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わさびの日記 https://blog.goo.ne.jp/tsuki29_1954

老後の暮らしを模索しています。健康のためランニング、楽しみにクラリネット、それに古文書解読を趣味にしたいと思っています。

わさび
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2021/08/08

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  • 徒然草第百二十八段 (慈悲の心なからんは、人倫にあらず)

    「慈悲じひの心なからんは、人倫じんりんにあらず」、どんなに博学で、身分が高くても、生き物にやさしい心を持てなければ人ではない。動物は、他の生き物を食べて生きていけます。そのため、どうしても他の動物を殺したり、植物を採ったりしなければなりません。そのため、食べる命への思いやりが大切で、残らず食べることが、その命への感謝の心である。昔、誰か偉い人から教わったような気がします。広い宇宙の中、生き物がいるのは地球だけじゃないと考えられていますが、ひょっとすると地球のように自然と生き物の世界は稀で、他の星では自然と別物とで構成されているかもしれません。生き物でない別物とは何か。エネルギーの塊のような、いわゆる精気のようなもの。粒子の特殊な配置がエネルギーによって自我を持ち、自然の空間を支配したり、他のエネルギーを巧みに操...徒然草第百二十八段(慈悲の心なからんは、人倫にあらず)

  • 徒然草第百二十七段 (改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり)

    「改あらためて益やくなき事は、改めぬをよしとするなり」、替えても良くならならと分かっていたら、そのままで良いということでしょう。つまり、下手に替えるなとも取れます。替えれば替えるほど悪くなるということはよくあります。大学入試や教員免許などの制度もその一例でしょう。大学入試制度に民間の検定制度を導入するのは良いのですが、もっと根本的に試験の時期や機会の複数化を真剣に考えれば、色んな問題が見えてきたでしょう。教員の免許についても、質の維持向上が目的なら、10年に一回の更新ではなく、普段からの研修機会の確保、そのためには多忙な教育現場をどうにかするのが先決と気がついたでしょう。制度を変える場合は、替える部分だけでなく、一からすべてを考え直す必要があります。その結果、現状のもので使えるところを残し、使えないところは大胆...徒然草第百二十七段(改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり)

  • 徒然草第百二十六段 (その時を知るを、よきばくちといふなり)

    「その時を知るを、よきばくちといふなり」、博奕、つまり賭け事は、勝負時は、どんなに勝っていても、引き際が肝要とものことです。賭け事に弱いというか、賭け運がないので、できるだけ賭け事には手を出さないようにしています。競馬、競輪、パチンコといったものは、一瞬の勝負ですから、勝運に敏感でなければなりません。その感性のない人は負けてしまいます。ギャンブルが好きな人は、勝つことだけでなく、勝負のスリルが好きだと云います。そうしたスリルが苦手な人も賭け事には向かないでしょう。以前、宝くじを小まめに買っていた時期があります。どうせ当たらないだろうと思いながらも、もし当たったら、あれを買おう、何をしようと考えるのは、当たらなくても夢を買ったようなものです。だから、元は取れているのかもしれません。今日、こつこつ貯えるだけではお金...徒然草第百二十六段(その時を知るを、よきばくちといふなり)

  • 徒然草第百二十五段 (何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は)

    「何とも候さうらへ、あれほど唐からの狗いぬに似候ひなん上は」、四十九日の法事で、お参り下さった坊さんの説法が大変に有難く感動したのですが、ある人が「あの坊さんは、狛犬さんに似ていたから」と言ったものだから、有難さが吹き飛んでしまったとの話しです。講演会などでも、演者の話しよりも、その人の風貌が気になって仕方ないことがあります。話しの内容に沿ったものならばよいのですが、そうでないと連想が連想を呼んで、記憶に残ったのはその印象だけていうことになりかねません。ある朝の番組にレギュラー出演している大学の先生が、髪を赤く染めていて、それが気になって、何で赤いのか、赤くすると若者受けするのか、赤いことは何かの御祓いなのか。そういえば節分も近いし、赤鬼のつもりなのか。いやいや赤鬼ではなく、厄払いなのかもしれない。と色々と連想...徒然草第百二十五段(何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は)

  • 徒然草第百二十四段 (安らかに世を過す有様、いとあらまほし)

