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  • インスタグラムでDMがきた!

    私はインスタグラムを利用しているのですが、時折DM(ダイレクトメール)が送られてきます。外国人の方、投資や副業案件、女性の方(私は男性なので、出会い系は女性がきます)気軽にフォローするほうではないのですが、この方のプロフィールに「社畜」とい

  • 談山神社

    縁起飛鳥・法興寺で行われた蹴け鞠まり会えにおいて出会った中大兄皇子 (後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が、この山中で極秘の談合をされました。「多武峰縁起(とうのみねえんぎ)」によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って日く。鞍作(くら

  • コペンのルーフロックがはずれない

    コペンのルーフロックが外れなくなり、その後の対処を書いています。

  • 「トリマ」入れてみました。

    ポイ活アプリ「トリマ」を1週間使ってみた感想です。

  • 長宗我部元親

    出生から土佐統一まで天文8年(1539年)、岡豊城で生まれる。長宗我部氏は、戦国時代の土佐で勢力を伸ばした「土佐七雄」(とさしちゆう:長宗我部氏、一条氏、津野氏、本山氏、安芸氏、大平氏、吉良氏、香宗我部氏)と呼ばれる有力豪族のひとつ。しかし

  • 山内一豊

    出生から波乱の人生岩倉織田氏の重臣・山内盛豊の三男として尾張国岩倉(現在の愛知県岩倉市)に生まれる。当時山内家は岩倉織田氏(当主は織田信安、後の信賢)の配下で、父の盛豊は家老として仕えていた。やがて岩倉織田氏は同族の織田信長と対立する。弘治

  • 浅井長政

    出生天文14年(1545年)、浅井久政の嫡男として、六角氏の居城・南近江の観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町)で生まれる。幼名は猿夜叉丸。近くにある観音正寺には実際に訪れたことがあります。名言ぞろいのお寺でした。第三十二番 繖山 観音

  • オートミール、食べ比べ

    業務スーパーで売っているオートミール3種を比べてみました。

  • 直江兼続

    出生から上杉家景勝に仕えるまで出生に関して信憑性のある資料はなく、永禄3年(1560年)樋口兼豊(ひぐちかねとよ)の長男として生まれ、幼名は与六(よろく)。母は藤(もしくは蘭子)と言われている。永禄7年(1564年)、上田長尾家当主で坂戸城

  • 酒井忠次

    出生から家康に仕えるまで大永7年(1527年)、徳川氏の前身である松平氏の譜代家臣・酒井忠親の次男として三河額田郡井田城(愛知県岡崎市井田町城山公園)に生まれる。元服後、徳川家康の父・松平広忠に仕える。竹千代(徳川家康)が今川義元への人質と

  • 榊原康政

    出生から家康に仕えるまで天文17年(1548年)、榊原長政の次男として三河国上野郷(現在の愛知県豊田市上郷町)に生まれる。当時、三河の地を巡って、尾張国の織田信秀(おだのぶひで:織田信長の父)と駿河国の今川義元、そして松平広忠(まつだいらひ

  • 井伊直政

    出生から家康に仕えるまで永禄4年(1561年)2月19日、今川氏の家臣である井伊直親の嫡男として、遠江国井伊谷(現在の静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)近くの祝田(ほうだ・現在の浜松市北区細江町中川)で生まれる。幼名を井伊虎松(いいとらまつ)。

  • 本多忠勝

    出生から家康に仕えるまで天文17年(1548年)、安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育

  • 立花宗茂

    出生から永禄10年(1567年)8月18日、豊後・国東郡筧(大分県豊後高田市)に大友氏の重臣・吉弘鎮理(よしひろしげまさ・のちの高橋紹運)の長男として生まれたとされる。幼名は千熊丸で、後に彌七郎と改める。永禄11年(1568年)討伐されて絶

  • 浅井茶々(淀殿)

    出生淀殿は1569年(永禄12年)頃、近江国小谷(おうみのくにおだに:現在の滋賀県長浜市)で誕生したと伝わる。本名は浅井茶々(あざいちゃちゃ)。浅井菊子(あざいきくこ)の名もあります。これはのちに朝廷から従五位下(じゅごいげ)を賜った際に授

  • 朝のルーティン

    半年で10キロ体重を落とした食習慣の一つです。

  • 石田三成

    出生石田三成は、1560年(永禄3年)に近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)で生まれる。幼名は佐吉。父は浅井氏に仕えて石田村を治める豪族「石田正継」(いしだまさつぐ)、母は浅井氏家臣の娘「瑞岳院」(ずいがくいん)。三成は、色白で大

  • 細川ガラシャ

    明智光秀のつながりから、その子「細川ガラシャ」について書いていきたいと思います。出生から結婚、出産1563年(永禄6年)明智光秀と妻・煕子(ひろこ)の間に三女として生まれる。出生地は越前国(現在の福井県北部)。細川ガラシャの本名は、「明智玉

