日本との関係→「日本とポルトガルの関係」を参照1543年にポルトガル船が種子島に漂着、ヨーロッパで初めて日本と接触した国となった。漂着した当初から日本人を対象にした奴隷貿易が開始され、大規模に発展していった(後述)[6]。1603年には、『日葡辞書』がイエズス会によって長崎で発行された[7]。4年以上の歳月をかけて編纂され、中世の日本語とポルトガル語を研究するうえでの貴重な資料となっている。ポルトガル出身のイエズス会士ジョアン・ロドリゲスは1577年に来日し、その後1620年にマカオで語学書「日本語小文典」を発行している[8]。岩倉使節団の記録である『米欧回覧実記』(1878年(明治11年)発行)には、その当時のポルトガルの地理・歴史について記述した個所がある[9]。ポルトガルの日本人奴隷貿易→詳細は「ポ...龍谷大教授池本幸三日本人奴隷は黒人奴隷との境遇と同じであったしているが、黒人奴隷の生活は、多くの点で白人の下層階級の生活と似ていた