    「安らかに世を過す有様、いとあらまほし」、浄土宗の僧、是法ぜほふ法師の話しです。難しいことは云わず、ただ平和な世を祈っている。世の中の平和を祈ることは素晴らしいことです。平和を脅かすものには、人の手ではどうにもならないことと、そうでないこととがあります。今日、問題になっている疫病や地震などの自然災害は前者で、後者は戦争です。そして、私たちは前者に対しては祈り、後者に対しては声を上げなければなりません。祈っていても起きてしまったら、試練と思い、それを乗り越えて復興することが大切です。どんなに被害が大きくても、そこには未来や希望が生まれます。しかし、戦争は違います。それは人のエゴによる惨事です。勝っても負けても人の心には傷が残ります。日本は戦争に負けました。酷い犠牲を払い、多くを失いました。そこから立ち直りはしまし...徒然草第百二十四段(安らかに世を過す有様、いとあらまほし)

  • 徒然草第百二十三段 (四つ、欠けざるを富めりとす)

    「四つ、欠けざるを富めりとす」、四つとは、衣食住と薬です。寒さを防ぐ衣服、風雨をしのぐ住まい、飢えないための食事、そして病気を治す薬だそうです。これらを手にできれば裕福で、どれか欠けると貧乏になるといいます。今の日本、衣と食はある程度満たされますが、住はホームレスが無くならない限り満たされたとは言えないかもしれません。ただ、最近、子供の貧困で、子ども食堂が話題になるように、食の危機に瀕している人もいて、貧困の割合が増加しているのは気になります。これらは政治の責任でしょう。富の集中が問題になっています。世界のトップ10の富豪が、その99.9%の富を無くしたとしても、全世界の99.9%の人よりも裕福だといいます。それほど富は偏っていて、恐らく中世の封建時代よりも大きな差になっているじゃないかと思います。人は平等とい...徒然草第百二十三段(四つ、欠けざるを富めりとす)

  • 徒然草第百二十二段 (金はすぐれたれども、鉄の益多きに及かざるが如し)

    「金こがねはすぐれたれども、鉄くろがねの益やく多きに及かざるが如し」、金は貴重だけれども、鉄のようには役に立たない。貴重な物と、日常役に立つものとでは、どちらが大切か。どんなに財産があっても、身の廻りに必要な物がなければ、充実した生活は暮らせないということでしょう。さらに深読みすると、貴重な物はただ蓄えておくだけでなく世の中に役立たせる。お金も貯めるよりも、自分のために使うことが大切と言えるでしょう。人は、貴重なものを自分だけのものにしたい欲がありますが、手に入ると自分が楽しむだけでは満足できなくなります。人に自慢したくなります。ただ自慢すると嫌な奴と思われるだけですから、世間に公開して他の人と楽しみを共有しようと思いつきます。以前、市が、町の有力者から収集した美術品を寄贈されるので、公園をつぶして美術館を建て...徒然草第百二十二段(金はすぐれたれども、鉄の益多きに及かざるが如し)

  • 徒然草第百二十一段 (生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり)

    「生しやうを苦しめて目を喜ばしむるは、桀けつ・紂ちうが心なり」、動物愛護の精神を説いています。馬や牛は、人が生活してしていく上で飼わざるを得ないが、それ以外の動物を鑑賞用に飼うのは、残虐な暴君と同じだと非難しています。身近に見る動物といえば、猫、犬、鳥です。昔は、野良犬もいましたが、今は飼い主が必ずリードで繋いて散歩しています。散歩で信号待ちする交差点、犬が必ず信号の柱におしっこをして、それが原因で柱が腐食し倒れたとの話しがありました。それはそれで困りますが、飼い主がペットボトルの水をかけて流していることもあり、被害は限定的です。猫や鳥は所かまわず糞尿をします。我が家の近くでは、野良猫や烏の糞尿の被害が多く困っています。夜な夜なペットフードを入れたトレーをあちこちに置いて餌やりをしている人がいるからです。餌目当...徒然草第百二十一段(生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり)

  • 徒然草第百二十段 (唐の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ)

