弱者男性か。それってわたしのことじゃん。 それに関連するネットの記事なんかを読んでいたら急に気分が悪くなってきた。 男にはモテる男とモテない男がいる。当たり前のこと。で、モテない男は生涯独身で結婚できなくて、独り寂しく生きていくことになり、
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弱者男性か。それってわたしのことじゃん。 それに関連するネットの記事なんかを読んでいたら急に気分が悪くなってきた。 男にはモテる男とモテない男がいる。当たり前のこと。で、モテない男は生涯独身で結婚できなくて、独り寂しく生きていくことになり、
星の読書日記15冊目「依存してしまう自分もわたしなのだという気付きを与えられて」~カール・エリック・フィッシャー『依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』
ひょんなことからこの本を図書館で見つけて読んでみようと思い、やっと読了。いやはや、なかなか読み応えのある重厚な一冊でありました。この本には依存症のいろいろな歴史が載っていて、アメリカの依存症史が一通り見渡せるのです。 で、詳しい細かい内容は
誰しもが思うこと。わたしたちの多くは凡人だから人から認めてもらえないと心がカラカラになってくる。それはまるで植物にとっての命の水のようなもので、それがないと生きていけない。 わたしのことを分かってほしい。理解してほしい。みんな多かれ少なかれ
今日、地域活動支援センターに5、6年ぶりに行ってきた。地域活動支援センターというのは精神障害がある人が利用するサロンのような場所で、各自来ている人たちと話をしたり、好きなことをして時間を過ごすそんな場所。「何か運動をやっているんですか?」と
あなたは価値というものがちゃんと存在していて実在するものだと思っているだろうか? つい先ほどまでわたしもそう思っていた。価値は実在する。厳然とあって疑う余地もない。そんな風に思っていたし、考えてもいた。が、どうやらそうではないらしい。 ここ
昨日の記事、かなり赤裸々に書いてしまったけれど大丈夫だっただろうか。SNSとかに批判が続々と寄せられていないだろうか、なんて心配していた。が、大丈夫だった。そんな影響力わたしになかったですから、やっぱり。 昨日アップした記事のアクセス数は1
先日、長い間ひたすら夢見て憧れていたことをやった。もう何十年も憧れて恋い焦がれてきたことだ。それをわたしはどうしてもやりたかった。だから、きっと明日死ぬとしたらそのことを後悔するんだろうなと思い続けてきた。そんなわたしにとっての一番やりたか
気になる異性にわたしが相手にされない理由を考えてみたらそれはもっともなことだと分かったという話とわたしの理想について少々
どうもー、星です。みなさん元気にしてますか? わたしは元気ですと言いたいところだったけれど、実は元気ではなかった。あることで悩み傷付いていて、それは恋の悩みだった。気になる人がいたのだけれど、てんでわたしが相手にされないのだ。無視はされてい
星のアシュタンガヨガ日記 第13回「ウサギではなくてカメのようにゆっくり、ゆっくりとヨガをやるべし」
どうもー。愛と勇気とヨガパワーで元気100倍の星さんこと星大地です。アシュタンガヨガを始めて絶好調! もう怖いもの知らずで順風満帆です。さぁ、かかってきなさい(謎)。 なんて、のっけからいかにもうまくいってますよオーラ全開かと思いきや、なか
昨日、YouTubeの動画を観た。その動画はある精神科医のもので、その動画ではビジョンを持つことの大切さが語られていた。その人はものすごくハッキリとした人でビジョンを持て、と言う。 けれど、ビジョンを持てない人がほとんどではないかと思う。ビ
星の読書日記14冊目「薬のことを考えながら自分がどう生きていきたいかってことなんだろうなって思ったよ」~J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』
J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』 いつもの精神科の外来に行くと、ひたすらみんな調子が悪そうで、顔色が悪く動作は緩慢であまり幸せそうには見えない。みんなお薬を飲んでいる。それで良くなっていて、今
星の読書日記13冊目「結局、今を生きるということなんだろうな」~アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』
アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』 世の中というものはうまく、それもずる賢くできているもので、依存症ビジネスというものがある。現にわたしたちが日々利用しているネットもその一つのようなもので、便利に
