今日は母の誕生日だった。しかも母の日らしい、私は今、すべり症からくる脊柱菅狭窄症になってしまった。母が長年(約20年)悩まされた症状だ自分がなってみて母の辛さが初めて分かったお母さん、この辛さの中頑張ってくれてたんだね、お母さ
今日は母の誕生日だった。しかも母の日らしい、私は今、すべり症からくる脊柱菅狭窄症になってしまった。母が長年(約20年)悩まされた症状だ自分がなってみて母の辛さが初めて分かったお母さん、この辛さの中頑張ってくれてたんだね、お母さ
世間は連休どこに行っても楽しそうな家族連ればかり一人身の私にはとても堪えるもうすぐ、私は仕事が無くなるこのような日々が続くどのように過ごせば良いのだろう‥早くパートを見つけなければ‥にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/i
もう5ヶ月経っているいまだに、受け入れられない、だから泣けない、昨日、初めてグリーフケアにいったでも、思っていることのほとんどを話せなかった、寂しい、悲しい、後悔色々な言葉があるが、母に対する未練、この気持ちは、言葉で表せない‥何
今朝、最後に見た夢私は母と何か会話をしている。そして、父がお店を掃除している、母がお茶の時間だよと父を呼んでいた、これは15年位前の当たり前の風景だった。ハッと気がついてしまったそうか、夢だったのかと急に切なくなった。もう
去年の今頃は毎日、デイサービス、訪問介護を利用しても仕事中でも仕事以外の外出でも母の安否が不安で不安で仕方がなかった。突然、介護が終わってしまった物凄い孤独感、後悔いまだに、テレビをみれない多分、自分が死ぬまでこれは続くのだろう
もう3月も終わる母がいなくなり4ヶ月経ってしまう父がいなくなり11年半、自分は一体何者なのだろうか‥ただただ両親の最後のころ、優しくできなかった後悔ばかりが、よぎってしまい苦しくて溜まらない…懸命に集中できることを模索しているがも
解っている、 もうこの世では会うことが出来ないこと私のことを損得勘定なしで愛してくれたことお母さん‥お父さん‥会いたいよーとにかく頑張るから‥見守ってねそして、絶対に絶対に再会してね!!にほんブログ村mura.com/shibetsu/rankin
もうすぐ彼岸まさか、去年の秋の彼岸のとき半年後にこのような事態になっているとは考えてもいなかった‥どのようなことをしても後悔はあるものと割り切って残された人生を生き抜くしかないのだろう。人は全員、いつかはこの世から去るのだから‥でも、
今日は仕事は休日、目覚めに、強烈な孤独感に襲われるそして、休日にやるべきことを考えるあっという間に、午後になる他人と喋ることがない目標を探さなければこのままではボケてしまう‥お母さん、お父さんいないと何もやる気が起きないよ‥
今、母のこと、父のことを考えないように仕事、生活をしている無理をしているのは自分でも感じているでも考えると、自分がフリーズしてしまうから‥夜はテレビもみず10時前には寝てしまうようにしている。でも、目覚めのとき、仕事が終わり帰るとき、家
何をしても、何を見ても、思い出してしまい、悲しくて仕方がないお母さん、最後の頃いつも、イライラした態度、言葉をかけてしまって本当にごめんね、自分はもう少し自分なりに生まれ変わって頑張って残りの人生を真っ当して、それからお父さん、
今日は温かい来週はまた寒いそうだがあの突然の悪夢の出来事が11月23日だからもう3ヶ月経っている‥母は12月16日に父のところへ逝ってしまった今日は月命日だ‥これから、春が来るのに‥皆が活動し始めるのに‥私は1人取り残される‥もうこの世
2月2日、母の四十九日法要が終わった。妹はハンカチで目を拭いながら、お教を聴いていた。私は相変わらず、涙も出ず呆然としていた。多分涙というのは、気持ちに余裕がある時に出るものだろう。私の心は、母がいないことをまだ受け入れられてい
母が亡くなって以来テレビを見れないテレビをかけても、ニュース、天気予報以外見ることができない。先日まで、いつも、母の好きな昔の歌番組、時代劇を探して母に見せていた。今、そのような番組を見ると、急に苦しくなる慌ててテレビを消してしまう。
