EF61形は、貨物用EF60形をベースに、歯車比変更や暖房用蒸気発生装置を搭載するなどで、旅客用機関車として18両が製造された。EF611は1961年に製造、宮原機関区に配置され、東海道、山陽本線の旅客列車牽引、また瀬野ー八本松間の勾配対策のため、広島ー西条間をノンストップ
2025年6月
EF61形は、貨物用EF60形をベースに、歯車比変更や暖房用蒸気発生装置を搭載するなどで、旅客用機関車として18両が製造された。EF611は1961年に製造、宮原機関区に配置され、東海道、山陽本線の旅客列車牽引、また瀬野ー八本松間の勾配対策のため、広島ー西条間をノンストップ
2025年6月
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EF61形は、貨物用EF60形をベースに、歯車比変更や暖房用蒸気発生装置を搭載するなどで、旅客用機関車として18両が製造された。EF611は1961年に製造、宮原機関区に配置され、東海道、山陽本線の旅客列車牽引、また瀬野ー八本松間の勾配対策のため、広島ー西条間をノンストップ
本日、24日に施行された、沼津から 変圧器を積んだ特大貨物はEF652000番台の牽引でした。東海道線では久しぶりの65PF。荷が重いせいか、徐行するように走行して行った。EF652097「新」牽引。ヨ+シキ801 (2025年5月24日)にほんブログ村
電気機関車のトップナンバーをEF52~EF57の中から、選出していきます。EF521 は鉄道博物館で保存され、1928年に『日本で最初に製造された大型電気機関車で、東海道本線、中央本線、阪和線で使用された』 と書かれている。京都鉄道博物館 (2016年10月1日)EF53形は、193
甲種輸送もEF65PFからEF210牽引に変わりました。5月16・17日に、東京都交通局、都営地下鉄12-600形式車両の甲種輸送がありました。2025年3月のダイヤ改正で、新鶴見区のEF651000番台の運用は、臨時列車のみになり、甲種輸送にわずかな期待を持っていましたが、EF210牽引とな
電気機関車のトップナンバー。旧型電機のEF10~EF16を取り上げてみた。EF101「国」。国府津機関区にはEF10の一次型(1-16号)が配置され、主に新鶴見ー沼津間の小運転に就いていた。辻堂ー茅ヶ崎(1966年5月5日)東海道を単機で上る。茅ヶ崎ー辻堂(1968年9月29日)新鶴
山手線の駅での撮影は、出かける際にカメラを持って行くのが多かったので、偶然撮れたものもある。EF58168「宇」牽引。2634レ 隅田川から田端操を経由して、山手貨物線、大崎支線、品鶴線を通り、横浜羽沢までの荷物列車があった。五反田駅(1984年11月19日) EF65502「髙
西日暮里駅は1971年に山手線の新駅として日暮里ー田端間に開業した。画像はすべて西日暮里駅で撮影したもの。東北本線・高崎線の ホームはなく通過線で、上り2本、下り2本の4線がある。これは上野駅に乗り入れる列車が地平ホームか、高架ホームかによって、上野ー尾久間で分
昔の日暮里駅での画像を続けます。上野発着の東北本線、高崎・上越線の列車は、日暮里駅のホームのない4本の線路を通過する。 上下列車のほか、尾久へ入出区する回送列車も、同じ線路を使用する。上野駅地平ホーム(低いホーム)に到着した、機関車牽引の列車は、そのあと尾
昔の日暮里駅での記録です。181系ボンネットタイプの特急『とき』 (1978年1月13日)1968年に『やまばと』から『あいづ』に名称変更され生まれた。485系の車両を使用し、上野ー会津若松間の特急として運行された。(1978年1月13日)485系使用の特急『いなほ』。新潟からは羽
日暮里駅は 山手線、京浜東北線、東北本線、高崎線、常磐線が通り、私鉄では京成電鉄が乗り入れ、2008年3月には日暮里・舎人ライナーが開通している。ここでは上野発着の列車や、尾久の車両基地と上野駅間の回送列車も撮影できる。古の記憶を辿ると、今では見られない、多く
新宿駅には山手線のほか、埼京線、湘南新宿ラインがあり、また京王線、小田急線などの私鉄や、中央本線の始発駅となっている。新宿駅に停車中のレインボー編成。この日が虹ガマEF651118の、初の大阪入線と記録がある。(1999年8月28日)新宿駅を発車、関西に向かう。上沼垂区
山手線での駅撮りを続けてます。池袋駅 は山手線のほか、埼京線、湘南新宿ライン のホームがあり、国鉄民営化以前には、貨物も取り扱っていた。池袋駅東側に貨物線があり、入れ換え用に品川区のDD13が入線していた。(1983年10月16日)松戸区の103系訓練車が新宿方面から到
山手線は外回り、内周りの環状線に沿って、山手貨物線が設定されている。現在山手貨物線には埼京線、湘南新宿ラインなどの定期列車や、東北、高崎線直通の臨時列車や貨物列車など、各種の列車が走行している。過去には、山手線の駅で何度か撮影しているので、記憶とともに画
伊豆箱根鉄道には駿豆線 と大雄山線があり、駿豆線は三島―修善寺間、大雄山線は小田原―大雄山間となっている。この二つの路線は繋がっていない。駿豆線には工場があるが、大雄山線にはないため、大雄山線の車両は全般検査などで入出場するときは、三島まで搬送しなくてはな