    「唐からの物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ」、昔は、中国から来るものは貴重な物が多かったのでしょうが、だからとて無くて困る物はそれぼとないということでしょう。今日、中国製は粗悪なものが多くて気をつけなければなりません。不良品でも、安い物だからと諦められるならば、中国製でも良いということでしよう。中国が世界のリーダーになるには、そうした中国製品のイメージを変える必要があります。他国から見て、信頼できる国でなければ、その国で作った物も信用されません。権力が人々を抑えつけて文句を言わせない社会では、文句を公然と言えない代わりに、人をだましたり、人を欺いたりして、邪悪な心が増殖します。抑圧すればするほど、不正や差別がはびこります。そうした社会では信頼性の高い製品は出来ません。企業が、自社の製品の品質を上げるために...徒然草第百二十段(唐の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ)

  • 光の遊園地 ひらかたパーク

    市民限定の無料招待で、光の遊園地、ひらかたパークに行ってきました。4時ごろに入園し、暖かいホットコーヒーを飲みながら暗くなるのを待ちます。昨日まで厳しい寒さでしたが、天気も良くて、気温も少し上がって、外で待っていてもそれほど苦になりません。それでも、夜になると冷え込むだろうと、使い捨てカイロをポケットに入れて、遊園地の光景を観察します。やはり、子供連れが多いですが、内の孫の年齢ではまだ乗り物に乗れませんので、もう少し大きくなったら連れてきてやりたいと思います。若い人でも、中高生が多いようで、それより大きくなるとユニバやディスニーとなるのでしょう。ひらパーのような昔ながらの遊園地は、ほとんど閉園してしまい、このひらパーだけが頑張っています。無料で入場して営業に貢献していませんが、関西の遊園地としていつまでも残って...光の遊園地ひらかたパーク

  • 徒然草第百十九段 (かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ)

    「かやうの物も、世の末になれば、上かみざままでも入りたつわざにこそ侍れ」、鰹が高級魚として流行っている。昔は、下々のものさえ食べなかったのに、今じゃ、高貴な人に食べられている。人々の好みの変化か、それとも獲れる量が減ったのか、時代によって好まれる魚は変わるようです。今日、高級な海産物として思い浮かぶのは、鰻と河豚です。昨年、ツアーに参加して鰻を食べました。お店の一般のメニューには二枚乗っていたのに、用意されていたのは一枚しかありませんでした。かみさんは半分しか食べてないと、再チャレンジしたそうです。河豚は、昨年末に奮発して買って、正月、子供達が来たときに出すと、皆な遠慮なく食してました。好き嫌いの多い若者も、値段の高いものは別なのかもしれません。徒然草第百十九段(かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ)

  • 徒然草第百十八段 (鯉の羹食ひたる日は、鬢そゝけずとなん)

    「鯉こひの羹あつもの食ひたる日は、鬢びんそゝけずとなん」、鯉の吸い物を食べると、髪の毛がぼさぼさにならないとのことです。どういう根拠なのでしょう。昔は、骨から膠にかはを作りますが、これは骨のゼラチン成分を乾かして固めた接着剤だそうです。粘り気があるので、それから連想して、髪の毛にも粘りが出て来て治まりやすくなるということらしいです。昔の人の知恵とは大したものです。確かに、魚のエラの下あたりにはゼラチン状のものがあり、これを食べるかどうかは別にして、接着剤の原料になりそうです。鯉など、魚にはコラーゲンが多く含まれていて、これが美容に良く、お肌がしっとりするそうですから、むしろそれが髪の毛のばさぼさに効果があるとも考えられます。時代劇では、労咳のおとっさんのために、娘が身を売って鯉を買い、生き血を飲ませてやるという...徒然草第百十八段(鯉の羹食ひたる日は、鬢そゝけずとなん)

  • 徒然草第百十七段 (よき友、三つあり)