職場を出るとき辺りは、夕暮れになっているつい先日まで、真っ先に母に電話をかけていた。心配で心配で堪らなかった。今は、それが無いただ辺りの暗さが、私を包んでいる帰りの車の中で、思わず叫んでしまったお母さん、お母さーん寂しいよーお
今週から復職しているそうしないと一人身の私は社会から孤立してしまうから‥今日は四十九日の準備で一人で動き廻った霊園との打ち合わせ、墓石の文字の準備お清めの場所の予約、親戚への連絡思い出した、この作業は十一年前、父の時に母と一緒に
母の葬儀の御経のとき妹は涙を流しながら聴いていた私は涙が出ない、ただ呆然としていた。何故だか分かったまだ、心が現実を受け入れていないからだ私は、いまTVを見ても苦しくなり、すぐ止めてしまうTVは母を楽しませるツールとしてしか見
母はとても明るく、優しく前向きに物事をとらえ廻りの人への気配りが利く人だった。母は私と妹を溺愛してくれた。私は甘えてしまった。父が亡くなり、母の衰えが顕著になってから、デイサービス、安否確認サービスを使い、仕事中も母が気になりとても苦
大切な母は昨日の晩、容体が急変し母が大変仲のよかった大好きな父のところへ旅立ちました。※しばらくコメントにお返事できませんが落ち着いたら返事します。にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909">にほんブログ村
11月23日.夕方母はトイレで転倒し大腿骨を骨折してしまった。救急車を呼び直に入院となったかコロナも陽性で手術ができない、どころか肺炎を併発しており、いまだ面会もできない私が夕方、近くへ外出して母に必要なものを買って帰るからと電話をしてしまい
多分残された時間が長くないとが本能的に解っているからだろう目が覚めるといつも私は何かに焦っているもう何もいらないただ穏やかな時間が欲しい…にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909">にほんブログ村
父の命日が間近だ母も私ももう身も心もボロボロだでも引き際がわからない物事は始めるよりも締めくくりの方が遥かに難しいにほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909">にほんブログ村
気がつけばもう10月も終わる11月は父の命日だもう11年経つ最近、あの父が居てくれた贅沢な時代が本当にあったのかと思ってしまう…母の認知機能が衰えている会話がなかなか噛み合わない母の同世代の人々が殆ど居なくなってしまっているので会話の
西田敏行さんまで逝ってしまわれた。あの方の演じた秀吉役は司馬遼太郎さんの太閤記の秀吉像とぴったりだった時間の経過は人の幸せを何もかも、奪っていくこの世に100年生きて取り残されて、何が嬉しいのだろうまるで浦島太郎だにほんブログ
気持ちばかり焦っている早く、永遠の準備をしないと余裕がない、隣に住む親と同世代のおばさんが亡くなったこの方はかつて父が倒れた時私を見かける度に、父の様態を興味本位で尋ねてきた人だでも亡くなられてしまうと気持ちがとても切ない世
足が重い十数年前、父が倒れる少し前によく足が重くて早く歩けないと言っていた…父は多発性脳梗塞だった私も同じなのかもしれないなのに今月、大腸検査をしなければならない自分の体はもうボロボロなのかもしれない冬が怖い母を守りきれな
もの心ついたときには当たり前のように居てくれていつでも、どんな場面でも私の味方になってくれる人私がやらなければならないことを先回りしてやってくれる人父がいなくなり、私を名前でよんでくれる唯一の人お母さん、お母さん本当にありがとう
毎週末父の墓参りに通っている私にとってお彼岸はお墓が混んでいるので嫌いだ随分年月が経っているあの平穏な頃はどのような気持ちだったのだろうもう記憶が曖昧になってきている。日暮れが日ごとに早くなっているのが寂しい…毎日、切
