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わさびの日記 https://blog.goo.ne.jp/tsuki29_1954

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

わさび
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2021/08/08

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  • 世界は物騒な時代に

    ロシアがウクライナに軍事侵攻して、東ヨーロッパで戦争が始まりました。どれだけ大規模な戦争になるかは予測できませんが、良からぬ方向に向かっていることは確かです。ロシアの理屈は、中国の台湾に対する思惑と同じように聞こえます。今回の侵攻がロシアの思い通りに行けば、中国も必ずや台湾に侵攻するでしょう。そして、その次は日本に手を伸ばすことでしょう。自国の安全を確保するため、隣国を侵略し犠牲を強いるのを正当化する国の指導者、彼らの意識はエゴとしか言いようがありません。指導者というよりも独裁者です。平和を求める人々は立ち上がり抗議しなければなりませんが、その声を抑圧し弾圧するのも独裁者の常道です。戦争は人の最も愚かな行為ですが、その根源は独裁者のエゴではないでしょうか。そのエゴを信奉する人々が戦争を起こすのだと思います。戦争...世界は物騒な時代に

  • 徒然草第百四十三段 (己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず )

    「己れ違たがふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず」、世間は、ああだこうだと言うが、本人がどう思っているかが大切で、他人がどう思おうが関係ないということです。子供頃、親は色々と指図しますが、それが本当に子供のためになるかどうかは分かりません。昔は、一生懸命勉強して、良い大学に入りさえすれば、大きな会社に就職出来て、一生安泰だという風潮がありました。親と子は基本的には違いますが、遺伝というものがあり、得意な事、苦手な事が類似していることは否定できません。よって、勉強の得意な人の子は勉強がよくできるでしょうが、自分が苦手なのに、子供だけにはと思うと、子供の人生にとって失敗の始まりかもしれません。今や、大きな会社の神話も崩れています。そもそも、大学出て後の人生、楽しようということ自体が間違っています。楽するのは60歳...徒然草第百四十三段(己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず)

  • 徒然草第百四十二段 (衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき )

    「衣食尋常よのつねなる上に僻事ひがごとせん人をぞ、真の盗人ぬすびととは言ふべき」、衣食住に事欠く人は、たとえ盗みを犯しても、その人の罪よりも、そのような環境を放置した政治が悪い。一方、日常生活に困らない者が罪を犯せば、それが真の悪人というべきである。罪を犯せば罰せられますが、それに至った事情によっては情状酌量の余地があるということでしょう。コロナで困っているのは個人も企業も同じですが、そのために助成金、支援金、給付金などが支給されています。そうしたものをズルして貰おうとする輩がいます。困っているのは同じでしょうが、不正をしてまで助かりたいとというものは、見っとも無いない限りです。これは、事情がどうであれ許されません。皆が、順番を待っている列に、「どうもどうも」と言って、あたかも順番を取って貰っていたかのように割...徒然草第百四十二段(衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき)

  • 徒然草第百四十一段 (本意通らぬ事多かるべし )

    「本意ほい通らぬ事多かるべし」、田舎の者の言うことは本当だが、都会の人の言うことは信用できないといった内容です。田舎では真面目に働いていさえすればそこそこの暮らしができるが、都会では何が起きるか分からず、互いに助け合うつもりでも、思い通りにならないことが多く、つい裏切ってしまうということです。思い通りにいかない人は、自分は不運だと思い、思い通り行く人を羨ましく思います。思い通りとは、期待なのか、目標なのか。何もしないで幸運が転げ込んでくるのを期待するのは、宝くじを買わずに当たるのを願っているようなものです。一生懸命に努力してやっとのことで手に入れるたとすれば、それは幸運ではなく然るべき結果です。しかし、目標に必ず到達できるとは限りません。何れ到達するかもしれませんが、それが何時かは分かりません。死ぬまでに到達し...徒然草第百四十一段(本意通らぬ事多かるべし)

  • 徒然草第百四十段 (身死して財残る事は、智者のせざる処なり )

