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  • ヒーローは痛みを感じるのか

    生まれながらに骨が弱く、外出して怪我をしたり周りの人から陰口を言われることに怯えて家の中に引きこもる息子を少しでも外出させるために母親が計画する。外に置いたMARVELコミックを取りに行けば続きをまた外に置いてもらえる。 そうして、MARVELのヒーローに憧れた骨形成不全症の男性。 健康な人と比べると遥かに弱い自らの体を見て考える。「こんなに弱い人間がいるなら、ヒーローのように強い自分とは対極の人間が存在するのではないか…」 アンブレイカブルはMARVEL作品のヒーローのような人外な強さはなく、すごく地味で自分でもその強さに気付かず生活しているヒーローを見つけ出す。 ヒーローは私たちと同じ程度…

  • ディア・エヴァン・ハンセン

    嘘をついたことがありますか? その嘘は人を傷つける嘘でしたか、自分を守る嘘でしたか、誰かを守る嘘でしたか、結果的にその嘘はあなたを苦しめましたか。 ディア・エヴァン・ハンセン わたしは頻繁に嘘をつく。 「大丈夫です。」と元気に答えて大丈夫だったことはほとんどない。自分に素直な気持ちほど言葉にできず大丈夫という言葉に変換して声に出して、大丈夫ということにする。もう何が大丈夫ではないのかさえ分からなくなるほど大抵のことは「大丈夫」になるように、先手を打つように嘘をついておく。 本当の自分なんて自分でも分からないほどで。できるなら自己紹介してほしい。わたしを教えてほしい、嘘はなしで。わたしはいま元気…

  • M-1グランプリ 肉うどん

    今週のお題「忘れたいこと」 2021年12月19日 M-1グランプリの決勝戦。 わたしが5年ほど推しているロングコートダディが初めて決勝に進出した。 早くあのスタジオで漫才をするロングコートダディを見たいような、見たくないようなソワソワした日々を過ごした。 決勝前夜は緊張して眠れないくらいで何度も寝返りを打った。眠ることを諦めかけてiPhoneを開いたら、決勝に進出した推しがYouTubeでゲーム配信をしていた。何度も言う、決勝前夜。 笑いはバックボーンが大切だと思う。 中高生のころ、クラスメイトのお笑い担当の人気者が爆笑を生み出せたのは長い時間をかけて彼らが面白いと刷り込まれたから。今回のM…

  • 世間が求める女性像が生きにくい

    踏切の遮断機の前。開かないでいい、ずっと。耳を塞ぎたくなるはずの警報音が今日は響いてこない。遠くで聞こえているような、聞こえてさえいないような。蛍を呼ぶ童謡のそれにも聞こえる。「おいで」と言われているような気がした。行こう。 女性が生きやすい世界とはどんなものをいうのでしょう。 「すべてを捨ててあなたについていく。」は女性のセリフであることが多いから、どこまでも虚しい。 女性とはどうあるべきなのでしょう。 いつもにこにこ静かに笑っているのが理想的な女性ですか。 なにを言われても笑って受け答えして場の雰囲気を壊さないのが理想的な女性ですか。 もしそうであるなら、そんな女性たちが身近にいるのなら、…

  • 魔女の宅急便

    映画が好きだと自覚するずっとずっと前。 わたしは魔女の宅急便に出会って恋をした。 祖父が買ってくれた魔女の宅急便のVHS。何度も巻き戻して繰り返し見た。 ホウキに跨って空を飛ぶ主人公のキキに憧れた。わたしも空を飛びたかった。飛べると思っていた。親に頼んで竹ぼうきを買ってもらった。ワンピースを着て竹ぼうきに跨って坂道をジャンプしながら何度も下った。当時、実家で飼っていた猫はトラ模様の「トラちゃん」だったけど、ジジと呼んだ。慣れない名前で呼ばれるジジの顔はいつだって不機嫌だった。 わたしが猫派なのは、キキに寄り添って話しができるジジが可愛かったからだと思う。 わたしは、靴が好き。 特に赤い靴に目を…

  • 2021年の問題作

    もう12月なのかと腕時計に表示された日付が目に入り気付かされた。木の葉が地面をこする。本当は落ちたくなかっただろうに、赤や黄色に染まっているときはあんなに愛されていたんだから。まだ落ちて踏まれたくないだろうに。今年が終わろうとしている。今年が逃げ切ろうとしているのでまだ捕まえておこう。 2021年、女性の性被害がテーマとして描かれた二作品がわたしの感情を乱したので今年が逃げてしまう前に、今年が過去にされる前に刻み込んでおこうと思う。 プロミシング・ヤング・ウーマン 所謂、映画界隈の間で口コミが広がり映画館に足を運んだ人も多いのではないかと思う。 最後の決闘裁判 わたしがこのブログをスタートさせ…

  • 泣き止まない子供、無視する親(HSC・HSP)

