「答えのない時代に、共に答えを作る」をモットーに仏典を読んでいきます。
牟子『理惑論』(20)仏伝⑨ たいし いわく ばんぶつは むじょうなり太子曰く、万物は無常(1)なり。太子は、〔白浄(浄飯)王に次のように〕答えた。「あらゆるものは、永遠なものではありません。 【無常】固定した実体がなく、とどまることなく移り変わること。 そんする あるも まさに ほろぶべし存する有るも当に亡ぶべし。存在するものは、いつか必ず壊れるのです。 いま みちを まなび じっぽうを どだつせんと ほっすと今道を学び、十方(1)を度脱(2)せんと欲すと。だから、〔わたくしは〕今、真理を学び、この世に生きるものたちすべてを救いたいと願っているのです。」 【十方】東・西・南・北、東南・西南・…
牟子『理惑論』(19)仏伝⑧ みょうにち かくねんとして しょざいを しらず明日廊然(1)として所在を知らず。次の日、〔太子の部屋は〕がらんとして誰もいなくなっていた。 【廊然】大空のからりと晴れあがったさま。ここでは、太子が消えて、がらんとして人の気配がないことを表している。 おう および りみん きょきせざる なし王及び吏民(1)、歔欷(2)せざる莫し。〔白浄(浄飯)〕王および民衆たちは、〔太子がいなくなったことを知り、〕悲しまなかった者はいなかった。 【吏民】役人と一般市民。 【歔欷】すすり泣くこと。 これを おって たに およぶ之を追つて田(1)に及ぶ。〔白浄(浄飯)王は、太子を〕探し…
牟子『理惑論』(18)仏伝⑦ ふおう たいしを ちんいとし ために きゅうかんを おこし父王、太子を珍偉とし、為に宮観(1)を興し、父である白浄王(浄飯王)は、〔太子の息子が六年かかって産まれたことも、〕太子が偉大であるがゆえの珍事であるとして〔大いに喜び〕、太子のために宮殿・楼観を建造させ、 【宮観】宮殿と楼観。楼観は、高いところから物を見るための建物。 ぎじょ ほうがん ならびに まえに つらねる妓女(1)宝玩(2)、並に前に列る。そこに多くの妓女たちを住まわせ、さまざまな宝物を並べた。 【妓女】中国における遊女、または芸妓。 【宝玩】珍しい品物。 たいし せらくを むさぼらず こころ ど…
牟子『理惑論』(17)仏伝⑥ とし じゅうしちにして おう ために のうきす なこくの おんななり年十七にして、王為に納妃す。那国(1)の女(2)なり。〔太子が〕十七歳のとき、父である白浄王(浄飯王)は、〔太子のために〕お妃さまを迎えた。隣国の姫であった。 【那国】隣国。 【女】釈尊の出家前の妃。名前は耶輸陀羅(やしゅだら)という。 たいし ざすれば すなわち ざを うつし太子坐すれば、則ち座を遷し、太子は、座るときは、離れて座るようにし、 いぬれば すなわち とこを いにす寝ぬれば、則ち床を異にす。寝るときは、別の寝床で寝るようにしていた。 てんどう はなはだ あきらかにして いんようにして…
牟子『理惑論』(16)仏伝⑤ たいしに さんじゅうにそう はちじゅっしゅごう あり太子に三十二相、八十種好(1)有り。太子には、三十二相・八十種好〔という、聖人の相〕が現れていた。 【三十二相、八十種好】三十二相は転輪聖王(理想的な帝王)または仏にそなわるとされる32種の特徴。八十種好は仏や菩薩に見られるとされる80種の特徴。 しんちょう じょうろく からだ みな こんじき いただきに にっけい あり身長丈六(1)、体皆金色、頂に肉髻(2)有り、身長は、一丈六尺(4.8m)、体は黄金に輝いていた。頭のてっぺんには肉のコブがあり、 【丈六】「一丈六尺」の意。丈も尺も中国や日本で使われた長さの単位…
牟子『理惑論』(15)仏伝④ ときに てんち おおいに うごき きゅうちゅう みな あきらかなり時に天地大いに動き、宮中皆明かなり。そのとき、天地が激しく震動し、宮殿のなかまで一気に明るくなった。 そのひ おうけの しょうえも また いちじを うむ其の日王家の青衣(1)も復た一児を産む。その日、〔釈迦族の王家の〕女奴隷が一人の赤ちゃんを産み、 【青衣】奴隷の別名。 きゅうちゅうの はくばも また はっくを にゅうす厩中の白馬も亦白駒(1)を乳す。厩舎の白馬もまた一頭の白い仔馬を産んだ。 【白駒】白い馬。ここでは白馬が生んだ白い子馬を指す。 ぬ あざなは しゃのく うまを けんだかと いう奴字(…