しっかりした覚悟ができていないのに自分は独身を通してしまった。廻りの人間か死別からの立ち直りができ、介護と仕事の両立ができるのもそれぞれ伴侶、子供がいるからだろう適齢期の頃、両親があんなに心配して縁談を持って来てくれても私はありがた
根拠があるわけではないただ世間と噛み合っていないのを毎日感じている精密検査もまだ行っていないもしものとき母を残して入院などできるはずがないなのに早く世から去りたい言っている事が矛盾している。もう時代は完全に世代交代している自分
6月に行った職場の健康診断の結果が今頃戻ってきた。全くいい加減な職場だ要精密検査の項目がある最悪、大変病気なのかもしれない心当りはあるここ数年の体重減少今更、精密検査を受けてそうだとしても闘病する気などないそろそろ潮時なのかも…
父を失って以来数年間は苦しくて、悲しくて泣いてばかりいた。しかし、世間は容赦ない…悲しみに浸っている時間など与えてくれない仕事と大切な母の介護の両立自分自身の体力の急激な衰えもう、悲しい出来事にも慣れてしまっている涙がでない…
今日は自分の誕生日かつてこんな苦しい誕生日があっただろうか母は要介護があがり転倒、怪我をして、自分も足が重い上に怪我をして治らない小走りもできない…にほんブログ村
6日の夜、母がトイレの前で転倒してしまい、肋骨にヒビが入ってしまった。なんとか対処している矢先11日の夕方、今度は私が蛍光灯を交換しようとして、誤ってキャタツから転落してしまった不幸中の幸い、骨折はしなかったが右膝と右肩を打撲してしま
母は、脊柱管狭窄症もひどくなりシルバーカーでも殆ど歩けないここ1年くらいの間に認知機能が落ちてきているのもわかるお母さん、お父さんがいなくなっちゃって隨分経っちゃったね…この間(3月)、あんなに親しくしていた一緒にデイサービ
足が重いまるで、両足のふくらはぎから下が鉛のようだ…昨日、持病の心房細動の診察で医師に症状を話したが2年前から、経理部から検品部に強制異動となり私の年齢で急に立ち仕事になった為足に負担がかかっているのが原因のようだ、お母さん、
父は2012年の12月に倒れ2013年の11月に旅立ってしまったあの1年間は何だったのだろう毎日、何度も父の病室へ駆け込み、手足をベッドに拘束されているすぐに父の拘束を外し、父の手を握って私は涙を流していた。看護師には迷惑がられ嫌味を云われな
もう6月になっている多分、心身ともに限界を超えているのだろう死別の悲しみ、仕事と介護の両立の苦しみ楽しみなど何も無い計画を立てられず同じルーチンワークで生きてしまう苦しい…にほんブログ村
先日、3月26日母の兄嫁は旅立ってしまった。もう母に損得なしで気兼ねなく寄り添ってくれる母の年代の人は皆無になってしまった。もう、どうしたら良いのかわからない…こんな現世、未練はない…あの世というものが本当にあるのなら随分賑やかになっ
今、自分はどうしたら良いのかわからないやるべきことは山ほどあるのに…不安で不安で溜まらないのに体が動かない心が平常でいられない父を失ってから続いてきた負のループも終わりがきたのかもしれない明日からどうしよう…にほんブログ村
前向きなことが書けない…自分なりに一杯一杯になりながらも生きているが次から次から訪れる苦しみ、悲しみ、難題本当に人生の終わりが迫っている。早く楽になりたい…にほんブログ村
1番は大切な母が唯一、気兼ねなく話ができる同年代の母の兄嫁一緒にデイサービスに通いオフの日の午後にはお茶を飲みに来てくれるそれで、一杯一杯ながらも何とか生きてきたそれさえも奪われる。もう何もできない…生きていけない…にほ
母は週に3日大変仲の良い亡くなった兄の嫁と一緒にデイサービスに通っている土日を除く2日は短時間の訪問介護サービスと母の兄嫁の娘さんが母の兄嫁を連れて遊びに来てくれていることで私は何とか、心の不安を鎮めて仕事をしていた。その母の兄嫁が
明方、ひさしぶりに父と会話をしている夢を見た今日は天気が良いやはり、日差しがあると気持ちが良い、だが数分すると暗く重い現実が押し寄せてくる。人生の締めくくりに向けてやらなければならないことが何も出来ていない虚しく、苦しい…
