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「禅の旅zenno-tabi」では「禅」を元に、人が生きるとはどういう事なのか、どのように生きれば人はより良く生きられるのかを考え、旅のように探求していく事を目的としております。

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2021/04/30

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  • 道元禅師のご生涯③43歳~54歳まで

    ただひたすらに坐禅をする「只管打坐」その事が、「悟りである」と説かれ、世界的名著である「正法眼蔵」を記された道元禅師。 若かりし時、「真の仏法」を求めて中国へ渡り、帰国されてからは「正しい仏法」を普及されました。 そんな道元禅師のご生涯をここでご紹介します。 今回は第3弾としまして、43歳~54歳までのご生涯に触れていきたいと思います。 前回のあらすじ 正伝の仏法を布教させるために万進する「道元禅師」。坐禅を沢山の方々にすすめる為に記した禅師の代表作、「普観坐禅儀」、「弁道話」の撰述に加え、布教の拠点となる「興聖寺」の開山と「波多野義重公」の協力を得る。比叡山からの圧迫に苦しむ「道元禅師」。

  • 道元禅師のご生涯②28歳~43歳まで

    ただひたすらに坐禅をする「只管打坐」その事が、「悟りである」と説かれ、世界的名著である「正法眼蔵」を記された道元禅師。 若かりし時、「真の仏法」を求めて中国へ渡り、帰国されてからは「正しい仏法」を普及されました。 そんな道元禅師のご生涯をここでご紹介します。 今回は第2弾としまして、28歳~43歳までのご生涯に触れていきたいと思います。 前回のあらすじ 中国で正師である「天童如浄禅師」をお会いし、「坐禅を行じる事」、ただひたすらに「打坐」しつづけることこそ真の「悟り」であることを教えられた「道元禅師」 (よろしければ、前回の道元禅師のご生涯①ご生誕~28歳までをお読みください。) この章では、

  • 道元禅師のご生涯①ご生誕~28歳まで

    ただひたすらに坐禅をする「只管打坐」その事が、「悟りである」と説かれ、世界的名著である「正法眼蔵」を記された道元禅師。 若かりし時、「真の仏法」を求めて中国へ渡り、帰国されてからは「正しい仏法」を普及されました。 その後、禅の総本山、「永平寺」を開かれました。 そんな道元禅師のご生涯をここでご紹介します。 尚、この記事は「別冊太陽 道元」監修角田泰隆 平凡社を参考に執筆しています。 道元禅師が生きた時代 道元禅師が生きた中世期時代(西暦1000年 – 1250年)は、顕密仏教(旧仏教)が仏教界に広く浸透していた時代です。 藤原摂関家の抑圧から自由になった天皇家は仏法の復興を主導し、王権の教化を

  • harusukeが大学卒業後に禅道場での修行生活を選んだわけ

    はじめに このblogをより多くの方に読んでいただくためにまずわたし、「harusuke」の経歴についてもう少しご紹介します。 よろしければこちらをご覧ください。(自己紹介) 私、harusukeは栃木県にあるとある禅のお寺の次男坊としてこの世に生を受けました。小中高と、地元の家からほど近い学校へ通学し、その後東京の私立大学へ入学しました。 そして卒業後、福井県にある禅道場で1年間修行生活を行っておりました。 修業期間が終わった後は、わたしは次男なのでお寺に入ることなく、一般企業へ就職しました。 そして何社か様々な水質検査の仕事、書店での仕事、アパレルメーカーでの仕事などの経験を経て現在に至り

  • 自己紹介

    はじめまして、お立ち寄り頂きありがとうございます。 当blog「禅の旅zenno-tabi」を運営させて頂く、「harusuke」と申します。 現在世界中で大ブームを引き起こしている「禅」。 当blog「禅の旅zenno-tabi」ではその「禅」を元に、人が生きるとはどういう事なのか、どのように生きれば人はより良く生きられるのかを考え、旅のように探求していくということをしていきたいのです。 それに加えて重きを置いているのは、このblogを読んでくださった皆様の心が少しでも軽く穏やかになるような記事を投稿するべく日々自分自身が、まず知識を深め、その記事が皆さんの明日からの生き方に少しでも寄り添う

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