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わさびの日記 https://blog.goo.ne.jp/tsuki29_1954

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

わさび
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2021/08/08

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  • 徒然草第百六十一段 (花の盛りは)

    「花の盛りは」、花とは桜のことで、満開は、冬至から百五十日後、立春から七十五日、春分からは九日後といわれています。今の暦だと、3月最後の週の辺りです。桜は、開花から満開までは平均すると8日だそうです。ただ、開花後の気温により変化するそうで、寒の戻りがあると延びるそうです。今年は、三月末に寒い日が続く予想なので、入学式には満開ということになるかもしれません。桜の木の下での記念撮影は良い思い出になります。徒然草第百六十一段(花の盛りは)

  • 大塚国際美術館

    かみさんと、徳島の大塚国際美術館にバスツアーで行ってきました。以前勤めていた会社の管理職の慰安旅行で行ったのが、24年前、完成直後で正面玄関は工事中でした。今や、慰安旅行どころか、歓送迎会もない時代になってしまいました。かみさんが、しきりに以前の記憶はどうだったかと尋ねますが、全然覚えていません。恐らく、行きのバスの中で酒盛りになり、酔っ払いの連中がぞろぞろと、場違いの美術館を徘徊するので、若手の私は行義の悪いおじさんたちの監視役になって、観てる場合じゃなかったのかもしれません。今回は、最初に、モネの「大睡蓮」の広場で係員の説明を受けます。大塚美術館は陶板美術館、つまりすべて複製ということです。そのためか、写真撮影は自由です。今日は、ツアー貸し切りということで、観客も少なく、ゆっくり撮れそうです。美術館は、山の...大塚国際美術館

  • 徒然草第百六十段 (行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ)

    「行法ぎやうぽふも、法の字を清すみて言ふ、わろし。濁りて言ふ」、行法は、清音で「ぎょうほう」と言うのではなく、濁音にして「ぎょうぼう」と言うのが正しいと、清閑寺僧正がおっしゃったそうです。日本語では、二つの語が結びついて一語になると、後の語の最初が濁音に変化することがあります。例えば、「淀川」は「よど」と「かわ」ですが、「よどがわ」になります。また、「手紙」は「て」と「かみ」ですが、「てがみ」になります。「行法」もその法則なのでしょう。濁音になる理由は何なんでしょう。恐らく、音の出し方の都合と思います。清音は比較的はっきりと口を開かないと出せませんが、濁音は口の開きが中途半端でも出せます。そのため、つながった語を発音する時に、音をつなげ易いからではないでしょうか。古文書では、ひらがなに濁点は表記しません。ひらが...徒然草第百六十段(行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ)

  • 徒然草第百五十九段 (或やんごとなき人仰せられき)

    「或あるやんごとなき人仰おほせられき」、誤って使われている言葉を糺し、その本来の意味を解説する。幅広い知識と経験を持った人の話しです。ちょっと嫌味な感じがします。言葉には、その元となった意味があります。漢字は中国の文字で、和語を文字にするために使われます。もちろん、中国の言葉や故事がそのまま使われている場合もありますが、漢字の意味を翻訳して和語を訓読みとしたものが多いです。平仮名は漢字の崩し字で、かならずしも意味に合った平仮名が使われるとはかぎりません。戦後は外来語、特に英語の和製英語が多く入ってきました。それなのに、どうしてか文法だけは英語や中国語のように主語+動詞+目的語・・・とはならず、動詞が最後にきます。そこの処は、日本語としては譲れないのでしょう。勝手な解釈をすると、日本語は状況を伝える言語、最後まで...徒然草第百五十九段(或やんごとなき人仰せられき)

  • 徒然草第百五十八段 (魚道なり)

    「魚道ぎよたうなり。流れを残して、口の附きたる所を滌ぐなり」、魚道とは、魚が川を遡上する急所に、人工の水の道を造ったものです。盃に残った酒が、人の助けで、盃の飲み口を超えて流れ出る様を魚道に例えいるのでしょう。そして、盃の底に残ったお酒を捨てるのを勿体ない行為としてではなく、飲み口を清めるものとすることで、意義ある行為とするのでしょう。宴会の後始末で、残った料理は勿論ですが、飲み残した飲み物、主にビールを捨てるのは勿体ない気持ちとともに、罰当たりな事をしているという感覚になったものです。ポリバケツにコップの飲み残しや中途半端に開いた瓶ビールの残りを捨てます。とても、飲み口の清めをしているとか、バケツの清めをしていたという気にはなれません。宴の終わりに、一本締めなどしますが、せめて最後にコップの残りを飲み干す乾杯...徒然草第百五十八段(魚道なり)