牟子『理惑論』(14)仏伝③ めに びゃくぞうに のる みに ろくげ あり夢に白象に乗る。身に六牙有り。夫人は、夢のなかで白象に乗っていた。〔その白象には〕牙が六本生えていた。 きんぜんとして これを よろこび ついに かんじて はらむ欣然(1)として之を悦び、遂に感じて孕む。夫人は、非常にうれしい気分になった。その瞬間、懐妊したという。 【欣然】よろこんで物事をするさま。 しがつ ようかを もって ははの みぎわきよりして うまる四月八日を以て、母の右脇よりして生る。四月八日、〔お産のために里帰りをしていた途中、休憩をしていたルンビニー園において、夫人は急に産気づき、仏は〕夫人の右脇から誕生…
牟子『理惑論』(13)仏伝② けだし きくに ほとけの けの かたち たるや蓋し聞くに、仏の化(1)の状為るや、〔わたくしの〕聞くところによれば、仏がこの世に現れ、〔人々を教化しつづけてきた、〕そのありさまというものは、 【化】化現(けげん)。仏や菩薩が衆生を救済するために、さまざまに姿を変えて世間に現れること。 どうとくを しゃくるいすること すうせんおくさいにして道徳を積累すること数千億載にして道を求める功徳を積み重ねること、数千億年にわたるものであり、 ききすべからず紀記(1)すべからず。それは誰にも記録できるようなものではない。 【紀記】順序だてて記録し、書き記すこと。 しこうして ほ…
牟子『理惑論』(12)仏伝① だいいっしょう ぶつでん第一章 仏伝(1)〔牟子『理惑論』〕第1章「ブッダの生涯」 【仏伝】釈尊(ブッダ)の生涯の伝記。 あるが とうて いわく ほとけとは いずれ より しゅっしょうせるや或るが問うて曰く、仏とは何れ従り出生せるや。或る人が質問して〔次のように〕言った。「仏はどこから生まれてきたのか。 むしろ せんぞ および おくゆう ありや いなや寧ろ先祖及び国邑(1)有りや不や。先祖や祖国というものはあるのか、ないのか。 【国邑】国やむら、みやこ。 みな なにをか せぎょうし かたち なにに るいするや皆何をか施行し、状何に類するや。いったい何を行ったのか。…
牟子『理惑論』(11)序伝⑪ あらそわんと ほっせば すなわち みちに あらず争はんと欲せば則ち道に非ず。〔このような世間の人々の非難に対して、牟子は、次のように思った。〕「〔非難に対して〕論争をしようと欲するならば、それは〔自分の求める〕真理(道)からはずれたものとなる。 もくせんと ほっせば すなわち あたわず黙せんと欲せば則ち能はず。〔かといって、〕黙殺しようとしても、とても我慢できるものではない。」 ついに ひつぼくの あいだを もって遂に筆墨の間を以て、〔このように考えた結果、牟子は〕筆を執り、 ほぼ せいけんの げんを ひきて これを しょうげし略ぼ聖賢の言を引きて之を証解し、過去…
牟子『理惑論』(10)序伝⑩ ゆえに たっとぶべきなりと故に貴ぶべきなりと。よって、〔老子は〕高貴なる人物なのだ。」 ここに おいてか こころざしを ぶつどうに するどくし是に於てか、志を仏道に鋭くし、このように〔牟子は〕考えるようになり、その生き方(志)を徹底的に仏道に捧げるようになり、 かねて ろうし ごせんぶんを みがき げんみょうを ふくみて しゅしょうと なし兼ねて老子五千文を研き、玄妙を含みて酒漿(1)と為し、同時に、『老子』の五千言についても研究をして、その深く妙なる〔教え〕を、まるで美酒を嗜むかのように、味わい、 【酒漿】酒。 ごきょうを もてあそんで きんこうと なす五経を翫…
牟子『理惑論』(9)序伝⑨ これを ひさしうして ひきて おもえらく之を久しうして退きて念へらく、このようなことがあり、〔牟子は〕しばらくの間、〔次のように〕ひとり静かにもの思いに耽っていた。 べんたつの ゆえを もって すなわち しめいせらるるも弁達(1)の故を以て、輒ち使命せらるるも、「〔わたくしは〕弁論についての能力があったので、使者としての命をたびたび受けたが、 【弁達】述べ伝えること。 まさに よ じょうじょうにして おのれを あらわすの ときに あらざるなりと方に世擾攘(1)にして、己を顕すの秋(2)に非ざるなりと。今の世の中は、ざわざわと騒がしく乱れているので、自分のような者が、…
