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  • 色づかない涸沢

    久しぶりに石垣や沖縄の知り合いと9月末の山を歩くことを決め、みんなの希望で「涸沢カール」と「蝶ヶ岳」を計画した。錦秋の涸沢カールを楽しむには、涸沢ヒュッテや涸沢小屋に泊まるかキャンプをするしかないが、高齢者ばかりのグループではテントは重いので、小屋泊まりをしようと計画していたが、両小屋とも1か月前からの電話予約となっていて、午前8時からの予約スタート時から全く電話がつながらない状態で、あろうことかホームページの予約状況欄は、ものの1時間ほどで「満室」となっていた。おそらく、宿泊枠の半分以上は旅行会社のツアー客で占められていて、一般客の枠は狭い状態ではなっかと推測される。涸沢ヒュッテはテントやシュラフのレンタルもやっていたが、そこも「満席」となっていた。過去は涸沢の紅葉といえば9月半ばから10月10日ごろが...色づかない涸沢

  • なつかしき昭和の山紀行「雨の徳本峠」

    昨夜20時過ぎに配達されたヤマケイ文庫「深田久弥選集百名山紀行」(上・下巻)を手に取り、枕元で下巻に掲載されていた「雨の徳本峠」をまるでわが人生の記憶を手繰り寄せるかのように読む。「そうか、そうだったのか・・」と忘れていた部分がよみがえり合点がいく。概要をメモると以下の通り、①あの写真に写っていた横尾山荘の家族4人が上高地からの下山ルートに「徳本峠越え」を選択する。②横尾から蝶ヶ岳~常念を計画したが、雨のため引き返すが、妻や子供たちの意見を尊重し「徳本峠越え」を選択したこと。(実は、上高地からのバス代が100円不足していたという、切実な理由があった。あの頃は、カード払いなどなく、現金本位の暮らしだった。もちろん上高地に郵便局はなかったろう。)③二日目に宿泊した徳澤の宿を出発したのは、10時ころと遅かった。...なつかしき昭和の山紀行「雨の徳本峠」

  • いつか読んでいた深田家族の徳本峠越えの顛末

    月末は、上高地から12年ぶりに徳本峠に登る予定である。今からは考えられないことだが、2012年10月、当時のランナー仲間K君と往年のクラッシックルートである「徳本峠越え」をやろうということで、早朝に島々の集落をスタートし、片道8時間のコースを島々谷を辿って昼過ぎに徳本峠(2140m)に到書してからそれぞれのテントを張ってから、往復7時間の霞沢岳(2645.8m)を登ってきて、峠に戻っ頃にはすっかり暗くなっていた強烈な思い出がある。幸い、まだ小屋が営業をしていて、二人で乾杯した缶ビールの味は格別であった。そんな強烈な思い出の徳本峠だから、深田久弥さんの何かの紀行文で、深田さん家族がいつだったか上高地に行ったときに徳本峠から島々へのルートを下ったのだが、途中で日没になってひどい目にあったことを書いていたことを...いつか読んでいた深田家族の徳本峠越えの顛末

  • これからの富士山の歩き方

    富士山後遺症は思ったほど長引き、いまだ軽い咳とたんが少し続いている。ただし、体力は回復し始めて来週末からの北アルプストレッキングを念頭に、昨日から1時間半ばかりの速足散歩をはじめた。階段の上り下りでも膝の痛みはあまり感ぜず、あの長い須走の砂走のダメージはそれほどではなかったようで安心している。20024年9月の須走登山ルート登頂を機に、富士山開山中の山頂登山はひとまず卒業ということで、約15年にわたった、オイラだけの富士登山物語は終わりのページを閉じたが、ある物語の後日譚というか続編をもう少しばかり書き続けていこうという気になっている。そのキイワードは、「富士山開山期間外編」とでもいおうか、あのごった返す登山客のいない期間に富士山五合目以下の緑に満ちた山域を静かに歩こうという構想である。5月~6月の新緑の...これからの富士山の歩き方