  • 劇団四季 「オペラ座の怪人」

    かみさんと、「オペラ座の怪人」を観てきました。生憎の雨でしたが、朝から色々と用事を済ませ、コラボメニューの店で「オペラ座の怪人」コースの昼食をしました。開演は13時30分、四季劇場に少し前に着きましたが、開演間際になって観客が増えてきたのは、皆さん私たちと同じように昼食を何処かで済ませていたのでしょう。昔、テレビで映画を見たような記憶がありますが、ストーリーはほとんど覚えていません。あの有名な曲が流れ開演しました。最初の場面は、オペラ座の遺品のオークションの場面です。最後の品は、オペラ座の壊れた大きなシャンデリアを修復したもので、それが輝きながら舞台から観客席上の天井に吊り上げられるのは圧巻でした。昨日、東北で大きな地震があったこともあり、今地震が起きると落ちてくるのではないか、ウクライナで劇場が攻撃されたとか...劇団四季「オペラ座の怪人」

  • 徒然草第百五十七段 (事・理もとより二つならず)

    「事じ・理りもとより二つならず」、外に現れる表情と心の内は別々のものではない。心の内が必ずや外に現れ、逆に外見を装っていると心もその様になっていく。猪突猛進で突き進むのは若者の純粋さですが、一つの事に凝り固まるのは老人の悪癖です。老人が聞く耳を持たなくなるのは、長年の知識と経験がそうさせるのでしょう。蓄えたものが正しく善ならば良いのですが、間違っていて悪ならば困ったものです。熟して甘い実が腐って、終には堅く固まったようなものです。誰を想像してるかは兎も角、心が腐らないためには、内と外とが適度なバランスで相互に作用されている必要があります。人の体も、熱いと汗をかき、寒いと代謝を抑えます。心も、外からの刺激で内面が活性化し、内なる興奮で外に発散する。このコントロールが上手く出来てると、健全な心身が維持できるのだと思...徒然草第百五十七段(事・理もとより二つならず)

  • 徒然草第百五十六段 (さるべき所を申し請けて行ふ)

    「さるべき所を申し請けて行おこなふ」、披露宴などはそれなりの場所を借りて行う。昔は、ホテルや結婚式場のような場所はなかったので、貴族は皇族の御所を借りるのが習わしだったようです。催し事で、会場を借りるのは、色々と気を使うものです。まず、催し事に適した会場を探さなければなりません。例えば、採用説明会ならば、交通の便がよくて、応募者が迷わない所がよいでしょう。適当な場所が見つかっても、時期によってはかなり前から予約しないと押さえられないこともあります。定期的な開催ならば、会が終わったら、直ぐに次回を予約するとよいでしょう。ただし、予約が忘れられていてもなんとかなるタイミングで確認する必要があります。次に会場の広さですが、参加する人数に依ります。10人、20人なのか、100人なのか、また人以外のスペースも考慮しなけれ...徒然草第百五十六段(さるべき所を申し請けて行ふ)

  • 徒然草第百五十五段 (世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし)

    「世に従したがはん人は、先づ、機嫌きげんを知るべし」、人生を上手くやっていくにはタイミングが大切である。その時をただ待っているのではなく、その時が近づいてくる兆しを感じなさい。ボーとしていると、そのタイミングは過ぎ去ってしまう。季節は、春夏秋冬と順に訪れるが、春が終わって夏が来るのではなく、夏を感じるともう春が終わっています。年々、時間の流れは速く感じるようになってきました。確かに、子供の頃の一日は長かったです。今は、気が付けば1週間などあっと言う間に過ぎています。その瞬間、瞬間を大切にしていないからかもしれません。大概は面倒な事ばかりで、早く終わればよいのにと思ってしまいます。面倒だと思うようなことは、そもそもしなければよく、常にワクワクすることに集中すればよいのでしょう。ところが、そのワクワクすることがなか...徒然草第百五十五段(世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし)

