「統一教会はどなたがつくったのか?それは文先生ですよね。繰り返しになりますが,どうして第3イスラエル選民である統一教会が生まれたのかといえば、これは最初に説明したように第2イスラエル選民がメシヤを迎えることに失敗したからでした。第2イスラエル選民に来られたアダムとはイエス様の再臨の立場である文先生だったわけです。そうなると・・神は復帰摂理、すなわち再創造の摂理により、神側に復帰した天使長を立てて、もう一度アダムを迎える基盤を作り、神
家庭連合(統一教会)の「祝福結婚」は新しい選民をつくるためのもの
私たちの受けた祝福は新しいイスラエルをつくるためだった?「家庭連合(統一教会)は第3番目のイスラエル選民じゃないですか。」彼は一枚の紙を取り出し、そこに3角形を書き出すと説明を続けます。「そもそも統一教会というのは第2イスラエルであるキリスト教がメシヤを迎えることに失敗したから出てきた群れでしょ?」「そうだったね。」「第二イスラエルは第一イスラエルであるユダヤ教がイエス様をメシヤとして迎えられなかったから、十字架にか
広先生が席を立たれたあと同僚は、「さっき祝福では原罪が脱げていないというみ言を紹介しましたが、そもそも私たちの受けた祝福も「条件的」に行われたものだったという御言が実際にあるのを知っていますか?」「それはなんとなく聞いたことがあるけど、実際目にしたことはありませんね。ただ、我々の受けた祝福はさらに拡大し、今後国家的祝福、世界的祝福をしなければならないという御言はどこかで読んだか、記憶がありますよ。でも、実際に国が復帰されて祝福を行うというのは、かなり先の話
広先生は先の「罪と堕落性」と「血統転換と心情転換」について統一教会の中には二つの見解があったことを話されました。そして、腕時計をちらっとご覧になるや、「申し訳ないのですが、これから人に会う約束があるのです・・」「あっ、そうでしたか。本日は初めてお目にかかりながら、長い時間いろいろとお話して下さり本当にありがとうございました。」「いえいえ、とんでもない、」と同僚にも会釈をされ「朝日奈さん、またお会いしましょう・・・ではお先に失礼します。」
【広先生】「もう一つの問題点というのは『血統転換』と『心情転換』の概念をまったく別個のものとして分離し、祝福による『血統転換』は、『心情転換』という実存の変化を伴わなくても法廷論的な手続きによって、客観的、法律的に『戸籍の移動・・』すなわち、サタンの血統から神の血統への移動が行われたとみなしたことなんです。【私】「ええ~??? 血統と心情は明らかに違うものじゃないのですか?」この時の「私の考え」を代弁してくれているのは、光言
【広先生】「まず、罪と堕落性を分けて考えることに対する問題なんですが・・・これは、罪と堕落性という、対比の仕方に問題があるんです。全く異なる二つの観点が考えられるんですね。一つは「価値あるいは評価」という観点です。すなわち、‘罪であるのか`、‘罪でないのか‘ という観点で・・・もう一つは、動機なのか、行為なのか という観点です。これら二つが混在しているでしょう?」【私】「はあ・・」とりあえず最
広先生との会見は、同僚のお膳立てにより、思ったより早くやってきました。新宿のとあるレストランでお会いすることになり、待ち合わせ場所に行くと、先生はすでに来られていて、遠くからもすぐに見分けがつきました。以前修練会でお目にかかったその姿はまったく変わっていなかったからです。「どうも初めまして。朝日奈と申します・・」一通りの自己紹介を終えると私から話しの本題を切り出しました。「彼が(同僚)いうにはあの法廷論的贖罪観は先生が編
UC関連の会社に転職して間もないころです。同僚の食口からおもむろに浴びせられた言葉が、「祝福を受けてもまだ原罪が精算されていないんだ・・・」06年でしたから、かれこれ16年も前の話になります。当時の私はすぐに反論しました。「ちょっと待って下さいよ。原罪というのはサタンの讒訴条件じゃないですか。それを、サタンを愛で屈服させたメシヤ、真の父母様の祝福を受けることによって、サタンの讒訴圏から免れて、神の血統圏に転換されたんじゃないです
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