【Part.6】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【ここでパウロは、死すべき肉体を捨て去るその時まで、自分の弱さに向き合わなければならない全ての信者を励ましているのです。 たとえ『完全』と言えるまでに新しくされなくても、神は彼らを支え、彼らの奉仕は神に受け入れられるのです。】
【Part.5】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【このように、真理を教えられていない人が義とされるとは言えません。 パウロはローマ人への第一章で 「神は例外なくすべての人にご自身を現され、弁解の余地がないほどにされたので、全世界が不敬虔と恩知らずの罪を犯している」(ローマ1:20)と述べています。】
【Part.4】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【したがって、神が私たちを憐れみ、引き揚げてくださらない限り、私たちは全てにおいて、どのような形であれ、滅びの中に溺れていると、結論づけなければならないのです。】
【Part.3】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【悪事を働いたとして非難された人は、その罪を告白するように強制されたなら、決して弁解しないでしょう。 しかし、彼自身が「自分に対する神の裁きを感じる」と言って、自発的に己の罪を吟味することはないのです。】
【Part.2】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【パウロが「肉の業は明白である」と言ったのは、「罪が発見されるまでは、神から非難されないでいられる」という理屈で、人をおだてて油断させるためではありません。 というのは、これまで述べてきたように、一つの罪は他の罪につながるからです。】
【Part.1】ジャン•カルヴァン 説教『律法の霊性』(ガラテヤの信徒への手紙5章)
【私たちがどんなに抗議し、色々な言い訳を探し、口をぬぐって現実をごまかそうとも、「私たちの生活」が「私たちがどのような人間であるか」をはっきりと宣言しているという事実に立ち戻らなければなりません。】
【Part.1】ジャン・カルヴァン 説教『律法の束縛からの自由』(ガラテヤの信徒への手紙4章)
神は福音の中で、私たちを自分の子供として受け入れることを喜んでいると宣言し、私たちをサタンの罠や罪の圧迫から解放してくれます。 しかし、この贈り物が与えられても、それを受け入れる人は殆どいません。なぜなら、彼らは呪われたように罪に捕らわれているからです。
【神よ、どうか私たちを、あなたの御名の栄光を現す者としてください。 あなたの御憐れみを遠く広く及ぼしたもうために、私たちを用いてください。】
【私たちが、いつもあなたの御心を、 私たち自身の人生の目的として歩み、 私たちの全生涯をつうじて、 あなたに従うことができるように 努力させてください。】
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