I 'm proud of me. 最近 よく 胸に手を当てながら この言葉を つぶやいています。 I 'm proud of myself. でも いいかもしれません。 今日 自分らしく生きられた とか 朗らかだった 優しかった 思いを素直に伝えられた 愉快に踊っていた などなど・・・・。 時には 頭を なでなでしながら 自分を誇らしく思うのです。
あなたはあなた - 歌う珈琲屋さん
「中の町少女探偵団員たるもの、 度胸が据(す)わってなくてはならん」と、 団長のノブコが言い出して、近頃うわさの幽霊屋敷へ マリコとカナコが行かされることになった。 初めは「恐いからヤダ! 絶対ヤダ!」と 行くのを渋っていたマリコであったが、 「何かあったら、これで連絡しなさい」と、 マッチ箱のトランシーバーではなく、 本物の携帯電話を持たされて、にわかに勇気百倍! 「カナコ、我らはゴーストバスターズじゃ~!」 と、意気揚々出かけてきたものの、 やっぱり・・・こ・わ・い~・・・。 町はずれのその家は、長い間の放置で 庭木がうっそうと茂り 昼間だというのに薄暗い。 ノブコの指令は、中に入って、 …
メガネのフレームがゆるんできたので、 通りがかりの眼鏡屋さんに入った。 折しも、 店内は 閉店セールの真っ最中。 と言っても、 閑散としていて、 出てきた店員も どこか 悲壮感が漂っていた。 ここで買ったものではないけれど 同じ系列の眼鏡屋さんだからいいかと思いつつ、 遠慮がちに差し出すと こちらの言うことを丁寧に聞いて すぐさま 調整にかかってくれた。 その上、仕上がったメガネを超音波洗浄しながら 私の サブメガネに 目を留め 「 それも やりましょうか? 」と言う。 あたしゃ 感激してしまった。 というのも、 以前、 まったく同じシチュエーションがあったからだ。 そこは いつも利用している…
追い詰められると 口では おまえに かなわないよ とか 口ばかり 達者だな とか言う奴がいる 内容の真偽より あたかも 相手が ずるがしこいような印象を与えて 逃げる 卑怯だよ あんた そんな 皮肉が言えるんなら まともに 自分の思いを伝えたら どうよ 口べたでも なんでも 口角泡飛ばしてでも 一生懸命話そうとしてごらん でなけりゃ 初めから 戦わないか 黙ってりゃいい 口では 負ける? 心も負けてんだよ!
相手がどうとるか わからないからこそ 思いをストレートに伝えるしかないんだ
わたしはわたし - 歌う珈琲屋さん
良寛にも 一休にも 空海にも たまにもなれる 私が ここに居るのは 私が 私を 望んだから
めったに会わない人だけど 外国に行っちゃう夢を見て 無性に 淋しくなった もっと 近くに 同じ国 同じ地域 同じテリトリー そんなことで 安心していたい自分がいる どこにいたって 心が離れていれば 遠い人には違いないのに
一人暮らしをしている 長男のマサオが帰ってきた。 ツネミは、バーゲンで買っておいた Tシャツを 出してきて言った。 「ほれ、これ あんたに似合うと思うんだけど――」 マサオはチラッと見て、 「そんな ダサイ色着たら、警察に捕まっちゃうよ」 と笑って 受け取らなかった。 横で聞いてた イネが 言った。 「昔は、『アカ』しか 捕まらなかったがのう・・・」 おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい 色とちゃうやろ おちゃらかほい! どんな色(思想、信条)でも捕まらない 社会でありますように・・・。
食事の途中で ふと 我に返って はあ~ っと 息つくことない? 肩に力入れて 夢中で 食べているか 別の事考えながら 口に運んでいるだけなのよね 「 いただきます 」 「 ありがとう 」 の 感謝の念もさることながら 目の前の 食卓に 全神経を集中して 一口一口を 味わい尽くす そうすると 適量で満足するし そのまま 栄養になっていくような気がするよ え? あなたは 食べ終わってから 溜息つくって? そりゃぁ すでに 食べ過ぎサインだよ!
