70年代前半に活躍していた赤い鳥です。「竹田の子守歌」「翼をください」「河」「忘れていた朝」「風は旅人」などが有名です。当時の中学の音楽で「翼をください」を授業中に歌ったような記憶があります。のちに結婚して紙風船とハイファイセットになっちゃいましたけど。
1972年に「名前のない馬」で一躍有名になったアメリカですが、このハートは「金色の髪の少女」「ひなぎくのジェーン」「シンプルライフ」などのシングルカット曲が収録されています。ハードロックやプログレッシブロックなどから比べると複雑さがないシンプルな曲もいいで
最近亡くなった感じだがもう10年前になってしまいました。容姿が特徴的で顔を見たら一発で覚えられる。「かもめ」「ちっちゃな時から」「赤い橋」など個性的なブルースを聞かせてくれた。今の若者の曲は自分の世界もメッセージも魂も感じないな~! 当時はカラーテレビは
もうギブ3兄弟の双子の弟は他界してしまって残念です。初期の曲もいい曲ばかりで自ら作曲しているのがこの頃では当然。「傷心の日々」「マサチューセッツ」「ラン・トゥ・ミー」「ジョーク」「獄中の手紙」など主に60年代のヒット曲を集めたベスト・アルバムです。 オプト
「ルージュの伝言」や「あの日にかえりたい」などのヒットシングルより2年以上前にリリースされたファーストアルバムです。このアルバムでも「きっと言える」「返事はいらない」「そのまま」などいい曲が入っています。女性が飛びついた感が当時していましたが、深く知ると
Tony Sherldanのバックバンドのビート・ブラザーズ。唯一ジョン・レノンがボーカルの曲があります。マニア以外は持っていないと思われます。 昔。会員だったのかな!ほったらかしでした。
アリスは'72年から活動しているが、フォークからニューミュージックへ移行した初期グループですね。チューリップや荒井由実はもう完全にフォーク感が無いので多分この仲間です。この'72-'75はIからIVまでの4枚のアルバムとシングルのベストアルバムですが「青春時代」「二
拳銃自殺という派手な死に方をしたボブ・ウェルチ。初めて「エボニー・アイ」を聴いた時はノリノリのいい曲だったので誰の曲かと思ったら、フリートウッド・マックにいたあのボブ・ウェルチだったのにはびっくりした。当時「噂」で一世風靡した感があったフリートウッド・
はっぴいえんどの細野晴臣、サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏、それに坂本龍一。テクノなるジャンルを日本で巻き起こした。流石にすでにキャリアがある方々ですのでヒットはしましたが、飽きるのも早かった印象です。「TECHNOPOLIS」「RYDEEN」「SOLID STATE SURV
「宇宙の彼方へ」が大ヒット。BOSTONのファーストアルバム。
トム・ショルツ率いるBOSTONですが、この人すごすぎ。29才の遅咲きデビューでやっと1976年に発売されたファーストアルバムです。身長も196㎝とめちゃくちゃ高いし、マサチューセッツ工科大を出ているし、ポラロイドの普通のサラリーマンから見事に転身していて独学のギター
かぐや姫からKAZEへ、そして伊勢正三ソロの「伊勢正三・作品集」
正やんの曲のみのベストアルバムです。「22才の別れ」「なごり雪」「置手紙」「湘南夏」「ささやかなこの人生」「海岸通」「海風」「ほおづえをつく女」などヒット曲盛沢山のアルバムです。正やん派にピッタリ。 中学時代に秋葉原で買ったプリメインアンプ。型番はST-1000
The Brothers Four(ブラザース・フォー)は古過ぎか!
スタンダードナンバーを揃えたブラザーズ・フォーのアルバムです。「グリーンフィールズ」「500マイル」「朝日のあたる家」「ニューオルリンズの戦い」「漕げよマイケル」などが収録されています。スタンダードフォークばかりです。 音楽鑑賞には音響機器のガイドブックが
このアルバムはVictorから1969年発売のアルバムです。「遠い世界に」はもちろん収録されています。西岡たかしはこのあとも数々の曲を残しています。在籍していた中川イサトや金森幸介なども有名フォークアーティストです。1971年、甲府駅で撮影。身延線の急行「富士川」
カレンさんが亡くなったのは残念でした。カーペンターズはヒット曲が多いです。
このゴールデン・ダブル・デラックスは1972年の2枚組ベストアルバムです。このアルバム以降も随分ヒット曲がありますので、初期のベストという感じのアルバムです。「遥かなる影」「涙の乗車券」「動物と子供たちへの祈り」「雨の日と月曜日は」「愛のプレリュード」などが
「少女」や「煙草のけむり」などのヒット曲で有名になった五輪まゆみのベストアルバムです。いつのまにか妖怪人間ベラになってしまった。随分上手い事言ったと初めて耳をした時は実に同感だ。容姿は関係ない。あまりいない70’s前半の女性有名アーティストの一人です。 19
残念ながら60代で亡くなってしまって残念です。初めて見かけた時は英国人でも随分人種が違うと感じがして、宇宙人かと感じていました。このゴールデン・イヤーズは来日記念アルバムでRCAのベストアルバムです。 MDデッキが世に出てきてもずっとカセット派を貫きました。最