かつては…皆と同じように遅くまで残業もできた、夜飲み会にも参加できた、沢山の趣味仲間もいた…この十年少しの間に全てを失ってしまった。そして自分自身も動くのが大変になってしまった。どう人生を締めくくれば良いのかもがいている。
相変わらず足が重い、本当は精密検査を受ける必要があるのだろうでも、もう気力かない仕事、介護、家事で一杯一杯だもう充分生きた、早く母と一緒に父に会いにいきたいにほんブログ村
昨年の寒くなり始めた頃から感じている私自身の体調がよくない、最初はストレスのせいかと思ったが(そうならよいのだが)兎に角、歩く速度が急に遅くなっている歳が歳だから仕方ないが足がとても重い速く歩こうとすると、頭がクラクラしてしまう
1日が早い休日でも、起きて、二三の用事を済ますとあっと言う間に正午になり、もう早い日没を気にしなければならない、動けるうちにやらなければならないことは山ほどある、何から手を付けて良いかわからないこうしている間も時間は容赦なく過ぎ
もう、自分は老人なんだ解かっていても、どうしても、20年前頃の体力もあり平穏だった時代を求めてしまう現実を悟らなければ残された日々を生きていけない…何とか頑張ろう!にほんブログ村
理屈では解かっていても大切な父との死別がそうだったように大切な母の介護を実際に、独身で介護をすることがどんなに辛く、苦しいか解らないと思う。年末年始などどうでも良い…にほんブログ村
もう12月まだ、何とか生きている。昨日も、今日も、母の通院介助買い物、炊事、…あっと言う間に時間は過ぎる自分の体調も良くない…とてもこれから来る季節を越せるとは思えない…仕事との両立もう限界なのかも知れない…何とかしのぐ
昨日本当に久しぶりに父の夢を見た、夢の内容は昔と今の状況が混在してまだ足が不自由でない状態の母と妹までいて、現実と全然、矛盾していたが父と話をすることができた。父は生前と少しも変わっていなかった。もしかしたら今いる現世も夢
かつて平穏だった時代自分が怪我をしたり、病気になった場合、頼れる両親がいた。今は、自分が倒れたら母の介護は…誰に助けを求めれば良いのだろうこれから寒い季節自分が倒れることは、許されない…にほんブログ村
明日は父の命日、丸10年経つ時間は鬼のように早く過ぎたが、まだ10年だったのかという気もする 母の介護と仕事の両立、人間不信、親しい人の他界いろいろなことがあり過ぎた自分の人生観はすっかり変わってしまった。お父さんもし来世が
父の命日が間近だもう、まる10年経ってしまったお父さん、お母さん足腰の具合がどんどん酷くなるよお父さん、会いたいよーにほんブログ村
近年、時々思っている人生のゴールとは何なのかマラソンならば明確な距離が決まっており走り終えたときは達成感があるだろう人生のゴールとはお金を目標まで貯めること?出世すること?それとも死ぬこと?それは、こちらでゴールを決めること
いつからかこの季節は、どうにもならない辛い、悲しい、苦しい仕事と母の介護、父への未練だけ一年などあっと言う間だ明らかに鬱状態だもう無理かも…こうなったのも自業自得だから仕方ないにほんブログ村
今、仕事と介護の両立、死別の悲しみに苦しんでいる思えば、平穏だった時代にやるべきことを、先送りしてしまった結果だと思う!残りの時間、母の介護、仕事できることを精一杯頑張らないと…今度、生を与えてもらえるならば同じ両親から生れたい…
最近は初秋の時期がないように思う、いきなり猛暑から中秋になっている確実に地球温暖化は進んでいる気がつけばもう父の命日まであと1ヶ月あまりもう丸10年経ってしまった…最近は、記憶が薄れてしまい本当に父と母がともに元気でいてくれた贅沢な時
もう20年くらい前の風景だった父と母と3人で、以前の私の職場の近くにいた。皆、元気だった父が私に話をしている。私が父に返事をしようとしたら父がいない、というか布団の中に私がいる。そうか、やっぱり夢だったんだ…にほんブログ村
昨日の晩精神的に不安で近くのコンビニで小さなパックの日本酒を買って飲んだすぐに眠くなった、私は、お酒に弱い、これは亡き父譲りだ父は眠れない晩、よく寝所から起きてきてニコニコしながらどうも今日は眠れないよと日本酒をコップ一杯だけ飲んで