  • 戦争に思うこと

    ウクライナに侵攻したことをロシアの人々はどう思っているか。報道統制される状況下で、実際に起きていること全てを知ることができないでいる。ウクライナでは過激派組織がテロを企て、そこに住むロシア系住民は迫害されている。そのため、侵攻してテロ組織を一掃し、苦しんでいる人々を解放するため、軍隊を派遣したと報道されているのでしょう。それを信じる人々は、平和を望み、愛国心に基づきそれを支持しているのでしょう。日本で報道されれているニューズが真実であり、ロシアは全くの虚偽の情報だけを流していると言い切れる自信はありません。ウクライナ軍が自らの国民を犠牲にしたり、街を破壊する合理的理由がなく、ロシアが他国にミサイルを撃ち込み、戦車を繰り出すことを正義とするにも無理があります。察するに、今のロシア国内の状況は、戦時中の日本を連想さ...戦争に思うこと

  • 徒然草第百五十四段 (異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつる)

    「異様ことやうに曲折きよくせつあるを求めて、目を喜ばしめつる」、盆栽などで、枝が大きく曲がっているのを見て喜ぶのは、手足の不自由な人を見て喜ぶのと同じで、悪趣味だと言って盆栽を捨ててしまった。真っすぐしたものは詰らないが、曲がったものは変化があり面白いといった感覚、曲がったものは醜く、真っすぐしたものは気持ちが良いといった感覚、どちらもありそうです。曲がったものは、好んで曲がっているのではなく、何らかの訳があって曲がっています。それが苦渋に満ちたものだとすれば、それを見て喜ぶのは宜しくないということもあります。盆栽の枝ぶりを、手足の不自由な人に見立てるのは、ちょっと飛躍とも思います。ただ、その人の心の中で繋がっているとすれば、それはそれで意味のあることかもしれません。人の気持ちは、他から計り知れないものです。自...徒然草第百五十四段(異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつる)

  • 徒然草第百五十三段 (世にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ)

    「世にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ」、この世に生を受け、与えられた本分を全するならば、例え無念な死を迎えてたとしても、その生き方は羨ましい。鎌倉時代末期の歌人で、政治家だった京極為兼が召し捕らえられ、それを見ていた日野資朝が、生き方に共感したとのことです。鎌倉時代、京に朝廷、鎌倉に幕府の時代でした。朝廷の権威は衰え、鎌倉幕府が実質的な支配者でした。支配とは、土地の支配であり、土地から得られる富が力の根源です。経済は土地そのものであり、富を生む土地を持つことが力だったのでしょう。今日でも、この論理は国家レベルでも成り立っているようです。広い土地を支配することで人々を従わせられると信じています。偽りの正義を翳して、我儘勝手に、武力で攻め込んでくる、それに耐えるだけでなく、明確な抵抗の意思を示すことが、天から...徒然草第百五十三段(世にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ)

  • 徒然草第百五十二段 (腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様)

    「腰屈かがまり、眉まゆ白く、まことに徳たけたる有様」、年の取り方、老け方によっては、尊くも醜くも見えます。本当は、外見だけでは分からないのでしょうが、50歳を過ぎたら、心の善し悪しが外見に現れると言いますから、気を付けなければいけません。最近、眉毛に白いものが増えてきました。暇があると抜いてましたが、もはや追いつきません。白いものは目元の眉から多くなっていきます。同様に、頭も額から後ろに向けて白くなっていきます。禿げるのも前から禿げる人と後ろから禿げる人がいますので、人に依るのでしょう。何れにしても、白い物が増え、老人らしく成ってきました。外見だけでなく、心の内や言動も老人らしくしなければ、愚かな老人に見えてしまいます。老人らしいとは、基本、周りを気にせず、その上で世間に迷惑を掛けずに生きることだと思います。周...徒然草第百五十二段(腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様)

  • 徒然草第百五十一段 (励み習ふべき行末もなし)

    「励はげみ習ふべき行末ゆくすゑもなし」、50歳を過ぎても上達しないことなら、止めてしまうべきだ。年寄りが世間にしゃしゃり出てるのは宜しくない。年寄りは、老人らしいよぼよぼしているのが理想的だ。分からないことがあれば、人に聞けばよいし、そもそも今更新しい事を知って何に成るのか。リタイヤして、日々、特にすることがないと老けやすいといいます。何が趣味に打ち込んで、毎日、なんやかんや忙しくしてると、長生きするらしいです。ところで、長生きするのが、老後の目標でしょうか。長く生きることにどんな意味があるのでしょうか。敢えて、命を粗末にすることはないですが、消化試合のような時間ならば死というゲームセットを待っているだけです。目的もなく、目標もなく、ただブラブラしてるだけと云われないために、何か目的をもって生きることが必要です...徒然草第百五十一段(励み習ふべき行末もなし)

