出版関係、原発・核などについて書いています。今は、田舎暮らし中ですが、どう伝えれば、役立つ情報になるのか考えています。
難関だったKGB本部の取材を終えて、ほっとした私たちは、レストランに向かった。ペレストロイカ(改革)によって、経済の一部自由化が始まり、組合形式のレストランが許可されるようになっていた。 その新しい経営方式によるグルジア料理レストランに入った。これまでの国営ではなく、民間のレストランである。それゆえ、こじんまりしているが、内装に清潔感があり、客の対応もよかった。 小さなレストランに入ると、私たちはちょっと目立つ。記者、カメラマン、通訳、運転手の4人。2人はスーツを着ていて、カメラマンは一眼レフのカメラを持ち込んでいる。 「ここに取材に来たのですか」と店員さんが聞く。いいえ、私たちは日本の雑誌の取材チームです。先ほど取材を終えて、ここに来ました。KGB本部で取材していたのですよ。 店主と思われるおばあちゃんがや...ミスKGBとジョージア娘3
「みなさん、ミスKGBのカーチャ・マヨーロワです」と広報官が紹介した。カーチャ・マヨーロワさんは、部屋に入ると、小さなテーブルの私たちの正面に座った。 「ミスKGBと言ってもね、仲間内のパーティで選ばれただけなんですよ」ミスKGBのカーチャ・マヨーロワさんは、笑顔で話し始めた。彼女は、明るくて気さくな性格だった。 正面にいる彼女を見て、ハリウッド女優みたいだな、と思った。しかし、ここはKGB本部。「ハリウッド女優」は禁句かもと考えたり、いやあえて、そう思われるよう訓練しているのかも、と思ったり、複雑な印象になった。 彼女にミスKGBに選ばれた様子を簡潔に聞いたが、はっきりとは回答しなかった。そこで、どこの部署で、どのような仕事をしているのですか、と質問した。 「記者さん、そんなことより、私たちの将来について話...ミスKGBとジョージア娘2
いつもカジュアルな服装でやってくる通訳がスーツとネクタイで正装していた。その日は、KGBの取材があった。 1991年ソ連邦の崩壊によって、KGBはこれまでの組織を解体し、ロシア連邦保安庁と対外情報庁などに分かれた。保安庁は警察組織、情報庁は対外諜報機関となった。 私は、そのソ連邦崩壊の前と後、両方の時期に現地で取材をした。今回は、KGB分割の直前の話。ソ連では、ゴルバチョフ大統領がペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を掲げて、民主化に傾いていた。 そのころ「KGBの民主化」もソ連邦で議論されていたが、その内容が不明だった。「KGBの民主化をどのように実現するのか?」と取材依頼をしたら、KGB本部から「取材を受ける」と返答があった。取材協力しているロシアの通信社が「信じられない」というほど、異例の対応...ミスKGBとジョージア娘1
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