東京の片隅に生息する野良ネコ音吉(おときち)がお気に入りの音楽を紹介するブログです。音吉は入れ食いネコなので、ジャンルはクラシックからJ-POPまでハチャメチャです (^^;;;
音楽ならほとんどのジャンルを聴きカジるジイさんです。聴かない音楽っていったら… む~思い浮かばないですねぇ! そんなジイさんが気に入った音楽はバッハからずとまよまで何でもピックアップしていきますぞなもし。
www.youtube.com 音吉の父が持っていたクラシックの音楽全集。10巻は軽くあったかな。白いハードケースにレコードと立派な装丁の解説書が入っていて、クラシック音楽を体系的に聴くことができるという以外は版元も覚えていないんですが、たったひとつ、覚えていることがあります。 たしか中世以前の音楽という、やたらとざっくりした切り口で、グレゴリオ聖歌を中心にした構成の巻だったと思います。グレゴリオ聖歌に至る古代の旋法が具体例として何曲か選ばれていたんですが、中に不思議な音楽というか、当時の音吉には音の切れ端みたいに思える曲が入っていました。 『セイキロスの碑文(Seikilos epitaph…
小学2年生の時、音吉は都会から田舎の学校に転校しました。そこで待ち受けていたのは、豊かな自然でもなければ純朴な友達でもなく、壮絶な虐めでした。 それも小学校を卒業するまでの4年間です。3年生までは、チラホラとあった虐めを先生がカバーしてくれていたのですが、4年生から6年生まで続けて担任となった先生は、よほど音吉とウマが合わなかったのでしょうか。信じられないかもしれませんが、先生が虐めを容認し、時にはクラスを率いての虐めを行ったのです。クラスをまとめたがる先生で、当時大流行だったスポ根ものや青春ドラマの大好きな先生に、「先生は和とかクラス一丸とか言うけど、どうしてバラバラじゃいけないんですか?」…
www.youtube.com 現代音楽と呼ばれるジャンルのレコードを音吉が初めて買ったのは小学5年生の時でした。 それまで熱に浮かされるようにショパンを聴いていた音吉でしたが、憧れのショパン弾きだったサンソン・フランソワ(Samson François, 1924 - 1970)が1970年10月22日に亡くなったのを機に魔法が解けたんでしょうか。音楽の関心が現代音楽にぐらりとシフトしたんです。 もちろん、きっかけもありました。NHK-FMで放送されていた「現代の音楽」という番組で、たしかNHKのディレクターで音楽評論家の上浪渡(1925 - 2003)さんが担当していた頃だったと思いますが…
ディスク社の音楽雑誌『世界名曲シリーズ』第4集より レコード世代の方なら、たぶん「ソノシート(Sonosheet, [英] Flexi disc)」のことはご存知でしょう。ペラペラの塩化ビニール製レコードで色は様々。サイズはシングル盤と同じ17センチ(稀に8センチ盤もありました)で、ほとんどがモノラル盤で片面でした。「え、フォノシートとかシート・レコードって言わなかったっけ?」 そう思った方、大正解です。 ソノシートは、フランスのレコード・メーカーS.A.I.P.社によって1958年に開発されました。そして同年、S.A.I.P.と出版社のHachetteが共同で設立したSonopresse社は…
www.youtube.com 音吉が大学生だった1981年8月のことです。 アルバイト先だった通信社でベルの音がオフィスに鳴り響きました。記事のタイトルに"urgent"の文字が打ち込まれた速報が流れると、決まってテレックスが鳴らすアラートでした。 速報は数分から数十分のスパンで入電したので、音吉のようなアルバイトがザッと目を通して「これは本当のアージェント」と思ったものをデスク(当務のボス)に渡し、それ以外はヒラの記者に渡すのが常でした。 昼前で猛烈な飢餓状態にあった音吉は、「これを整理したら昼飯に行かせてくださいよぉ。餓死寸前なんで」 なんてベタなお願いをデスクにしながら、いつものように…
www.youtube.com 音吉が高校生だった1970年代の後半はラジオ番組の全盛期で、深夜放送だけではなく、今思えば価値ある番組がオンエアされていました。 とりわけ音吉が忘れられないのは、NHK第一の16時台に週一で放送されていた民謡の番組で、パーソナリティは民謡研究家の竹内勉(1937 - 2015)さんでした。 灯台なんとやらのご多分に漏れず、音吉はその頃には様々な文化圏固有の音楽を聴き漁っていたというのに、どうしてか日本の民謡には手を出さないという歪な状態にあったんです。その訳は実にシンプルで、「民謡なんて宴会芸のひとつ」レベルの、まったく知らないのに知った気になるという思考停止に…
www.youtube.com 3楽章のみです。全曲を聴きたい方はこちらをどうぞ。 https://www.youtube.com/watch?v=8z72vIfeINo 子供時代にクラシック音楽に親しみ、モーツァルトが嫌いだったという方は、あまりいないんじゃないでしょうか。明快で愛らしいモーツァルトの音楽は、無防備なようでその実、ガードの堅い子供たちの心の鍵を、いともカンタンに外してしまう力を持っています。 ドイツにいた時も、ご近所の小学校の子供たちが、音楽の授業で『魔笛(Die Zauberflöte)』の観劇に行くと知って知人に、「ずいぶんと贅沢な授業だね」 と半ばやっかみ半分に尋ねたら…