私はこの10年間の死別・介護でそれまでの人間関係を自分から拒絶してほとんど失ってしまった。もはや、中高年ではなく初老期な入り人間は他人に接することで自分を認識できるものだと気づいてきている。あんなくだらない職場でもやめるならば、代
分かっているこのような無理な生活が長く続くはずがない…それでも、生きていかなければならないのでしょうか?にほんブログ村
また、日が暮れるもう9月、何をしても、哀しい、苦しい今後、どうして生きていけば良いのだろう…にほんブログ村
毎日、思っている。仕事を休みたいのか?もちろん、年寄りの為左遷された、あんなくだらない検品作業こんな暑い中、行きたくない仕事を休んで何かしたいのか?自分が楽しみたいことなど何もない掃除、家の補修、やらなければならないことは山ほど
思えば随分生きたやんちゃだった小学時代将来に夢をもって懸命に勉強した中学時代、やたら大人びたフリをした高校時代、学生時代悪戦苦闘の末やっと見つけた適職、プログラマー大変だったがやりがいがあったそして、リーマンショック以降の
12日、妹の長男の結婚のお祝いをした。相手は会社の同僚で北海道出身の方だ式は行わず内輪だけで昼食会を妹の夫の実家で行った。甥は、きつい親(妹)とはあまり似ずとても素直で優しく、私の亡き父を偲ばせる性格だ幸せを祈ると同時に時代の移り
お父さん本当に帰ってきてくれたら良いな…話したいこと、教えてほしいことたくさんあるのに…にほんブログ村
もう10年以上、心から笑っていない世の中も変わっているのにかつては、平穏に過ごしていたのに長い罰ゲームだな前世でよほど悪いことをしたのかな…にほんブログ村
連日、猛暑が続いている。だが、一時期より日が短くなってきている。寂しさ、悲しさを感じてしまう…にほんブログ村
もう自分の気力、体力が一杯一杯になっている。もう仕事も介護も、いや人生も全て投げ出したい…いつの間にか誕生日が過ぎている。時間は容赦ない…生きている意味がわからない…にほんブログ村
もう先が短くなってからいつも思っている自分の人生って一体、何だったのだろう…真っ当な両親に大事に育てられたのに、ろくに恩返しも出来ずに歳をとり毎日もがいている…にほんブログ村
毎日が八方塞がりの私が心の中でよく無意識に自分に言い聞かせている何があと一息なのだろうか多分、辛いこの世から卒業、いや中退できると解かっているのだろうにほんブログ村
体がだるい体重は父が健在だった頃から10キロは落ちている。この夏を超せるのだろうか自分が病気にならないように努力しているのだが‥母と共倒れになってしまう‥にほんブログ村
もはや、家庭的な平穏には縁がなくなった私は昔読んだ、土方歳三の燃えよ剣を再度、読もうと思った新選組は、家庭的な幸せはご法度な部隊だから隊士はそれなりの覚悟があったと思う‥本を読もうと思ったら、字が小さくて読めない‥いつの間にか、
いつも、心の中で思っている。今の自分は、目が覚めると仕事、介護の時間に追われている。時間が凄いスビードで過ぎていくかつては、もっとマッタリした空間の中にいた。いま抱えている、悲しみ、くるしみ、不安を全て手放したい‥お父さん、お
母の介護状態が確実に悪くなっている。認知機能が落ちてきているのが明らかにわかる夜8時以降は寝たきりに近い状態になってしまい会話が成り立たないケアマネに相談しているが有効な手段が見つからないやはり結局他人ごとだ妹は相変わらず
客観的に考えると自分が他人に嫌われるのは解る。自分でも自分が嫌いだ優柔不断、エゴイスト、神経質、この間、母の介護のことで妹に酷いことをいわれた昔から私のことは嫌いだったらしい。母の介護と仕事の両立が難しく助けてほしいときに言わなく
住んでる近くの風景も、住んでいた人々もかつて、自分が平穏に生きていられた頃と全然、変わってしまっている。かつて、両親がここで元気にいてくれて、自分のことだけ考えていられた時代…そんな夢のような時代があったなんて…多分、私も長く生きす
大物歌舞伎役者が大変なことになっている。每日、介護、仕事に1日をやり過ごすことに精一杯の自分からみたらとても幸せそうな人にに見えた。幸せそうに見える人も本当は大きな悩みごとを抱えて生きているのかも知れない。世の中を生き抜くことは大
