神功皇后の裏切り
第10代崇神天皇が実在する初めての天皇で、倭の五王「武」=第21代雄略天皇が現れるまでは、ヤマト政権はずっと連合国家であり、天皇は連合の盟主だったと考えています。「宋書倭国伝」には讃と珍は兄弟、興と武も父親を済とする兄弟であると書かれています。ところが、珍と済がいかなる関係にあったのかについては書かれておりません。二つの系譜は血縁関係になかった可能性があります。このことから倭の五王の頃までの天皇というのは、万世一系ではなく、連合しているクニグニの首長の持ち回り制だった可能性さえあるのではないかと、最近、私は疑っています。そんな中、第12代景行天皇からヤマトタケルを経て第14代仲哀天皇までは、血族で皇統を引き継ぎ、専制君主を目指して東奔西走していたのではないでしょうか。代が替わるごとに宮を遷す歴代遷宮が当たり前の...神功皇后の裏切り
2020/10/31 10:10