大手製造メーカーに勤める中間管理職がマネジメントに禅を取り入れる。 自ら坐禅で瞑想し修行を積み重ねる日々。 しかし煩悩がありすぎて全然成長できない。 簡単じゃないよね世の中。でも地道に続けていこうかな。
見返りを気にせずに行うことが本物の功徳 自分の行いを自慢したり自負したり 褒められたり、尊敬されることを期待していては 本物の功徳とは言えない 人にありがたがれたい は素直な心だが 自分自身が行ったことに 充実感を持てたのなら 見返りを求める必要がなくなるはずです by達磨 昨年より、グレタ・トゥンベリという少女の影響をうけて 自分も環境問題に取り組まなくてはと思い ゴミ拾いを始めました 例えば道端のゴミ拾い あるいは職場のゴミ拾い 仕事中でもなんでも普通に歩いている時に ゴミが落ちていたらサッと拾うようにしています するとなんか気持ちいい気分になります 「すごい良いことしてる!」という充実感…
水が冷たいか?暖かいか?は 実際に自分が飲んでみないとわからないことです 「この水は冷たいよ」と人に言われても 冷たさの程度は自分で飲んだり触ったりしないとわからない。 同じように悟りも 人から教えられても分かるものではない 自分で実践してわかるもの 逆に飲んだ水の冷暖は人に伝えられないし 自分で悟ったとしても人に教えることはできない 誰かに教えられたり、書物からの知識だけで 悟りに達することはできない 自分自身の問題として体験しなければならない そう言ってるわけですが 思いっきり本の知識で達しようとしてましたね(笑) たまにお寺の座禅会にいって和尚に聞こうとしてましたね(汗) 「禅の道に近道…
生まれたとき 死んでいくとき 人は何も持っていない 本来何も持ってないんだ 人間だもの(みつを) 何も所有していないからこそ自由に行動できる 所有すればするほど不自由になる あれが欲しい、これが欲しいという物欲 「捨てられないから」といって散らかった部屋 そうではなくものを極力少なくしてシンプルに生きよう と禅は説いているわけです 「だって欲しいじゃんねー」(←いだてんの田畑政治っぽく) モノが売れなきゃ経済が回らないじゃないか とは言え、現代の大量生産、大量消費には私も警笛をならしていますが (特にマイクロプラスチック問題!) ものは少なくシンプルに生きる! 「断捨離」 「人生がときめく片付…
一期とは 人が生まれてから死ぬまで 一会とは たった一度だけの出会い と思って 人をもてなしたり、人を敬いましょう。 毎日の生活の中でも 一期一会の気持ちを忘れずに 適度な緊張感を持つことが大切です 平凡な毎日の繰り返しだとしても 一瞬一秒はかけがえのないものですから 誠意をもって専念しましょう。 と禅は申しておるわけですが 「そんなの疲れるじゃんねー」(←いだてんのまーちゃん風に) なかなか出来ることではありません 毎週の定例の会議って 何も準備してなかったり、そもそも議題がないのに集まっちゃう週があったり 意外とダラダラになっちゃいがちです こういう会議こそ 目的、結論、担当、期限 を明確…
困難な時ほど自分の足元を見よ という教えです 法演と3人の弟子の話から ある夜の帰り道、突然提灯が消え真っ暗闇に 「さあどうする? 一句述べよ!」と言われた弟子3人 1人目は「五色の羽の鳳凰が赤い空に舞っている」 2人目は「銀色の蛇が荒れ果てた道に横たわる」 そして3人目は「看却下 自分の足元を見よ」 鳳凰だ蛇だってのは幻想、妄想であり、 もっと現実を見据えろ! 先を見すぎていると足元でつまづくぞ! という教えなんですね。 でも、このシチュエーションでこんな質問を出す和尚も 鳳凰だ蛇だって答える弟子も 頭おかしいですよね(笑) こういう時一番いいのは 頭を地面に近づけて、地を這うような姿勢で …
真の平常心は体得を経なければ 絶対と言っていいくらい得られない いつだって平常心でいたいものですが なかなか難しいですよねこれ 後輩がしょうもないこと言ってきたらイライラするし 上司に理不尽な要求されたらテンパるし 部長へ報告するときは委縮するし 仕事中って平常心でいられないシーンがいっぱい 禅を学んで「平常心」を習得しましょう! ってことで冒頭のことば 「体得を経なければ」というのはどういうことでしょう? 仕事の例でいうなら 後輩の指導なり上司への報告なり 場数を踏んで経験値をつむ、これを「体得を経る」というのでしょうか? だとしたら 言っていることがあまりにも普通すぎる!! ハウツー本より…
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