每日、母の介護、仕事なにかに追われている、両親が元気で平穏に暮らせた時代なんて本当にあったのだろうか…若い頃に戻りたいな…いや、もういい…せめて穏やかにゴールを迎えたい…にほんブログ村
今週に入っでから何もしていない。何もする気になれない遅い時間に目が覚め、母の安否を確認して、ひとりで父の墓参り(家から15分)あとは、長椅子に転がりぼんやりしているだけ、あっと言う間に夜になるあと数年でこのような生活が当たり前に
今日は父の兄の長女が23日に亡くなり告別式だった。原因は乳ガンが全身に廻り病院にいったときは手遅れだったそうだ急に状態が悪化して1ヶ月で他界されたようだ妹さんが喪主を努めていたが可哀想で見ていられなかった…かけてあげる言葉が見
世間から孤立して生きていると時間の経つのが早いもうこんな時期なのか…旅行も趣味も関係ない賑やかな人々も見たくない…自分を見つめ直すいい機会かもしれない穏やかな最後を迎えるために…にほんブログ村
今朝も雨の中、休日慣例の父の墓参りに行ったこれは、父が入院中時間さえあれば父の病室に向かっていた10年前の慣習をお墓に向かうことに置き換えている昨日は生きていれば父の誕生日だった。もう両親が元気だったあの頃には絶対戻れないこ
この間まで、簡単に出来ていたことが段々、出来なくなってきている。それは、母だけでなく自分にも当てはまる。老いるということはこういうことなのだな。体だけでなく認知機能も衰えていく…やるべきことはいっぱいあるのに何から手をつけてよ
もう10年以上半うつ状態が続いている。だが一年くらい前から両親との死別、介護は自分の年齢になれば仕方ないことなのだなとわずかながら悟るようになってきている。考えると自分に残された時間もあまり長くないせめて、あまり苦しまないで穏や
今回のWBCは凄かった、特に、準決勝のメキシコ戦は休日と言う事もあり開始から見ていて侍ジャパンが感動的な逆転勝利を見せてくれた。同時にテレビを見ながらここに父が居たらどんなに良かったかなと思ってしまった…前回、優勝したときは野球
桜は綺麗だが儚い…お彼岸なのにもう満開近くなっている、思えば、中高年になって以降(今は初老だが)桜の思い出は、哀しいことばかり…2009年にリーマンショックの影響でIT会社を失業したときも桜が満開だった。そして、2013年春、前年末に脳梗
ここ数日父が夢に出てくる内容は目が覚めると忘れてしまう…お父さんもう一度会いたいなー寒い季節は終わったみたいだけど父は今の母と自分を見ててくれてるかな每日、淋しさを堪えながら老いからくる衰え、この世の理不尽のなか必死に生きてい
平穏な日常を失ってから、午後になり日が傾いてくると、急に精神状態が不安になって来る10年前に每日、日没近くになると職場から意識が溷濁している父の夕食介助に病院に向かっていた初めて経験した途方も無い悲しみ苦しみがトラウマになっている
平穏な生活を失ってから常に、何かを心配している心配することで、今の自分の現実を直視することを避けているにほんブログ村
両親がともに元気だった頃は全然気が付かなかった父が仕事を終え、私が仕事から帰ってくると当たり前のように夕食、お風呂の準備が出来ていた。朝も起きると既に食事が出来ていたそして、遅くまで明日の準備をしてくれていた。今頃になって、
お母さん、大好きな、大黒柱のお父さんがいなくなってもう10年経っちゃったね、本当にあれから苦しく、悲しいことばかりだったね、何があっても、俺の味方をしてくれたお母さん…お願いだから少しでも歩けるようになって長生きしてね、全力
今日は温かい思えば、父の旅立ち母の介護の始まり人生後半を過ぎてから悲しいこと、苦しいことはいつも、秋、冬に起きている早く、温かい季節が待ち遠しい…昔、両親を連れて車で東京の千鳥ヶ淵へ桜を見に行ったあれは15年くらい前だったのかな
昨日は穏やかな天気なので久しぶりに強引に時間を作り午後2時間テニスをした。ゲームの最中は現在の境遇を忘れることができた。思えば、父が倒れる前は母も自立しており、このような空間の中に常に自分はいたのだな…早く暖かくなればいいですね、