    わたしはHSCでした。 わたしはHSPです。 わたしは元々Twitterをメインに文章を投稿したり、趣味の映画アカウントで交流をしたりしていた。 今後もTwitterを辞めることはほぼないんじゃないかなと思う。趣味が突然嫌いになることはもちろんないだろうし。わたしが文章を書くのを辞めてしまうことも、今のところ不可能な気がするし。 Twitterは140字。わざわざ誰かのページを開いてわざわざ投稿文を読みに行かなくても全文が表示されタイムラインにずらりとたくさんの意見が行列を作る。 わたしに向けられた文章でなくとも、読んでしまえばわたしに向けられた言葉に感じることも多い。タイムラインを追う度に傷…

  • ずぶ濡れのブラッド・ピット

    わたしは所謂、胸糞映画が好き。 絶望や孤独はわたしの感情を育ててくれた。映画の中だけではなく、わたしは絶望と孤独の中で夢を見続てきた。その夢を追いかけて言葉を並べることが今に繋がっている気がするから、わたしはまだせめて映画の中くらいは取り返しのつかないほどの絶望を味わいたい。同時に現実ではない安心感を味わいたいのかもしれない。 ブラッド・ピットで思い浮かぶのは「セブン」のずぶ濡れの彼。額の傷。違和感なく唇の端に乗っかる短くなった煙草。だらしなく着崩したのか着崩れたのか、色気が収まりきらない彼のスーツ。濡れた靴の中で逃げることができない足の不快感は観ているわたしの足先にまで伝わってくる。 雨が印…

  • グッド・ウィル・ハンティングみたいに

    グッド・ウィル・ハンティングを観たことがある人はこの世界にどれくらいいるだろう。 幼い頃に観たグッド・ウィル・ハンティング。その幼さは年齢ではなく心の若さ。おしゃぶりを咥えている子供の目を見て、その純粋で汚れを知らない瞳に写ってしまうのが怖いと思うくらいに大人になって観るグッド・ウィル・ハンティングは全く別物だった。 子供の頃に思っていたほど大人は立派ではなかった。誰かの成功に心から拍手を送ることができるほど余裕がある大人は少なかった。その人の凶暴さは弱さを表すことができない人間のSOSだと気づいてもその傷に触れようとするほど大人は勇気がなかった。ポケットから落ちる財布を見かけても持ち主に声を…

  • ヘイト・ユー・ギブ(肌の差別)

    ヘイト・ユー・ギブ(2018年公開) 2009年にアメリカで起きた事件を基にした作品。 黒人差別と表現されるそれらは、生まれ持った肌の色だけで疑いの目を向けられる理由になるということ。これはあくまでわたしの解釈であり、ネットで検索すると出てくる正しい説明とは異なるけれど。 何人が殺されれば終わるのか。何度この話題を繰り返せば世界は変わるのか。変わらないなんて思いたくない。変わらない世界を見たくない。 私たちは、長く緩い人生という名の自殺行為をしながら生きている。アメリカの大統領だって、ノーベル賞を受賞した素晴らしい人だって、世界中に影響を与える歌手や俳優だって、名も知られていないような中小企業…

  • 人生を選ぶとき

    今週のお題「最近あったちょっといいこと」 18歳。 親元を離れて一人暮らしを始め、少し大人になった気がしている子供だった。 なにもかも、なにもかもが不完全だった。 一人分の食材はどのくらいの量なのか、キノコはどうなったら腐ったサインなのか、どのくらい溜まれば洗濯を回すべきなのか、隣の部屋に迷惑がかかる声のボリュームは、冷暖房を使うとどれくらい電気代が増えるのか。なにも知らないただの子供だった。 洗濯機が壊れたみたいだと助けを求めて、夜でも駆けつけてくれたのは一人暮らしをする友人。 真夏に40℃の熱が出て動けないと助けを求めて、アイスやドリンクを買い込んで汗だくで駆けつけてくれたのも一人暮らしを…

  • たかが世界の終わりの息遣い

    地元を離れた人がこっそりと感じる。 「もうここには私の居場所がない」 グザヴィエ・ドランが魅せる世界は呼吸の音が聞こえてくる。それはスクリーンに映る彼らの呼吸音なのか、見つめるわたしの呼吸音なのか。グザヴィエ・ドランの撮る世界をわたし達は体験したことがある、その世界のどこかにわたしがいる。 家族は空気がパンパンに入った風船みたいだと思う。誰かが少しでも爪を立てると簡単に破裂してしまうと分かって、指先の小さな動きを敏感に感じとっては風船を守り続ける家族。 小さな頃はなんだって話せた。話したいと欲に押しつぶされるように、追いかけまわして話しかけた相手は家族。背が伸びる毎に言えないことが増えていく、…

  • マッツ・ミケルセンの孤独

    今日も孤独を感じる。 日本は面積に対して人口が多い。人だらけの国に暮らしていても、人は孤独を感じて人を求める。きっと人は孤独ではない時間を知っているからこそ孤独を感じられる。それは会いたいと思う人がいるから寂しさを感じられるように、ある意味ですごく幸せな感覚なのではないかと思う。 マッツ・ミケルセン主演の「残された者-北の極地-」を観て絶望と孤独と死と生の極地を見た。 誰かが話す、誰かが笑う。スマートフォンから突然流れ出す音。次の駅を知らせるアナウンス。電車のドアから一斉に吐き出された人達の足音はきっと耳を塞ぎたくなるほどの大音量。道を歩けば車の音、誰かを急かすクラクション。一人になりたいと思…

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