    「よき友、三つあり」、良い友達とは、物をくれる友達、医者の友達、賢い友達だそうです。ただ、物をくれる友達はなんとなく信用できません。医者は偉そうでいけません。賢過ぎるとコンプレックスを持ってしまいます。一方、悪い友達、偉い人、若い人、丈夫な人、飲んだくれ、喧嘩っ早い、嘘つき、欲張りの人だそうです。偉い人は付き合いにくいし、若い人は話しが合わない。丈夫な人はついていけない、飲んだくれ、喧嘩っ早い、嘘つき、欲張りは御免蒙りたいです。どれだけ良い友だちがいるか。歳を取ると、ほとんど友達と呼べる人はいません。それは、価値観の共有が難しいくなるからでしょう。若いうちは、例え金持ちの子でも、それは本人のものじゃないし、現状よりは未来の可能性が圧倒的にあり、皆な平等だと思えるからです。そうじゃない現実があるとすると、大人達、...徒然草第百十七段(よき友、三つあり)

  • 徒然草第百十六段 (人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり)

    「人の名も、目慣めなれぬ文字を付かんとする、益なき事なり」、難しい漢字や、変わった読み方の名前をつけるのは良くないと云ってます。子供に、色々な期待を込めて、名前を付けるのは悪いことではありませんが、容易に読めない、間違われやすい名前は子供にとっては迷惑かもしれません。人事部門の同僚が、分かり難い名前を見ると「挑戦的な名前をつけやがって」とぼやいていたのを思い出します。親が子供の名前を通して、世間に喧嘩を売っているということでしょうか。つけられた本人には何の罪もありませんが、名は体を表すというか、こいつも世間に喧嘩を売る生意気な奴かと思ってしまいます。大学合格者の出身校の確認のアルバイトをしたことがあります。一流大学と云われる、旧帝大の合格者には、比較的平易な名前が多かったです。時代にもよるのでしょうが、親が期待...徒然草第百十六段(人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり)

  • 徒然草第百十五段 (いづ方をもみつぎ給ふな)

    「いづ方をもみつぎ給ふな」、仇討の話しです。師匠の仇を尋ねて諸国を歩き、ようやく見つけた。「いざ尋常勝負」と言うと、相手は「ここでは皆の迷惑になる。表に出よう」と言って出ていく。他の者も付いてくるが、「助太刀無用」といって二人は闘い、共に果てる。時代劇のような話しです。親でも兄弟でもなく、師匠の仇を討つというのは、親分の仇といった侠客の原点のような出来事だったのでしょう。人の恨みというものは、そのポテンシャルを維持できる人とできない人とがいます。いわゆる執念深い人とそうでない人です。悔しい思いを何時までも引きずることが本当に幸せかは分かりませんが、それを人生の目的とし、果たせたとするとそれはそれで人生全うできたのでしょう。何事も成さずに、なんの目標もなく生きているよりは幸せかもしれません。人生100年時代、60...徒然草第百十五段(いづ方をもみつぎ給ふな)

  • 徒然草第百十四段 (希有の男なり)

    「希有けうの男なり」、大臣が乗る牛車がぬかるみで水を跳ね上げたのを、家来が運転手に「馬鹿者!」と言ったのを聞いて、大臣が「お前が運転してもこの運転手には及ぶまい、お前こそ馬鹿者だ」と叱ったといいます。車を運転していると、道の凸凹で揺れることがあります。凸凹を避けたり、スピードを落としたりして、揺れを最小限にしようとします。特に、雨降りでは、水たまりの水を跳ね上げると車が汚れます。それだけでなく、道を歩いている人は、車の跳ね上げる水がかかって迷惑することもあります。昔、歩道を歩いていると、ダンプが歩道と道路の間に溜まっていた水を津波のように跳ね上げて走って来て、全身ずぶ濡れになったことがありした。夏だったので、風邪をひきませんでしたが、その時の情けなさは今も忘れられません。そのため、雨の日、車が走って来ると、つい...徒然草第百十四段(希有の男なり)

  • 車の修理

    12月の初め、車を家の駐車場の柱にぶつけて、バンパーを交換しなければならなくなりました。傷が入った程度ですが、ぶつけたところの下にセンサーがあり、ひょっとすると壊れているかもしれないということで交換することにしました。修理代は約13万円です。試算では8万円を超えると保険を使った方がよいというので、今回は保険で修理することにしました。来年から保険料が上がり、保険会社は3年で8万円分を回収するようです。つまり、保険で実質補償されたのは5万円ということになります。1年の保険料にも満たない金額です。なのに、来年から8万円分がとられるのは何となく納得できません。昔、会社で、物損などが発生したときに、保険を使おうと経理に相談すると、保険は使えませんとの返事でした。それじゃ、何のために、毎年、保険のために在庫金額を報告してい...車の修理

