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  • 立花宗茂

    出生から永禄10年(1567年)8月18日、豊後・国東郡筧(大分県豊後高田市)に大友氏の重臣・吉弘鎮理(よしひろしげまさ・のちの高橋紹運)の長男として生まれたとされる。幼名は千熊丸で、後に彌七郎と改める。永禄11年(1568年)討伐されて絶

  • 浅井茶々(淀殿)

    出生淀殿は1569年(永禄12年)頃、近江国小谷(おうみのくにおだに:現在の滋賀県長浜市)で誕生したと伝わる。本名は浅井茶々(あざいちゃちゃ)。浅井菊子(あざいきくこ)の名もあります。これはのちに朝廷から従五位下(じゅごいげ)を賜った際に授

  • 朝のルーティン

    半年で10キロ体重を落とした食習慣の一つです。

  • 石田三成

    出生石田三成は、1560年(永禄3年)に近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)で生まれる。幼名は佐吉。父は浅井氏に仕えて石田村を治める豪族「石田正継」(いしだまさつぐ)、母は浅井氏家臣の娘「瑞岳院」(ずいがくいん)。三成は、色白で大

  • 細川ガラシャ

    明智光秀のつながりから、その子「細川ガラシャ」について書いていきたいと思います。出生から結婚、出産1563年(永禄6年)明智光秀と妻・煕子(ひろこ)の間に三女として生まれる。出生地は越前国(現在の福井県北部)。細川ガラシャの本名は、「明智玉

  • 明智光秀

    福知山城を訪れたことがあるので、このお城のゆかりの人物のことについて書いていきたいと思います。明智光秀の生涯を年表で追っていきます。明智光秀の出自については、史実が残っておらず、諸説がいくつもあります。明智光秀の死後、江戸時代中期に書かれた

  • 第二十二番 補陀洛山 総持寺

    写真は第二十二番 総持寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)より引用亀に乗った観音様として有名な総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれました。亀の恩返しにより開かれた総持寺の御話は、今昔物語や源平盛衰記等にも紹介さ

  • 東光山 花山院 菩提寺

    縁起正式な名前は「菩提寺」でその名の通り花山法皇を弔う寺院です。開基は法道仙人で、薬師如来の化身とされる牛頭天王を共に雲にのってわたってきたと伝わっており、薬師如来の威光でこの地が選ばれます。その後、西国三十三所観音霊場の中興の祖で、巡礼の

  • 第三十三番 谷汲山 華厳寺

    縁起寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領(おおぐちだいりょう)です。奥州会津の出身の大領は十一面観世音の尊像を建立したいと願っており、苦行の末、霊木を手に入れる事が出来ました。霊木を手に

  • 西国三十三所巡礼

    一三〇〇年の歴史を持つ西国三十三所 縁の地養老二年、大和国長谷寺の開祖徳道上人が病で仮死状態になった際に冥土で閻魔大王にお会いになりります。そこで「生前の悪行によって地獄へ送られる者が多い。観音霊場へ参り功徳を得られるよう、人々に観音菩薩の

  • 第十五番 新那智山 今熊野観音寺

    平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなく、東寺において真言密教の秘法を修法されていました。その時、東山の山中に光明がさしその方へ向かわれるかれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが

  • 第三十番 竹生島 宝厳寺

    縁起竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使と

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