流し目のイソヒヨドリと初出逢日本平この方とは初の出逢いです。全くの偶然に視界に入ってきました。距離は2,3メートル、メジロと異なりじっとしてくれています。美しい彩りの鳥に流し目で見られているような気がし、久能山とのご縁に大感謝しつつシャッターを切りました。イソヒヨドリ
日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です
学びの足跡:高校までは全て東京都足立区内、大学で初めて地方生活(仙台)を経験 実社会で大阪、横浜、取手、ニューヨークを転々、今、終の棲家か?江東区
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流し目のイソヒヨドリと初出逢日本平この方とは初の出逢いです。全くの偶然に視界に入ってきました。距離は2,3メートル、メジロと異なりじっとしてくれています。美しい彩りの鳥に流し目で見られているような気がし、久能山とのご縁に大感謝しつつシャッターを切りました。イソヒヨドリ
家康は見ぬや五月の鱗雲日本平夢テラスこの写真は5月14日に撮ったもので、5月なのに秋の季語である鱗雲が出ていることに、違和感を覚えました。「自分の遺体は駿府の久能山に葬り」と遺言した家康は、この地を愛していたのでしょう。久能山の五月の空に鱗雲!かつての家康が目にすることはなかった光景と思うと、感慨深いものがありました。昨今の異常気象・・・5月13日に89歳で逝去された「世界一貧しい大統領」と言われた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が、2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(リオ+20)で演説された言葉の数々が思い浮かびます。「我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。」「今この行き過ぎた消費主義こそが、地球を...五月の鱗雲
家康の思ひか逆さ葵紋久能山東照宮御社殿この写真の左端にある逆さ葵紋は、その下に説明書が置かれていましたので気が付きました。そして、絶対的な権力者であった家康を祀る建造物にこのような不完全さをあえて加えるのは、生前の家康の考え方、思いががあって初めて可能なのでは、と思いました。家康の長男で二代目将軍・秀忠でさえ、父・家康のこのような考え・思いなしではできなかったと思います。説明書には、逆さ葵紋は「建物が未完成であることを表し、更なる発展への願いが込められていると言われています。(諸説あり)」とあります。徳川幕府創建時の不安定さを自覚し、徳川家の政権維持を遠い先まで構想して権力メカニズムを一代で作り上げた家康らしいと、改めて思った次第です。逆さ葵紋
草生(む)する香にあらためて初夏と知る南砂町駅前の小径わが奥さんとお弟子さんの「暮らしの中で遊びま書展」が、一か月前に700人を超える方々がご来場されて幕を閉じました。なかには日を変えて2回も来られた方々もおられました。私はお手伝いしただけですが何をするともなく時が過ぎ、ようやく先週、身の回りの自然の営みに気が向きました。今年は冬、春、夏の境界線が複雑に入り組みながら季節が移っていくような・・・草生す香
花冷えもよしや花見が長くなり仙台堀川公園今年の花冷えは、「冬戻り」というような寒さの日々が続いています。来週は高校母校の入学式。お天気予報では晴れて気温も今現在の9℃から20℃の春の陽気になるとのこと。正門の桜の一木が後輩たちの入学式に彩りを添えてくれるかも・・・花冷え
親に謝す「花の下にて」生まれしを花冷えや喜寿ありがたくかみしめて仙台堀川公園小生の好きな西行さんの和歌に掛けました;願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ小生の誕生日には毎年桜が咲いてくれていますが、こんな「花冷え」の日は記憶がありません。「花の下にて」
