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2021/02/06

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  • 『弘明集』を読む(13)

    牟子『理惑論』(4)序伝④ たいしゅ その しゅがくなるを きき えっして しょりを こう太守其の守学なるを聞き、謁して署吏(1)を請ふ。〔蒼梧の〕太守は、〔牟子が〕学問に非常に優れているという話を聞き、〔牟子を〕訪ねて役人になるよう頼んだ。 【署吏】役人として任命されること。 ときに とし まさに さかんにして しがくに せいなり時に年方に盛んにして、志学に精なり。〔しかし、牟子は〕年若く、血気盛んで、学問を極めたいという希望に燃えていた。 また せらんを み しかんの い なく ついに つかず又、世乱を見、仕宦の意無く、竟遂に就かず。また、世の中が乱れているありさまを目をして、仕官しようと…

  • 『弘明集』を読む(12)

    牟子『理惑論』(3)序伝③ ぼうし つねに ごきょうを もって これを なんずるも牟子常に五経(1)を以て之を難ずるも、牟子は、〔彼らに対して〕つねに〔儒教の経典である〕五経(『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』)を用いて道術士たちを批判したが、 【五経】儒教において尊重される五つの経書。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。 どうか じゅつし あえて これに あたうる なし道家術士(1)、敢て焉に対ふる莫し。道教の道術士たちは、あえてその批判に応えようとはしなかった。 【術士】方術士。ここでは神仙術を扱う者のこと。 これを もうかの ようしゅ ぼくてきを ふせぐに ひす…

  • 『弘明集』を読む(11)

    牟子『理惑論』(2)序伝② このとき れいてい ほうご てんか じょうらんし是の時霊帝(1)崩後、天下擾乱(2)し、この頃、霊帝が崩御されたことにより、世の中が乱れてきていたが、 【霊帝】後漢の第12代皇帝。 【擾乱】入り乱れて騒ぐこと。 ひとり こうしゅうのみ やや やすらかにして独り交州(1)のみ差安かにして、交州だけはまだ平穏が保たれていたので、 【交州】現在の北ベトナムおよび中国の広東・広西の一部の古称。 ほっぽうの いじん みな きたって これに あり北方の異人、咸な来って焉に在り。北方の道術士たちはみんな、〔交州に〕移動してきて、この地に住み着いていた。 おおくは しんせんの へき…

  • 『弘明集』を読む(10)

    牟子『理惑論』(1)序伝① りわくろん理惑論世の人々の「無理解」を鎮めるための書 いちに いう そうご たいしゅ ぼうし はくでん一に云ふ、蒼梧(1)太守(2)牟子(3)博伝一説には、蒼梧の太守であった牟子博による注釈書 【蒼梧】蒼梧郡。かつて中国南部に存在した郡で、現在の広西チワン族自治区あたりを指す。交州(現在の北ベトナムおよび中国の広東・広西の一部の古称)に属する。 【太守】郡の長官。ただ、『理惑論』の冒頭に記された牟子の半生を見る限りは、牟子が蒼梧郡の長官であったという記述は見られない。 【牟子】中国古代の思想家。生没年不明だが、『理惑論』の冒頭にある牟子の伝記には、後漢の第12代皇帝…

  • 『弘明集』を読む(9)

    僧祐「序」(9)【完】 かねて せんかいに したがい ろんを まつに ふす 兼ねて浅懐に率い、論を末に附す。 僭越ながら、〔わたくし僧祐も〕鄙見を述べさせていただいた。巻末に『弘明論』(後序)として載せたものがそうである。 こいねがわくは けんあいを もって かすかながら えいたいを たすけん 庶くは涓埃(1)を以て、微かながら瀛岱(2)を裨けん。 どうか願わくは、ほんの一滴のしずく、ひと粒のほこりのような〔ちっぽけなこの作品〕によって、わずかであっても大海の水量が増え、泰山の標高が増すことにつながらんことを。 【涓埃】しずくとちり。『周書』には「涓埃之功」(けんあいのこう)という用例がある。…

  • 『弘明集』を読む(8)

    僧祐「序」(8) その こくい じゃを きり けんげん ほうを まもる あれば 其の刻意邪を剪り、建言法を衛る有れば、 〔その選んだ基準としては、〕論主の主張が、邪説を刈り取るものであったり、仏法を守ろうとする言葉が書かれてあれば、 せい だいしょうと なく まったく とらざるは なし 製大小と無く畢く採らざるは莫し。 作品が長編であろうと短編であろうと関係なく、悉くすべてを収録した。 また ぜんだいの しょうしが しょき ぶんじゅつは 又、前代の勝士が書記文述は、 また、前代の優れた人たちの記録や著述などについても、 さんぼうに えき あれば また みな へんろくし 三宝に益有れば、亦皆編録…

  • 『弘明集』を読む(7)

    僧祐「序」(7) ゆう まつがくを もってすれども こころざし くごに ふかし 祐、末学を以てすれども、志弘護に深し。 わたくし僧祐は、まだまだ浅学の身ではあるが、〔仏法を〕広め、守ってみせるという意気込みに関しては、誰にも劣らない。 せいげん ふぞくをして こころに ふんがいす 静言(1)浮俗をして、心に憤慨す。 だから、うわべだけの偽物の言葉や、〔欲望まみれの〕浮わついた俗世間に対して、どうしても腹が立ってしかたない。 【静言】実質を伴わない表現上だけの言葉。下心のある言葉。 ついに やくしつの びかん さんせいの よかを もって 遂に薬疾の微間、山棲の余暇を以て、 そこで、病気療養の合い…

