元治元年皐月一 起きて、掃除していたら、組長が迎えに来た 山南総長も稽古に参加し、打ち込み稽古を順番でする 森の腕の傷も少し良くなり、起きて歩けるようになったが 稽古にも隊務にも、まだ復帰できない 朝食、味噌汁、お浸し、漬物、ご飯 本日の隊務割 午前は南巡察、午後は西巡察、夜は東巡察 土方副長の隊務割の発表の後、 珍しく、近藤局長の訓示があった 少し、怒ったような様子で、 将軍様が攘夷をしないで、江戸に戻るようなら、新選組の解散も辞さない 我々は京都の治安を守ることにより、攘夷を行っているのであり 烏合の衆ではない、諸君も尊王攘夷の志士であることに、 誇りを持ってもらいたい、以上
元治元年卯月二十九 昨夜は、飲みすぎたようだ、西岡に起こされる 布団をかたずけ、掃除して、稽古に向かう 井上組長がおはようと入ってくる 今日は、僕が死番なので、打ち込み稽古をたくさんする 朝食、漬物、梅干し、大根の味噌汁、ご飯 本日の隊務割 午前が当直、午後が東巡察、夜は西巡察 昨日捕縛した浪士たちは、十津川藩脱藩浪士で、 御前通りの梅林寺で長州藩の浪士と合流する予定だったとのこと 一番隊と二番隊と三番隊が梅林寺付近の旅籠を 片っ端から御用改めをするとのこと 稽古はせず、準備をして、待機 昼四つ頃、浪士四人を捕縛して、屯所に戻ってきた 昨日、話をした濱口が腕に怪我をしている 二番隊
企業の管理者に求められる資質とは、なんでしょうか? ひとつしかないのですよ、これが。 人を育てられる人を育てる。 自分と同じことが出来る様に育てるのではなく、自分とは違う方法論でも構わないので、人を育てられる人にすることが出来ないと、人は企業から離れていくし、次の人がその次の人を育てられないので、企業は続きません。 日本でも、長く続く会社は、人を育てています。 企業文化と言う人もいますが、文化は人が人に伝えて、なりたつものです。お箸を持って食べる文化は、人が人に伝えて、教えて、覚えて、続くものです。 多くの企業は、人を育てるノウハウを巧く使えていません。 海外の企業で、
板橋交流ノート
元治元年卯月二十八 少し早く目が覚めたので、布団をかたずけ、簡単に掃除をして、稽古に行く 一番隊の隊士の濱口鬼一が、廊下に座ってぼーとしているので声を掛ける おはよう あっ、おはよう どうした? うん、一番隊に配属されて、浪士の捕縛も多くて、手当も多いけど、 皆と違って、切紙なんだよね 僕は何もないよ でも、一番隊のみんなは目録以上で、怪我もないし、 一番隊にいると何時かは、大怪我とか、死んだりするんじゃないかと それなら、沖田組長に相談したらどうだい 組長には、言ったンだ、土方副長に相談するって、返事は来ていないんだ 待っても、返事が来ないようなら、山南総長に相談したらどうだ も
元治元年卯月二十七 森は怪我をしているので、起こさずに、稽古 朝食、漬物、味噌汁、ご飯 おかずが寂しい、 七番隊が昨日のうちにおかずを買っていないのだろう 本日の隊務割 午前が当直、午後が東巡察、夜が西巡察 昨日、捕縛した薩摩藩脱藩浪士の情報から 高瀬川沿いの旅籠、高田屋に残りの浪士が八人ほど宿泊していて 今日、江戸へ行くらしい 一番隊、二番隊、十番隊とで、浪士が出立する前に、捕縛に向かう いつでも出れる準備をして待機 昼四つ前には、浪士四人が捕縛されて、戻ってきた 沖田組長が土方副長に 着いた時には、四人は出立した後だったようで、 旅籠の前で、斬りあいにもならずに捕縛でき、 付近
元治元年卯月二十六 昨夜は、近藤局長と沖田組長、永倉組長、井上組長、 一番隊、二番隊、六番隊の隊士全員で角谷で宴会 近藤局長も酔っぱらっているようで、 永倉組長に、京都の治安の悪さを松平様に訴えているのだが なかなか、幕府まで伝わらず、 新選組も怪我人が多数出ているのに、隊士を増やせない 大きな問題は幕府が実情を理解していない点だ 沖田組長は、酔っぱらって、厠に行き、廊下で寝ている 森も酔いつぶれ、一番隊に行った荒木が介抱している 二番隊へ行った石井が、六番隊より東西の巡察が多く, 走ることが多く、足が鍛えられた 阿部は屯所で留守番、皆、たくさん飲んで酔っ払って戻って寝たので 井上