密やかに咲く源平桃の可憐かな隅田公園直立する一枝に小さな2輪、更に少し裂け始めた蕾一つ。曇り日だったこともあり、静寂さの中に可憐な美を感じました。源平桃
寝ころびて蒼天花見も乙なもの仙台堀川公園神輿の会のお花見では話も弾み、お酒も進み、眠気も忍び寄り、結果、寝ころびて蒼天花見。今朝の寒さからの気温の上昇と共に、一気に花開いた感じです。蒼天花見
お花見も本場カレーで盛り上がり仙台堀川公園一昨日の墨田川でのお花見に続き、今日は地元仙台堀川公園で、お神輿の会・陶法睦のお花見でした。お天気は一昨日同様、場所取りの8時頃は8度前後の寒さでしたが、会が始まるお昼ごろにはお日さまも出る蒼天のお花見日和となりました。我らの神輿の会にはインド人の方がおられ、朝早くから本場インドカレーを手作り。手作りの辛めの本場カレーを堪能しつつのお花見、なかなか乙なものでした。お花見
ヒヨドリと共に楽しむ花見かな隅田公園友人が、鳥がいると言われて指さしてくれるのですがなかなかわが目に見えず。分かったときは嬉しい気持ちになりました。ヒヨドリとお花見
雨露に色艶はえる若桜仙台堀川公園雨が止んですぐの仙台堀川公園では若桜に出会いました。若いが故の色艶が雨露に一段と映えています。可憐な美なるかな、でありました。雨露の若桜
源平桃美なるもその名悲哀かな隅田公園源平桃の名の由来は、源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てたとか・・・。美しいお花ですが、壇ノ浦の戦いとかを連想しますともののあわれを覚えます。源平桃
お花見も下にかはゆき小花かな墨田川堤マーガレット、チューリップ・レディジェーン、カラスノエンドウ。これらの花よりも一段と小さなお花は画像検索してみましたが、アメリカフウロでしょうか?もう一つ同じ写真の隅に写っている青いろのお花は画像検索するも名前が分かりません。お花見と小花
数え年皆喜寿元気観桜会隅田公園・墨田川堤3月28日は浅草集合10時半頃には雨も上がり、5時間の日程、高校同期の方々とお花見散策・昼食会を楽しみました。喜寿観桜会
雪の無人駅列車来にけり定刻に会津鉄道会津線塔のへつり駅雪の無人駅で、列車を待つは我一人。帰路はこれからバスへの乗り換えも含め2時間余り。日暮れ前には宿に帰りたいと思っていましたので、遠くに列車の灯が見えた時、正直ほっとしました。雪の一人旅
猫作品を踏んじゃったあ選定中孫の書の作品のうちから一点を選ぼうとしていましたら、いつの間にか猫さんが忍び入り、作品の上を歩き始めました。選定者は皆一瞬どきりとしましたが、猫もさるもの、本当に軽々と踏み歩いてくれたお蔭で、作品は皆無事でした。座ったのが彼女が選定した作品と思われますが、人間さまの選定したものとは異なりました。ところで「猫ふんじゃった~」の歌では、猫が踏まれたことになっていますが、ここでは猫が作品を「踏んじゃったあ」でありました。猫と作品選定
父母席に謝辞一斉に卒業士都立足立高校卒業式母校の卒業式にはここ10数年、毎年参列していますが、今年も在校の2年生は送辞の中で3年生に「より良い学校にしていきます」と誓い、卒業の3年生は答辞の中で「これからの足立高校をよろしくお願いします」と後輩に託していました。私は半世紀以上も前に卒業した同窓生ですが、卒業式という大きな人生の節目に、送り、送られる後輩たちが母校の発展を常に心に留め、それが今日まで脈々と先輩から後輩に受け継がれていることに今年も改めて嬉しい気持ちになりました。今年の式で、終了間際に感動したことが二つありました。一つは男女ほぼ半々の273名の卒業生による式歌「旅たちの日に」の三部合唱でした。ハーモニーが実に美しく、感動しました。歌の途中から目頭を押さえる卒業生もいました。後輩たちは卒業後、ク...卒業式
