Vol.417 与論島にも直城があった
ご先祖さまが住んでいた沖永良部島は沖縄本島の2つ上にある島なのですが、その真ん中には小さな与論島があります。この与論島は昔から沖永良部島とは兄弟島といわれており、1400年頃に当家のご先祖さまであった世之主は琉球北山王の次男の真松千代(マチジョ)、与論島は三男の王舅(オーシャン)という兄弟で、それぞれの島を統治していたそうです。与論島は、太古の昔に女神アマミクと男神シニグクが島の瀬礁に辿り着いたところ、海底から地面が浮き上がり今の島が造られたと言う神話があります。古来より島はユルヌまたはユンヌと呼ばれていましたが、琉球や大和(薩摩藩)により漢字が当てはめられ「与論」となったそうです。地理的には対岸に琉球(沖縄)が見えるほど近いため昔から琉球との関係は深く、1609年の薩摩侵攻以降は支配層代官の設置があり、...Vol.417与論島にも直城があった
2024/08/21 01:35