積読本がかなりあるのだけれど、最近は国語辞典を読んでいることが多い。好きな時に、好きな場所を開いて、目に留まった項目を読む。それを長時間続けてもいいし、秒でやめてもいい。つまり「読書時間」を確保しなくていい。「キリ」も考えなくていい。いつで...
積読本がかなりあるのだけれど、最近は国語辞典を読んでいることが多い。好きな時に、好きな場所を開いて、目に留まった項目を読む。それを長時間続けてもいいし、秒でやめてもいい。つまり「読書時間」を確保しなくていい。「キリ」も考えなくていい。いつで...
この一週間ほど封書を出す機会が何回かあって、その封をするのにスティックのりを使った。普段はあまり使うことがないアイテムで、特別なこだわりはないのだけれど、僕はトンボの「シワなしピット」を常備している。必要な時に、その仕事をしっかりと確実にこ...
カラス / うぴ子疑い始めていた言葉の力と諦めかけていた可能性をもう一度信じてみようと思った
被差別部落に根ざす隠語、あるいは心身障害、職業、人種にまつわる言葉をめぐり、語源や歴史的背景、どこでどのように使われてきたのかなどを具体的に解説。また、抗議と自主規制により「消された言語」となってしまった現状も抉る。“路地”に出自を持ち、「...
机上版の国語辞典を畳上でうつ伏せ読み何気なく幸福
日記は、毎日書く人もいれば、そうじゃない人もいて、そうじゃない人の空白期間にも決まりはない。いらない。大学ノート一冊が一生分の日記だったとしても、それはそれでいいじゃない。ようやくそう思えるようになった。気付けた。
【備忘録】各記事の下に設置していた「日本ブログ村」のランキングバナーを撤去。とりあえずアカウントは残しておくが、最終的には退会の可能性が濃厚。
12月 / SIONいつもこの頃になるとやわらかな後悔とたよりない目標がおぼろげに見えてくる
「おでん、すきやき」が「筍にそら豆」になる一月から五月までの百日間、「ちゅんちゅん、ぺちゃくちゃと自分勝手なおしゃべり」を毎日書き留めた手帖。冬枯れの光景に、悲惨な事件を起こしてしまった女性の心理を思いやり、陽気が温かくなると、しょっちゅう...
「ちょっと出かけてきます」 携帯電話が普及する前は、そんな連絡メモをテーブルの上に置いてたっけ。 今と比べれば不便もたくさんあったけど、当時はそれが当たり前。振り返ってみれば、ほのぼのとしたいい時代だったと思う。 数十年後、「昔の人」になっ
二度と会わない 二度と会えない その違いを 喪中はがきで 思い知る
堅苦しいルールのない「1日1ページ手帳もどき」を続けているうちに気づいたこと。 それは、例えばどこかへ行ったとか、何かを買ったとか、そういう「イベント」についてはあまり書いておらず、その日(のページ)自体が欠落していることも珍しくない。むし
当時の自分の子供時代の、魂の故郷に帰った思いにさせてくれる。心癒されると言うのは、正に、この事を云うのだろうと思うのだ。日々の仕事や雑事の中で、苦しみや辛さが、ふと自分の心を占める時、この絵の優しさはたまらない、再び生きようと再び歩き出そう
町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。小学5・6年以上。 内容
近所のケーキ屋さんが閉店した。シャッターに「お知らせ」があり「10月31日をもって」とのことだった。 頻繁に利用していたわけではないけれど、子供の頃の誕生日やクリスマスはその店のケーキと決まっていた。たのしみで、うれしくて、おいしかった。
鉛筆削りはその時の気分によって「ナイフ」だったり「削り器」だったりするけれど、ここ最近は「ナイフな気分」のことが多い。 そしてその気分を決める要素は、使いたい道具だったり、得たい感触だったり、仕上がり状態だったりするのだけれど、今日は仕上が
手帳やノートの内容を文字色で分類することはほとんどないけれど、アンダーラインや囲み線を引くことはあって、その時には赤と青の色鉛筆を使う。 色鉛筆でしか感じることができない、やわらかでなめらかなタッチがたまらなく好きなのだ。そしてそれは、フリ
来年の手帳が発売され始めた9月頃にはまだ「今年の残り」は意識しなかったけれど、さすがに11月ともなると年末を感じるようになる。 そういえば9月には以下のような記事を書いていたものの、 「善は急げ」と(来年まで待ちきれず)10月1日から無地の
砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった……。一度読んだら必ず宝物にしたくなる、この宝石のような物語は、刊行後七十年以上た
ここ数年、テレビはほとんど見ていないのだけれど、録画してある「横尾忠則 ART IS LIFE」(日曜美術館/2021年9月26日/NHK)と「みうらじゅん」(最後の講義/2020年3月20日/NHK)は、テープだったら擦り切れているだろう
思うところがありまして、音楽(愛聴盤)カテゴリーと同カテゴリー掲載済みの記事を削除しました。今後の音楽ネタは日記・雑記カテゴリーでアップしていく予定です。 以上、とりあえずご連絡まで。
今日は午後から、ドヴォルザークの交響曲第8番と第9番を、カラヤンとクーベリックで聴き比べてました。専門的な知識も技術もありませんが、時間を忘れて「音楽」にどっぷりたっぷり浸れました。 クラシック音楽は、五嶋みどりさんのヴァイオリン協奏曲(チ