    「身死して財たから残る事は、智者ちしやのせざる処なり」、「子孫に美田を残さず」は老子の言葉ですが、西郷隆盛も同じような言葉を云っています。ここでの美田とは、実際の田んぼのことではなく、財産です。つまり、働きもせずに収入の得られる財産を子孫に残すと碌なことはないということです。先祖から代々引き継いだ財産を子孫に残すのと、自分が蓄えた財産を残すのではちょっと意味が違うかもしれません。前者には、財産以外に使命が伴うことがあります。例えば、家業だとか、伝統芸能だとか、技術などです。それらを守るための財産ならば意味があるかもしれません。問題は、後者の場合で、人を出し抜き、強欲にため込んだ財産、そうしたものを残しても災いの元だということてしょう。そうした財産を築くために躍起になるのは、無駄な事をしていると云われているようで...徒然草第百四十段(身死して財残る事は、智者のせざる処なり)

  • コロナワクチンの三回目接種

    高齢者の優先接種で三回目を接種しました。一回目と二回目はファイザーだったので、三回目は効果が大きく持続すると云われているモデルナにしました。接種会場は市の大規模会場、予定時間の2分前に到着。その後はやって来た人達は、予定時刻まで30分以上あり、係員に後ろの方で待つように云われてました。その時間帯では、恐らく私が一番最後だと思います。年寄りはせっかちな人が多いようです。予定時刻になると、待合会場から接種会場に移動します。会場の窓口は二か所に分かれていて、順番に空いた方に案内され、接種券のチェックと体温測定をします。私の前は、非常に動きの遅いおじいさんで、案の定、接種前に上着やセーターを脱ぐのに時間がかかり、接種後もそれを着るのに、裏返っているシャツをそのまま着ようとして、体にシャツが絡まり、結局は係員の人に補助し...コロナワクチンの三回目接種

  • 徒然草第百三十九段 ( 大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり)

    「大方おほかた、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興きようずる物なり」、珍しく、貴重な物は、風情の分からぬ武骨物が好むものだと云っています。世に珍しい物は、今の世の中、少なくなったように思います。それは情報が豊富になったからかもしれません。むしろ、珍しい物よりも珍しい情報に飢えています。その弊害がフェイクニュースです。意外性を狙って嘘の情報を流し、何が事実か分からなくなってしまいます。歴史上の史実とされていることも、本当かどうか分かりません。これから作られる歴史も然りです。歴史の問題は扨おき、物の価値の評価で、希少価値は一つの尺度です。それを好むのを下品とは言い切れません。ただ、過度に追い求めると、独り占めという下心が生じます。独占欲は、醜い揉め事のもとです。財産相続で、骨肉の争いもそうした一種でし...徒然草第百三十九段(大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり)

  • 徒然草第百三十八段 (己れと枯るゝだにこそあるを、名残なく、いかゞ取り捨つべき )

    「己れと枯るゝだにこそあるを、名残なごなく、いかゞ取り捨つべき」、草花が自然に枯れて、朽ち果てていくのも名残惜しいのに、さっさと刈り取り捨ててしまうのは無情なことか。これも、咲き誇っている姿よりも、枯れていくのが、人の心には残るものだと云っているようです。病院で病と闘っていた患者が亡くなり、直ぐにベットが綺麗に片づけられ、次の患者が何も無かったかのように入る。コロナ禍で逼迫した医療の現場では仕方ないことです。その仕方無さに麻痺してしまうと、冷たい世の中になってしまうのでしょう。太陽は50憶年前に誕生し、その寿命は後50億年と云われています。人類の歴史は500万年ほどですから、太陽系の歴史を人の人生100年に例えると、人類の歴史は1か月にも足りません。人類が滅亡しても、宇宙の中では何も無かったようなものなのでしょ...徒然草第百三十八段(己れと枯るゝだにこそあるを、名残なく、いかゞ取り捨つべき)