  • 『弘明集』を読む(6)

    僧祐「序」(6) まさに じゃくしょくの ともがらをして ぎべんに したがって ながく まよわしめ 将に弱植の徒をして偽弁に隨って長く迷はしめ、 なぜなら、知識のない者たちに、偽りだらけの理論を教え込むことによって、〔彼らを〕一生迷わせてしまうことになるし、 とうちの ともがらをして じゃせつを おうて ながく おぼれしむ 倒置(1)の倫をして邪説を逐ふて永く溺れしむ。 また、非常識な者たちに、〔彼らにとって心地よい〕破天荒な理論ばかりを聞かせて、〔彼らを〕一生勘違いさせてしまうことになる。 【倒置】順番をさかさまにして置くこと。主に言語表現のひとつとして使われるが、ここではものの順序を逆にす…

  • 『弘明集』を読む(5)

    僧祐「序」(5) それ かったんは よるに なくも はくじつの ひかりを ひるがえさず 夫れ鶡旦(1)は夜に鳴くも、白日の光を翻さず。 たとえ 〔夜明けを告げる〕ミミキジが夜中に鳴いたとしても、陽の光がさすことはないし、 【鶡旦】ミミキジ。ニワトリのように、夜明けを告げて鳴く美しい鳥。 せいえいは いしを ふくむも そうかいの いきおいを そんする なし 精衛(1)は石を銜むも、滄海(2)の勢を損する無し。 セイエイが石を口に含んで〔いくつもの石を東海に落としたとしても〕、大海の勢いが弱まることはない。 【精衛】古代中国の伝説上の鳥。夏を司る炎帝の娘が東海で溺れて死に、白いくちばしと赤い足を持…

  • 『弘明集』を読む(4)

    僧祐「序」(4) しゅぶんの こくじゅは すなわち こばんで いきょうと なし 守文の曲儒は、則ち拒んで異教と為し、 古典の解釈ばかりしている儒学者たちは、〔仏法を〕拒んで「異国の教えだ」と言い、 こうげんの さどうは すなわち ひきて どうほうと なすに いたりては 巧言の左道は、則ち引きて同法と為すに至りては、 言葉巧みに取り入るだけの道家たちは、〔仏法に〕近づいてきて「同じ教えだ」と言う。 こばむに ばっぽんの めい あり ひくに しゅしの らん あり 拒むに抜本の迷有り、引くに朱紫の乱有り。 〔仏法を〕拒んで〔「異国の教えだ」と言う〕のは、〔仏法に対する〕根本的な誤解があるからであり、…

  • 『弘明集』を読む(3)

    僧祐「序」(3) だいほう とうりゅうしてより とし ほとんど ごひゃく 大法東流してより、歳幾んど五百(1)、 偉大なる仏法(仏の教え)が東方(中国)に流布してから、そろそろ五百年になろうとしている。 【歳幾んど五百】後漢の明帝の時代(57~75年)に仏教が中国に伝来したとする伝説に基づく。この伝説は『弘明集』巻第一に収録されている『理惑論』にも記載がある。『弘明集』の成立は518年。 えんに おのおの しんぴ あり うん また すうたい あり 縁に各々信否あり、運亦た崇替あり。 その〔約五百年の間で、仏法に〕出会った人間は数知れないほどいるが、そのなかには信仰心を起こした者もいれば、起こさ…

  • 『弘明集』を読む(2)

    僧祐「序」(2) しかれども みち だいなれば しん かたく こえ たかければ わ すくなし 然れども、道大なれば信難く、声高ければ和寡し。 しかし、〔仏の〕真理(道)が偉大であればあるほど、信じることは難しくなり、〔仏の〕名声が高ければ高いほど、共存はありえなくなる。 しゅみ しゅんにして らんぷう おこり ほうぞう つんで おんぞく しょうず 須弥(1)俊にして藍風起り、宝蔵積んで怨族生ず。 須弥山は厳しくそびえ立っているから、暴風がつねに吹き荒れ、宝物庫には財宝が山のように積まれているから、盗賊がつねにつけ狙う。 【須弥】須弥山(しゅみせん)。仏教の宇宙観において、世界の中心にあるとされ…

  • 『弘明集』を読む(1)

    僧祐「序」(1) ぐみょうしゅう まき だいいち 弘明集 巻第一 〔仏法を世の中に〕広め、明らかにするための書 第1巻 りょう ようと けんしょじ しゃく そうゆう せん 梁(1)楊都(2)建初寺(3)釈(4)僧祐(5)撰 梁の首都・建康にある建初寺の僧侶・僧祐が撰述した。 【梁】502~557年。南北朝時代の南朝の国。 【楊都】建康(現在の南京)の別名。 【建初寺】揚子江(現在の長江)以南で初めて建てられた仏教寺院。 【釈】「釈子」の意。名前の前につけて、仏教徒であることを表す。 【僧祐】生没445~518年。梁の時代の僧侶で、仏教の戒律に精通し、梁の武帝からも厚い信頼を得ていた人物である。…

  • Buddhist Narratology Laboratoryについて

    はじめまして。もものりと申します。 このたびは、当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。 ブッディスト・ナラトロジー・ラボラトリー(仏教物語研究室)では、 過去の叡知である仏典をひもときながら、 「答えのない時代」を生きるわたしたちによる、 答え探しの旅をつづけていきたいと思います。 これがどんな「旅物語」になるのか、予想もつきません。 それでは、よろしくお願いします。

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