www.youtube.com 音吉が中学生になって買ってもらったいちばん高価なものは、ソニーのマルチバンド・ラジオでした。スカイセンサー5500(ICF-5500A, 1973年発売。\18,800)といって、上位機種のスカイセンサー5800(ICF-5800, \20,800)とともに当時の日本に一大ブームを巻き起こしました。 音吉にとってはFMで音楽が聴けて、AMで深夜放送が聴けて、さらには短波で海外の放送をキャッチできるスカイセンサーは、まさに玉手箱でした。 ある日のことです。FEN(Far East Network, 現AFN)を聴いていたら、もの凄いダミ声の歌が聞こえてきました。思…
www.youtube.com ビートルズの『抱きしめたい』を紹介した時に、音吉の家にご近所の学生寮に住む学生たちが出入りしていたお話を書いたんですが、その一人にインド哲学を専攻していたニシダさんという学生さんがいました。 ボサボサ頭に分厚い唇。日焼けしているわけでもないのに浅黒い肌。いつもクタクタのYシャツにダブダブのズボン。牛乳瓶の底(今時の若者には通じないか、この表現)みたいな眼鏡をかけていて、どことなくマッド・サイエンティスト然としたニシダさんでした。 彼は口数が少ないうえに表情に乏しく、とっつきにくい印象を与える人でしたが、子供の音吉が何気なく発する問いにも真剣に答えてくれる誠実な人…
www.youtube.com 大阪万博が開幕して世が万博一辺倒になった1970年の春休みのことでした。 当時小学6年生になったばかりの音吉は、街のレコード店で流れていた音楽に即、感電してしまいました。ビートの効いた子供にも親しみやすいバブルガム・サウンドを、おそらくは自分と変わらない年の子がカッコよく英語で歌ってるんです。店員さんに誰の歌か訊いたところ、「ジャクソン5(Jackson 5)。キミ、買わなかったっけ? 去年、『帰ってほしいの(”I Want You Back”)』ってシングル盤」 買っていませんでした。今みたいに「ググって検索♪」なんてわけにはいかない御時世でしたから。それでも…
国際的な慈善コンサートなんかで、成功に酔いしれたミュージシャンが顔を紅潮させて、 「音楽で繋がろう! 音楽に国境はないんだ!」 なんて絶叫する光景を目にすることがあります。 世界中、言葉が通じなくとも食事を共にし、酒を酌み交わせば仲良くなれるし、基本的なルールの理解があればスポーツやダンスを通じて友情を育むこともできます。音楽もその意味では同じ役割を果たすことができるわけです。 「そんな当たり前のことを何で知ったかぶって言うわけ?」 とお叱りを受ける前に、今回はサン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921)の交響曲第3番ハ短調作品78「オルガ…
www.youtube.com 音吉が大学生の時のことです。 西武線(何線だったかは忘れちゃいました)沿線に住む友人が、喫茶店で都市伝説を語り始めたんです。 「正午過ぎに西武線に乗ると宇宙人に接近遭遇する」 と。 「電車で移動してるってこと?」 「そーなんだよね、お客さんとして乗ってるわけ」 「どーして宇宙人だって分かるの?」 「ファッションはフツーにスタンドカラーのシャツにチノパンなんよ。だけどデコッパチの程度が半端ないんだよね。おでこが頭頂部まであんの。んでもって長髪」 「それって単に長髪の人が禿げあがってるだけじゃね?」 「いやいや、『ボクって異星人』みたいなオーラを発散させてるし。あれ…
スコット・ブラッドリーと『トムとジェリーのオープニング・テーマ』
www.youtube.com つい先日、『トムとジェリー(Tom and Jerry)』第2期(1961 - 1962)の制作監督を務めたイラストレーターでアニメーターでもあるジーン・ダイッチ(Gene Deitch, 1924 - 2020)の訃報が目にとまりました。4月16日にプラハの自宅でお亡くなりになったとのこと。享年95歳でした。 いつからかも思い出せない頃から還暦を迎えた今日まで、腹の底から笑える作品を与え続けてくれた『トムとジェリー』。 1940年にアニメーターでプロデューサーのウィリアム・ハンナ(William Denby Hanna, 1910 - 2001)とアニメーター…
www.youtube.com 以前に取り上げたノートルダム楽派のギヨーム・ド・マショーから200年も経たぬ15世末、西欧の音楽はノートルダム楽派の頃のオルガヌム(Organum, 四度か五度の二声の和声)のような素朴なポリフォニー(Polyphony, 多声音楽)から更に複雑なものへと進化していました。 マショーの頃はまだ色濃かった中世の面影は既になく、世はルネサンスの真っ只中にあった頃のことです。フランスの聖職者でありながら典礼音楽はほとんど遺さなかった作曲家がいました。クレマン・ジャヌカン(Clément Janequin, 1485[?] - 1558)です。 彼がもっぱら作曲していた…