楽しいことなど何もないのに、生きる為にはやらなければならない義務が山ほどある。もう全て投げ出したい、これからどうすれば良いのか…わならない…にほんブログ村
ある方のブログは共感できる文章が上手で、とても頭が良いことが解るが、お別れした方の対象に対する余計な一言ことを書かれる。その文言に私は傷つく親の死別介護に悲しみ、苦しむ私などはお呼びでないと思い知る。にほんブログ村
鉄拳さんのパラパラ漫画「お父さんは愛の人」をYouTubeでみたらやたら涙が出た2〜3分の言葉なしの動画なのに主人公は私とは性別も立場も違うけど人間の本当の幸せとは何かを言葉なしで伝える作者は凄い人だと思った人生100年時代とここ数年や
いつのまにか年は変わっている。私はまだ生きている。生きていれば、やらなければならないことが数えきれない程ある。もうこの世界に求めるものはない辛く、悲しく、苦しいだけ…早く解放されたい…にほんブログ村
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今日は母の誕生日だった。しかも母の日らしい、私は今、すべり症からくる脊柱菅狭窄症になってしまった。母が長年(約20年)悩まされた症状だ自分がなってみて母の辛さが初めて分かったお母さん、この辛さの中頑張ってくれてたんだね、お母さ
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もう5ヶ月経っているいまだに、受け入れられない、だから泣けない、昨日、初めてグリーフケアにいったでも、思っていることのほとんどを話せなかった、寂しい、悲しい、後悔色々な言葉があるが、母に対する未練、この気持ちは、言葉で表せない‥何
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今、母のこと、父のことを考えないように仕事、生活をしている無理をしているのは自分でも感じているでも考えると、自分がフリーズしてしまうから‥夜はテレビもみず10時前には寝てしまうようにしている。でも、目覚めのとき、仕事が終わり帰るとき、家
何をしても、何を見ても、思い出してしまい、悲しくて仕方がないお母さん、最後の頃いつも、イライラした態度、言葉をかけてしまって本当にごめんね、自分はもう少し自分なりに生まれ変わって頑張って残りの人生を真っ当して、それからお父さん、
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2月2日、母の四十九日法要が終わった。妹はハンカチで目を拭いながら、お教を聴いていた。私は相変わらず、涙も出ず呆然としていた。多分涙というのは、気持ちに余裕がある時に出るものだろう。私の心は、母がいないことをまだ受け入れられてい
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今週から復職しているそうしないと一人身の私は社会から孤立してしまうから‥今日は四十九日の準備で一人で動き廻った霊園との打ち合わせ、墓石の文字の準備お清めの場所の予約、親戚への連絡思い出した、この作業は十一年前、父の時に母と一緒に
母の葬儀の御経のとき妹は涙を流しながら聴いていた私は涙が出ない、ただ呆然としていた。何故だか分かったまだ、心が現実を受け入れていないからだ私は、いまTVを見ても苦しくなり、すぐ止めてしまうTVは母を楽しませるツールとしてしか見
母はとても明るく、優しく前向きに物事をとらえ廻りの人への気配りが利く人だった。母は私と妹を溺愛してくれた。私は甘えてしまった。父が亡くなり、母の衰えが顕著になってから、デイサービス、安否確認サービスを使い、仕事中も母が気になりとても苦
大切な母は昨日の晩、容体が急変し母が大変仲のよかった大好きな父のところへ旅立ちました。※しばらくコメントにお返事できませんが落ち着いたら返事します。にほんブログ村mura.com/shibetsu/ranking/in?p_cid=11057909">にほんブログ村