牟子『理惑論』(8)序伝⑧ ぼうし いわく ひれき ふくれき けんぐうの ひ ひさしければ牟子曰く、被秣服櫪(1)、見遇の日久しければ、牟子は〔交州の長官(州牧)に〕次のように答えた。「厩舎に飼われている馬のように、〔わたくしも〕長い間、ご恩を受けている身でありますから、 【被秣服櫪】まぐさをあてがわれて厩につながれ、面倒をみてもらっている馬の様子。ここでは上司に世話になっているさま。 れっしは ぼうしん かならず ていこうを きす列士(1)は忘身、必ず騁効(2)を期す。烈子(主君に殉ずる者)〔であるわたくし〕は自分の身を顧みず、〔この任務を〕必ず成功させてみせます。 【列士】名誉のために命も…
牟子『理惑論』(7)序伝⑦ おとうとは ぎゃくぞくの ために がいせらる こつにくの つうふん かんじんより はっす弟は逆賊の為に害せらる。骨肉痛憤肝心より発す。「〔わたくしの〕弟は逆賊(笮融)によって殺害されしまった。血を分けた実の兄として、〔実の弟を殺されたという、〕このどうしようもないほどの悲しみ、どうしようもないほどの怒りが、心の底から次から次へとわいてくる。 りゅうといをして いかしめんとするに あたり劉都尉(1)をして行かしめんとするに当り、騎都尉劉彦を〔とにかく早く予章へ〕向かわせたいのだが、 【劉都尉】騎都尉劉彦のこと。 がいかいの ぎなん ぎょうにんの ふつうなるを おそる外…
牟子『理惑論』(6)序伝⑥ ぼくの おとうと よしょうの たいしゅと なり牧の弟、予章(1)の太守と為り、交州の長官(州牧)の弟は、予章の太守であったが、 【予章】予章郡。現在の江西省北部。 ちゅうろうしょう さくゆうの ために ころさる中郎将(1)笮融(2)の為に殺さる。中郎将の笮融〔の裏切り〕によって殺された。 【中郎将】中国の官職名。宮廷の警護にあたる役で、将軍次ぐ位だった。 【笮融】後漢末期の武将。仏教寺院を造営したりと仏教徒として有名であったが、実際は仏教を利用して兵を集めていただけではないかと言われている。 ときに ぼくは きとい りゅうげんをして へいを ひきいて これに おもむ…
牟子『理惑論』(5)序伝⑤ ぼうし おもえらく えいしゃくは ゆずり やすきも しめいは じしがたし 牟子以為へらく、栄爵(1)は譲り易きも、使命は辞し難し。牟子は、〔次のように〕思った。「地位や名誉などというものは断ることは簡単だが、〔表敬訪問の〕使節としての命を辞退することはできない。 【栄爵】名誉ある貴い地位。 ついに げんに まさに いくべしと遂に厳に当に行くべしと。万全の準備をして〔荊州に使節として〕行くしかない。」 たまたま しゅうぼくに ゆうぶんの しょしとして これを めされたれば会々州牧(1)に優文(2)の処士(3)として之を辟されたば、〔しかし、そのとき牟子は、〕偶然、交州…
牟子『理惑論』(4)序伝④ たいしゅ その しゅがくなるを きき えっして しょりを こう太守其の守学なるを聞き、謁して署吏(1)を請ふ。〔蒼梧の〕太守は、〔牟子が〕学問に非常に優れているという話を聞き、〔牟子を〕訪ねて役人になるよう頼んだ。 【署吏】役人として任命されること。 ときに とし まさに さかんにして しがくに せいなり時に年方に盛んにして、志学に精なり。〔しかし、牟子は〕年若く、血気盛んで、学問を極めたいという希望に燃えていた。 また せらんを み しかんの い なく ついに つかず又、世乱を見、仕宦の意無く、竟遂に就かず。また、世の中が乱れているありさまを目をして、仕官しようと…
牟子『理惑論』(3)序伝③ ぼうし つねに ごきょうを もって これを なんずるも牟子常に五経(1)を以て之を難ずるも、牟子は、〔彼らに対して〕つねに〔儒教の経典である〕五経(『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』)を用いて道術士たちを批判したが、 【五経】儒教において尊重される五つの経書。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。 どうか じゅつし あえて これに あたうる なし道家術士(1)、敢て焉に対ふる莫し。道教の道術士たちは、あえてその批判に応えようとはしなかった。 【術士】方術士。ここでは神仙術を扱う者のこと。 これを もうかの ようしゅ ぼくてきを ふせぐに ひす…
