ここんところ、どうも調子が良くない。イライラするし、怒りはわいてくるしで調子が下がり気味。 なぜだろう、というのは言うまでもなく、あのわたしの意中の人がてんでわたしを相手にしてくれないから。男として見てくれないばかりか、わたしのことをダメな
「もういくつ寝るとお正月~♪」と歌っていたらもう明日がお正月というわけで、何やら時間が倍速で流れているような気がして仕方がない。 1年というのは早いものよ、と思う。そう言えば、去年の今頃は祖父が亡くなっててんてこ舞いだったんだっけ。去年の12月29日に亡くなって、お葬式が1月3日だったからもうお正月なんてやってる場合じゃなかった。それで今年に入って、葬儀が終わったら終わったですぐにわたしがコロナに感染してしまい、同居している母も陽性となり感染。あぁ、そんなわけで今年の年の始
目が覚めた。今まで眠っていたかのようだ。ふと、「何を食べようか何を飲もうかと思い悩むな」という聖書の言葉が頭に思い浮かんだ。 わたしは思い悩んでいた。何を食べて何を飲むかということに。少しでも健康で長生きするためにはどうしたらいいのだろう、とひたすら考えていた。でも、どうやらそれは本質のように見えて本質ではなかったらしい。 医学というものも結局は快適に生きるための術でしかない。快適に長く生きたい。苦痛を覚えたくない。そのためのいわばハウツーなのだ。しかし、それは本質ではな
頑張ることは素晴らしい。頑張ることは尊い。頑張ることによって世界は良くなっていく。だから、頑張らなければダメだ。 この理屈を額面通り受け入れるかどうかはともかくとして、頑張っている自分がすごくわたしは好きだったりする。毎日ひたすら一つの目標に向かって自分を律して行動してやっていく。そんなストイックな姿にほれぼれとする。でも、時々ふとこれって何のためにやっているのかな、と思ってしまう時がある。 今年の9月の下旬から始めたアシュタンガヨガ。今のところ順調にやれていて、申し分な
星の読書日記9冊目「心臓の病気になりたくない、死にたくない人必読の1冊」~コールドウェル・B・エセルスティン・Jr.『血管をよみがえらせる食事』
コールドウェル・B・エセルスティン・Jr.『血管をよみがえらせる食事』 久しぶりの読書日記でございます。ご無沙汰です。って、前置きしている場合ではない。この本を読んだ感想を書かなくては。 単刀直入に一言で申します。この本の食事法は大変ストイックです。なかなか、というか普通の人は無理ですよ、こりゃあ。わたしのようにヴィーガンで菜食生活をしている人にとっては大して変化なくこのエセルスティン先生の食事法を実践できますけれど、普通の人にはかなりハードルが高いでありま
今年の4月の末あたりから教会へと行かなくなって早8ヶ月あまり。気が付けば今日はクリスマスで聖なる日を迎えるという次第。何だかすごく不思議な感じがして仕方がない。 クリスマスと言えば、もう言うまでもなく教会のクリスマス礼拝とイヴ礼拝には必ず出席して祝ってきた。それが行かなくなって、何年ぶりだろう。教会へ行かないクリスマスって。だから、今までとは違う。流れている空気も違う、そんなクリスマスになりそうな予感がする(現在午前3時半)。 実は昨日、教会の牧師からメールが来ていた。教
40年あまりの人生を送ってきたわたしは今までいろいろな先生に出会ってきた。先生と言っても職種はいろいろで、学校の先生もいれば、お医者さんの先生もいれば、塾の先生もいれば、牧師もいれば、習い事の先生もいる。その中で、その中で、わたしに本当に光を与えてくれた人って誰だろうと思い出してみると、二人ばかり思い出す。一人は高校の時の先生。そして、もう一人は教会の牧師。 教会の牧師はわたしが死の問題で悩んでいて本当に暗い思いでいる時に、教え諭して光を与えてくれた。その教会にはもう行か
こんにちは。いや、こんばんは、なのかもしれない。あるいは、おはようございます? が、ともかく何やかや、やっております。最近、ブログの更新がさぼりがちになってしまっていて申し訳ない限りです。でも、これにはちゃんとした理由があるのです。と言うのは、ブログで皆様に奉仕するのもいいのだけれど、何かそれ以上に自分の生活というものを充実させたくなってしまった、というのが事の顛末。いやはや、別の意味で欲が出てきてしまったようで、失敬、失敬。 さて、何を書きましょう? 何を書いていきまし
