大好きな山に登ったまま帰らなかった夫。寂しくて悲しい毎日でも小さな喜びがたくさんあることを願って過ごしています。
泣く場面、シチュエーションは、お芝居のように決まったところではない。 これを見て、これを聞いて泣き崩れるなんて、必ずそうではない。 Mが登った山に行って、倒れていたであろう場所に立った。 きっと同行者は、ここで私が泣くなり取り乱すなりするかもと思ったかもしれない。 でも、泣きはしなかった。うるっとはきたけれど、皆んなの前で泣いたりはしなかった。 葬儀の時も義姉に泣いていいんだよ、と言われてもその時には泣かなかった。 その事実を受け入れられない者は、決まった場面で泣く訳ではない。何が起こっているのか、認識できないでいる。 そんな時よりふとした瞬間に激しく泣く。どうしようもないくらいあふれて止まら…
音楽を聴いていて、ふと思い出した。 何年か前に Bon Jovi のコンサートに行ったな。 ひとりで行ったけど、あの時Mも誘えば良かった。 Bob Jovi なんてMは聴かないけど、私がいつも聴いていたから、曲は知っていたはず。 TOTOのコンサートに誘われたこともある。「一緒に行く?」って。 行けば良かった。 わざわざ広島まで行って、サザンのコンサートもひとりで行った。 旅行もよくひとりで行った。 わんこがいたせいもあるけれど、Mはいつもお留守番だった。 あの時出来たこと、あの時やらなかったこと、今はもう出来ないこと。 そんなことを思って悔やんではまた泣く。 それでもラグビーのワールドカップ…
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