  • 弦楽の定期コンサート

    久々、娘が出演する弦楽の定期コンサートに行ってきました。コロナ禍のため、延び延びになって、ようやくの開催でした。まん延防止下ですが、静かに演奏を聴く限りは、感染のリスクは低く、また、観客席にも余裕があったので全く心配しませんでした。前半は、「惑星」で有名なホルストの『ブルック・グリーン組曲』とパーセルの『アブデラザール』、後半は、ビバルディの『四季』でした。前半の曲はあまり馴染みがなかったですが、アンデラザールとはどういう意味か調べてみると、スペインを支配していたイスラム教徒、ムーア人の女王の名前だそうです。スペインにイスラムの勢力が及んでいたのが、スペイン文化を特徴づけるものになったのかもしれません。ヴィヴルディの『四季』は、中学時代の音楽の先生が好きでよく聴かされました。印象的な先生で、嬰記号(シャープ)は...弦楽の定期コンサート

  • 徒然草第百三十七段 その2 ( 若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期なり)

    「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期しごなり」、人はいつ死ぬかわからない。若いからといって油断していると、突然死が訪れるかもしれない。老人だからもう死ぬ死ぬと嘆いていると、何十年も無駄に過ごしてしまうことにもなる。ただ、誰もが必ず死ぬことだけは確かです。子供の頃、織田信長が、人生50年・・・と『敦盛』を舞うのが恰好良く、戦国時代の話しが好きでした。そのため、人の命は50歳ぐらいだろう、21世紀は見れるなあぐらいに思ってました。ところが、もう2022年です。『敦盛』は、武将の熊谷直実が若き平敦盛を一ノ谷の合戦で討ち取ったことを悩み、法然上人に弟子入し出家した話しです。熊谷直実は坂東の平家ですが、源氏に味方し、この一ノ谷の戦いでは息子も深手を負うなど、複雑な心境だったと想像します。人生50年とは、50...徒然草第百三十七段その2(若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期なり)

  • 徒然草第百三十七段 (万よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ )

    「万よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ」、桜は満開の時よりも、その咲始めや散り際がよい。期待したり、惜しんだりしする、色々な感情が入り混じるのが楽しい。それが日本のこころだといっているようです。若くて未熟なものが懸命に努力している姿は、初々しくて心惹かれるものがあります。一方、全盛期を過ぎ、引き際、散り際の美学というものもあります。日本人のこころはそうした価値観が基になっています。どんなことでも、懸命にやった結果ならば、無様な姿を晒したとしても、それもひとつの生き様です。華やかな成功だけが注目されるのではなく、空しく破れ、あるいは失敗した方が人の心を打つこともあります。戦いに勝つことは感動を生むかもしれませんが、敗れて挫折を味わった様の方が人の心を豊かさするような気もします。徒然草第百三十七段(万よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ)

  • 徒然草第百三十六段 (才ざえの程、既にあらはれにたり )

    「才ざえの程、既にあらはれにたり」、ある医師が、食材の栄養やその文字について何でも答えられるというので、「しお」の部首は何かと尋ねられた。すると、「土偏」と答えたので、あなたの学識も大したことはないと云われたそうです。「塩」は後に輸入された字で、「鹽」が本来の字だそうです。「鹽」の部首はなかなか難しいです。ひっかけ問題にひっかかるのは、知識が浅いからでしょうか。知っていたのに、そそっかしいということもあるでしょう。私も知りませんでしたので、学識が乏しいのでしょう。当時、「塩」の字が一般的に使用されていたとすると仕方ない答えかもしれません。この医者も、何でも答えられると偉そぶっていても、少しでも食事に気を付けて欲しいとの気持ちがあったとすると、ちょっと可哀そうな気もします。それにしても、この「鹽」という字、とても...徒然草第百三十六段(才ざえの程、既にあらはれにたり)

  • 徒然草第百三十五段 ( そゞろごとを尋ね奉らん)