なんでこんな暗い曲ばかりと感心した記憶がある。売れるかどうかじゃなくて、自分の言いたい詩を曲にちりばめた感の人という印象だ。中古で買ってみたが男側からすると今一かな!でも「わかって下さい」は耳に残っている曲です。昔はやたらFM放送でエアチェックをしていた
「レイラ」を初めて聴いた時にはノリノリの曲で全然気付かなかったが、7分を超える曲だったのをのちに気付いた時にはビックリだった記憶がある。いい曲だと長さを全然忘れるのを思い知らされた曲だった。当然このクラプトンのベストアルバムにはDEREK AND DOMINOSの「レイ
井上陽水のデビュー以前のアンドレ・カンドレ時代の曲を集めたLP
みなさんデビューするまでは大変な苦労をなさっています。のちのヒット曲になる前の土台になった曲が入っていて、マニアしか聴かないLPだと思います。もしかして希少価値がありかもしれません。「神無月にかこまれて」「二色の独楽」「傘がない」はタイトルも同じですが、
「噂」で一世風靡したフリートウッドマックだが、もっと前のFuture Gameが好き。
バッキンガム・ニックスが加入して「噂」のアルバムがヒットしたが、この二人が加入してバンドイメージが随分変わった。しかしその前のバンドのイメージを変えたのが、のちに「エボニーアイ」をヒットさせたボブ・ウェルチだ。この「Future Game]のアルバムのタイトル曲「Fut
シュリークスは知りませんでした。はじめこの姿を見たときは、可愛い少年と思っていた。(本当です。)あとで女性と知ったが、童謡っぽい曲ばかりで他人の曲を歌った方がいい。「なごり雪」は正解だった。1972年、東京駅で撮影。長崎・佐世保から到着した寝台特急「さくら
「カントリー・ロード」で有名なジョン・デンバーはアメリカフォークの中心だった。
もう亡くなってから随分時が経ちますが、さわやかなフォークソングを提供してくれました。日本のタイトルは「故郷に帰りたい」ですが、オリビア・ニュートン・ジョンもカバーした「カントリー・ロード」は確かにヒットしました。ロック派でもベストアルバムだけはあるわけ
今は亡き天野くんのN.S.Pのファーストアルバムです。一ノ関高専という珍しい学歴の3人組。「あせ」以外は暗く寂しい曲ばかりで個人的には当時今一な印象でした。同級生はナンキン・ソラマメ・ピーナッツと言っていました。本当はニュー・サディスティック・ピンクなんだけ
「ブラック・マジック・ウーマン」や特に日本でヒットした「哀愁のヨーロッパ」で有名なサンタナです。ラテン系でも日本人にも全然OKです。「哀愁のヨーロッパ」のギターの出だしのみ弾いて雰囲気のみ味わいましたが、残念ながら出だし以外は全然弾けません。 引退前のE
武蔵野タンポポ団の一員、シバが1972年に発表したアルバムが「青い空の日」。代表曲は「淋しい気持で」です。このころのフォークのアルバムは実にシンプルそのもの、岩井宏や休みの国のアルバムもそうだが、フォークの時代を映している。その後漫画家になって正解。1972年撮
「雨に泣いてる」の柳ジョージ&レイニーウッド。大人のロックだね。
70年代後半ではあるが、すでに亡くなってかなり時がたちます。柳ジョージ&レイニーウッドのベストアルバムがありました。「雨に泣いてる」以外にも「酔って候」「同じ時代に」「微笑の法則」「遺言」など大人の雰囲気の曲がめいっぱいあります。日本のロックも捨てたもの
「ハートに火をつけて」のジム・モリソン率いるドアーズは外せない。
あの世に行くには早すぎたジム・モリソン。「ハートに火をつけて」「まぼろしの世界」「タッチ・ミー」「ジ・エンド」「L.A.ウーマン」などいい曲が多くてベストアルバムだと選曲に困ったのが予想できる。キーボード・ギター・ドラムスの3人の楽器でモリソンはボーカルなの
日本一マイナーなミュージシャン。三上寛。このアルバムは味がある。
三上寛はフォークミュージシャンの中でもマイナーかもしれない。しかし「寛」サブタイトル「言葉・ナンセンス・人間」はアルバムとしてまとまっていて、ヒットシングルになるような曲はないのに、実に味のあるアルバムになっている。他のフォークシンガーにない個性は十分
THE VENTURES(ベンチャーズ)はエレキギターの代名詞
日本デビュー曲の「ウォーク・ドント・ラン」やサーフィンサウンドで定番の「ダイアモンド・ヘッド」や「パイプライン」などが収められているベストアルバムです。このレコードは60年代の日本人好みの曲を選曲してあります。赤いレコード盤なのが希少です。1969発行の第16
「母に捧げるバラード」は武田鉄矢率いる海援隊の2枚目の望郷篇に入っている。
楽器の弾けないフォークシンガーの武田鉄矢は個人的には好きでも何でもない。しかしこの「母に捧げるバラード」で一躍有名になったのは事実。その後も「贈る言葉」などヒット曲はありました。1973年発売のレアアルバムです。1973年撮影の寝台特急「はくつる」珍しい583系の
「ブログリーダー」を活用して、RANDOさんをフォローしませんか?