牟子『理惑論』(2)序伝② このとき れいてい ほうご てんか じょうらんし是の時霊帝(1)崩後、天下擾乱(2)し、この頃、霊帝が崩御されたことにより、世の中が乱れてきていたが、 【霊帝】後漢の第12代皇帝。 【擾乱】入り乱れて騒ぐこと。 ひとり こうしゅうのみ やや やすらかにして独り交州(1)のみ差安かにして、交州だけはまだ平穏が保たれていたので、 【交州】現在の北ベトナムおよび中国の広東・広西の一部の古称。 ほっぽうの いじん みな きたって これに あり北方の異人、咸な来って焉に在り。北方の道術士たちはみんな、〔交州に〕移動してきて、この地に住み着いていた。 おおくは しんせんの へき…
牟子『理惑論』(1)序伝① りわくろん理惑論世の人々の「無理解」を鎮めるための書 いちに いう そうご たいしゅ ぼうし はくでん一に云ふ、蒼梧(1)太守(2)牟子(3)博伝一説には、蒼梧の太守であった牟子博による注釈書 【蒼梧】蒼梧郡。かつて中国南部に存在した郡で、現在の広西チワン族自治区あたりを指す。交州(現在の北ベトナムおよび中国の広東・広西の一部の古称)に属する。 【太守】郡の長官。ただ、『理惑論』の冒頭に記された牟子の半生を見る限りは、牟子が蒼梧郡の長官であったという記述は見られない。 【牟子】中国古代の思想家。生没年不明だが、『理惑論』の冒頭にある牟子の伝記には、後漢の第12代皇帝…
僧祐「序」(9)【完】 かねて せんかいに したがい ろんを まつに ふす 兼ねて浅懐に率い、論を末に附す。 僭越ながら、〔わたくし僧祐も〕鄙見を述べさせていただいた。巻末に『弘明論』(後序)として載せたものがそうである。 こいねがわくは けんあいを もって かすかながら えいたいを たすけん 庶くは涓埃(1)を以て、微かながら瀛岱(2)を裨けん。 どうか願わくは、ほんの一滴のしずく、ひと粒のほこりのような〔ちっぽけなこの作品〕によって、わずかであっても大海の水量が増え、泰山の標高が増すことにつながらんことを。 【涓埃】しずくとちり。『周書』には「涓埃之功」(けんあいのこう)という用例がある。…
僧祐「序」(8) その こくい じゃを きり けんげん ほうを まもる あれば 其の刻意邪を剪り、建言法を衛る有れば、 〔その選んだ基準としては、〕論主の主張が、邪説を刈り取るものであったり、仏法を守ろうとする言葉が書かれてあれば、 せい だいしょうと なく まったく とらざるは なし 製大小と無く畢く採らざるは莫し。 作品が長編であろうと短編であろうと関係なく、悉くすべてを収録した。 また ぜんだいの しょうしが しょき ぶんじゅつは 又、前代の勝士が書記文述は、 また、前代の優れた人たちの記録や著述などについても、 さんぼうに えき あれば また みな へんろくし 三宝に益有れば、亦皆編録…
僧祐「序」(7) ゆう まつがくを もってすれども こころざし くごに ふかし 祐、末学を以てすれども、志弘護に深し。 わたくし僧祐は、まだまだ浅学の身ではあるが、〔仏法を〕広め、守ってみせるという意気込みに関しては、誰にも劣らない。 せいげん ふぞくをして こころに ふんがいす 静言(1)浮俗をして、心に憤慨す。 だから、うわべだけの偽物の言葉や、〔欲望まみれの〕浮わついた俗世間に対して、どうしても腹が立ってしかたない。 【静言】実質を伴わない表現上だけの言葉。下心のある言葉。 ついに やくしつの びかん さんせいの よかを もって 遂に薬疾の微間、山棲の余暇を以て、 そこで、病気療養の合い…
僧祐「序」(6) まさに じゃくしょくの ともがらをして ぎべんに したがって ながく まよわしめ 将に弱植の徒をして偽弁に隨って長く迷はしめ、 なぜなら、知識のない者たちに、偽りだらけの理論を教え込むことによって、〔彼らを〕一生迷わせてしまうことになるし、 とうちの ともがらをして じゃせつを おうて ながく おぼれしむ 倒置(1)の倫をして邪説を逐ふて永く溺れしむ。 また、非常識な者たちに、〔彼らにとって心地よい〕破天荒な理論ばかりを聞かせて、〔彼らを〕一生勘違いさせてしまうことになる。 【倒置】順番をさかさまにして置くこと。主に言語表現のひとつとして使われるが、ここではものの順序を逆にす…