今日、ある集まりに出席してきた。その集まりはわたし以外健常者という感じの顔ぶれでいろいろな世代の人たちがいた。でも、彼らに共通しているのは、まだ65歳になっていなくて働いている、ということだった。 その集まりにおいて新参者のようなわたしはあまり彼らと親しくはない。だから、何だか終わった後もお客様みたいな扱いをされて、どうも何だかなぁといった感じがした。 彼らは話をしていた。何について? そりゃあもう決まっている。今やっている仕事のことについての話だ。彼らが盛り上がっている
<早朝記したメモより> 何かのために、何かを得るために行為をする。それは結果を求めてしまっている。そうではなくて結果は求めないでその行為自体を神様に捧げる。 結果を求めて何かをやってしまうとそれが得られなかった時にがっかりしたり、「何で?」となって怒りすらわいてくる。だから結果は求めない。たとえいい結果が出たとしても、反対に悪い結果が出たとしても、それは神様からのギフトなのだからどちらであっても感謝して受け入れる。 何かを求めることは執着であってそこにはおそらく安ら
何だか今日は気分が重めで調子が悪かった。そして、そんな時に限って見なくてもいいもの、読まなくてもいいものを読んでしまう。 あるサイトにこんな記事があった。その記事によれば、何でもある女性が結婚できないんだ、と。その女性は年収が700万円の男性でいいから結婚したいものの相手が見つからないのだと嘆いているらしいのだ。 それを読んで、急にわたしは自分がとんでもなく不幸な男のように思えてきてしまった。年収700万円と言えば、今のわたしの障害年金の9年分くらいの額で、そんな大金を稼
午前中と午後と2回にわたり、何か頭にもやがかっているように感じている星です。皆さん、元気にしていますか? わたしは少しばかりもやもや中。 原因は何だろうと考えてみると、いろいろあるのだけれど、まず今日、ヨガをやらなかったということ。もう毎日、毎日、ヨガをやっているようなわたしがどうして今日やってないかって言うと、ムーンデーだからなんだ。ムーンデー、月の日。アシュタンガヨガの世界ではムーンデーの新月と満月の日は怪我をしやすいとのことでお休みするという習わしがあるんだ。だから
前回のアシュタンガヨガ日記からはや1ヶ月あまり。星のアシュタンガヨガの進捗状況はいかに、と心優しき読者の方は思ってくれていたかもしれない。え? 忘れていて全然気にならなかったって? おいおい。そんなこと言われてしまうと星さん悲しくなってしまうよ。でも、まぁ、このブログ自体が穴場的スポットのようなものなので、まぁ、しばしこのアシュタンガヨガ初心者の成長にお付き合いくださいまし。 さて、あれから順調に、というか、まぁ順調にほぼ毎回のマイソールクラスで1つか2つのポーズを教わっ
「わたしのこれからの方向性」とこの記事のタイトルをつけてみたけれど、これって皆さん興味あります? っておそらくないだろうことは言うまでもない。わたしをリアルで知っていてどんな人なのかざっくりとでも分かっている人にとっては面白いかもしれないものの、どこの馬の骨とも分からないわたしなどに興味関心を持ってくれる人というのはすごく稀少だと思う。まぁ、とりあえず、今回の記事はわたしへのささやかなボランティアとでも思って読んでください。 ところで、ではなくて、人って変わりますよね。いや
ぐだぐだ不調日記第26弾「3ヶ月ぶりの不調日記ってわけですか」
かれこれ前回ぐだぐだ不調日記を書いてから、はや3ヶ月。星はぐだぐだやっておりましたが、特にこれといった不調に見舞われることなくやっておりました。が、久しぶりに結構なパンチのある不調がやってきました。 もう、みんな飽きたよね。この不調日記。星というおじさんが不調になってどうのこうのなんてどうでもいいわけよ。それよりも良質なコンテンツをわたしにください、という所だと思う。けれど、星は良質なコンテンツではなくてあくまでも個人的などうでもいい情報を垂れ流しているだけだから、グーグ
「何のために生まれて、何をして生きるのか?」というのはかの有名なアンパンマンのマーチだけれど、最近のわたしはそういったことを考えなくなった。人生の目的とか使命は何かとか、そういったこと自体ほとんど考えていないのだ。 これは言うまでもなく精神状態が落ち着いてきたからではないかと思う。何のために生まれたとか、何をして生きるとかいうのは悩んでいる人のテーマであって、今が充実している人間にとってはあまり深刻な問いとはならない。 普段はそういったことを問わないのだけれど、この際せっか