元治元年卯月二十五 二日続けての死番はいやだなぁと思いながら、起き、掃除して稽古 朝食、お豆腐、茄子の煮浸し、胡瓜味噌、大根の味噌汁、ご飯 本日の隊務割は賄 井上組長が、何か美味いものが食べたいと言い 皆で考える そう言えば、振り売りで蛤を見た 焼き蛤とか、蒸し蛤はどうでしょう そうだな、それが美味しそうだ 加茂茄子の田楽とか、まだ唐辛子も見かけたから添えれば良いのでは あと、新茶が出始めているので、茶粥とか 芋が土間の隅に転がっていたな、茶粥に芋を足すのは よし、それでいこう 手分けして、お茶とか、隊士分の蛤を買いに行こう 井上組長と蛤を買いに行く組になった あちらこちを探したが
#はじめて買ったCD 昔、天体望遠鏡を担いで、天体写真を撮っていた 寝ないように、ラジオをかけて、 土曜日は鶴光のオールナイトニッポン 月曜日は落合恵子のセイ!ヤング 火曜日も谷村新司のセイ!ヤング 水曜日はキンキンのパックインミュージック 木曜日も那智チャコのパックインミュージック 金曜日はオールナイトニッポン そう、オールナイトニッポン第二部こそ 三時からの音楽番組 聞こえてきたのは、河島英五 山の奥の 道のはずれの 小さな石の仏 何百年も昔から 時の流れを じっと見ていた 涙が止まらなかった、ただひたすらに涙が止まらなかった 天空だけでな
#また乾杯しよう 昔々、もう何十年も昔、 一時期、良く行った飲み屋がありました その、飲み屋も今は無く、時が無情に過ぎたのに 古いアルバムの一枚の写真には あの時が写っていました 楽しかった 時間を忘れて飲んでいた たくさん食べたり、たくさん話しもした 何であんなに楽しかったのだろう よく笑って、また飲んで、乾杯も 終電を逃すまで飲んだこともあったね 友達のアパートに転がり込んで、雑魚寝もしたね みんな、元気かな 元気だと良いな いつか、乾杯が出来る日が来ると良いな 小さく、写真にむかつて乾杯 うん、また、いつか、乾杯しよう
#また乾杯しよう たまに、会えば、スケートへ行ったり 喫茶店で話したり 友人のアパートに転がり込んで、乾杯もしたね 池袋の居酒屋で、友達と飲んで楽しかった あの時、酔った勢いで、好きだと言って 頭を下げて、腕を出したけど、 掴んでくれることは無かったね そのあとも、君は同じように付き合ってくれて 僕はうれしかったよ 君からのはがきで、君の名字が変わったことを知った 夢のような時はもう来ない あれから、三十年、たまたま、検索で開いたブログで 君が五年もたたかっていたことを知った 机の角に小さな花瓶を置いて、花を挿してみた あぁ、本当に夢のような時だっ
板橋交流ノート
元治元年卯月二十四 相変わらず、森は起きないので、起こす 阿部と加藤は先に稽古に行った 井上組長が来た、今日は顔色も良いし、声も通る 稽古、今日は、加藤が死番、 加藤はまだ、死番で浪士と対面したことが無い ちゃんと、考えて稽古するように、組長が声を掛ける 朝食、漬物、梅干し、たくあん、味噌汁、ご飯 昨日のうちに、四番隊が買い物に行かなかったようだ 本日の隊務割 午前中は当直、午後は西巡察、夜は東巡察 いつでも、出れる準備をして、稽古 監査方より、南巡察に行った十番隊が、 六条の船宿で浪士と斬りあいになっている 昨日、行ったところだと 総長が井上組長に声をかけ、みんな行くぞと走って出
元治元年卯月二十三 起きて掃除をしていたら、井上組長がきた まだ、顔色は悪く、声もかすれているが、 稽古をしたら治ると井上組長らしい 皆で稽古 朝食、豆の甘露煮、きのこの酢和え、澄し汁、かす漬け、ご飯 組長は澄し汁にご飯を入れて食べている 本当に、稽古をしたら治ったのかな 本日の隊務割 午前は南巡察、午後は西巡察、夜は当直 南巡察に出ようとしたら、山南総長が声を掛けてきた 源さんは病み上がりだから、休んでいろ、わしが代わりに行くから 十番隊の原田組長も、 源さん今日はやめとけ、明日からで、良いじゃないか 無理やり、休むように言い、出かける 総長が、ちょっと寄ってみたい船宿があるんだ
元治元年卯月二十二 組長の、起きたか、の声が無いと寂しい 布団をかたずけ、掃除して、山南総長と稽古 今日は森が死番なので、真剣に稽古をしている 朝食、白和え、煮浸し、ご飯、味噌汁、漬物 本日の隊務割 午前は南巡察、午後は東巡察、夜は非番 七番隊と山南総長と南巡察に出る 島原のあたりで、足抜けする女郎を取り押さえる騒ぎがあった 総長が振り売りから瓜を買っている また、組長へ食べさせるのだろう 屯所に戻ったら、当直の沖田組長が 近所の子供たちとかごめかごめをして遊んでいる 昼食、メバルの煮つけ、あぶりイカ、昆布煮、味噌汁、ご飯 午後は八番隊と東巡察、 山南総長と藤堂組長は同じ流派だった