今朝もヨガの道場へ行ってクラスに参加してきた。いつもと変わりないようでありながら今日はある意味特別な日。何でもある練習生の人が転勤で道場へと来られなくなるというからだ。昨日、わたしはその人に道場で話をして「明日が最後なんですね?」という確認
その駅は都会の駅のすぐ近くにあるというのに、ほとんどその駅では誰も降りようとはしない。きっと多くの人がその駅で降りると、そこは海の街で駅から7、8分も歩けばそこが海だということを知らない。 最近わたしはとあるフリーペーパーで、その駅からすぐ
星の読書日記12冊目「『お薬飲みましょう』という常識に衝撃が走る本」~ロバート・ウィタカー『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』
ロバート・ウィタカー『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』「お薬を飲んでください。そうしないと再発しますからね」と精神科のお医者さんは言う。看護師さんも言う。ワーカーも言う。そんなわけで統合失調症のわたしはひたすら毎日決められたお薬を飲み
量よりも質だ。分かってはいる。分かってはいるんだ。でも、どうしても数を求めてしまう。 平凡なわたしはやっぱり数というものの持つ力にひれ伏しているのかもしれない。数があるもの、それもたくさんあるものには力がある。SNSのフォロワーの数にいいね
最近、ヨガの道場での練習ができない感じになってきている。もう今日で4回も休んでいる。でも、こればっかりは仕方がない。先週は下痢が止まらなくて休んだのだから。そして、今日は左の肩胛骨のあたりが痛くて、首も心なしか痛い。というわけでお休みという
不安なこと。不安なこと。不安なこと。 母がわたしを置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。 猫のルルがわたしと母を置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。 わたしが朽ち果てていき、死んでしまうんじゃないか、と
わたしは何を求めていたのだろう? そして、何を求めているのだろう? ともかく、そんなこんなでやっているわたしであります。 今日、インド哲学の本を読んでいたら、「永遠の安らぎ」っていうワードが出てきて、その言葉に目が釘付けになってしまった。単
何かここんところ、自分をちっぽけな存在だなぁって思うようになった。ブログを書いても、SNSで発言しても、どれもさっぱりで反応はほぼないに等しい。まぁ、一般大衆として埋もれておりますな、はいはい。 この前、ヨガの帰りに駅の階段を降りてくるたく
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弱者男性か。それってわたしのことじゃん。 それに関連するネットの記事なんかを読んでいたら急に気分が悪くなってきた。 男にはモテる男とモテない男がいる。当たり前のこと。で、モテない男は生涯独身で結婚できなくて、独り寂しく生きていくことになり、
ひょんなことからこの本を図書館で見つけて読んでみようと思い、やっと読了。いやはや、なかなか読み応えのある重厚な一冊でありました。この本には依存症のいろいろな歴史が載っていて、アメリカの依存症史が一通り見渡せるのです。 で、詳しい細かい内容は
誰しもが思うこと。わたしたちの多くは凡人だから人から認めてもらえないと心がカラカラになってくる。それはまるで植物にとっての命の水のようなもので、それがないと生きていけない。 わたしのことを分かってほしい。理解してほしい。みんな多かれ少なかれ
今日、地域活動支援センターに5、6年ぶりに行ってきた。地域活動支援センターというのは精神障害がある人が利用するサロンのような場所で、各自来ている人たちと話をしたり、好きなことをして時間を過ごすそんな場所。「何か運動をやっているんですか?」と
あなたは価値というものがちゃんと存在していて実在するものだと思っているだろうか? つい先ほどまでわたしもそう思っていた。価値は実在する。厳然とあって疑う余地もない。そんな風に思っていたし、考えてもいた。が、どうやらそうではないらしい。 ここ
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先日、長い間ひたすら夢見て憧れていたことをやった。もう何十年も憧れて恋い焦がれてきたことだ。それをわたしはどうしてもやりたかった。だから、きっと明日死ぬとしたらそのことを後悔するんだろうなと思い続けてきた。そんなわたしにとっての一番やりたか
どうもー、星です。みなさん元気にしてますか? わたしは元気ですと言いたいところだったけれど、実は元気ではなかった。あることで悩み傷付いていて、それは恋の悩みだった。気になる人がいたのだけれど、てんでわたしが相手にされないのだ。無視はされてい