    「そゞろごとを尋ね奉らん」、どんな事でも答えられるという鼻持ちならない人に、答えのないような質問をし、答えに困らせて一本取ったという話しです。人が質問してくるのは、知らないか、あやふやか、あるいは相手を試すためです。相手を試すためなら、本来は答えを知っている事を質問すべきです。知らないことを尋ねて、相手も知らないとなると、なのこっちゃとなります。ただ、この場合は、俺は何でも知っていると偉そぷさった人の鼻を折るのが目的で、それはそれで一泡吹かせたということかもしれません。昔、「君はどう思う」などと質問してきて、適当に答えると「それはねえ・・・」とうん蓄を垂れる上司がいました。もし、正解を答たとすると、「何で、こんなこと聞くと思う」などと誤魔化してきます。困った御仁です。きっと、嫌な年寄りになっていることでしょう。徒然草第百三十五段(そゞろごとを尋ね奉らん)

  • 徒然草第百三十四段 ( 我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず)

    「我を知らずして、外ほかを知るといふ理ことわりあるべからず」、自分の事を棚に上げて、人のことをとやかく言ったりするものではない。自分が拙いことを知けば、他のことよりも自分がどうすべきかも分かる。現実の自分の姿を請け入れ、その分に合った生き方をしなさいということでしょう。自分の分を知るとはどういうことでしょうか。自分の今の力の程度を知ることですか。新しいことを始め、すぐに得とくし、誰よりも上手くなる人がいます。一方、自分は何をやっても上達しないと嘆く人もいます。人の能力は様々です。それは何についても同じです。形の良い石があれば悪い石もあるように、そのこと自体は変えられません。しかし、形が良い悪いは誰かが勝手に決めたことで、絶対ではありません。能力のある人は、その能力を活かして社会に貢献し、能力の乏しい人はその恩恵...徒然草第百三十四段(我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず)

  • 徒然草第百三十三段 ( 夜の御殿は、東御枕なり)

    「夜よるの御殿おとどは、東御枕ひがしみまくらなり」、御所では東枕、朝日を浴びて目覚めが良いとのことです。孔子も東枕だったので、東枕か南枕が一般的とのことです。ところが、白川法王は、縁起が悪いといわれても北枕だったそうです。昔、親からも、北枕は死んだ人がするもので縁起悪いと云われました。ただし、お釈迦さまは頭を北に、顔を西に向けて横たわり亡くなられたといいます。仏教では、お釈迦さまと同様に北枕にすると、極楽浄土に行けるといわれます。だから、死者は北向きにするので、決して縁起が悪いのではありません。孔子は仏教徒ではないので関係ありません。白川法王は熱心に仏教を信じたようですが、一方で民を苦しめたとも云われています。果たして、極楽浄土に行けたのかどうか。ちなみに、私は西枕です。これは寝室のレイアウトの都合です。徒然草第百三十三段(夜の御殿は、東御枕なり)

  • 徒然草第百三十二段 ( 鳥羽の作道みち)

    「鳥羽とばの作道つくりみち」、鳥羽街道は、平安京の羅生門から淀へとつながり、淀川を上って来た物資を都へ運び込むための計画道路たったそうです。その名称は、鳥羽離宮に因んだものではなく、その以前からのものだと主張しています。鳥羽街道の物資輸送は、牛車が使われていたようで、江戸時代には牛車の運賃が安く、採算が合わなくなり、牛車が減り、都への年貢米の搬入が滞るとの話しがあります。今も昔も、輸送は大切な社会機能です。石油が上がり、物流費が上がると、物量も減ります。さらに諸物価が上がり、民の暮らしが大変になります。人口減少と高齢化、そして地方の過疎化が進む中、物流は重要になってきています。最近、ようやく物流倉庫の地位は上がって来ましたが、ドラマなどでは、出世競争に負けた人が左遷されるのは、必ず倉庫部門でした。私も、定年前、...徒然草第百三十二段(鳥羽の作道みち)