ヴィクトリア・デ・ロスアンへレスの『中世及びルネッサンス期におけるアンダルシアの歌』
父の持つ赤盤(赤い色のレコード)の中に、ひときわ子供心をくすぐるものがありました。ジャケの体裁も立派なハードボックスで、レコードは一枚しか入っていないのに、ライナーノーツがちょっとしたムックの体裁になっているもので、シンプルで美しいサウンドは何度聴いても飽きることがありませんでした。 『中世及びルネッサンス期におけるアンダルシアの歌』という学術書のような邦題がついていて、歌手はスペインの偉大なソプラノ歌手ヴィクトリア・デ・ロスアンへレス(Victoria de los Ángeles, 1923 – 2005)でした。 ヴィクトリアのことは、1992年のヴァルセロナ・オリンピックの時に、閉会式…
音吉が小学4年生の時のことです。 音吉の自宅にはピアノがあり、音大で教鞭をとっていたS先生が週に2回、ピアノの個人レッスンをしていました。音吉も教わっていたのですが、ある日のこと、音吉と入れ替わりに見知らぬお婆さんがレッスンの部屋に入っていきました。 60代の後半か70代の前半ぐらいのお年だったでしょうか。長い白髪を髷にして後頭部で束ね、麻のモンペ風パンツに和柄で紺色の野良着という出で立ちで、すれ違った時にほんのりお香の匂いがしました。お年の割に動作が機敏で、穏やかさの中に鋭い眼光を宿したような美しい女性でした。 音吉が玄関先で飼い犬のタロちゃんと遊んでいると、ほどなく部屋からタドタドしいピア…
音吉少年の自宅のそばには某ミッション系大学の学生寮があり、プロテスタント教会(日本基督教団)の牧師をしていた父の許には、寮に住む学生が頻繁に出入りしていました。 そんな学生の中に音吉を実の弟のように可愛がってくれたエンドーさんという方がいて、音吉は寮に住むエンドーさんの部屋によく遊びに出かけていました。 大学寮は、昔で言う文化住宅を連ねたような木造平屋の長屋がだだっ広い敷地に何棟も建っているようなところで、特にフェンスなどの境界もなく、近所の子供達にとっては格好の遊び場になっていました。 幼稚園の年長さんだった1964年のある日、音吉がいつものようにエンドーさんの住む棟に近づくと、どこかで結構…
洋楽とクラシック音楽にズブズブの日々を送っていた少年時代の音吉に、新たな世界の扉を開いてくれた音楽があります。 自分が依って立つ日本の歴史と文化とは一体、どんなものなのか。もちろん小学生が意識することではありませんでしたし、キリスト教徒の家庭に育ち、放課後は直帰して洋楽ポップスを聴きながら海外の児童文学書を読み漁っていた音吉にとって、日本という国は「外国」でした。神社は戦争に人々を駆り立てた戦犯的な存在でしかありませんでしたし、民謡とは畳とお酒の臭いが入り混じる宴会場の音楽でした。 音吉の家庭は妙なことに厳しくて、普段はテレビをなかなか観せてもらえませんでした。今でいえば、子供がスマホ漬けにな…
音吉が少年だった頃の日本は高度経済成長期の真っ只中。そしてマスコミから伝わる海外のニュースは米国一色でした。ケネディ大統領の暗殺やベトナム戦争などなど、印象深いニュースだけでもキリがないほどですが、キリスト教徒だった両親の関心事に強い影響を受けたんでしょうか。キング牧師の言動とアフリカ系アメリカ人の公民権運動は、内容はよく分からずとも「とても大切なお話」として、子供だった音吉の心に刻み込まれることになりました。 人種差別、わけてもアフリカ系アメリカ人の歴史的な苦悩を語るうえで無視することのできない一曲があります。『奇妙な果実(Strange Fruit)』です。 作詞・作曲はニューヨークのブロ…
教会の前で聖書をかざし、デモの武力鎮圧を正当化するトランプ大統領の姿をテレビで見て、言い知れぬ嫌悪感を覚えました。キリスト教徒の僕にとっては耐えがたい光景だったからです。 気持ちのほうが先に立って、今日は何も書けそうにありません。コロナ禍と戦う世界中の人々と、人権と正義のために立ち上がる米国の友人たちに、ピート・シーガーの歌う『We shall overcome(邦題は『勝利を我らに』)』に連帯の思いを託し、捧げます。 We shall overcome We shall overcome We shall overcome, some day Oh, deep in my heart I d…
1910フルーツガムカンパニーの『サイモン・セッズ』を聴きながら友だちと踊った音吉少年でしたが、もう一枚、自然に体が動き出すサウンドがありました。ソウル(Soul music, 広義にはR&B[RnBとも表記。リズム&ブルースのこと])シンガーのレジェンド、ウィルソン・ピケット(Wilson Pickett, 1946 - 2006)の『ダンス天国(Land of a Thousand Dances)』です。 音吉が持っていたシングル盤は6歳年上の従兄がプレゼントしてくれたもので、その後の音吉にとっては、アフリカ系アメリカ人の文化に関心をもつきっかけともなった大切なレコードになりました。 ウィ…
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