どうもー。愛と勇気とヨガパワーで元気100倍の星さんこと星大地です。アシュタンガヨガを始めて絶好調! もう怖いもの知らずで順風満帆です。さぁ、かかってきなさい(謎)。 なんて、のっけからいかにもうまくいってますよオーラ全開かと思いきや、なか
昨日、YouTubeの動画を観た。その動画はある精神科医のもので、その動画ではビジョンを持つことの大切さが語られていた。その人はものすごくハッキリとした人でビジョンを持て、と言う。 けれど、ビジョンを持てない人がほとんどではないかと思う。ビ
J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』 いつもの精神科の外来に行くと、ひたすらみんな調子が悪そうで、顔色が悪く動作は緩慢であまり幸せそうには見えない。みんなお薬を飲んでいる。それで良くなっていて、今
アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』 世の中というものはうまく、それもずる賢くできているもので、依存症ビジネスというものがある。現にわたしたちが日々利用しているネットもその一つのようなもので、便利に
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その駅は都会の駅のすぐ近くにあるというのに、ほとんどその駅では誰も降りようとはしない。きっと多くの人がその駅で降りると、そこは海の街で駅から7、8分も歩けばそこが海だということを知らない。 最近わたしはとあるフリーペーパーで、その駅からすぐ
ロバート・ウィタカー『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』「お薬を飲んでください。そうしないと再発しますからね」と精神科のお医者さんは言う。看護師さんも言う。ワーカーも言う。そんなわけで統合失調症のわたしはひたすら毎日決められたお薬を飲み
量よりも質だ。分かってはいる。分かってはいるんだ。でも、どうしても数を求めてしまう。 平凡なわたしはやっぱり数というものの持つ力にひれ伏しているのかもしれない。数があるもの、それもたくさんあるものには力がある。SNSのフォロワーの数にいいね
最近、ヨガの道場での練習ができない感じになってきている。もう今日で4回も休んでいる。でも、こればっかりは仕方がない。先週は下痢が止まらなくて休んだのだから。そして、今日は左の肩胛骨のあたりが痛くて、首も心なしか痛い。というわけでお休みという
不安なこと。不安なこと。不安なこと。 母がわたしを置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。 猫のルルがわたしと母を置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。 わたしが朽ち果てていき、死んでしまうんじゃないか、と
わたしは何を求めていたのだろう? そして、何を求めているのだろう? ともかく、そんなこんなでやっているわたしであります。 今日、インド哲学の本を読んでいたら、「永遠の安らぎ」っていうワードが出てきて、その言葉に目が釘付けになってしまった。単
何かここんところ、自分をちっぽけな存在だなぁって思うようになった。ブログを書いても、SNSで発言しても、どれもさっぱりで反応はほぼないに等しい。まぁ、一般大衆として埋もれておりますな、はいはい。 この前、ヨガの帰りに駅の階段を降りてくるたく
只今の時刻は夜の11時半を少し過ぎたところ。何でこんな時間に書いているかと言うと、これは書かねばと思ったからだ。と言いつつも別に大したことではない。月並みなありふれた体験がとても印象的だった。ただそれだけのこと。 何について書くかと言えば、蚊だ。最近、アヒンサー(非暴力)を偽善まっしぐらのごとく実践し始めたわたしなのだけれど、部屋に蚊がいたのだ。寝よう、寝ようと思っていると顔のところにブ~ン、ブ~ンと電気を消しているからその姿は見えないものの、まるで眠りを妨害するかのごと
どうも、星です。皆さん元気に過ごされていますか? わたしはわたしで元気にやっております。 さて、菜食生活、つまりベジタリアン生活を始めて5日目になるのでご報告を。 まず、調子がいいのかどうか。いいとか悪いとか、そういう感じではなくて、頭の中がスーっとしております。頭の中がフラットになっていて、平ら~みたいな感じ。これも、それも肉食をしていないからなのだろう。静かな波風立っていない穏やかな湖のようなそんな感じなんだ。というか、闘争本能ゼロです。確実に言えることは闘おうってい
最近、変わってきたことがある。何かと言うと、蚊を殺すことにためらいを感じるようになったのだ。以前のわたしであれば、何のためらいもなく、何も躊躇することなく叩き潰していた。それが一瞬考えるようになった。で、殺さないでそのままにしておくことが増えてきた。そのせいで(って当たり前だけれど)わたしはぼちぼち蚊に刺されている。刺されればかゆい。これも当たり前のこと。でも、何だかひと思いに蚊を潰していた頃よりも心が平和だ。あの蚊を潰した瞬間に感じる、それも一瞬だけ感じるどす黒いネガテ
