もう何十年経っているかな平日の朝は、母が用意してくれた朝食を食べ、急いて、会社に向かう遅れそうだと父が駅まで車で送ってくれる。自分は自分の仕事のことしか考えていない、休日は遅く起き、既に片付けを済ませお茶を飲んでいる両親に加わ
私の家は約三分の一が計画道路に掛かっている店舗兼の家は解体して、小さな家を建てなければならない父と母が愛した我が家、天国にいる父と母が納得できるように私は改築が完成するまでなんとか、満身創痍の身体だがなんとかやり遂げなければな
去年の今頃はデイの日もデイが無い日も母が熱中症にならならないように心配で堪らなかったお母さん、大好きなお父さんに会っている?お母さん、お母さん、俺も足が痺れてまともに歩けないよお母さん、お盆はどうすれば良いの?考えたくない‥‥
「お母さん」1日に何回、叫ぶだろう、仕事中も休みの日も突然、介護が終わってしまい半年経って、悲しみを抑えることが出来なくなっている。お母さん、お母さん、寂しいよー‥‥‥にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909
介護が突然終わってしまい自分自身の身体の老朽化を改めて感じている。持病の心房細動に加えて、すべり症からくる脊柱菅狭窄症走ることなどとても、早く歩くことさえ大義になっている。いつも両足の爪先が痺れている。もう中高年ではなく老年になって
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もう何十年経っているかな平日の朝は、母が用意してくれた朝食を食べ、急いて、会社に向かう遅れそうだと父が駅まで車で送ってくれる。自分は自分の仕事のことしか考えていない、休日は遅く起き、既に片付けを済ませお茶を飲んでいる両親に加わ
2012年11月から現在まで、ずっと心は緊張した状態で生きてきた、もう、これ以上悲しい思いをしたくないお父さん、お母さん‥‥‥もう自分も充分生きた家を改築できたらお父さん、お母さんがとても可愛いがっていた甥に譲って自分は、お
私の家は約三分の一が計画道路に掛かっている店舗兼の家は解体して、小さな家を建てなければならない父と母が愛した我が家、天国にいる父と母が納得できるように私は改築が完成するまでなんとか、満身創痍の身体だがなんとかやり遂げなければな
去年の今頃はデイの日もデイが無い日も母が熱中症にならならないように心配で堪らなかったお母さん、大好きなお父さんに会っている?お母さん、お母さん、俺も足が痺れてまともに歩けないよお母さん、お盆はどうすれば良いの?考えたくない‥‥
「お母さん」1日に何回、叫ぶだろう、仕事中も休みの日も突然、介護が終わってしまい半年経って、悲しみを抑えることが出来なくなっている。お母さん、お母さん、寂しいよー‥‥‥にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909
介護が突然終わってしまい自分自身の身体の老朽化を改めて感じている。持病の心房細動に加えて、すべり症からくる脊柱菅狭窄症走ることなどとても、早く歩くことさえ大義になっている。いつも両足の爪先が痺れている。もう中高年ではなく老年になって
何気なく、母の安否確認訪問介護のノートを見たら最後の訪問(去年の11月21日)母が介護職員に喋った言葉が記録されていた「今年もあと40日ですね」その2日後にトイレで転倒してその3週間と少しで亡くなってしまった。わずか40日を越せ
父も母も元気だった頃休日の度に3人で旅行(国内の近場ばかりだが)の話で和んでいたそんなことも自分には、もう縁の無いことになってしまった。お父さん、お母さん寂しいよ‥‥‥にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11
今日は母の誕生日だった。しかも母の日らしい、私は今、すべり症からくる脊柱菅狭窄症になってしまった。母が長年(約20年)悩まされた症状だ自分がなってみて母の辛さが初めて分かったお母さん、この辛さの中頑張ってくれてたんだね、お母さ
世間は連休どこに行っても楽しそうな家族連ればかり一人身の私にはとても堪えるもうすぐ、私は仕事が無くなるこのような日々が続くどのように過ごせば良いのだろう‥早くパートを見つけなければ‥にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/i
もう5ヶ月経っているいまだに、受け入れられない、だから泣けない、昨日、初めてグリーフケアにいったでも、思っていることのほとんどを話せなかった、寂しい、悲しい、後悔色々な言葉があるが、母に対する未練、この気持ちは、言葉で表せない‥何
今朝、最後に見た夢私は母と何か会話をしている。そして、父がお店を掃除している、母がお茶の時間だよと父を呼んでいた、これは15年位前の当たり前の風景だった。ハッと気がついてしまったそうか、夢だったのかと急に切なくなった。もう
去年の今頃は毎日、デイサービス、訪問介護を利用しても仕事中でも仕事以外の外出でも母の安否が不安で不安で仕方がなかった。突然、介護が終わってしまった物凄い孤独感、後悔いまだに、テレビをみれない多分、自分が死ぬまでこれは続くのだろう
もう3月も終わる母がいなくなり4ヶ月経ってしまう父がいなくなり11年半、自分は一体何者なのだろうか‥ただただ両親の最後のころ、優しくできなかった後悔ばかりが、よぎってしまい苦しくて溜まらない…懸命に集中できることを模索しているがも