  • 明智光秀

    福知山城を訪れたことがあるので、このお城のゆかりの人物のことについて書いていきたいと思います。明智光秀の生涯を年表で追っていきます。明智光秀の出自については、史実が残っておらず、諸説がいくつもあります。明智光秀の死後、江戸時代中期に書かれた

  • 第二十二番 補陀洛山 総持寺

    写真は第二十二番 総持寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)より引用亀に乗った観音様として有名な総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれました。亀の恩返しにより開かれた総持寺の御話は、今昔物語や源平盛衰記等にも紹介さ

  • 東光山 花山院 菩提寺

    縁起正式な名前は「菩提寺」でその名の通り花山法皇を弔う寺院です。開基は法道仙人で、薬師如来の化身とされる牛頭天王を共に雲にのってわたってきたと伝わっており、薬師如来の威光でこの地が選ばれます。その後、西国三十三所観音霊場の中興の祖で、巡礼の

  • 第三十三番 谷汲山 華厳寺

    縁起寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領(おおぐちだいりょう)です。奥州会津の出身の大領は十一面観世音の尊像を建立したいと願っており、苦行の末、霊木を手に入れる事が出来ました。霊木を手に

  • 西国三十三所巡礼

    一三〇〇年の歴史を持つ西国三十三所 縁の地養老二年、大和国長谷寺の開祖徳道上人が病で仮死状態になった際に冥土で閻魔大王にお会いになりります。そこで「生前の悪行によって地獄へ送られる者が多い。観音霊場へ参り功徳を得られるよう、人々に観音菩薩の

  • 第十五番 新那智山 今熊野観音寺

    平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなく、東寺において真言密教の秘法を修法されていました。その時、東山の山中に光明がさしその方へ向かわれるかれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが

  • 第三十番 竹生島 宝厳寺

    縁起竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使と

  • 第二十九番 青葉山 松尾寺

    縁起慶雲年間(704から708年)、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを思いだされました。登山したところ、松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(708年)

  • 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺

    六波羅蜜寺の歴史六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所です。当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶

  • 第二十五番 御嶽山 播州清水寺

    縁起御開山法道仙人はインドの僧で、今より1800年前、景行天皇が治められていた時に、中国、朝鮮を経て御嶽山に住まわれ鎮護国家豊作を祈願されました。推古35年(627年)推古天皇勅願により、根本中堂が建立され、仙人一刀三礼の秘仏「十一面観音」

  • 第六番 壺阪山 南法華寺(壺阪寺)

    縁起創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれています。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦

  • 第八番 豊山 長谷寺

    縁起朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。

  • 第十一番 深雪山 上醍醐 准胝堂(醍醐寺)

    醍醐寺の開創平安時代の初期、聖宝理源大師は、自刻の准胝・如意輪両観世音菩薩を開眼供養し、醍醐寺開創の第一歩を上醍醐に標し、以来、醍醐天皇、穏子皇后の帰依のもと、上醍醐に薬師堂を建立、薬師三尊を奉安、鎮護国家のために五大堂を建て、五大明王を奉

  • 第二十四番 紫雲山 中山寺

    聖徳太子創建 日本で最初の観音霊場中山寺は、聖徳太子の創建によるわが国最初の観音霊場です。第十四代仲哀天皇の先后大中姫(さきのきさきおおなかひめ)、その長子麛坂皇子(かごさかのおうじ)、弟忍熊皇子(おしくまのおうじ)の追善供養のため、ある

  • 第二十番 西山 善峯寺

    開山とご本尊善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人が小堂に御自作の千手観音を奉安して、阿智坂の法華院と号したのが始まりです。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の千手観音を遷座して本尊とされました。この本尊は千手堂を

  • ダイハツ コペン 購入しました。

    ダイハツ コペンを1週間ほど乗った感想をかいています。

  • 第十三番 石光山 石山寺

    石山寺は琵琶湖から流れる瀬田川の西岸に位置する真言宗の大本山です。境内にはいたるところに硅灰岩(岩自体が天然記念物です)があり、堂宇もその岩の上に建てられています。「石山寺縁起絵巻」によると、天平19(747)年、聖武天皇の勅願により、奈

  • 外国人?世界が広がる?!

    ソーシャルメディアでのダイレクトメール(DM)のやり取りを紹介します。

  • 第十番 明星山 三室戸寺

    創建は、奈良時代まで遡る三室戸寺。光仁天皇の勅願により創建されたと伝わり、皇族や貴族の崇敬を集めました。現在の本堂は文化11年(1814)に再建されたものです。阿弥陀堂・鐘楼・三重塔とあわせて京都府指定文化財になっています。最寄りは京

  • 第十四番 長等山 三井寺(園城寺)

    天台寺門宗の総本山。境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになりました。国宝の金堂を始め、西国第十四番札所の観音堂、釈迦堂、唐院など

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