蒸機のラストナンバーを 続けます。当時は鉄道は見たり、乗ったりするのが好きで、写真を始めたのは高校卒業の頃から。主に地元ではあまり見られない蒸気機関車が目的で普通列車に乗り、時折地方を旅しました。性能の良いカメラなど持てるはずもなく、撮影ミスも多くあったけ
以前掲出した蒸機機関車のトップナンバーは、 出会ってすぐにそれと判りますが、ラストナンバーに関しては、意識せずに撮影して、あとで見て気づくことがあります。私が過去に出会って、撮影した機関車のラストナンバーを拾い出してみました。C50154「小」。 小山機関区に
北海道を訪れた頃は、まだ『北斗星』や『カシオペア』は運行されていなかった。ディーゼル機関車は貨物用、入れ換え用、除雪用のほか、一部旅客列車も牽引していた。釧路発の急行『まりも』が札幌駅に到着。(1987年8月15日)『まりも』を牽引してきたDD511055「釧」。『まり
札幌駅では貨物列車は見られない。道南方面の貨物列車は白石地区にある、札幌貨物ターミナル駅まで千歳線や室蘭線を経由するので、函館本線の長万部―札幌間には貨物列車は走らない。札幌駅では機関車牽引の貨物列車は見られないが、 ED76500番台が50系客車をけん引する普通
国鉄民営化直後の夏に、北海道旅行をしてきました。羽田ー千歳間は航空機、新千歳空港でレンタカーを借り、 道内の一部を旅行した。観光旅行の途中に、出会った車両を札幌を中心に、短い時間であったが、撮影できた。現在の札幌駅は高架駅となっているが、その当時の札幌駅は
EF200形の試作車は、 1990年に日立製作所で製造され EF200-901 となった。国鉄、JR最強の出力6,000KWの機関車で、新鶴見機関区に配属され、各種試験が実施された。新製間もなく新鶴見機関区の展示会で公開された。かなり大型の機関車の印象を受けた。(1990年8月26日)1992
EF81形500番台は1989年に、日本海縦貫線の貨物列車増発用として、一般のEF81形を基に各種の変更が加えられ、500番台となり、501~503の3両が製造された。塗装はJR貨物標準色となっている。EF81502「富山」。吹田信号場構内を単機で移動する。3色塗装がはっきりわかる。岸部駅
EF81450番台はJR化後の1991年に 製造され、500番台より後に誕生している。重連総括仕様で451~455の5両が製造された。ナンバーの位置は変更され、飾り帯は廃止されている。交直両用機でありながらローズピンク塗装でなく青系のJR貨物標準塗装となっている。451、452号機の2
EF81400番台は1986年にEF81形の一般車から、重連総括制御の改造を受け誕生した。民営化後はJR貨物文字機関区に401-408号機.JR九州大分車両センターに409-414 号機が配置され、寝台特急や貨物列車に使用された。門司機関区の構内にはED76を含め、EF81400番台が終結している
前回の九州旅行では『銀ガマ』は撮れなかったので3か月後にリベンジしている。そこで銀ガマを含め、九州で活躍していたEF81300番台に出会うことができた。EF81300番台は1973年に、関門トンネル用としてステンレス車体で登場した。301~304の4両が製造された。今回は304号機を
もう10年も前になるが、 全くの未知の地、九州へ観光を兼ねた撮影旅行に出かけた。本州では見られない ED76、EF81300番台、400番台、450番台、500番台や、九州カラーの特急車両などとの出会いを期待して遠征した。家から羽田空港まではマイカーで、朝6:30に家を出て、羽田
国鉄が分割民営化されJRが発足した年、1987年10月『バーボン・エクスプレス』なる臨時列車が運行された。50系や12系客車を使用し、星条旗を意識した塗装になっている。この列車を運行する意図は、わからないが。この時期は日米貿易摩擦が背景にあり、のちの1988年には『
北陸新幹線 敦賀延伸で変わり行く、北陸本線の芦原温泉駅付近で撮影した画像を続けてゆきます。芦原温泉駅は1972年3月に駅名が改称された。その前は『金津』駅と呼ばれていた。撮影をした頃には学校や工場などにまだ 金津 の文字がところどころに残っていた。今回の画像
EF70形は1961年に製造開始され、1965年までに81両が製造された。交流電気機関車としては初のF型で北陸本線交流区間の主力機となった。敦賀第二機関区で行われた、撮影会でのEF701(1985年7月28日) 1976年10月。仕事であわら市にある、プレス機械メーカーに短期出張で行
EF6019牽引のアメリカントレインは、1988年7月から約1年間、客扱いなしで、各地を回り展示された。運転終了後の1989年には元のやすらぎ色に戻されている。区名札は「髙運」。『やすらぎ』の専用機として活躍した際の画像は、過去に掲載したこちらを参照。それ以外の画像を貼
貨物用として、1962年(昭和37年 )に製造され、平成から令和に移る年の、2019年(令和元年)まで現役で活躍した機関車 EF6019。EF60形は1960年に1号機が製造され、19号機は2次量産車(15-46号)で、駆動方式がクイル式から、吊り掛け式に変更され、外観も一部が一次車と