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ここんところ、どうも調子が良くない。イライラするし、怒りはわいてくるしで調子が下がり気味。 なぜだろう、というのは言うまでもなく、あのわたしの意中の人がてんでわたしを相手にしてくれないから。男として見てくれないばかりか、わたしのことをダメな
わたしはここ数年、テレビを見ていない。だからなのか、どうもブラックな笑いというものについていけない。 人はどんな時に笑うかと言えば、これがすべてではないけれど、人を見下して小馬鹿にする時なのだと思う。容姿が良くないこと、髪の毛が少なかったり
結局わたしを含めた多くの大半の人たちというのは、自分の価値があるとかないとか、高いとか低いとかなどとワーワーワーワー言って騒いでいるだけでしかないのだろうか? 価値という観念に踊らされて振り回されている。それで気持ちが上がったり下がったりと
あなたのほしいものは何ですか? そう訊ねられたらあなたは何と答えるだろうか。きっとあれがほしい、これがほしいといくつも挙げることだろう。そう答えることのできる人はきっと健康度が高い人で、生きようという活力ややる気に満ちている人なのだと思う。
弱者男性か。それってわたしのことじゃん。 それに関連するネットの記事なんかを読んでいたら急に気分が悪くなってきた。 男にはモテる男とモテない男がいる。当たり前のこと。で、モテない男は生涯独身で結婚できなくて、独り寂しく生きていくことになり、
ひょんなことからこの本を図書館で見つけて読んでみようと思い、やっと読了。いやはや、なかなか読み応えのある重厚な一冊でありました。この本には依存症のいろいろな歴史が載っていて、アメリカの依存症史が一通り見渡せるのです。 で、詳しい細かい内容は
誰しもが思うこと。わたしたちの多くは凡人だから人から認めてもらえないと心がカラカラになってくる。それはまるで植物にとっての命の水のようなもので、それがないと生きていけない。 わたしのことを分かってほしい。理解してほしい。みんな多かれ少なかれ
今日、地域活動支援センターに5、6年ぶりに行ってきた。地域活動支援センターというのは精神障害がある人が利用するサロンのような場所で、各自来ている人たちと話をしたり、好きなことをして時間を過ごすそんな場所。「何か運動をやっているんですか?」と
あなたは価値というものがちゃんと存在していて実在するものだと思っているだろうか? つい先ほどまでわたしもそう思っていた。価値は実在する。厳然とあって疑う余地もない。そんな風に思っていたし、考えてもいた。が、どうやらそうではないらしい。 ここ
昨日の記事、かなり赤裸々に書いてしまったけれど大丈夫だっただろうか。SNSとかに批判が続々と寄せられていないだろうか、なんて心配していた。が、大丈夫だった。そんな影響力わたしになかったですから、やっぱり。 昨日アップした記事のアクセス数は1
先日、長い間ひたすら夢見て憧れていたことをやった。もう何十年も憧れて恋い焦がれてきたことだ。それをわたしはどうしてもやりたかった。だから、きっと明日死ぬとしたらそのことを後悔するんだろうなと思い続けてきた。そんなわたしにとっての一番やりたか
どうもー、星です。みなさん元気にしてますか? わたしは元気ですと言いたいところだったけれど、実は元気ではなかった。あることで悩み傷付いていて、それは恋の悩みだった。気になる人がいたのだけれど、てんでわたしが相手にされないのだ。無視はされてい
どうもー。愛と勇気とヨガパワーで元気100倍の星さんこと星大地です。アシュタンガヨガを始めて絶好調! もう怖いもの知らずで順風満帆です。さぁ、かかってきなさい(謎)。 なんて、のっけからいかにもうまくいってますよオーラ全開かと思いきや、なか
昨日、YouTubeの動画を観た。その動画はある精神科医のもので、その動画ではビジョンを持つことの大切さが語られていた。その人はものすごくハッキリとした人でビジョンを持て、と言う。 けれど、ビジョンを持てない人がほとんどではないかと思う。ビ