  • 定期健康診断

    定期健康診断を職場が指定する診断機関で受けました。職場が変わるたびに受診機関が変わります。以前の会社は、検診バスが来て受診していましたが、退職してからは、任意継続している健保組合が認める病院で受診してました。勤め先が変わると、健保組合も変わり、提携している医療機関も変わります。そのため、ここ数年はその都度違う医療機関で受診しています。前回の結果が引き継がれず、結果が良くなっているのか、悪くなっているのか、自分で前年の結果と見比べるしかありません。ここ5年間は内視鏡検査でしたから、久しぶりにバリウムの胃の検査を受けました。昔、十二指腸潰瘍になってましたが、バリウムの検査ではいつも異常なしでした。だから、バリウムの検査は信用していません。ただ、職場で内視鏡に変更してくれというと、面倒臭そうにされそうだから我慢したま...定期健康診断

  • 徒然草第百三十一段 ( 己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし)

    「己が分ぶんを知りて、及ばざる時は速すみかに止やむを、智といふべし」、人は自分の能力を知り、それを超える事はやらないことだ。出来ないことを出来ませんと断るのは正しい。それを認めないのは、認めない奴が悪い。もし、無理してやって失敗すれば、それは自分が悪い。尤もな話しですが、無理してもやらなきゃならないこともあります。ただ、明らかに失敗すると分かっているならば、やるべきではありません。無理をするとすれば、それをする過程で成長し、できる能力が得られる場合です。だから、人を育てる時も、こいつには無理かなあと思っても、やっている間に成長が期待できるならば、やらせることも必要です。ただし、しっかりとフォローすることも大切で、任せたから後は知らねえではいけません。年とともに、伸びしろが無くなってきています。伸びしろが無ければ...徒然草第百三十一段(己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし)

  • 徒然草第百三十段 (物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず)

    「物に争はず、己れを枉まげて人に従ひ、我が身を後のちにして、人を先にするには及かず」、人と争わず、人の話しをよく聴き、人の困り事に気を配る。そうした生き方が良いとのことですが、それはまた、損な生き方でもあります。他の人は自分とは違い、世の中も自分の思い通りには行きません。人の事ばかり気にしていると、自分を見失い、最悪は精神を病んでしまいます。また、人のためにと思ってやっていることも裏目に出ることがあります。最近、人のために尽くしる人が、理不尽にも殺されたり、傷つけられたりする事件が多いです。人のためにと思う人は世の中には絶対に必要ですが、そうした人々をバックアップする社会の仕組みが不十分なような気がします。バックアップの仕組みには、経験知を上手く現場にフィードバックすることが大切です。そのためにはそれを考える余...徒然草第百三十段(物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず)

  • 令和3度の古文書解読課題の最終提出

    第10回目の課題を提出しました。今年度の成績は低調でしたが、今回もA評価ならば、最低の目標は達成できます。来年度も継続する予定ですが、今年度以上の成績を目指したいと思います。さて、いよいよ生涯学習インストラクター1級に向け、次の段階に進すことになりそうです。近世の古文書に関する研究テーマを決め取り掛からなければなりません。この一年間、大坂の文化と行政に焦点を当て、古文書を読んできました。前者は、「竹垣直道日記」であり、後者は西鶴の「世間胸算用」です。今後は、これらの中から、論文のテーマになる題材を見つめなければなりません。そのためには、少し、研究範囲を広げ、俯瞰的に考えられる知識と教養が必要です。そのため、日本史についてもう少し深く勉強しようかと思っています。令和3度の古文書解読課題の最終提出

  • 徒然草第百二十九段 (身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし)

    「身をやぶるよりも、心を傷いたましむるは、人を害そこなふ事なほ甚だし」、病は気からということです。気持ちが萎えると病気になり、病気になれば気から治すことが肝要です。「バカは風邪をひかない」とか「バカは死ななきゃ直らない」という言葉があります。バカは、あまり周りの事や将来を気にせず生きていける性格で、気を病むことはありません。だから病気にもなりにくいし、もし病気になってもすぐに治ります。だから、バカを直すことはなく、むしろ死ぬまで付き合うのが得策ということになります。まあ、どうでも良い話しですが、バカを研究して、長生する秘訣を見つめるのも良いのかもしれません。徒然草第百二十九段(身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし)

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