(承前)●○以案(以て安んず)、旧諳(旧諳んず)、豈惟(あにただ)、有由(由有り)、
『日本書紀』の修辞法から見た天皇号の濫觴(上)ー漢文脈から見た日本史③
はじめに 天皇号の制定時期については、いついつ制定したといったように明確に記した史料が存在しないため、議論百出して結論が出ていない。研究史の整理については参考文献に委ねるが、おおまかに推古朝説と天智・天武朝説が分かれていると言ってよいであろう
「ブログリーダー」を活用して、腐儒さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
(承前)●○以案(以て安んず)、旧諳(旧諳んず)、豈惟(あにただ)、有由(由有り)、
夫婦別姓論議に関して、私は現行の同姓制に反対であるし、また同姓制を厭う人々が主張する所謂選択的夫婦別姓(以下〈選択制〉)にも反対の立場である。 さて、選択的夫婦別姓に反対する人々が挙げる理由の一つに、(子供が複数いる場合)子供の姓をどうするのか、これも
はじめに 近代以前の日本の為政者が、常々心に秘めている信念や思惑すなわち思想といってよいものをあからさまに表明する機会はどれほどあったのであろうか。一般論に過ぎないが、政治家というものは状況に応じて当初予定していた行動を変更せねばならないことは多々ある
四 桓武即位宣命以降の「天智の法」 第一節で述べた即位宣命における「法」の理解は、桓武天皇以降のものについても同じように当てはめて考えることができる。 ⑫桓武天皇即位宣命(『続紀』天応元年四月癸卯条)挂けまくも畏き現神と坐す倭根子
はじめに 日本古代史学界において、国史に記載されている事柄ながら関連史料が少ないが故に侃々諤々するも通説を形成するには至らないという例が複数存在する。本稿で取り上げる『続日本紀』(以下“続紀”)記載宣命の「不改常典」の「法」に関わる議論も、多くの古代史
【付論Ⅰ】 継体天皇の享年と崩年について 先に第二節で、百済から継体に天皇号が奉呈されたのは任那四県の割譲後で恐らく五経博士が来倭した際のことではないかという推論を述べた。それは『書紀』の紀年からすれば継体六~七年にかけてのことで、西暦では五一二~三年
四 「東天皇」国書小考 乙説派が、推古朝遺文に見える「天皇」が改変を経ているとするのは言うに及ばず、推古紀一六年九月辛巳条に引く隋に充てた国書中の「東天皇敬白西皇帝」という一節の「天皇」ももとは別の君主号が記されていたのを改作したものだと見做
第二章 『日本書紀』の修辞法から見た天皇号の濫觴 はじめに 天皇号の制定時期については、いついつ制定したといったように明確に記した史料が存在しないため、議論百出して結論が出ていない。研究史の整理については参考文献に委ねるが、おおまかに推古朝説と天智
【魏志倭人伝原文】(本稿で引用した箇所については同じアルファベット記号を付した)倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国、漢時有朝見者、今使訳所通三十国。従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千余里、始度一海、千余里至対馬国。
四 『明史』日本伝との比較からする誤読の構造 前節で述べたように、「大倭」を畿内に存在した最大の王権と見做して狗奴国を除く九州の諸国はその監督下にあったと考えれば、⒥・⒦のような主語がはっきりしない文章も意味が通りやすくなる。「倭女王」は魏と「
第一章 『明史』日本伝との比較からする『魏志倭人伝』の錯簡 はじめに 『三国志』魏書東夷伝倭人条(注)に記されている「邪馬台国」(「女王国」)がどこにあったのかという大昔からの論争は、当該期の倭人の手に成る文字史料の出土が絶望的である以上、永遠に決着する
目次序 第一章 『明史』日本伝との比較からする『魏志倭人伝』の錯簡 はじめに 一 邪馬台国の位相に関する複数の可能性 二 狗奴国と南方の国々 三 「大倭」の問題 四 『明史』日本伝との比較からする原史料誤読
幕末から維新期にかけて活躍した熊本藩出身の儒者横井小楠が甥の渡米の際に与えた手紙の中の「明堯舜孔子之道、尽西洋器械之術、何止富国、何止強兵、布大儀於四海而已」(送左大二姪洋行)という一節は有名である。また、『国是三論』の中でアメリカ合衆国について「ワシ
現在国際社会の注目を悪い意味で集めているのはウクライナに侵攻したロシアだが、少し前には中国が新型コロナ情報隠蔽疑惑や香港問題で欧米諸国から非難されていた。対ロシア制裁には割と積極的な日本が、欧米の反中姿勢にどこまで同調するか分からないが、あまり多くは期
『漢文脈から見た日本史』という電子書籍を発売いたしました。アマゾンにて購入できます(税込2200円)。目次や冒頭箇所の一部は無料で閲覧できます。以前に当ブログに載せた論考を纏めたものです。内容は邪馬台国・天皇号の起源・不改常典・天下布武印等々で、それぞれ一つ
漢文(=中国古文・中国文語文)を読解する際、「返り点」と称される語順を示す記号を伴って独特の調子で訳す(原則として文語文法を用いる)所謂「訓読」という(その文体を「書き下し」とか「読み下し」という)手法がある。 この訓読なるものは、外国語である漢文の読
はじめに 近代以前の日本の為政者が、常々心に秘めている強固な信念や思惑すなわち思想といってよいものをあからさまに表明する機会はどれほどあったのであろうか。一般論に過ぎないが、政治家というものは状況に応じて当初予定していた行動を変更せねばなら
はじめに 日本古代史学界において、国史に記載されている事柄ながら関連史料が少ないが故に侃々諤々するも通説を形成するには至らないという例が複数存在する。本稿で取り上げる『続日本紀』(以下“続紀”)記載宣命の「不改常典」の「法」に関わる議論も、多
【補論】天智の称制をどう考えるか 天智の称制においては持統にとっての草壁のような即位予定者が存在しておらず、故に両称制の異質性が議論の対象になることがある。「称制」の命名者はあくまで『書紀』の編者であるから、結果として天智と持統の即位が引き延ばされたこと
はじめに 天皇号の制定時期については、いついつ制定したといったように明確に記した史料が存在しないため、議論百出して結論が出ていない。研究史の整理については参考文献に委ねるが、おおまかに推古朝説と天智・天武朝説が分かれていると言ってよいであろう
(承前)●○以案(以て安んず)、旧諳(旧諳んず)、豈惟(あにただ)、有由(由有り)、
夫婦別姓論議に関して、私は現行の同姓制に反対であるし、また同姓制を厭う人々が主張する所謂選択的夫婦別姓(以下〈選択制〉)にも反対の立場である。 さて、選択的夫婦別姓に反対する人々が挙げる理由の一つに、(子供が複数いる場合)子供の姓をどうするのか、これも