11月23日.夕方母はトイレで転倒し大腿骨を骨折してしまった。救急車を呼び直に入院となったかコロナも陽性で手術ができない、どころか肺炎を併発しており、いまだ面会もできない私が夕方、近くへ外出して母に必要なものを買って帰るからと電話をしてしまい
先日、3月26日母の兄嫁は旅立ってしまった。もう母に損得なしで気兼ねなく寄り添ってくれる母の年代の人は皆無になってしまった。もう、どうしたら良いのかわからない…こんな現世、未練はない…あの世というものが本当にあるのなら随分賑やかになっ
今、自分はどうしたら良いのかわからないやるべきことは山ほどあるのに…不安で不安で溜まらないのに体が動かない心が平常でいられない父を失ってから続いてきた負のループも終わりがきたのかもしれない明日からどうしよう…にほんブログ村
前向きなことが書けない…自分なりに一杯一杯になりながらも生きているが次から次から訪れる苦しみ、悲しみ、難題本当に人生の終わりが迫っている。早く楽になりたい…にほんブログ村
1番は大切な母が唯一、気兼ねなく話ができる同年代の母の兄嫁一緒にデイサービスに通いオフの日の午後にはお茶を飲みに来てくれるそれで、一杯一杯ながらも何とか生きてきたそれさえも奪われる。もう何もできない…生きていけない…にほ
母は週に3日大変仲の良い亡くなった兄の嫁と一緒にデイサービスに通っている土日を除く2日は短時間の訪問介護サービスと母の兄嫁の娘さんが母の兄嫁を連れて遊びに来てくれていることで私は何とか、心の不安を鎮めて仕事をしていた。その母の兄嫁が
明方、ひさしぶりに父と会話をしている夢を見た今日は天気が良いやはり、日差しがあると気持ちが良い、だが数分すると暗く重い現実が押し寄せてくる。人生の締めくくりに向けてやらなければならないことが何も出来ていない虚しく、苦しい…
かつては…皆と同じように遅くまで残業もできた、夜飲み会にも参加できた、沢山の趣味仲間もいた…この十年少しの間に全てを失ってしまった。そして自分自身も動くのが大変になってしまった。どう人生を締めくくれば良いのかもがいている。
相変わらず足が重い、本当は精密検査を受ける必要があるのだろうでも、もう気力かない仕事、介護、家事で一杯一杯だもう充分生きた、早く母と一緒に父に会いにいきたいにほんブログ村
昨年の寒くなり始めた頃から感じている私自身の体調がよくない、最初はストレスのせいかと思ったが(そうならよいのだが)兎に角、歩く速度が急に遅くなっている歳が歳だから仕方ないが足がとても重い速く歩こうとすると、頭がクラクラしてしまう
1日が早い休日でも、起きて、二三の用事を済ますとあっと言う間に正午になり、もう早い日没を気にしなければならない、動けるうちにやらなければならないことは山ほどある、何から手を付けて良いかわからないこうしている間も時間は容赦なく過ぎ
もう、自分は老人なんだ解かっていても、どうしても、20年前頃の体力もあり平穏だった時代を求めてしまう現実を悟らなければ残された日々を生きていけない…何とか頑張ろう!にほんブログ村
理屈では解かっていても大切な父との死別がそうだったように大切な母の介護を実際に、独身で介護をすることがどんなに辛く、苦しいか解らないと思う。年末年始などどうでも良い…にほんブログ村
もう12月まだ、何とか生きている。昨日も、今日も、母の通院介助買い物、炊事、…あっと言う間に時間は過ぎる自分の体調も良くない…とてもこれから来る季節を越せるとは思えない…仕事との両立もう限界なのかも知れない…何とかしのぐ
昨日本当に久しぶりに父の夢を見た、夢の内容は昔と今の状況が混在してまだ足が不自由でない状態の母と妹までいて、現実と全然、矛盾していたが父と話をすることができた。父は生前と少しも変わっていなかった。もしかしたら今いる現世も夢
かつて平穏だった時代自分が怪我をしたり、病気になった場合、頼れる両親がいた。今は、自分が倒れたら母の介護は…誰に助けを求めれば良いのだろうこれから寒い季節自分が倒れることは、許されない…にほんブログ村