  • 徒然草第百十三段 (聞きにくゝ、見苦しき事)

    「聞きにくゝ、見苦しき事」、いい齢したおっさんが、若いものに混ざって、恋だの、情事だの、人のうわさ話をするのは嫌らしい。同様に老人が、自分は大したことはないのに、有名人が知り合いだのと偉そぶるのも見苦しい。異なる世代の人達、特に若い人の気を引くために、空威張りするのを窘めているのでしょう。近年、人口に占める老人の割合が増えてきたためか、我儘放題な老人が目につきます。子供は、躾ければ良くなりますが、老人は注意するとひねくれます。自らの経験ではありませんが、若い者にちょっと注意されると、「何を生意気な!」と思ってしまいがちです。年寄りは、もっと謙虚に、世の中に感謝するよう心がけるべきです。これまでどんなに社会に貢献してきたか知りませんが、これからは人の世話になるばかりです。人生後半の心掛けが悪いと、三途の川を泳いで...徒然草第百十三段(聞きにくゝ、見苦しき事)

  • 徒然草第百十二段 (吾が生既に蹉蛇たり)

    「吾が生しやう既に蹉蛇さだたり」、世間体を気にして義理立てしていると、大切な時間を無駄に過ごしてしまう。人のことなど気にせず、何と思われてもやりたい事をしなさい。誰もが終わる人生ならば、終わってからどのように思われても良いじゃないか。しかし、分かっていても、不義理なことは出来ないのは性格でしょうか。ここで出てくる「蹉蛇」は地名にもあります。昔、菅原道真が大宰府に左遷された時、その娘の刈谷姫が後を追ってきて、小山に登り見渡したが、姿が見えず悔しかって足ずり(蹉蛇)したそうです。この小山は蹉蛇山と呼ばれ、周辺地域も蹉蛇と云われるようになりました。その後、その話しを聞いた道真公は、自分の木像を作り、娘に送ったと云われてます。蹉蛇山に造営された蹉蛇神社はその木像を祀っているそうです。近所なので、散歩がてら行ってみようと...徒然草第百十二段(吾が生既に蹉蛇たり)

  • 徒然草第百十一段 (囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ)

    「囲碁ゐご・双六すごろく好みて明かし暮らす人は、四重しぢゆう・五逆ごぎやくにもまされる悪事とぞ思ふ」、囲碁や双六をするのは罪深いというのです。さてどうしてでしょうか。双六はさておき、囲碁は健全な趣味だと思いますが、どんな問題が潜んでいるのでしょう。それはやはり賭博性でしょう。どんな勝負事でも、お金を賭けないと面白くないという人はいます。お金に限らず、何かを賭けると、断然やる気が出るそうです。競馬やパチンコはもちろん、麻雀やゴルフ、それにサッカーや野球に至るまで、世の中のほとんどの競いは賭け事になります。賭け事の要素に偶発性があります。偶発性が損なわれると、それは如何様ということになります。偶発性を有利に導くのは運だけのはずですが、より詳しい情報を知ると勝つ確率が増します。不正な手段で情報を集めると、やはりそれも...徒然草第百十一段(囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ)

  • 2022年 新年

    新しい年が始まりました。全く根拠はありませんが、2が並んでいて、穏やかで明るい歳になりそうです。元旦は、テレビで初日の出を見ました。昨年は、毎日初詣に出かけましたが、今年はどこにも行きませんでした。世の中の動きに反しています。その代わり、子供たちの家族が来て、盛大に酒盛りをしました。普段ならば、直ぐに眠くなりますが、楽しかったのか飲んでもしっかりしてました。やはり、飲む雰囲気が大切なのですね。2021年の平均寿命が発表されました。男性が81.41歳、女性が87.45歳です。そして健康寿命との差は、男性が8.73歳、女性が12.06歳です。つまり、男性の健康寿命は72.68歳です。それじゃ、健康でいられるのは、後5年程度ということではありませんか。それなのに70歳まで働けとは、奴隷扱かと文句を言いたくなります。年...2022年新年

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