本願寺の興亡・百姓の持ちたる国編~その⑭ 一揆勢の陣頭にたち、自ら指揮をとる門主・証如
激戦の末、加賀の三箇寺を下した超勝寺&本覚寺。彼らのバックにいるのは山科本願寺であるが、この時の門主・証如はまだ若年の16歳である。加賀三箇寺を滅ぼすまでの絵図は、彼の祖父・筆頭後見人である蓮淳が全て描いたものであった――その動機は多分に私怨によるところ、大であったのだが。 まだ少年であった証如は、終始山科にいて加賀における戦さの帰趨を見守っていた。この戦役は何しろ、逆転そしてまた逆転、という戦況が目まぐるしく変わるものであったから、さぞかしヤキモキしながら報告を聞いていたものと思われる。最終的には全てうまく行き、加賀三箇寺は滅亡し勝利したわけであるが、まだ少年であった証如はこの時のカタルシス…
2025/07/14 09:12