J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』 いつもの精神科の外来に行くと、ひたすらみんな調子が悪そうで、顔色が悪く動作は緩慢であまり幸せそうには見えない。みんなお薬を飲んでいる。それで良くなっていて、今
アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』 世の中というものはうまく、それもずる賢くできているもので、依存症ビジネスというものがある。現にわたしたちが日々利用しているネットもその一つのようなもので、便利に
今朝もヨガの道場へ行ってクラスに参加してきた。いつもと変わりないようでありながら今日はある意味特別な日。何でもある練習生の人が転勤で道場へと来られなくなるというからだ。昨日、わたしはその人に道場で話をして「明日が最後なんですね?」という確認
その駅は都会の駅のすぐ近くにあるというのに、ほとんどその駅では誰も降りようとはしない。きっと多くの人がその駅で降りると、そこは海の街で駅から7、8分も歩けばそこが海だということを知らない。 最近わたしはとあるフリーペーパーで、その駅からすぐ
ロバート・ウィタカー『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』「お薬を飲んでください。そうしないと再発しますからね」と精神科のお医者さんは言う。看護師さんも言う。ワーカーも言う。そんなわけで統合失調症のわたしはひたすら毎日決められたお薬を飲み
量よりも質だ。分かってはいる。分かってはいるんだ。でも、どうしても数を求めてしまう。 平凡なわたしはやっぱり数というものの持つ力にひれ伏しているのかもしれない。数があるもの、それもたくさんあるものには力がある。SNSのフォロワーの数にいいね
どうもー、星です。生きていればみんな調子が悪くなることだってありますよね。そんなわけで、調子が悪いのでレッツぐだぐだ。 わたしは囚われの菜食の王子様なのかもしれない。菜食を道徳的な理由や環境的な理由やら、ともかくいろいろなことを理由にしてやってみようと思い立ったわたし。が、もしかして栄養失調というやつですかい? 何て言うんですかね。思考とか気分はスーっとフラットなんだけれど、何にもやる気が起きないの。で、自分の腕の甲の血管を見て「老けてきたなぁ。このまま死ぬのかなぁ」って
最近、このブログ、パッタリと読んでくれる人が減った。アクセス数を見るとため息は出ないものの、それでもこの不人気ぶり。不盛況ぶり。何でこんなに読んでもらえないのだろうと考えざるをえない。でも、いい。気にしないと言うよりは、そもそも大衆ウケは狙っていないのだ。自分が書きたいことを書く。それも自分のために。で、それをたまたま通りかかった人が読んでくれて、「このお兄ちゃん(もう今年40のおじさんですけどね)、なかなか面白いこと言ってるじゃん」と思ってもらえたらそれでいい。何も、こ
わたしにとっての永遠の謎。それはこの世界が実在するかどうか、という至ってシンプルなこと。 もしかしたら、いや、もしかしなくてもこの世界は存在しないのかもしれない。誰か教えてよ、などと言いたくなってくる。でもこればっかりはわたしに誰も教えることができない。なぜなら、その教えてくれた人もわたしが見ているこの幻の登場人物でしかなく、幻の中で「これは幻なんでしょうか?」とたずねてもまさしくこれはナンセンスだからだ。分からない。謎。真実はどこにあるのか? もしも、この世界が幻なのだ
今朝の新聞の一面に、2070年には少子化が進んでいって日本の人口が8700万人になる、という記事が載っていた。2070年か。今、2023年だから47年後か。ということは、わたしが生きていたとしたら87歳くらいになっているわけか。うむ、どうでもよくはないけれど、どうでもいいな(笑)ってまるで他人事か何かのように思っている自分がいる。日本の人口のうち1割が外国人になるということも書いてあって、その頃には当たり前のように外国人がいる風景がある。でも、どうでもいい? よくないかも
只今の時刻は夜の11時半を少し過ぎたところ。何でこんな時間に書いているかと言うと、これは書かねばと思ったからだ。と言いつつも別に大したことではない。月並みなありふれた体験がとても印象的だった。ただそれだけのこと。 何について書くかと言えば、蚊だ。最近、アヒンサー(非暴力)を偽善まっしぐらのごとく実践し始めたわたしなのだけれど、部屋に蚊がいたのだ。寝よう、寝ようと思っていると顔のところにブ~ン、ブ~ンと電気を消しているからその姿は見えないものの、まるで眠りを妨害するかのごと