わたしが嬉しく思う瞬間。それはヨガをやることによって、心と体が整えられていくことを実感する時。 毎日ヨガをやっている。自分に磨きをかけて、より向上しようと日々励んでいる。その甲斐あってか自分自身が良くなってきている。見た目も内面も心も、ありとあらゆる面が進歩している。 わたしが花だとしたらわたしは何のために咲いているのだろう? 誰かから「きれいだね」って言われるため? あるいは商品価値がわたしという花に付けられて、高値で取引されるため?(値段がついたとしたらよりその値段を
世の中にはすごい人たちがいるもので、ヨガの世界でもアシュタンガヨガと呼ばれる難易度の高いものすごく体を酷使するヨガがある。そして、それができるヨガの世界でもいわば優れた人たちが一定数いて、わたしはそんな彼らと自分のヨガの達成度を比較して、ああなりたい。アシュタンガヨガができるようになりたいと思ったりするのだった。 たしかにアシュタンガヨガは難しい。初心者には太刀打ちできないような、そんな難しいポーズがたくさんあって、とてもではないけれどわたしのようにまだヨガを始めて間もな
これで本当にいいのだろうか。このまま進んで行っていいのだろうか。不安とまではいかないけれど、どこか心許ない感じがする。 佐藤優さんと池上彰さんの本を読んでいたら、何だか自分がつまらない何も知らない、できていないダメな人間のように思えてきてしまった。そういうわけで、少し気持ちがどんよりしている。 と言いつつも、もうだめだというところまで落ち込んでいるわけではない。ただ、少し気持ちが重い。それくらいで済んでいる。おそらくヨガをやっていてヨガパワーに守られているからなのだろう。
前回、ブログを更新してから一週間あまり。「教会へ行きたくない」「ヨガをやってまた教会へ行きたくなった」と書いてから一週間。この間もわたしは時を過ごしておりましたよ。バッチリというか、時を過ごしておりました。 昨日はイースターだった。そして、わたしは母と一緒に教会へと行った。イースターということで簡単な祝会も教会では行われて、それはそれは皆さんでお祝いしたんだ。が、イースターの日のめでたい日であるはずの説教なのにわたしの心にはほとんど響いてこない。これは牧師の説教に問題があ
「教会に行きたくなくて」というタイトルの記事を書いてそれから2時間後。わたしは午後のヨガをやった。綿本彰「癒しのヨーガメソッド」というDVDを見ながらヨガをやったのだ。そうしたら奇跡が起きた。何とあれだけ行く気がしなくなっていた教会にまた行こうと思ったのだ。どういう風の吹き回しですか? 2時間前に書いた記事とはまったく逆の展開じゃないですか、と不審に思う人もいることだろう。それくらいの急展開というか、劇的な展開といいますか、ともかく気持ちを持ち直すことができたのだ。 ヨガを
のっけからネガティブな話で恐縮なんだけれど、話してもいいかな? ダメ? じゃあ、少し間を置いてそれから読んでほしい。 単刀直入に申しますと、今、教会へ行きたいという気持ちが起きないのだ。毎週、風が吹こうとも嵐がやってこようとも、日曜日に教会へ行っていた人間が何を言い出すのかと思うことだろう。でも、これが飾らぬままのありのままのわたしの気持ち。 2017年の10月から通い始めた今の教会。もう6年目にもなる。6年。思い返すと長いようで短かった。いろいろなことがあったな。1年く
星さんのブログが更新されなくなってから数日あまり。問題です。星さんは何をしていたのでしょう? 正解はヨガをやっておりました。ヨガです。ヨガなんです。何でまたブログの更新ほったらかしてヨガやってたの?、と不思議に思うかな。まぁ、そんなこんなでヨガをやっておりました。 でもね、24時間のうち寝ている時間以外、ヨガをやってました、なんてバカなことは言わないよ。そんなことしたら死んじゃう。肉体を酷使するヨガがそんなにできるわけがございません。でも、1日に少なくとも2時間はヨガをや
疲れているのだろうか。ともかく、生の喜びが感じられない。生きているのは素晴らしい。それは分かっている。が、どうも実感として感じられない。疲れている時ってあなたもこんな感じですか? 今日は日曜日だから教会で礼拝。式を進めていって、牧師の説教を聞く。けれども、その話の中でネガティブな部分ばかりが気になってしまい、牧師の語る慰めの部分が全然耳に入ってこない。まぁ、ネガティブな部分が多いというのは事実なのだろう。でも、そればかりが大きくまるで拡大でもしたかのように、大きく大きく感