知人が ハワイの人と結婚した。 そして、 めでたく出産。 半年後には ハワイに移住するという。 地元では、 身内はもとより 友人 知人にいたるまで お祭り騒ぎ。 ハワイの人々は 人と人との絆を とても大切にするようだ。 なかでも 感心したのが 「 ゴッド・ファーザー 」 の伝統。 マフィアではないよ! 花婿に何かあった場合は 彼に変わって家族の面倒をみる人のこと。 たいていは 花婿の親友がなるらしい。 知人のもとには 連日 ハワイ便りが届く。 「 はやく はやく こっちいらっしゃい。 ゴッド・ファーザーも 会いたがってるよ~♪ 」
刺激的なタイトルだと つい 目が行ってしまう。 アクセス数が上がる。 なんでかな。 皆 退屈してるんかな。 新聞記事のような事件、そうそうは ないのにね。 落ち着いた生活 しようっと。
アタシは すこぶる 「恐がり」 である。 である からして、 決して ホラー映画など 観ない! ところが、 ところが である。 昔々、友人と 雨宿り代わりに 急いで入った映画館で なんと 幽霊映画 に 「出くわして」 しまった。 タイトルもよく確認せず、 初めの画面も のどかな田園風景だったので、 すっかり油断していた。 夜の場面になって、 何やら おどろおどろしい曲が流れてきたな~ と気づいた時には遅かった。 で、 でたーーー!!! しかも、 日本の幽霊! 欧米物の ゴタゴタメイクやら 怪物っぽいものと違って、 日本の幽霊は ほんっと こ・わ・い! それからが もう 大変! 心臓バクバク。 …
♪ 大変だ 真実が いかさまと 手を組んだ ♪ カーステレオから、 ブルーハーツの 力強く ちょっとハスキーな声が流れる。 ロック や タトゥーなど、もってのほかだった。 しかし、 ロックバンド 「すかんち」 の ROLLYさんや、体中タトゥーだらけの米国人が、 自分のいじめ体験を話して 子どもたちを励ましている姿や、 ロッカー達の叫びの中に、弱さを知った者ゆえの 優しさや 真実が見え隠れして、 この頃よく聞いている。 ROLLYさんの お母さんが またイケテル◎ 「いじめた相手に感謝しなさい」と言うのだ。 「おかげで、いじめたあなたより強くなれた」と――。
姉に 「あんたも 一応 自分の年金の具合 調べてもらってた方が良いよ」 と促され、 被保険者記録紹介なるものをやってみました。 電話で「私の年金の記録を知りたいのですが」 と告げると、詳細な記録が送られてきます。 数年前、保険番号の統一化かなんかで 役所に呼び出された時には、ずいぶんと横柄な 対応でしたが、一連の不祥事の後、 電話の受け答えから、迅速なサービスまで、 えらい変わりようでした。 姉は、数年間のブランクが気になって 問い合わせたとのこと。 確かに会社勤めをしていて、支払っていたはずなのに、 その記録がない。 なんとか証拠はないものかと探していたら、 35年前のアルバムに、 給与明細…
「あんたは、こんなものばっかし、 子どもに食べさせとるとか?」 夕餉(ゆうげ)の食卓を見て、イネが言った。 「店で買ってきたものを、盛りつけただけかね」 「だって、仕事遅くなったし、ミンミ迎えて、 お母ちゃんもお腹空いてるだろうし・・・」 ツネミが言い訳した。 「今日は 四角くない」と、ミンミが言った。 「ほぐしたんだよ」とタカシ。 イネは あきれたように タカシに聞いた。 「いったい、弁当の時は どうしとると?」 タカシは お茶碗を叩きながら 陽気に歌った。 「お母さんの味~♪ 他作りの~味~♪ 弁当は冷凍 チーン!」 おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい パックままより ましとよ ほい!
この頃、 ぜんざい作りが マイ・ブーム。 あく抜きには 一度ゆでこぼした方が良いらしいのですが、 サポニンだかなんだか 栄養成分も落ちてしまうので、 付け汁のまま、圧力鍋で炊いています。 小豆は 喉にイガイガ引っかかるような気がするので、 もっぱら金時豆を使っています。 不思議なのは、 ほんの少し塩を加えると 甘みの感覚が増すということ。 そういえば、 スイカにも 塩をふって食べると、 甘みが際だつ。 子育てもしかり。 甘いだけでは、 うまみのある人間は 育たないのかも知れませんね。
誠実な人がいるわけじゃない 誠実な対応があっただけ わたしは今日 資材の点検をし キチンと取り付けた 昨日は 苦情処理せず 席をはずした わたしは今日 あの人を手伝ってやった ガソリンスタンドの人には ぶっきらぼうだった 真面目な人 親切な人 愛情深い人 それは 人が勝手に決めること 今日の わたしは どうなのか 今 わたしは 何をしたのか それだけが わたしの 現実
なんだかすっきりしない。 そんな時はたぶん、小さな隠し事があるのです。 人と人、とりわけ家族の中にそれがあると、 何となくしっくりこない。 幸せが、少しずつ 漏れていってしまうのです。 正直になろうっと。 怖がらず、うがった見方をせず、 素直に気持ちを表してみよう。 相手の気持ちを おもんばかったつもりで、 ぜんぜん見当違いの行動に出たりする。 それを見て 相手も行動するから、 ますます見当違いの結果に向かう。 そして、あいつはそういうヤツなんだと お互い勝手に思い込んでしまうんだ。 私を理解してくれる人なんかいない。 本当の友がいない。 と思う時って、実は、本当の自分がなんなのか、 わからな…
健康のため 人のため 自分のため ため ため ため・・・ 重たいんだよね 好きだから 楽しいから で いいじゃん
わたしは どんな一日を 過ごしたいだろう わたしは どういう人で いたいだろう わたしの 抱きたい思いは 何だろう わたしが 心から願うなら それは そうなるのかもしれない だとしたら もうすでに そうであるかのように ふるまってみたらどうなるだろう? 今日から!