どうも、星です。皆さん元気に過ごされていますか? わたしはわたしで元気にやっております。 さて、菜食生活、つまりベジタリアン生活を始めて5日目になるのでご報告を。 まず、調子がいいのかどうか。いいとか悪いとか、そういう感じではなくて、頭の中がスーっとしております。頭の中がフラットになっていて、平ら~みたいな感じ。これも、それも肉食をしていないからなのだろう。静かな波風立っていない穏やかな湖のようなそんな感じなんだ。というか、闘争本能ゼロです。確実に言えることは闘おうってい
最近、変わってきたことがある。何かと言うと、蚊を殺すことにためらいを感じるようになったのだ。以前のわたしであれば、何のためらいもなく、何も躊躇することなく叩き潰していた。それが一瞬考えるようになった。で、殺さないでそのままにしておくことが増えてきた。そのせいで(って当たり前だけれど)わたしはぼちぼち蚊に刺されている。刺されればかゆい。これも当たり前のこと。でも、何だかひと思いに蚊を潰していた頃よりも心が平和だ。あの蚊を潰した瞬間に感じる、それも一瞬だけ感じるどす黒いネガテ
わたしが嬉しく思う瞬間。それはヨガをやることによって、心と体が整えられていくことを実感する時。 毎日ヨガをやっている。自分に磨きをかけて、より向上しようと日々励んでいる。その甲斐あってか自分自身が良くなってきている。見た目も内面も心も、ありとあらゆる面が進歩している。 わたしが花だとしたらわたしは何のために咲いているのだろう? 誰かから「きれいだね」って言われるため? あるいは商品価値がわたしという花に付けられて、高値で取引されるため?(値段がついたとしたらよりその値段を
世の中にはすごい人たちがいるもので、ヨガの世界でもアシュタンガヨガと呼ばれる難易度の高いものすごく体を酷使するヨガがある。そして、それができるヨガの世界でもいわば優れた人たちが一定数いて、わたしはそんな彼らと自分のヨガの達成度を比較して、ああなりたい。アシュタンガヨガができるようになりたいと思ったりするのだった。 たしかにアシュタンガヨガは難しい。初心者には太刀打ちできないような、そんな難しいポーズがたくさんあって、とてもではないけれどわたしのようにまだヨガを始めて間もな
これで本当にいいのだろうか。このまま進んで行っていいのだろうか。不安とまではいかないけれど、どこか心許ない感じがする。 佐藤優さんと池上彰さんの本を読んでいたら、何だか自分がつまらない何も知らない、できていないダメな人間のように思えてきてしまった。そういうわけで、少し気持ちがどんよりしている。 と言いつつも、もうだめだというところまで落ち込んでいるわけではない。ただ、少し気持ちが重い。それくらいで済んでいる。おそらくヨガをやっていてヨガパワーに守られているからなのだろう。
前回、ブログを更新してから一週間あまり。「教会へ行きたくない」「ヨガをやってまた教会へ行きたくなった」と書いてから一週間。この間もわたしは時を過ごしておりましたよ。バッチリというか、時を過ごしておりました。 昨日はイースターだった。そして、わたしは母と一緒に教会へと行った。イースターということで簡単な祝会も教会では行われて、それはそれは皆さんでお祝いしたんだ。が、イースターの日のめでたい日であるはずの説教なのにわたしの心にはほとんど響いてこない。これは牧師の説教に問題があ
「教会に行きたくなくて」というタイトルの記事を書いてそれから2時間後。わたしは午後のヨガをやった。綿本彰「癒しのヨーガメソッド」というDVDを見ながらヨガをやったのだ。そうしたら奇跡が起きた。何とあれだけ行く気がしなくなっていた教会にまた行こうと思ったのだ。どういう風の吹き回しですか? 2時間前に書いた記事とはまったく逆の展開じゃないですか、と不審に思う人もいることだろう。それくらいの急展開というか、劇的な展開といいますか、ともかく気持ちを持ち直すことができたのだ。 ヨガを