  • キリンのDRINXで発注

    若い頃、ビールならいくらでも飲めましたが、最近は缶ビール一本が精々です。大量に飲むなら、安い発泡酒でいいでしょうが、あまり飲めなくなると、味と喉越しに拘りたくなります。かみさんはワインが好きなので、ワインと高級ビールをキリンのDRINXで注文しました。我が家の二階は第2リビングになっていて、小型の冷蔵庫とワインセラーがあります。それらにお気に入りのビールとワインを貯蔵しています。かみさんと私のささやかな楽しみですが、正月など、子供達が集まり、遠慮なく飲んでくれるのも嬉しいものです。これから暖かくなり、ビールの美味しい季節です。気持ちも前向きになりますので、早く戦争も終わって明るい未来が見えてくることを祈ります。キリンのDRINXで発注

  • 徒然草第百五十段 (よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ)

    「よくせざらんほどは、なまじひに人に知しられじ」、芸事は、下手なうちは人に知られず練習し、上手くなってから披露しようとする心構えでは、上手くなったためしがない。周りから酷評され、それに耐え、頑張るからこそ上達する。どんな名人も最初は下手くそで、種々の批評に打たれるからこそ、自分流儀でない一流の師匠になる。御尤もなご意見ですが、一流になろうと思ってる訳でもなければ、人に教えたり、披露しようとも思ってません。そもそも、五十、いや六十の手習いではとても上達は望めません。ある意味、暇つぶしにしかなりません。それが私のクラリネットです。以前は発表会にも出ましたが、人に演奏を聴いてもらうことも大変なストレスです。この歳になって、人から褒めてもらおうなどとは考えていませんから、只々、自分が恥ずかしい思いをするだけです。好きな...徒然草第百五十段(よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ)

  • 徒然草第百四十九段 ( 鼻より入りて、脳を食むと言へり)

    「鼻より入いりて、脳を食はむと言へり」、鹿茸ろくじようという漢方薬があり、それを嗅ぐと、小さい虫が鼻から入って、脳を虫蝕むから気を付けよとのことです。鹿茸とは、鹿の角を乾燥したもので、鎮痛や滋養強壮の効果があるそうです。河川敷をランニングしていると、虫が鼻から入ることがあります。その虫とは種類が違うでしょうが、虫が取れた後も不快な感触が残ります。顔には、いくつかの穴があり、目、耳、鼻、口に虫が入る危険があります。目はサングラスで防げます。耳は横にあるので簡単には侵入できません。口は基本閉じているので大勝負です。よって、鼻の穴が最もリスクが高いわけです。鼻毛が防いでくれているとはいえ、空気を吸い込むと、その勢いで侵入を許してしまいます。最近は、マスクをして走っている人もいますが、息苦しく酸欠になって走れません。困...徒然草第百四十九段(鼻より入りて、脳を食むと言へり)

  • 徒然草第百四十八段 ( 三里を焼かざれば)

    「三里を焼かざれば」、前段に続き、灸の話しです。三里の灸をすべしと勧めています。三里とは、ツボのことで、その名のツボは手と足にあります。特に、足のツボは効果があるとされています。足の三里のツボの効果は、高血圧や脳卒中の他、胃腸の調子を整え、胃腸運動を促進するのですが、胃酸の分泌が良くなるので、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の人は注意が必要とのことです。灸でなく指圧でも効果があるということですから、暇なときに押してみるのもよいでしょう。なお、足の三里のツボの場所は、ひざの端から指4本分下、スネの骨の外側のくぼんだところだそうです。お風呂に浸かっている時にやってみようかと思います。徒然草第百四十八段(三里を焼かざれば)

  • 徒然草第百四十七段 (神事に穢あり )