僧祐「序」(5) それ かったんは よるに なくも はくじつの ひかりを ひるがえさず 夫れ鶡旦(1)は夜に鳴くも、白日の光を翻さず。 たとえ 〔夜明けを告げる〕ミミキジが夜中に鳴いたとしても、陽の光がさすことはないし、 【鶡旦】ミミキジ。ニワトリのように、夜明けを告げて鳴く美しい鳥。 せいえいは いしを ふくむも そうかいの いきおいを そんする なし 精衛(1)は石を銜むも、滄海(2)の勢を損する無し。 セイエイが石を口に含んで〔いくつもの石を東海に落としたとしても〕、大海の勢いが弱まることはない。 【精衛】古代中国の伝説上の鳥。夏を司る炎帝の娘が東海で溺れて死に、白いくちばしと赤い足を持…
僧祐「序」(4) しゅぶんの こくじゅは すなわち こばんで いきょうと なし 守文の曲儒は、則ち拒んで異教と為し、 古典の解釈ばかりしている儒学者たちは、〔仏法を〕拒んで「異国の教えだ」と言い、 こうげんの さどうは すなわち ひきて どうほうと なすに いたりては 巧言の左道は、則ち引きて同法と為すに至りては、 言葉巧みに取り入るだけの道家たちは、〔仏法に〕近づいてきて「同じ教えだ」と言う。 こばむに ばっぽんの めい あり ひくに しゅしの らん あり 拒むに抜本の迷有り、引くに朱紫の乱有り。 〔仏法を〕拒んで〔「異国の教えだ」と言う〕のは、〔仏法に対する〕根本的な誤解があるからであり、…
僧祐「序」(3) だいほう とうりゅうしてより とし ほとんど ごひゃく 大法東流してより、歳幾んど五百(1)、 偉大なる仏法(仏の教え)が東方(中国)に流布してから、そろそろ五百年になろうとしている。 【歳幾んど五百】後漢の明帝の時代(57~75年)に仏教が中国に伝来したとする伝説に基づく。この伝説は『弘明集』巻第一に収録されている『理惑論』にも記載がある。『弘明集』の成立は518年。 えんに おのおの しんぴ あり うん また すうたい あり 縁に各々信否あり、運亦た崇替あり。 その〔約五百年の間で、仏法に〕出会った人間は数知れないほどいるが、そのなかには信仰心を起こした者もいれば、起こさ…
僧祐「序」(2) しかれども みち だいなれば しん かたく こえ たかければ わ すくなし 然れども、道大なれば信難く、声高ければ和寡し。 しかし、〔仏の〕真理(道)が偉大であればあるほど、信じることは難しくなり、〔仏の〕名声が高ければ高いほど、共存はありえなくなる。 しゅみ しゅんにして らんぷう おこり ほうぞう つんで おんぞく しょうず 須弥(1)俊にして藍風起り、宝蔵積んで怨族生ず。 須弥山は厳しくそびえ立っているから、暴風がつねに吹き荒れ、宝物庫には財宝が山のように積まれているから、盗賊がつねにつけ狙う。 【須弥】須弥山(しゅみせん)。仏教の宇宙観において、世界の中心にあるとされ…
僧祐「序」(1) ぐみょうしゅう まき だいいち 弘明集 巻第一 〔仏法を世の中に〕広め、明らかにするための書 第1巻 りょう ようと けんしょじ しゃく そうゆう せん 梁(1)楊都(2)建初寺(3)釈(4)僧祐(5)撰 梁の首都・建康にある建初寺の僧侶・僧祐が撰述した。 【梁】502~557年。南北朝時代の南朝の国。 【楊都】建康(現在の南京)の別名。 【建初寺】揚子江(現在の長江)以南で初めて建てられた仏教寺院。 【釈】「釈子」の意。名前の前につけて、仏教徒であることを表す。 【僧祐】生没445~518年。梁の時代の僧侶で、仏教の戒律に精通し、梁の武帝からも厚い信頼を得ていた人物である。…
Buddhist Narratology Laboratoryについて
はじめまして。もものりと申します。 このたびは、当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。 ブッディスト・ナラトロジー・ラボラトリー(仏教物語研究室)では、 過去の叡知である仏典をひもときながら、 「答えのない時代」を生きるわたしたちによる、 答え探しの旅をつづけていきたいと思います。 これがどんな「旅物語」になるのか、予想もつきません。 それでは、よろしくお願いします。
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