【Part.1】C・H・スポルジョン 説教『二つの挑戦』(C.H. Spurgeon “A Double Challenge”)
命と栄光の主が、ご自身に敵対する者の身代わりになるとは、なんとありえない様な恵みの奇跡でしょうか。 このような慈悲深い話を聞いたのに、あざ笑ってはいけません。 そこには何かがあるはずです。
【どうか私たちが心を頑なにして、 あなたから離れることが無いように お守りください。】
【Part.4】ベンジャミン・ウォーフィールド 説教『この世と来るべき世について』(Benjamin Warfield “This-and Other-Worldliness”)
「私たちが必要とするものは何でも、私たちに加えられるのです」 今にして思うと「私たちが必要とするもの」は、なんと小さいものでしょう!
【Part.3】ベンジャミン・ウォーフィールド 説教『この世と来るべき世について』(Benjamin Warfield “This-and Other-Worldliness”)
私たちは、主に神の国と義を最大の関心事としますが、そうすることで、私たちが必要とする地上のものをより確実に確保することができるのです。
【Part.2】ベンジャミン・ウォーフィールド 説教『この世と来るべき世について』(Benjamin Warfield “This-and Other-Worldliness”)
私たちは、主に神の国と義を最大の関心事としますが、そうすることで、私たちが必要とする地上のものを、より確実に確保することができるのです。
【Part.1】ベンジャミン・ウォーフィールド 説教『この世と来るべき世について』(Benjamin Warfield “This-and Other-Worldliness”)
【心の中でさえ「神はいない」と言おうとは思わない一方で、神がいないかのように人生を送ることによって、実質的に神を否定している人がどれほどいるでしょうか。】
どうか私が、自分勝手な思いを懐いて あなたを忘れ、あなたに罪を犯しても、 その度にあなたの御許へと連れ戻し、 「神、我らと共に在す」という事実に 立ち返らせてください。
【Part.4】ベンジャミン・ウォーフィールド『キリストのゆえに』(Benjamin Warfield “For Christ’s Sake”)
正しく聖なる神にとって、罪を赦し、罪人を神の最も親密な愛と交わりの中に引き入れること以上に困難なことがあるでしょうか? しかし、「キリストのゆえに」神はこのようなことをされるのです。
【Part.3】ベンジャミン・ウォーフィールド『キリストのゆえに』(Benjamin Warfield “For Christ’s Sake”)
人前でキリストを否定する者は、確かに人の拍手を受けるかもしれませんが、人は過ぎ去り、その拍手も空しいものです。 しかし、「キリストのゆえに」自己を否定する者は、永遠の住処に受け入れられるのです。
【Part.2】ベンジャミン・ウォーフィールド『キリストのゆえに』(Benjamin Warfield “For Christ’s Sake”)
祝福されるのは「キリストのための苦悩」です。(中略) キリストのために非難や迫害や非難に耐えるとき、そのときにおいてのみ、私たちは祝福されるのです。
【Part.1】ベンジャミン・ウォーフィールド『キリストのゆえに』(Benjamin Warfield “For Christ’s Sake”)
「確かに、ここには遠い国、天国に住む人々の肖像があります。 ここでは、神と共に生きる者の輪郭を、生きた文字で辿ることができます。 そこに記されているのは、イエスが神の右におられる天上に家と居場所を持つ、神の王国の市民です。」
【Part.3】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第五章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER V.”)
「自分の適切な召命に従うことで、どのような仕事も、神の目に輝かしいものとなり、決して無価値で卑しいものにはならないということも、素晴らしい慰めになるでしょう。」
【Part.2】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第五章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER V.”)
まず「主が万物を創造した目的は、その作者を知り、その寛容さに感謝することを教えるためであった」ということに心を留めることで、一つのブレーキが課せられます。
【Part.1】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第五章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER V.”)
「私たちにとってこの地上が通過点に過ぎないなら、この地上で与えられる恵みは、私たちが歩みを遅らせてズルズルと留まるためではなく、むしろ歩みを助ける目的でのみ、使わなければならないことは疑いの余地がありません。」
【Part.4】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第四章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER III.”)
結論を一言で言えば、信者の目がキリストの復活の力に向けられた時にのみ、彼らは自分の胸の内で、キリストの十字架が悪魔や肉、罪や罪人に対して勝利を収めることを実感できるのです。
【Part.3】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第四章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER III.”)
「もし私たちが、死によって地上という亡命先から呼び戻され、生まれ育った国、すなわち天の国に住むことになると考えたなら、これは私たちに慰めを与えないでしょうか。」
【Part.2】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第四章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER III.”)
しかし、信仰者が現世を軽蔑することは、現世への憎しみや神への忘却を生むようなものであってはなりません。 あらゆる種類の悲惨さに満ちているものの、この人生は神から与えられた軽蔑すべからざる祝福として、間違いなく分類できるのです。
【Part.1】ジャン・カルヴァン『キリスト者の生活について 第四章』(John Calvin “ON THE CHRISTIAN LIFE CHAPTER III.”)
「私たちの立場は「地上を無価値なものと見なす」か、或いは「地上への過度の愛によって自分自身を奴隷にする」かのどちらかしか在り得ず、中間は無いのです。」
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