もう既に幸せ。わたしはもう既に幸せ。必死になってそうではないのに、そう思い込もうとしているわけではなくて、わたしはこう思っている。と言いつつも、もっとほしいような気もする。もっとお金をザックザック手に入れて好きなことがしたい。あれがしたい。これがしたい。お金があったらこんなことできるのに、などと想像したりすることもある。でも、わたしは思う。と言うか思うことにした。無理矢理思わせるとかそういうのとは違うんだけど、それでも思うことにした。わたしはもう既に幸せで、幸せな人間なの
わたしたちはつい他の人に強引に「こうしたらいいよ」「こうすれば良くなるよ」って相手の様子などおかまいなしでアドバイスを押し付けてしまう。よくある光景というか、何というか。 人はアドバイスをする。それは相手に幸せになってほしいから。良くなってほしいから。良くなってもらって幸せに近付いてもらいたいから。 でも、わたしは思うんだけれど、誰かを幸せにすることなんてできないと思うんだ。えっ? 幸せにすることができない? 何をおっしゃるんですか、星さん。人は人を幸せにできますよ。何、
気持ちがくさくさしている。イライラしている。わたしのこのブログに批判的なコメントが寄せられてそのことで頭にきているのだ。 言葉。それは諸刃の剣のようなもので、あたたかい言葉は人を幸せにするけれど、反対に冷たかったり攻撃的な言葉は人を不幸にする。あたためて癒すか、希望を与えるか、それとも傷つけて相手を打ちのめすか。だからこそ、言葉というものは気を付けて用いなければならない。人を傷付けてしまうことがないように、と。 わたしは最初その記事に寄せられた記事を読んだ時、本当に頭に来
高校生の大地へ 前略。 毎日楽しくやっていますか? ってやっているわけないですよね。聞くのも野暮なくらい毎日に嫌気がさしていることと思います。高校生の時、本当に毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。だって、学校の授業はチンプンカンプンで完全に落ちこぼれていたし、かと言って学校をやめようものなら結構有名人にさえなっていたわたしが「学校やめたんだってさ」と噂されかねないからやめることもできない。それで、毎日学校に行きたくないのだけれど、それでも渋々行く。もはや何のために学校へ自
祖母の遺品。その中に『総特集 佐野洋子』というムック本があって、それを何も考えずにわたしは手に取って読み始めた。本当に何も考えず、ただ何かにひかれるかのように手に取った。そうしたら考えさせられるものがあった。 わたしは「いい子ちゃん」だと思う。小さい時からずっといい子で来たのではないかと自分自身を振り返る。 いい子。いい子は人を困らせない。小さい頃のわたしは母から聞くところによれば、スーパーなどで「これ買って」とだだをこねたり、泣き叫んだりする子ではなかったらしい。おそら
何事も自分が正解だと思えば、正解になるのだと実感したのです。(いしかわゆき『書く習慣』p26) この言葉に出会った時、わたしは目からうろこが落ちた。衝撃を受けたというか、あぁ、そうだなぁと思った。本当ね、このいしかわさんの言葉、鋭くない? 何て言うか、本当核心をついているというか。 わたしを含めて結構多くの人がそうじゃないかと思うんだけど、いろいろなことに正解を求めてしまわない? お料理を作るにしても、文章を書くにしても、歌を歌うにしても、どの食べ物を食べるかとい
何だか調子がイマイチ。そうさ、いつもの体調不良というやつで、どうも気持ちが晴れないんだ。 思考停止。思考が止まっております。停滞しております。 わたしが統合失調症なのだからどうなのか、そこんところはよく分からないのだけれど、時間の感覚がおかしいの。こうして時を過ごしているわけだけれど、わたしに何も残っていないの。ただ時間が過ぎていく感じで、気が付くと一日が終わろうとしている。たしかに愛用のメモ帳を見ると、何時から何時までこれをやってという記録が逐一してある。けれど、その時
わたしは今のままではダメなのだろうか。そんなことを思う時がある。やはり、働いてそれなりの仕事をして、それなりの報酬を得る。そうしたことが必要なのではないか。 仕事。働くということ。考えるだけで気が重くなってくる。正直なところを言ってしまえばわたしは働きたいとは思えない。サービスを提供する側になりたいとは思えない。それよりも気ままにお客さんでありたい。給仕する人とされる人がいたら、される方でいたい。快適に心地良くいたい。 それはねぇ、星さんすごくワガママだよ。言われるまでも
今日、教会で集会があった。この集会はみんなで自由に語り合う、いわばフリートークをする集会で、わたしは珍しく食べ物を持って行った。何を持って行ったかと言うと、デーツ。デーツとはなつめやしの実で、乾燥させたドライデーツを差し入れとばかりに持って行ったのだ。 そうしたらその集会に参加されていたある方が、わたしが持ってきたのがデーツだと知るやいなや、「わたし、デーツ好きなんです!!」とそれはそれは無邪気にテンションを高くして喜んでくださったんだ。 わたしはそのリアクションを見て、