親父超ゆ長兄卆寿の弥生かな東京マラソン卆寿祝のつまとなり深川不動尊前江戸深川鮓にしち私は5人きょうだいの末弟で平均年齢は84歳。お蔭様で皆、とりわけ今年卒寿の長兄が元気です。親父は明治39年生まれで数え年の米寿でこの世を去りました。今頃は、おふくろと一緒に「皆元気だな」と笑いながら見てくれているような気がします。卆寿祝の昼餉のこの日、たまたま東京マラソンの日で、しかも門前仲町の永代通りがコースでした。観光の人もマラソンを走っいている人も外国の方が多いのには驚きました。三月は旧暦の「弥生」。「弥(いや)」は「いよいよ」、「生(おい)」は「生い茂る」の意とのことです。まさに草木芽吹く月・・・。長兄の卆寿を祝うにはふさわしい月です。万物に感謝です。祝卆寿と東京マラソン
雪見散策昼に熱燗客一人妙雲寺隣の日本料理・松本妙雲寺でも我一人でしたが、感じの良い小料理屋の松本でも私だけ。メニューには昼定食しか載っていませんでしたが、「熱燗で一杯やりたいので、おつまみできますかね?」と遠慮がちに訊きましたら、「今はお客さんがお一人ですので、夜のメニューでもいいですよ」とのことで、お刺身を造ってくれました。雪の寒さに熱燗、なかなか粋な気分でした。雪見の熱燗
木漏れ日に雪の山道古石仏那須塩原妙雲寺境内ここでも我一人で、細い雪の山道を登っていきますと、広い墓地があります。その道沿いにいくつかの古石仏が佇み、祈りの心がそこにあるように感じました。雪の山道古石仏
夏の日に浮かぶ緑や島のごと仙台堀川公園静かなひとコマでした公園の緑の島
藪寝間のコサギ安らぐ夏の暮仙台堀川公園この藪は、コサギのみならず、たくさんのダイサギ、アオサギ、ゴイサギ、カワウの寝間となっているようです。たまたま夕暮れの散策で目にとまった光景でした。コサギさんの目が何とも言えません。藪寝間のコサギさん
青春や楽し母校の体育祭走り跳ぶ懐かし母校体育祭高校母校の体育祭です。後輩たちの全力疾走を見て、「今は走れないな~、高校時代は走ってたな~」と懐かしくも、羨ましくも、そして、ワクワクしました。我らの時代には女子騎馬戦、大縄跳び、お助け綱引きはなかったような?また入場・退場時、また熱戦を繰り広げている時の音楽はありませんでした。世情の移り変わりを感じました・・・とにかく、後輩たちから弾ける若さ、元気を戴いた楽しい一日でした!高校母校の体育祭
新緑や昔しのばる修善寺の川桂川「修善寺」はお寺の名前でもあり地名でもありますが、言葉だけで何故か歴史というか、時を遡った風俗・風景というか、懐かしみが湧いてきます。小説「伊豆の踊子」の影響でもあるのでしょうか?写真の川中にある足湯温泉が弘法大師伝説のある「独鈷(とっこ)の湯」です。虎渓橋から撮りました。新緑の修善寺の川
新緑や小説うかぶ寺の鐘修善寺伊豆の踊子・・・新緑の修善寺
超新星爆発のごと薔薇の花近所のミニストップガーデンこのバラを観ていますと、爆発して瞬時に広がりながら自分に向かってくるように感じます。連想するイメージはビッグバン、超新星爆発・・・大宇宙と小宇宙、ミニストップガーデンで・・・薔薇と超新星爆発
ほのぼのと高きに花のあかりかな2014年7月仙台堀川公園泰山木の花の過去の写真を探していましたら、10年前の7月に撮ったのがありました。同じ木に今年は10年前より二か月早い5月に開花、温暖化の一つの証か・・・・泰山木と温暖化
このバラは乙女周囲もはなやげり近所のミニストップ美しいバラを見つめていると、その花のイメージと重なる「ひと」が思い浮かびます。乙女のバラ
高貴さにつつまれひたる薔薇の園近所のミニストップ庭園ミニストップのオーナーに感謝です。薔薇の高貴さ
詰め織らる花びら幾重薔薇の神近所のミニストップ庭園人を超える何かがおられるような・・・薔薇の神
天上の安らぎ泰山木花蕾仙台堀川公園花蕾(読み:文語形「くわらい」、口語形「からい」、花と蕾(つぼみ)蕾)「大きな蕾と花」で私が連想するのは、蓮、薔薇、牡丹、芍薬、立葵です。これらの花蕾から受ける印象と泰山木のものとは異なる世界のもののように思われます。一木の高みで、孤高にしてふくよかに湧き出で開くからでしょうか。泰山木花蕾