  • 抗原検査キットのお値段

    富士登山から帰って1週間、日曜から38度台の熱で3日寝込み水曜日には回復したかと思われたが、また熱がぶり返したが、昨日今日とやっと平熱に落ち着いた。結局、富士登山はオイラに1週間の負債を負わせた。先週の火曜日だったか、街の薬剤師常駐ドラッグストアでコロナの抗原検査キットを1,950円で購入し、さっそく自己検査を行い「陰性」となったので安心したが、水曜日になっても熱が引かないので、さては.インフルだったかと心配になった。街のドラッグストアでは、今はどこでもインフルの抗原検査キットは置いていない、とのことであったんで、ネットを開いたらコロナとインフルが同時に検査できる抗原検査キットが、ひと箱750円で売り出されていたので、試しにと二箱購入したら、二日後の金曜日には届いた。ただし、もう熱が引いたので、これをまだ...抗原検査キットのお値段

  • 富士山後遺症

    富士山から帰った翌日から高熱が続き、三日間ばかり寝込みんだ。今日の昼になってようやく平熱に戻り、布団をたたんだ。38℃の高熱、喉の痛み、咳、たん、倦怠感といまだ収まらないとされるコロナの症状とそっくりなので、「しまった!富士山での満員で山小屋やバスで感染したか!」と不安になり、いくつかの「発熱外来」を検索したが、「予約制でも1時間半以上の待ち時間」や「あらかじめ検査キットで陽性の方に限る」など、患者に寄り添わない医療機関が目立った。それではと、高熱を押して街の薬局で新型コロナ抗原検査キットを1,900円くらいで買ってきて、唾液を試薬にかき混ぜてテストカセットなるものに垂らして15分待ったら「陰性反応」がでた。100%信用できるかというとそうではないらしいが、三日間も高熱を発していれば唾液はコロナウィルスで...富士山後遺症

  • 富士山全コース踏破で卒業宣言

    一昨年9月、最後の富士登山をしようとまだ歩いたことのない須走コースをできるだけで麓からと馬返しから歩き、五合目で一泊、翌日未明から歩いて吉田に下る日帰り登山を企てたが、一日中雨のため頂上をあきらめ、六合目の長田山荘のところから五合目吉田口までのトラバース道を歩きそのまま吉田の古道をくだり浅間神社までの遊歩道を歩き通した。ずうっと美しい緑に包まれ難路もなく、歴史も感じ、実はこんな富士山との関わりが、今後の「富士山の歩き方」なのかもしれない。話を主題に戻すと、その須走コースをおととい、昨日七合目の小屋一泊で歩き通した山頂に達した。もう4度ばかり最高峰の剣ヶ峰を踏んでいるので省略し、白山岳下で剣ヶ峰を仰ぎながらしばらく休んだ。と言うよりもそんな元気が残っていなかったというのが正直なところ。下りは須走下山コースを...富士山全コース踏破で卒業宣言

  • 鳴子温泉まで

    すこし涼しくなってお湯の恋しい季節が近づいてきた陸羽東線湯けむりラインのどこかの湯に浸かろうと、出かけたら、鳴子温泉から先の新庄駅までの路線が不通となつていた。7月末の豪雨により土砂崩れがあったとのこと。もう近年は、日本全国、津々浦々、毎日のように、あちこち災害が起きてその都度どこそこの電車が止まっているなんてニュースが流れており、もう7月末の豪雨なんて記憶の地層に埋もれてしまっていた。湯けむりラインが「鳴子温泉行き」となっていて、事の次第を知ったのは、恥ずかしながら陸羽東線の気動車に乗ってからであつた。湯けむりラインは、まだ回復の見込みが立っていないとのことで、お気に入りの中山平温泉にも当面行けない様子だ。最近の「国鉄」は、不採算路線の復旧工事を損得で考える傾向にあり、陸羽東線鳴子新庄間も、廃線危機の「...鳴子温泉まで

  • 年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

    最近の青空文庫アプリ、なんて字が大きいんだろう。これじゃ、80,90歳になっても読み込めるだろう。9月1日は、勝手ながら「風の又三郎の日」と決めている。この青空版テキストは、岩波文庫の童話集を底本にしているみたいで、童話の始まりに「9月1日」の表記がないが、ちくま文庫全集版には「9月1日」から「9月12日」までの物語となっている。風の又三郎は、たしかに今日9月1日はじまりなのだ。読むたびに発見があり、新鮮な賢治さんの童話。今日は、9月4日、日曜の章のこの文章に惹かれた。人間離れした感覚ではある、・・・・風が来ると、芒(すすき)の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、せわしく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん。あ南さん。あ、西さん。」なんて云ってゐる様でした。・・・・・年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

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