解っている、 もうこの世では会うことが出来ないこと私のことを損得勘定なしで愛してくれたことお母さん‥お父さん‥会いたいよーとにかく頑張るから‥見守ってねそして、絶対に絶対に再会してね!!にほんブログ村mura.com/shibetsu/rankin
もうすぐ彼岸まさか、去年の秋の彼岸のとき半年後にこのような事態になっているとは考えてもいなかった‥どのようなことをしても後悔はあるものと割り切って残された人生を生き抜くしかないのだろう。人は全員、いつかはこの世から去るのだから‥でも、
今日は仕事は休日、目覚めに、強烈な孤独感に襲われるそして、休日にやるべきことを考えるあっという間に、午後になる他人と喋ることがない目標を探さなければこのままではボケてしまう‥お母さん、お父さんいないと何もやる気が起きないよ‥
今、母のこと、父のことを考えないように仕事、生活をしている無理をしているのは自分でも感じているでも考えると、自分がフリーズしてしまうから‥夜はテレビもみず10時前には寝てしまうようにしている。でも、目覚めのとき、仕事が終わり帰るとき、家
何をしても、何を見ても、思い出してしまい、悲しくて仕方がないお母さん、最後の頃いつも、イライラした態度、言葉をかけてしまって本当にごめんね、自分はもう少し自分なりに生まれ変わって頑張って残りの人生を真っ当して、それからお父さん、
今日は温かい来週はまた寒いそうだがあの突然の悪夢の出来事が11月23日だからもう3ヶ月経っている‥母は12月16日に父のところへ逝ってしまった今日は月命日だ‥これから、春が来るのに‥皆が活動し始めるのに‥私は1人取り残される‥もうこの世
母は、脊柱管狭窄症もひどくなりシルバーカーでも殆ど歩けないここ1年くらいの間に認知機能が落ちてきているのもわかるお母さん、お父さんがいなくなっちゃって隨分経っちゃったね…この間(3月)、あんなに親しくしていた一緒にデイサービ
足が重いまるで、両足のふくらはぎから下が鉛のようだ…昨日、持病の心房細動の診察で医師に症状を話したが2年前から、経理部から検品部に強制異動となり私の年齢で急に立ち仕事になった為足に負担がかかっているのが原因のようだ、お母さん、
父は2012年の12月に倒れ2013年の11月に旅立ってしまったあの1年間は何だったのだろう毎日、何度も父の病室へ駆け込み、手足をベッドに拘束されているすぐに父の拘束を外し、父の手を握って私は涙を流していた。看護師には迷惑がられ嫌味を云われな
もう6月になっている多分、心身ともに限界を超えているのだろう死別の悲しみ、仕事と介護の両立の苦しみ楽しみなど何も無い計画を立てられず同じルーチンワークで生きてしまう苦しい…にほんブログ村
先日、3月26日母の兄嫁は旅立ってしまった。もう母に損得なしで気兼ねなく寄り添ってくれる母の年代の人は皆無になってしまった。もう、どうしたら良いのかわからない…こんな現世、未練はない…あの世というものが本当にあるのなら随分賑やかになっ
今、自分はどうしたら良いのかわからないやるべきことは山ほどあるのに…不安で不安で溜まらないのに体が動かない心が平常でいられない父を失ってから続いてきた負のループも終わりがきたのかもしれない明日からどうしよう…にほんブログ村
前向きなことが書けない…自分なりに一杯一杯になりながらも生きているが次から次から訪れる苦しみ、悲しみ、難題本当に人生の終わりが迫っている。早く楽になりたい…にほんブログ村
1番は大切な母が唯一、気兼ねなく話ができる同年代の母の兄嫁一緒にデイサービスに通いオフの日の午後にはお茶を飲みに来てくれるそれで、一杯一杯ながらも何とか生きてきたそれさえも奪われる。もう何もできない…生きていけない…にほ
母は週に3日大変仲の良い亡くなった兄の嫁と一緒にデイサービスに通っている土日を除く2日は短時間の訪問介護サービスと母の兄嫁の娘さんが母の兄嫁を連れて遊びに来てくれていることで私は何とか、心の不安を鎮めて仕事をしていた。その母の兄嫁が
明方、ひさしぶりに父と会話をしている夢を見た今日は天気が良いやはり、日差しがあると気持ちが良い、だが数分すると暗く重い現実が押し寄せてくる。人生の締めくくりに向けてやらなければならないことが何も出来ていない虚しく、苦しい…
かつては…皆と同じように遅くまで残業もできた、夜飲み会にも参加できた、沢山の趣味仲間もいた…この十年少しの間に全てを失ってしまった。そして自分自身も動くのが大変になってしまった。どう人生を締めくくれば良いのかもがいている。
相変わらず足が重い、本当は精密検査を受ける必要があるのだろうでも、もう気力かない仕事、介護、家事で一杯一杯だもう充分生きた、早く母と一緒に父に会いにいきたいにほんブログ村
昨年の寒くなり始めた頃から感じている私自身の体調がよくない、最初はストレスのせいかと思ったが(そうならよいのだが)兎に角、歩く速度が急に遅くなっている歳が歳だから仕方ないが足がとても重い速く歩こうとすると、頭がクラクラしてしまう
1日が早い休日でも、起きて、二三の用事を済ますとあっと言う間に正午になり、もう早い日没を気にしなければならない、動けるうちにやらなければならないことは山ほどある、何から手を付けて良いかわからないこうしている間も時間は容赦なく過ぎ