元治元年卯月二十一 目が覚めて、掃除して、稽古に行く 井上組長は相変わらず、苦しそうだ 山南総長と土方副長と稽古、 今日は僕が死番なので、稽古を一生懸命おこない、 怪我の無いようにしたい 朝食、アサリの佃煮、味噌汁、たたみイワシ、漬物、ご飯 本日の隊務割 午前が南巡察、午後が東巡察、夜が当直 今日も、組長が腹痛で休み、山南総長と巡察 札ノ辻通りで浪士を見かけ 伏見稲荷まで追いかけたが、逃げられてしまった 帰りに、番小屋で揚げ餅を山南総長が買う きっと、井上組長のお土産なのだろう 昼食、鰯のみりん干し、昆布巻き、味噌汁、漬物、お茶漬け 山南総長に、組長はどうですかと聞くと、 まだ、ご
中国で八年近く仕事をしていたので 多種多様の中華料理を作ったり、食べたりしました 中でも、一番のお気に入りはこれ、日本で蘭州牛肉麺を作るのは 大変なので、カップ麺で代用、これはこれで美味しいです 手延べ麺を一杯分だけ作るのは難しい 大きな青唐辛子と塩だけ、それだけに塩にはこだわりたい 四川の岩塩が昔は入手できたのが、ここ数年、無いので ヨーロッパの岩塩を砕いて使用します あとは適当な大きさに切って炒める ビールに合うんだな、これが 南の方では海鮮、ホタテだとかいろいろな貝で春雨の蒸し物を作ります これらも、美味しいです
元治元年卯月二十 井上組長が起こしに来ない 心配になって、尋ねたら腹が痛いと、のたうち回っている 田螺に当たったかな 山南総長に連絡したら、 分かった、歳さんには俺の方から言っておくので、 稽古をするようにと言われた 山南総長と、土方副長と稽古 朝食、お浸し、味噌汁、漬物、梅干し、ご飯 本日の隊務割 午前は非番、午後は東巡察、夜は西巡察 非番なので、医者を呼びましょうかと井上組長に聞いたら 俺が行くからいいよと油汗を流しながら言うので、 仕方なく、組長を木屋町の南部先生の所へ連れていく やはり、田螺に当たったようだ この時期、田螺は卵を持っているので、当たりやすいとのこと 組長を抱
元治元年卯月十九 やられた、夜襲で起こされた 一番隊と三番隊が夜巡察だったので、安心していたら 二番隊が夜襲を掛けてきた 阿部と森が蹴飛ばされ、僕は踏まれて起きた 刀をつかんで立ち上がり、周りを見回すと、 加藤が刀を探している 廊下の方に転がっていたので、拾って渡す 部屋の中心の方で寝ていた五番隊が蹴飛ばされている 永倉組長が楽しそうに、 起きろ、起きろ、と寝ている隊士を蹴飛ばしている 気配で起きた、奥の方の七番隊は刀をつかんで立っている 土方副長の号令で、夜襲は終了 朝稽古までニ刻あるので、もう一度寝る 井上組長に起こされ、稽古 眠いが、稽古していたら目が覚めた 朝食、シジミ汁、
板橋の駅前に、新選組のお墓があります その傍に、小さな棚があり、 新選組ファンの人達が自由に、ノートを置いて交流しています ここを通学路にしている、高校生や中学生、社会人も置いています 私も、一時期、ノートを置いていた時期があり、 非常に楽しい思いをしました 今は、インターネットがあり、遠くからも、同好の士が簡単に集まれますが 当時は、その場所に行かないといけなくて、なかなか、幕末の話をできる場がありませんでした 坂本龍馬が京都に居たのは元治元年四月十二日には兵庫におり、六月一日まで兵庫、京都にいたので、この間なら、新選組とすれ違う可能性はあり、北辰一刀流千葉道場なら
元治元年卯月十八 起きて、掃除をしていたら、井上組長が来た 八番隊の隊士が腹下しで人が足りない うちから、三人ほど手伝いに行ってほしい 森と阿部と中村小次郎が手伝いに行くことになった 組長が森に、今日は森は死番だから、巡察には来るんだぞ 森は、一日、賄かと思ったらしく、残念そう 残りは稽古 朝食、たくあん、梅干し、味噌汁、ご飯 本日の隊務割、 午前は当直、午後は西巡察、夜は当直 当直と言うことで、いつでも出られる準備をして、稽古 特に何もなく 昼食、アサリの佃煮、たたみイワシ、昆布煮、味噌汁、ご飯 午後は、四番隊と西巡察 今回は、金閣寺の方に浪士が集まっている旅籠があると言事で 直
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