僕は天上で暮らす“朗読鼠”。地上の作家が三人称で小説を書く時に、第三の声となってサポートするのが仕事だ。ある日、担当する作家の船山鉄夫君が、突然、予定を変更して一人称小説を書き始めてしまい…。笑いと哀しみをくぐりぬける小さな冒険を描いた表題
偶然、本当に偶然見つけてしまった万年筆インク。目に留まったのはインク色。なんと「藍鼠」。これを「百鼠」が見過ごせるわけがない。 そういえばこれまでブログタイトル&ハンドルネームである「百鼠」について説明していませんでしたが、実はこれ「四十八
ちばてつやが、金子みすゞの詩21編をカラーイラストと文章で読み解く。空、風、海、雲、花、祭り、子どもたち、小鳥、虫や魚たち…。満州から日本への引揚者だった、ちば自身の幼いころの体験を織りまぜて、忘れかけていた日本の風景や生活を描き出す。人や
今日はクリスマスイブ。 我が家ではもう特別なことはしませんが、子供の頃はご馳走とプレゼントが楽しみでした。 前者は「から揚げ」と「ナポリタン」、後者は「本」。他にもあったはずですが、真っ先に浮かぶのはそれだなぁ。特に本は、母が本好きだったせ
冬に読んだ本。冬になると思い出す本。まるで冬のような本。「冬」と「1冊の本」をめぐる、新しいエッセイ集。 内容紹介(「BOOK」データベースより) 冬の本posted with ヨメレバ北條一浩 夏葉社 2012年12月 楽天ブックスAma
「ずっとやりたいと思っているけどできないこと」の一つに「本への書き込み」があります。 蔵書を売ることは考えていないので、そういう意味での価値が下がっても構わないのですが、それでも書き込みには至れないまま、付箋で妥協しています。 でも、やっぱ
それなりの時間を過ごしてくると、人生には妙なことが起きるものだー。昔なじみのミルク・コーヒー、江戸の宵闇でいただくきつねうどん、思い出のビフテキ、静かな夜のお茶漬け。いつの間にか消えてしまったものと、変わらずそこにあるものとをつなぐ、美味し
何よりもまず、その本の「存在を知る」ことだと思うのです。 だから僕の蔵書は、主観を排して、ただ並べ、置いておく。 それが、小さな本屋もどき「百鼠」のスタイルでありポリシーです。
百貨店の寝具売場に勤めながら百科事典の執筆に勤しむ“小さな男”。ラジオのパーソナリティで、日曜深夜一時からの生番組に抜擢されたばかりの三十四歳の静香。“小さな男”と“静かな声”、交互にあらわれる二人の語り手から、ささやかな日々のいとおしさが
写真を見るのは好きだけど、撮るのは苦手、というか、億劫なのです。 特にブログ用の「物撮り」はだめですねぇ。写真があった方が絶対にいいとわかっていても、準備を考えた時点でもう…。 なので写真を使った記事を当たり前のようにアップしているブログや
記事を書くとき、初稿をそのまま採用すべきか、それとも推敲を重ねるべきか、いまだに悩みます。 感覚的には前者が「本物」という気がするのだけれど、結果的には後者で、しかもそれは採用後も、無制限に続きます。 まあどっちがどうというより、性格なんだ
並んだ本の背表紙を眺めるのは大好きだし、「タイトル買い」をすることもあるくせに、自分の記事にタイトルをつけるのは苦手なのです。 そもそも僕の日記や雑記はその時の思いつきに任せて書いているので、つまり無計画なので、タイトルなんかないのです。な
今までにいろんな「ペン立て」を試してきたけど、結局「空き瓶(缶)」が一番いい。 実用重視の廃品利用なんて「つまらない」「貧乏くさい」と敬遠する人もいるかと思いますが、色・柄・形・サイズなど、こんなにバラエティに富んだ容器も珍しく、アイディア
長く疎遠だった父、その遺品の整理中に見つけた大学ノートには、表紙に大きく「めぐらし屋」と書かれていた。困惑する娘の蕗子さんに、折も折、当のめぐらし屋を依頼する見知らぬ客からの電話が舞い込む。そして、父の独居暮らしに淡い輪郭が与えられるたび、
2023年もまだ半月ほどあるけれど、今年の書籍購入数は7冊のまま確定しそうな予感。 再読が増えているとはいえ、欲しい本がないわけではなく、ただそれがことごとく絶版で、古本を探しても納得できる価格や状態のものがなかなか見つからないのです。そん
チャイコフスキー&ドヴォルザーク:弦楽セレナード / ヘルベルト・フォン・カラヤン(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団) 曲目 チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 作品48 ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 作品22 ベルリン・
フランスで出会った「もの」たちの物語 《捨てられはしたけれど破壊はまぬかれた、近い過去の生活用品には、独特の表情がある。元の所有者たちの生活の匂いが、設計者や製造者の顔が透けて見える。それらが引きずっている人々の過去に、感情に、もっと言うな
慣れ親しんだ本とクラシックCD。 それは僕にとって「癒しの常備薬」のようなもの。 疲れた心によく効きます。