    「神事しんじに穢けがれあり」、神事を行う際に、穢れがあるものは遠慮すべきだとされている。お灸の跡がある者は穢れているというが、そのような事はどこにも定められていないと反論しています。神事とは、神に関する祭り事で、神に祈ったり、伺いを立てたりすることです。簡単に言えば、神様にお願いをしたり、相談することです。その際、神様が嫌うことは避けるべきとされています。それが穢れということてせしょう。穢れは、大きく分けると死の穢れと生の穢れがあります。前者は死であり、後者は出産です。それらがどうして神様が嫌うことなのか。嫌うというよりも、むしろどちらも神の成せる業だからでしょう。つまり、神様の行われることに下手に触れると、異を唱えたことになるかもしれないからでしょう。人は、生きている間は、神様の手を離れ自由にできるとも考えら...徒然草第百四十七段(神事に穢あり)

  • 徒然草第百四十六段 (如何いかなる相ぞ )

    「如何いかなる相ぞ」、僧侶なのに武器の災難で死ぬという相があると云われ心配していると、本当に矢に当たって死んでしまった。妄想が現実になる。虫の知らせというか、嫌な予感が当たったということでしょう。強く思い続けていると、良からぬことが現実になるということがあるものです。思い続けていると、より可能性の高い場面や場所につい近づいてしまうのでしょう。気を病んだ人が、吸い込まれように電車に飛び込んだり、高い所から飛び降りたりするのもそうした意識かもしれません。思い込んだ人の心を変えるのは難しいです。最近は、気の病んだ人が多くの人を巻き込んで死ぬ事件が増えています。ロシアのウクライナへの侵攻は、世界が一人の人間によって滅ぼされる悪夢を想像してしまいます。隕石が落ちて、人類が滅亡するならば、神の仕業と諦められますが、狂気の指...徒然草第百四十六段(如何いかなる相ぞ)

  • 徒然草第百四十五段 (馬より落ちて死ににけり )

    「馬より落ちて死ににけり」、北面の武士が落馬して死んでしまったという話しです。落馬の相が出ているので注意しなさいと忠告した人に尋ねると、下手くそなのに跳癖のある馬を好んで乗るからだと言ったとのことです。落馬して死んだといえば、源頼朝もそうでした。今で言えば、高級車を乗り回して、事故を起こして死んだようなものでしょうか。馬も車も、自分を過信すると危ない乗り物です。社会問題になっている老人の事故も、若い頃の感覚で乗るからかもしれません。人の注意力はどんどん老化とともに衰えていきます。それを補うために、自動ブレーキなどの安全装置が装備されますが、それでも不安なものです。車に乗る方ばかりでなく、おじいさんの自転車も極めて危険です。肘を上げて、上腿を固まった形で、今にも倒れそうな運転をしている人がいます。そうなる前に、自...徒然草第百四十五段(馬より落ちて死ににけり)

  • 令和3度の古文書解読実践コース修了

    第10回の課題の添削が返ってきました。久々の〇Aでした。これで、2年連続でA以上の評価となり、生涯学習1級インストラクター(古文書)の取得に向けて前進しました。しかし、これからが難関だそうです。近世の古文書を読み解き、それを題材とする小論文を作成し、審査に合格しなければなりません。まず、読み解くための古文書を探さなければなりません。そのためには、ある程度の分野を決め、それに関連する古文書を探すことになるでしょう。地元の図書館にある古文書ということになると、地元の歴史を知り、ある程度は詳しくなる必要があります。以前に、市史を読んだことがあるので、もう一度読み返してから、ある程度のターゲットを決めようかと思っています。令和4年度も解読実践コースは続ける予定です。この一年で確かに実力は上がりましたが、まだまだ誤読の多...令和3度の古文書解読実践コース修了

  • 徒然草第百四十四段 (阿字本不生にこそあンなれ )

    「阿字あじ本不生ほんふしやうにこそあンなれ」、「脚」を「阿字」、「府生」を「不生」と聞き違えたのか、勝手に置き換えたのか、「阿字本不生」この世は永遠に不滅という意味にこじつけた話しです。宇宙はビックバンに始まり、今も膨張を続けていると云うことです。最初に根源となる物質があり、それが超大爆発して、四方八方に散り放たれて、何れ無になります。それは、三次元の世界の出来事で、もう一次元を加えると、何も無くなった世界、つまり宇宙に別の次元からもう一滴落ちて来て、再びビックバンが生じる、これが只々繰り返されるとも考えられます。そこには無限ループの可能性があり、人の命もこのサイクルに組み込まれているのでしょう。徒然草第百四十四段(阿字本不生にこそあンなれ)

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