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日本には3万近い城がある中で、名城は100,続日本名城は100ある。 江戸期の北前船の寄港地は200とほぼ同じだ。この旅のブログで、行けない地域は ラジオ出演していていただく旅

名城と北前船の旅
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2021/01/02

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  • 木村秀蔵翁伝記(アース製薬創業者)第2回

    第2回目次第1章丁稚のころ第2章孤軍奮闘時代第3章坂越工場の建設第4章試練に耐えて第5章徳孤ならず第6章「アース」への途第7章アースタムの出現第8章成功途第9章信念に生きく第10章終篇第1章丁稚のころその1一粒の種子が地に落ち美しい花を開くまでには、なみなみならぬ努力が支払わられねばならない。そしてあらゆる困難に打ち勝ったもののみが、美しい果実を得ることができるのである。多くの苗は中途にて枯れ、折れ萎びてしまうのである。人間の世界においても同じである。困苦欠乏に耐え、敢然と自らの目的に向かって進んだもののみが、最後の栄光に浴することが出来るのである。私は木村翁の伝記を書くことを非常な光栄に感じている。この『伝記』は、2023年3月17日アマゾンから書籍とキンドル版から発売されています。今後はそちらでご覧く...木村秀蔵翁伝記(アース製薬創業者)第2回

  • 第76回 名城巡りと北前船の旅 香川県小豆島町の内海八幡神社

    第76回名城巡りと北前船の旅香川県小豆島町の内海八幡神社香川県小豆島町にある内海八幡神社に、輪島塗の絵馬が掲げられていることを地元の金両醬油の藤井保壽オーナーから聞き、2023年3月小豆島町に行った。藤井氏から郷土史家の浜口勇氏を紹介され、浜口氏と内海八幡神社をたずねた。神社には、絵馬の他、こま犬、一対の石造物があり、この石造物について研究している富山県立山博物館・学芸員細木ひとみ氏を紹介して頂き、これを契機に、FM番組で話して頂いた。細木氏は民俗学が専門で、現在は生まれ育った富山県の立山博物館で、立山信仰について研究活動をしている。細木氏は西宮博物館(兵庫県)の学芸員として活躍していた頃、小豆島町の小高い丘にある内海八幡神社に参拝している。この参拝をきっかけに、一対の灯籠に「西宮威徳丸船頭半衛門」と「西...第76回名城巡りと北前船の旅香川県小豆島町の内海八幡神社

  • 2022-07-03 「名城巡りと北前船の旅」第69回 対馬(長崎県)と田代(佐賀県)

    2022-07-03「名城巡りと北前船の旅」第69回対馬(長崎県)と田代(佐賀県)編集第69回対馬(長崎県)と田代(佐賀県)編集長崎県対馬歴史研究センターで近世史を研究されている学芸員丸山大輝氏のお話から紹介する。長崎県には日本最多971の島があり、対馬・壱岐・五島は大陸との最前線に位置し、国境の島だったことから文化財が数多く残されていると話が始まる。お城EXPO2018横浜対馬市教育委員会村瀬氏対馬は、「国境の島壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~」のストーリーで日本遺産に認定され、その構成文化財に金田城跡や金石城がある。金田城跡(続日本100名城)は、7世紀に建造され日本で一番古い城である。金石城金石城は対馬藩主宗氏の居城で政庁だったが東隣に新たに桟原城を寛文5年(1665)に整備・拡張され藩庁として...2022-07-03「名城巡りと北前船の旅」第69回対馬(長崎県)と田代(佐賀県)

  • 瀬戸内坂越の北前船交流記第7回酒田

     第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2018-03-19第7回(酒田) 2016年9月6日酒田では、北前船にとても熱心なガイドの豊岡紘子さんに、自転車で効率的に案内をしていたいた。案内された日和山公園には、北前船航路を確立した河村瑞賢の銅像があった。 立派な常夜灯の南側に、坂越田淵文治朗、北側の文字は消えていましたが『酒田の歴史』中学生向けの副読本から播州坂越田淵庄三朗と高田屋手中の文字が並んでいることが記されていた。 田淵家は赤穂で1673年より塩田、塩問屋、廻船業を営み、文化文政時代(1804→1830)には日本最大の塩田の持ち主でした。しかし、この田淵家ではないと赤穂での見解だったが。次に案内された 酒田市資料館では、偶然会った、庄内酒田古文書館の杉原館長か...瀬戸内坂越の北前船交流記第7回酒田

  • 坂越の北前船交流記第6回(坂越のまちなみ)

    2021瀬戸内坂越の北前船交流記第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2017-01-04第6回(坂越のまち並み)坂越の北前船交流記第6回(坂越の町並み)                                                                                            2016年8月23日 坂越のまち並みについて、赤穂高校出身の西川貴士さんが鳥取大学で地域政策を専攻し、7年前に卒論で書いていた。赤穂の塩と坂越の町並みや港を地形や歴史からわかりやく書かれていたのでここで掲載をお願いした。 坂越のまち並みには、白壁、海岸通りには石垣が残り、昔の風情が多く残っています。 大道には、木戸門跡、坂越まち並み館、...坂越の北前船交流記第6回(坂越のまちなみ)

  • 坂越の北前船交流記第5 回(東京)

    瀬戸内坂越の北前船交流記第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2017-01-04第5回(東京) 2016年7月14日 今回は、「食」について東京からです。 加賀出身で石川県の観光大使の道場六三郎氏の日本料理の店、東京銀座の「懷食みちば」で、「北前船寄港地坂越」の法被で坂越から3人で食事会をしたの2016年2月。これは、「第30回記念手づくり郷土賞」公開審査に参加した時でした。  銀座では珍しい北前船の法被に女将が挨拶にこられ、六三郎氏と加賀と北前船の話で盛り上がった。マネージャー佐々木氏からは、坂越のこの北前船シリーズにコメントを頂きいた。去年「第17回北前船寄港地フォーラムIN加賀」で、フォーラムの発案者で作家の石川好氏と加賀出身の道場氏が北前船と食について対談が...坂越の北前船交流記第5回(東京)

  • 坂越の北前船交流記第5 回(東京)

    瀬戸内坂越の北前船交流記第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2017-01-04第5回(東京) 2016年7月14日 今回は、「食」について東京からです。 加賀出身で石川県の観光大使の道場六三郎氏の日本料理の店、東京銀座の「懷食みちば」で、「北前船寄港地坂越」の法被で坂越から3人で食事会をしたの2016年2月。これは、「第30回記念手づくり郷土賞」公開審査に参加した時でした。  銀座では珍しい北前船の法被に女将が挨拶にこられ、六三郎氏と加賀と北前船の話で盛り上がった。マネージャー佐々木氏からは、坂越のこの北前船シリーズにコメントを頂きいた。去年「第17回北前船寄港地フォーラムIN加賀」で、フォーラムの発案者で作家の石川好氏と加賀出身の道場氏が北前船と食について対談が...坂越の北前船交流記第5回(東京)

  •  坂越の北前船交流記第3回(赤穂藩発の和算)

    瀬戸内坂越の北前船交流記第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2017-01-04第3回(赤穂藩発の和算)   2016年5月13日今回は、和算文化を加速させた播州赤穂藩家臣が北前船の航海術に繋る話!2016年3月坂越で梶川雄二さんが、「北前船・和算などをめぐって」の論文のレクチャーには〜円周率を小数点以下7桁までの正しい値を、日本で最初に発表した浅野家家臣の村松茂清の話があった。茂清の養子の秀直とその子高直が討ち入りに参加した時は、茂清が亡くなって7年が過ぎ、茂清は1663年に「算俎」を出版。 算額は、円周率等の問題の絵馬を神社に奉納、この解答の絵馬(写真)を奉納するもので日本独特の文化で重要文化財の算額絵馬もある。富山では石黒信吉が航海術の本まで発行された他、日本... 坂越の北前船交流記第3回(赤穂藩発の和算)

  • 坂越の北前船交流記第4回(加賀 )

     瀬戸内坂越の北前船交流記第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。2017-01-04坂越の北前船交流記第4回         2016年 6月9日        .第17回北前船寄港地フォーラムIN加賀市に参加して. フォーラムの会場となった加賀市文化会館に入るとスーツに身を包んだ人たちが、やや重い雰囲気の中に座っていた。 それもそのはずで、いただいた資料の参加名簿を拝見すると、国土交通省元事務次官、観光庁次長、国土交通省大臣官房審議官、衆・参議員、JR西・東代表取締役、各寄港地の市長、副知事、県議、観光部長など、そうそうたるメンバーでそれに付随する制服組が会場を埋めていた。また観光庁長官がビデオメッセージを寄せるなど行政に携わる人たちでつくるフォーラムといった印象で...坂越の北前船交流記第4回(加賀)

  • 坂越の北前船交流第2回(下津井)

    2017-01-04坂越の北前船交流記第2回(下津井)   倉敷市の「むかし下津井回船問屋」に初めて行ったのは2015年9月。   北前船寄港地の地図には坂越の名前もあった。展示されていたものには大変珍しいものがたくさんあり、訪れた人はもう一度行きたくなる廻船問屋跡で、以来坂越まち並みを創る会との交流するようになった。赤穂民報の掲載から坂越の北前船のイベントが2017年6月にあり30人の方々に下津井節を披露していた。 写真は矢吹館長と坂越の盆踊りの唄を披露した坂越民謡保存会の篠原明さん。倉敷のジーンズで作られた「北前船寄港地坂越」の法被は矢吹館長の紹介で出来たもので、その高級感と文字の響きから北前船の話で盛り上がる事がよくある。以下の投稿から1年後、札幌発『すすめ北前船』に演され、ブログ『すすめ北前船下津井』で...坂越の北前船交流第2回(下津井)

  • 坂越の北前船交流記第1回(坂越浦の北前船)

     坂越の北前船交流記第1回(坂越の北前船)編集作家の石川好氏の発案で2007年から「北前船寄港地フオーラム」を日本海側で開催していた。そんな中2015年4月尾道等が初めて日本遺産に認定され、7月に瀬戸内海側(大阪)で初めて北前船寄港地フォーラ厶を開催された。日本遺産に最初認定された尾道市の平谷裕宏市長が、北前船寄港地フォーラムで講演され、北前船nお寄港地の日本遺産登録への期待が関係地域に広がったと考えている。そんな2015年、坂越浦会所で北海道余市の福原漁場で昔の坂越港の風景の絵の写真を見て、以前読んた「高田屋嘉兵衛」の世界が広がった。地元写真家の提供当時、朝ドラのマッサンで余市のニシンの話があった事もあり、この絵をききかけに、坂越でボランティアでガイドをしながら、北前船の足跡を調べる事になった。地元では北前船...坂越の北前船交流記第1回(坂越浦の北前船)

  • 坂越の北前船交流記第1回(坂越浦の北前船)

      坂越の北前船交流記第1回(坂越の北前船)作家の石川好氏の発案で2007年から「北前船寄港地フオーラム」を日本海側で開催していた。そんな中2015年4月尾道等が初めて日本遺産に認定され、7月に瀬戸内海側(大阪)で初めて北前船寄港地フォーラ厶を開催された。日本遺産に最初認定された尾道市の平谷裕宏市長が、北前船寄港地フォーラムで講演され、北前船nお寄港地の日本遺産登録への期待が関係地域に広がったと考えている。そんな2015年、坂越浦会所で北海道余市の福原漁場で昔の坂越港の風景の絵の写真を見て、以前読んた「高田屋嘉兵衛」の世界が広がった。地元写真家の提供当時、朝ドラのマッサンで余市のニシンの話があった事もあり、この絵をききかけに、坂越でボランティアでガイドをしながら、北前船の足跡を調べる事になった。しかし、地元では...坂越の北前船交流記第1回(坂越浦の北前船)

  • 第49回すすめ北前船⑩岩国城

    第49回すすめ北前船⑩岩国城 名城巡りと北前船寄港地の旅⑩  岩国城今回は、山口県東部に位置していた岩国城下について、岩国市教育委員会文化財専門員の藤田慎一さんのインタビュ-からです。岩国城は、毛利家の吉川広家が防御のために横山山頂に建てた城だが、1615年の「一国一城令」で廃城になる。この岩国が、岩国藩として認められたのは幕末の慶応4年(1867)で、それまでは、藩のようで藩でない状況と藤田さんは説明している。初代吉川広家は、築城に並行して錦川を天然の外堀とし、山の麓の横山地区には藩主の居館・武家屋敷を築き、対岸の錦見地区に中下級武士や町民の居住区を置いた。錦見地区に住む中下級武士にとって、藩政の中心地横山地区へ行くには幅200mの錦川を渡る橋は重要だった。しかし豪雨災害で度々橋は流失し、藩政に与える影響は深...第49回すすめ北前船⑩岩国城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑨八戸城

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑨八戸城東廻り航路で活躍していた八戸藩の廻船を、八戸市教育委員会の柏井容子学芸員のインタビューから八戸城とその城下と共に紹介します。出典八戸市博物館日本100名城の「根城」は、南北朝時代から江戸初頭までの約300年間、「根城南部氏」が拠点としていた。「根城南部氏」は、1627年盛岡藩初代藩主南部利直の命により遠野へ移封され、八戸地方の支配は盛岡藩(盛岡南部氏)が行うことになった。藩庁は、この盛岡藩直轄領時代に造営され利直自らが町割りも利直が縄張りをしたと伝えられ、八戸城は利直の陣屋敷になっていた。内陸部の盛岡と異なり、湊がある八戸は、盛岡藩にとって重要な土地であつた。遠野移封から約40年後の1664年、盛岡藩2代藩主南部重直が跡継ぎを決めないまま死去した。このため、幕府の裁定で10万石...名城巡りと北前船寄港地の旅⑨八戸城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑧姫路城

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑧姫路城姫路城は、姫路藩の藩庁で飾磨、高砂、室津の3つの港を江戸初期から明治まで管理下に置いていた。そこで姫路市教育委員会文化財課の大谷輝彦課長とたつの市御津町の室津観光ガイド代表の柏山泰訓さんに、姫路室津を語って頂きました。 大谷さんは、1993年法隆寺と共に日本で最初に世界文化遺産に登録されたと姫路城を紹介している。姫路藩初代藩主(1601〜)池田輝政は、姫路城築城と並行して城の外堀から飾磨津までの約5キロの運河の計画をしていたが不成功に終わっている。この構想は、本多忠政の代に成し遂げ、船役所・船置場を置き船手、水主を配置した。この本多家が藩主になる頃52万石から15万石に領地が縮小し、赤穂藩、龍野藩などが姫路藩から独立した。水運を重要視していた姫路藩は、龍野藩の室津を飛地として明...名城巡りと北前船寄港地の旅⑧姫路城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑦松前城

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑦松前城松前町教育委員会の佐藤雄生学芸員のインタビューから紹介します。佐藤さんは、藩主蠣崎(かきざき)氏が徳川政権に入る頃に蠣崎姓から松前姓に改称したと、最北の城下町松前を紹介しています。松前氏(蠣崎)は、1600年海岸に近い福山の地に引っ越し、1606年城を完成させた。当初は、福山館とよばれていたが、領民には松前城とよばれていたそうだ。  福山館築城から200年後、北方警備の必要から幕府は1807年(文化4)から1821年(文政4)の短い期間、伊達染川(福島県)に領地替えをした。松前藩復領後、北方警備の為に沢山の人が松前藩に召し抱えられたことで、生活のために大量の陶磁器が消費された。こうして古伊万里が、筑前芦屋(福岡県)の「旅行商人」によって運ばれた。松前には筑前芦屋浦の出身者の墓も...名城巡りと北前船寄港地の旅⑦松前城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑥富山城

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑥富山城富山市郷土博物館の坂森幹浩館長(主幹学芸員)のインタビュー紹介します。  続日本100名城の一つ富山城(富山市郷土博物館)は、天守閣を模した3重4階の建物で、富山産業大博覧会の記念建築物として昭和29年富山城址公園内に建設された。(トリップアドバイザー2次使用)この博物館(富山城)では、400年に及ぶ富山城の歴史を常設展示している。  富山、石川は、江戸期は、越中、加賀、能登の3つの国に分かれ富山は越中だった。いずれも前田家の領地でそれぞれの地で違う文化が根付いていたと紹介している。このうち富山城は1615年の一国一城令で一旦廃城になったが、1639年加賀藩から分藩した富山藩ができ富山城が築城された。 富山藩は、多くの家臣を抱え、参勤交代等で財政難に加え、生産性の低い領地に苦し...名城巡りと北前船寄港地の旅⑥富山城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)  ゲスト原口泉氏は、志學館大学教授で鹿児島県立図書館館長。 港に近い鹿児島城(日本100名城)は天守閣がなく、20メートルの立派な御楼門が2020年3月に復元された。2020年2月(工事中)かつてこの御楼門から城下町が広がり、港には役所等がある港湾都市で、この港から豊かな藩に変貌していく。貢献したのが中国からの麝香を必要とした富山の薬売りと、地元の廻船業者。 原口教授は、蝦夷地から昆布を積んだ富山の船が港に着くとまず鹿児島城に挨拶に行き、その立派な御楼門に驚き、その絵図を描いたと紹介している。 薩摩の特産品は奄美琉球の黒砂糖で、大坂等で薬として重宝され高く売られていたが財政難で苦しんでいた。加えて島津家から11代将軍徳川家斉に輿入れした事で、更に財政は深刻になる。...名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)

    名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)  ゲスト原口泉氏は、志學館大学教授で鹿児島県立図書館館長。 港に近い鹿児島城(日本100名城)は天守閣がなく、20メートルの立派な御楼門が2020年3月に復元された。2020年2月(工事中)かつてこの御楼門から城下町が広がり、港には役所等がある港湾都市で、この港から豊かな藩に変貌していく。貢献したのが中国からの麝香を必要とした富山の薬売りと、地元の廻船業者。 原口教授は、蝦夷地から昆布を積んだ富山の船が港に着くとまず鹿児島城に挨拶に行き、その立派な御楼門に驚き、その絵図を描いたと紹介している。 薩摩の特産品は奄美琉球の黒砂糖で、大坂等で薬として重宝され高く売られていたが財政難で苦しんでいた。加えて島津家から11代将軍徳川家斉に輿入れした事で、更に財政は深刻になる。...名城巡りと北前船寄港地の旅⑤鹿児島城(鶴丸城)

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅④日向国

    名城巡りと北前船寄港地の旅④日向国  かっての日向国の延岡市と日南市のお二人の学芸員のインタビューから紹介します。   延岡城(続日本100名城)の延岡市の内藤記念館は、藩主だった内藤家から寄贈されたもの。増田豪さんのこの記念館の 専門学芸員のインタビューから紹介します。   薩摩とともに日向国も北前船で活躍していた足跡が出雲崎海運史、酒田市が2018年に公開した客船帳に記載されている。北前船寄港地『酒田から全国帆船リスト』より  内藤家は、譜代のいわきから赴任してから明治まで123年続き、延岡を繁栄させたことからいわき市とは兄弟都市になっている。 能楽は、江戸期から続く歴史があり、内藤記念館には能面が72展示され、その裏に「天下一」の称号が書かれ、ドイツにも展示に行ったと紹介している。 2019年23年目にな...名城巡りと北前船寄港地の旅④日向国

  • 名城と北前船をめぐりの旅③(安土城と八幡山城) 

    名城と北前船をめぐりの旅③(安土城と八幡山城)  近江八幡市の市史編纂室の烏野茂治氏のインタビュー紹介します。近江八幡市にはかって安土城と八幡山城があり安土城跡は日本100名城の一つ。信長の死後、豊臣秀次が築城したのが八幡山城(1585)。烏野さんは、八幡山城の築城で安土城下の商人や、琵琶湖周辺の村々の商人がこの城下に集まってきたと紹介している。城の掘割が運河の役割をし琵琶湖から京へと舟で繋げていた地利で、現在でも和船で堀巡りができるそうだ。この中で、代表的な近江商人の活躍を紹介している最初の初代岡田彌惣右衛門は、八幡城築城を機に城下にいち早く進出。慶長年間(1596~1615)に呉服太物等の販売の為、八戸に拠点を設けた。1614年には、松前藩の助力を受け八戸から松前に拠点を移し、蝦夷地で呉服・太物等を販売する...名城と北前船をめぐりの旅③(安土城と八幡山城) 

  • 名城と北前船寄港地の旅②山形城

    名城と北前船寄港地の旅②山形城山形市観光協会で山形城のガイド大貫和春さんのインタビューを参考に文献からも紹介します。 (掲載写真はシリーズ第1部)大貫さんは、山形市で講演があったわらび座の「北前船ザブリンコ」の感動も語っている。その後、山形城下の十日町~七日町界隈に進出した近江商人の活躍そして、三万食の日本一の芋煮会フェスティバルの芋煮の食材について、内陸の山形と、日本海に面した酒田との違う例や、言葉の違いも紹介している。 また名城巡りの醍醐味の一つ、地元のガイドの案内にとっておきの話がある事も紹介している。私にもそんな経験が福井市の丸岡城であった。三国港の権益をめぐる福井藩と丸岡藩の争いで、港と城のあまり知られていないエピソードは、とっておきのガイドの話だった。大貫さんの話から、文献を探すと、『新潟・兵庫連携...名城と北前船寄港地の旅②山形城

  • 名城巡りと北前船寄港地の旅 ①赤穂城

     名城巡りと北前船寄港地の旅 ①赤穂城   赤穂市教育委員会の荒木幸治学芸員に赤穂城、赤穂塩、塩廻船の繋がりを語って頂きました。 このブログでは、インタビューに加え荒木さんが執筆した『赤穂城攻略』(2020年3月)(写真)も参考にしています。徳川政権の「一国一城令(1615年)」で廃城が増えた中、経済的な効果を重視し、川・海の近くへの築城で舟運、廻船で栄えた一つに赤穂があった。赤穂藩主池田輝興の不祥事で、1645年茨城の笠間藩から移封になった浅野長直は翌年から、入浜式塩田開発と築城を開始した。 荒木さんは、池田家以来の塩田開発を加速させ、新たな入浜式塩田の成功で築城にも弾みがついたと説明している。 大規模な塩つくりで、流通手段の発達を背景として赤穂城下は栄え、それを支える様々な商売をする人々が赤穂城下に移り住ん...名城巡りと北前船寄港地の旅①赤穂城

  • 『木村秀蔵翁伝記』坂越(現赤穂市)でいち早く創業した話

    第1回<!--google_ad_section_start--><!--rakuten_ad_target_begin-->『木村秀蔵翁伝記』の紹介明治末から昭和初期にかけ、瀬戸内海の小さな村で塩の副産物の苦汁から、世界に誇る炭酸マグネシウムの開発に成功した現アース製薬創業者木村秀蔵翁の伝記で家族とその村の物語である。炭酸マグネシウムの生産には、塩の副産物のニガリの他、大量の水が不可欠で、塩田が多い瀬戸内海地方は大量の水を供給できる地域は少なく、最初に開発した鳴門でも大量生産に至らなかった。ライオン歯磨の初代小林富次郎も研究所を作り良質の炭酸マグネシュウムの開発をしていたが断念する。富次郎は木村秀蔵の熱意から秀蔵に任せる。秀蔵は明治末、大阪から塩の産地赤穂(坂越)に移住し研究を続けた。富次郎が認める製品...『木村秀蔵翁伝記』坂越(現赤穂市)でいち早く創業した話

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