「イエスは、『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は、『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『行きなさい、あなたの信仰があなたを救った。』盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」(マルコによる福音書10章51-52節)。治療の目的は、目が見えるようになることではなく、それにより信仰を続けること。そんな内容の説教でした。俗に言う、手段と目的の話に通じると思いました。目が見えるようになれば、いろいろなものを見ることができるし、さまざまなことを目で見て判断することができるようになります。話し相手の顔色も分かりますし、身振りや体の大きさなど、視覚情報は社会生活を充実させるものだと思います。視覚障害者のガイドヘルパーという資格があります。私が福祉の仕事を...目が見えるように
パウロは、自分がユダヤ人であることを有利に思っていたけど、今は損失だと言ったという聖書の言葉が、今日の説教で紹介されていました。「選民思想」のようなものだと説教者は言っていました。「選民思想」とはどういう意味か、少し調べてみました。「神から選ばれた民族や人種であるという宗教的思想」の意味だそうです。要するに、「お前らとは違うんだよ」という思い込みでしょうか。時々、一般国民を見下した発言をした政治家が、選民思想の持ち主だと言われることがありますね。最近の説教を聞いていて、なるほどと思ったのは、聖書に書かれている話について、その時代背景を知り、現代と比較する視点が大切だという牧師の指摘です。これは例えば、「妻は夫に従いなさい」という聖句は、現代では到底ありえない発言だけれども、これが書かれた時代に照らせば、こ...選民思想
高級下着を休み時間に休憩室で売っていた女性の同僚が解雇されたことを聞きました。ずいぶん前の話です。この女性は、就業中に営利目的で下着を宣伝していたため、就業規則に違反したのが理由でした。よほどのことがない限り、雇用主都合による解雇はありませんので、管理職の立場から見て、目に余る行為だったということでしょう。教会でも、私の職業柄、施設や学校の存続を国や自治体に求める署名を書いてほしいと頼まれることがありますが、基本的にはお断りしています。それでも、趣意書には目を通すようにしています。そうして誠意を見せても、断った時に、どうして私の言うことが聞けないの?という反応をする人がいます。たかだか署名くらいでと言いたいところですが、素直にハイハイと書く理由もこちらにはありません。休み時間は一人で過ごしたいものですが、...休み時間
「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。」(マルコによる福音書10章13節)毎週、数名から数十名の新来会者のある教会へ行ったことがあります。ところが、私が初めて行った日は、私だけが新来会者でした。紹介を辞退しましたが、代わりに、その礼拝に集っている皆さんが拍手で迎えてくださいました。子ども礼拝に来る子どもたちは、自分一人で教会に来るのではなく、必ず大人が連れて来ると思います。このような子どもたち、説教者の言葉で言えば、「自分だけでは生きていけない、信仰面においても一人では生きていけない、そんな子どもたちは、自分からイエスさまのところへやって来たのではなく、誰かに連れられて来たのです」。この聖書箇所で描かれている子どもたちは、無力な存在です。子どもたちを連れて...子どものように
今日の大阪桐蔭対下関国際を見ていたら、こんなことを思い出しました。私が好きなある歌手のライブを、いつも地元のライブハウスで観ていました。その歌手がデビュー〇周年記念コンサートを東京の大きな会場で行うというので、チケットを購入しました。東京へ行けば、いつもと違うライブが観られる、地元は地方だから本当のその歌手のパフォーマンスを観ることができないなと思っていました。当日、東京公演を観ていて感じたのは、「いつもと同じライブだ」ということでした。地元の小さな会場で歌う姿と同じその人を観ることができたのです。そして、ああ、この人は本当のプロなんだなと思いました。芸能人と言われる人の中には、地方公演では適当に演奏や歌唱をして、東京や大阪では本気を出してステージを行う人がいると聞いたことがあります。それはまた、地方と東...全力プレー
宗教2世の社会経験の乏しさが話題になっているのも「カルト関連記事」の特徴です。実は子どもの頃、私にも似たような危機感がありました。通っていたミッションスクールが女子校だったというのもありますが、それ以上に学校の方針や考え方についていけなかったからでもあります。あまりこういうことを書くとミッションスクール全体の評判を落とすのは分かっているので、あくまでも、1980年代~90年代初め頃までの話としてお読みください。一般的な進路指導が行われていない学校でしたので、世の中の常識的な判断基準、例えば、偏差値で大学を選んだり、私立と国公立の違いを考えたり、下宿か自宅通学かを決めたりということを相談できる先生がいませんでした。先生方自身にそのような経験があったとしても、それを進路指導に活かせる学校ではなかったのだと思い...置かれた場所で咲きなさい
「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」(ヘブライ人への手紙12章7節)キリスト教主義の学校に通っていた頃、学校の礼拝の説教で、「試練」や「困難」についてもよく語られていました。「試練は神が与えたものです」「あなたが耐えられない困難や試練はありません」などと教えられていました。だから、「試験勉強は苦しいけれど、誰もが通る試練ですから頑張りましょう」と担任(クリスチャンの先生)が言うのはもっともだったのでしょう。人が直面する痛ましい経験や悲しい経験を、神の試練と思いましょう―この考え方は、私のようなごく普通の人間には、とても理解しやすいです。神さまの決めたことだから仕方がない、自分のせいじゃないんだ、苦し...しつけと試練
夫が高校野球を見ながらつぶやきました。「どっちの宗教が正しいのかな」。あれ、野球を見ているはずじゃなかったかなと思いTVの画面を見ると、甲子園の2回戦。「何のこと?」とたずねる私に彼は一言、「キリスト教対仏教だよ。勝った方を信じよう」。なんて趣味の悪い冗談だと思いながら、これが普通の感覚なんだなと思いました。宗教系の高校同士の戦いを「宗教戦争」に例えることの是非は別にして、こうした試合が実現する日本の平和を思いました。宗教戦争
カルト問題への関心は、福祉関係の仕事をしていた頃からだと思います。病院でソーシャルワーカーをしていると、入院患者さんのご家族に会う機会が多くなります。ご家族は患者さんを支える存在として重視するのがソーシャルワーカーです。これは日常生活を支えてもらうだけではなく、入院費を確実に支払ってもらうためでもあります。家族の代わりに宗教関係者を名乗る人物が患者さんを訪ねて来ることがあります。「友人です」「家族の代理です」と私たちに申し出るその人たちが宗教団体から来ていると分かるまでに、そんなに時間はかかりません。それがどんな宗教であれ患者さんの信仰の自由がありますので、ご本人に目に見える危害が無い限り、病院職員が口出しすることはありません。「目に見える危害」というのがポイントで、見えない危害についての情報はすぐにはつ...積極的になる
英語教室の授業料をどうやって決めているかについては、あまり言えません。言えることは、おそらく個人レッスンをしている人の多くがそうだと思いますが、開業している地域の同業他社の情報を集めて参考にしています。他には、フランチャイズ加盟や教材会社と提携している場合、ある程度、価格設定に縛りがあると思います。グループレッスンを希望する生徒が来たけれど、該当クラスを開講していない場合、個人レッスンを提案します。その場合、授業料も個人レッスンのものを頂いています。これに文句を言う人は、私の教室ではお断りしています。やはり1人なら個人レッスンですので、2人以上の場合と同じ月謝では採算が合わないのです。授業料を下げることは、自分の価値を下げることにもなるので、授業料を設定する時に一番気をつかうべきことです。かくいう私も、い...授業料を決める
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