泰山木と出逢ふ懐かし病み上がりその2仙台堀川公園ふくよかな孤高の花の雄蕊と雌蕊が垣間見えました。この花も来年への備えを終え、あと1、2日で朽ちはじめ、消え去ります。懐かしき泰山木その2
泰山木と出逢ふ懐かし病み上がり仙台堀川公園この木の花さん一つ一つとは毎年会っているのですが、コロナ初感染・初自室隔離生活後の初散策で出逢ったためか、懐かしの思いが湧きました。孤高でいて膨(ふく)よかな温か味を感じるお花さんです。懐かしき泰山木
病み上がりにほのぼの泰山木つぼみ仙台堀川公園コロナ初感染後の初散策での出会い。泰山木も白木蓮も同じモクレン科ですが、蕾や花を身に付けた時の雰囲気は異なるように感じます。一木に生まれる泰山木の蕾の数は少なく、孤高でありながら膨(ふく)よかで、じっと見つめているといつしか心癒される思いがします。一方、白木蓮は鈴生りに蕾を付け、これからお祭りが始まるような賑わいと活気を感じます。泰山木の蕾ほのぼの
病み上がりにほつこり泰山木つぼみ仙台堀川公園初感染のコロナの症状も10日間の自宅の自室隔離生活で消えましたので、久しぶりに近所の仙台堀川公園を散歩しました。何気なく散策していたのですが、遠くの木立の上の方に泰山木の蕾がほのかに見えました。毎年、同じ場所で見ていたのですが、今回はとても新鮮に感じ、心癒される思いでした。泰山木の蕾
世は五月五年経(へ)コロナ初感染私はコロナワクチン接種は毎回いの一番に受けてきましたが、コロナ日本上陸5年後に感染してしまいました。外は五月晴れの日々を自室で隔離生活。発熱の翌日に病院に行き、鼻腔に綿棒らしきものを挿入され、直ぐにコロナと託宣されました。処方された薬は以前の風邪薬と全く同じ。入院の経験はなく、自室にこもり食べて寝るだけの生活も初めてですが、苦にはならず、むしろ、「何もしない」ことの楽さを堪能しました。後半、これに慣れたら大変かな?とちょっと心配になりました。お陰様で発熱は翌日から平熱に戻り、風邪の症状も逓減し、10日間の自宅隔離生活後、後遺症も感ぜずに平常の生活に戻ることができました。私は日頃運動をする方ですが、反省点は、もう年なんだから疲れを感じたら体を労わらないといけないということです...コロナ初感染
一歩退き咲くネモフィラの奥ゆかし近所のミニストップガーデンこのコンビニのミニガーデン、今、バラの最盛期です。お手入れしてくれている方に感謝です。そのバラ園の足元に可愛いネモフィラがたくさん咲いています。ギリシャ語で“小さな森「nemos」と、“愛する”「phileo」を組み合わせた言葉とのこと。philosophy(知恵を愛す→哲学)の「philos」が入っているのが気に入ります。花言葉は「清々しい心」。たくさんの小さなネモフィラの中で、ちょっと後ろに退いて、少し横を向いているのに心ひかれました。ネモフィラ
ほのぼのと部屋も心もカーネーション子よりのプレゼント、奥さんはさっそく部屋に飾りました。カーネーション
豊満な佐渡牡蠣の美味妻引き出せりこの牡蠣は一口食べただけで直ぐ写真を撮りたいと思いました。奥さんの書画のお弟子さんで、佐渡ヶ島にお住いの90歳代のご婦人から送られてきたものです。昨年の夏に佐渡でご婦人とお会いし、牡蠣も食べましたが、今回の牡蠣はマッコト美味でした。奥さんが揚げてくれた楤の芽の時に断っていた晩酌を少しだけいただいてしまいましたが、今回も、なんとなく酒なしでは済まない気がして、少しだけ黒霧の炭酸割とともに戴きました。この牡蠣汁にパンを付けて食べると美味しいと思い、とっていてもらいました。佐渡牡蠣
皮一枚はがれあらわる竹の緑や修善寺竹林の小径筍(たけのこ)が皮に覆われていることは幼いころから見ていますが、立派な竹稈(ちくかん)が皮を羽織っているのを見るのは初めてです。しかも、その皮が剥がれ落ちんとしている部位の竹稈が新鮮な緑色をしているのを見るのも初めてです。竹稈の緑