のっけからネガティブな話で恐縮なんだけれど、話してもいいかな? ダメ? じゃあ、少し間を置いてそれから読んでほしい。 単刀直入に申しますと、今、教会へ行きたいという気持ちが起きないのだ。毎週、風が吹こうとも嵐がやってこようとも、日曜日に教会へ行っていた人間が何を言い出すのかと思うことだろう。でも、これが飾らぬままのありのままのわたしの気持ち。 2017年の10月から通い始めた今の教会。もう6年目にもなる。6年。思い返すと長いようで短かった。いろいろなことがあったな。1年く
星さんのブログが更新されなくなってから数日あまり。問題です。星さんは何をしていたのでしょう? 正解はヨガをやっておりました。ヨガです。ヨガなんです。何でまたブログの更新ほったらかしてヨガやってたの?、と不思議に思うかな。まぁ、そんなこんなでヨガをやっておりました。 でもね、24時間のうち寝ている時間以外、ヨガをやってました、なんてバカなことは言わないよ。そんなことしたら死んじゃう。肉体を酷使するヨガがそんなにできるわけがございません。でも、1日に少なくとも2時間はヨガをや
疲れているのだろうか。ともかく、生の喜びが感じられない。生きているのは素晴らしい。それは分かっている。が、どうも実感として感じられない。疲れている時ってあなたもこんな感じですか? 今日は日曜日だから教会で礼拝。式を進めていって、牧師の説教を聞く。けれども、その話の中でネガティブな部分ばかりが気になってしまい、牧師の語る慰めの部分が全然耳に入ってこない。まぁ、ネガティブな部分が多いというのは事実なのだろう。でも、そればかりが大きくまるで拡大でもしたかのように、大きく大きく感
もう既に幸せ。わたしはもう既に幸せ。必死になってそうではないのに、そう思い込もうとしているわけではなくて、わたしはこう思っている。と言いつつも、もっとほしいような気もする。もっとお金をザックザック手に入れて好きなことがしたい。あれがしたい。これがしたい。お金があったらこんなことできるのに、などと想像したりすることもある。でも、わたしは思う。と言うか思うことにした。無理矢理思わせるとかそういうのとは違うんだけど、それでも思うことにした。わたしはもう既に幸せで、幸せな人間なの
わたしたちはつい他の人に強引に「こうしたらいいよ」「こうすれば良くなるよ」って相手の様子などおかまいなしでアドバイスを押し付けてしまう。よくある光景というか、何というか。 人はアドバイスをする。それは相手に幸せになってほしいから。良くなってほしいから。良くなってもらって幸せに近付いてもらいたいから。 でも、わたしは思うんだけれど、誰かを幸せにすることなんてできないと思うんだ。えっ? 幸せにすることができない? 何をおっしゃるんですか、星さん。人は人を幸せにできますよ。何、
気持ちがくさくさしている。イライラしている。わたしのこのブログに批判的なコメントが寄せられてそのことで頭にきているのだ。 言葉。それは諸刃の剣のようなもので、あたたかい言葉は人を幸せにするけれど、反対に冷たかったり攻撃的な言葉は人を不幸にする。あたためて癒すか、希望を与えるか、それとも傷つけて相手を打ちのめすか。だからこそ、言葉というものは気を付けて用いなければならない。人を傷付けてしまうことがないように、と。 わたしは最初その記事に寄せられた記事を読んだ時、本当に頭に来
高校生の大地へ 前略。 毎日楽しくやっていますか? ってやっているわけないですよね。聞くのも野暮なくらい毎日に嫌気がさしていることと思います。高校生の時、本当に毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。だって、学校の授業はチンプンカンプンで完全に落ちこぼれていたし、かと言って学校をやめようものなら結構有名人にさえなっていたわたしが「学校やめたんだってさ」と噂されかねないからやめることもできない。それで、毎日学校に行きたくないのだけれど、それでも渋々行く。もはや何のために学校へ自
祖母の遺品。その中に『総特集 佐野洋子』というムック本があって、それを何も考えずにわたしは手に取って読み始めた。本当に何も考えず、ただ何かにひかれるかのように手に取った。そうしたら考えさせられるものがあった。 わたしは「いい子ちゃん」だと思う。小さい時からずっといい子で来たのではないかと自分自身を振り返る。 いい子。いい子は人を困らせない。小さい頃のわたしは母から聞くところによれば、スーパーなどで「これ買って」とだだをこねたり、泣き叫んだりする子ではなかったらしい。おそら