興党又は政府であり、これに對するは野党であるからである。政府であり興党であるといふのは、この垂示の語を藉りて謂へば「階級」である。階級を超えて、“本来の一”に還れば静かになってしまふけれども
【新釋】第五十一則 雪峰是甚麼(これなんぞ)【垂示】垂示に云く。纔に是非あれば、紛然として心を失す。階級に落ちざれば、又模索すること無し。且く道へ、放行するが即ち是か、把住するが即ち是か。這裏に到って
“末後の句”を説くのは、人間が“明るい世界”から“暗い世界”に入り變る時である。“死”は“暗い世界”へ行くのかと思へば、“生”の世界にいる時の方よりも、一層明るい彌陀の巧妙遍照の極楽世界であるかも知れない。「同條
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの