いかなる時も(追記)
前ブログをアップしてお買い物に車を出した途端に、「なんか大事なことを忘れていた」と。過去の「じゃない自分」も「やっちまった自分」もやっぱり自分の一部でそういう自分をもう、丸々許してやろうと、そんなことをこの前決めたばっかりだった。そうしたらとても楽になった。更に言ってしまえば「じゃない自分」も「やっちまった自分」も見方を変えれば「じゃない自分じゃない」かもしれないし、「やっちまってない自分」かもしれない。結局、「どう見るか」に寄るね。「自分が大好きな自分」というのも、返せば「大好きじゃない自分」も存在することになる。じゃあ、大好きじゃない自分はどうなっちゃうの?それは可哀想だ。そんなことを車の中で思い始めて。完璧な自分になど、一生ならないのだ。その「完璧」というのが非の打ち所がないという意味なら。「こうあ...いかなる時も(追記)
2024/05/25 16:22