もしも天国に行ったら 自分がやってきたことなんて たぶん 思い出さないだろうな それよりも 自分に良くしてくれた人や 知らないところで支えてくれていた人たちのことを 見せられるんだと思う そして ほんのちょっとの勇気がなくて できなかった親切や つまらない意地で言えずにいた ごめん を 思い出すんだとおもう
今日は母の日ですね。 母はもう9年前に逝ってしまいましたが、 この日が来るたびに思うのは、 母を気遣って実家へ行ったつもりが、 ほんとのところ、ご飯を食べさせてもらったりして、 気遣われていたのは私のほうだったなということです。 子どもは母の日を、たまには 「めんどくさいな」と思うことがあっても、 迎える母の気遣いにまでは心が及ばないものです。 そんな私でも、母に喜んでもらった思い出があります。 子孫を訪ねる 母のお供で 上京した時のお話です。 足腰と心臓の弱い母の事、 さて、どうしたものかと思案していましたら、 空港受け渡しの車いすリースが有るらしいとのこと。一週間借りても、送料込みで610…
藤子さんが 赤ちゃんを連れて 遊びに来ました。 二ヶ月足らずの マコちゃんは 首もぐらぐらと 抱っこするにも一苦労。 初めての子育ては 恐る恐る といった感じです。 藤子さんは かつて保育園に勤めていたこともあり 「 子育てくらい 」と 高を括っていました。 ところが いざ 自分の子となると 大違い。 何もかもが 気になって 仕方がありません。 おっぱいは足りているだろうか? ゲップは出ただろうか? うんちの色は正常だろうか? ご主人は 海外出張で 責任のすべては 藤子さんにかかってきます。 あまりの心配で 眠れぬ夜が続いた日、 藤子さんは とうとう お母さんに電話をしました。 出来ちゃった婚…
きょうだいが集まって 「母親の老後はだれが面倒見るか」 という話し合いをした。 次男のヤスヒロさんが言った。 「まず、親の意見を聞くべきだろう」 母親は、長男と暮らしたいと言う。 「それじゃあ決まりだ。 兄さんが母さんの面倒を見る。 そのかわり、僕たちは、兄さん達のやり方に、 一切口出ししない」 それで すんなりいった というのだから、 ヤスヒロさんの親も きょうだいも、 たいしたもんだと思う。 仕事が忙しいとか、家庭があるからとかで、 誰かに親を託しておきながら、 たまに いい顔して外に連れ出し、 親の愚痴を聞いたり、 世話をしている人の悪口を言ったりしがちだ。 改善する必要や 正す事があれ…
読み聞かせをしました。 小学三年生のクラス。 「モチモチの木」 をやりました。 弱虫の豆太が、腹痛起こした じさまの為に、 夜道を 医者様 呼びに行く話です。 物語の最後、じさまが 豆太に話しかける場面に来ると、ウッとこみ上げてきます。 下手するとウルウルしたり、声が震えてしまいます。 読み手が先に感動してどーすんだよ! と思うのですが・・・・・・。 沖縄で小学校の教諭をしていた娘は、 本土の寒い夜に駆けていった 豆太の辛さを分かってもらおうと、 学校近くのコンビニから氷を大量に買ってきて、 金盥(かなだらい)に入れ、 子どもたちにザクザク踏んでもらったそうです。 子どもたちは「わぁ~!」とか…
神が遊んでいる 永遠の中に時を刻んで 無限を区切って 一つを散りばめて まったき平安の中に 悲しみや苦しみをでっち上げて 不幸ごっこをしたり 克服ごっこをしたり 誰かさんになりすまして遊んでいる ナマステ あなたの中の神に敬意を
突然の雨に、窓際の布団を濡らされてしまいました。 あ~あ。 そういえば以前、 二階のベランダに干して出かけている間に降られ、 ビショビショになったこともあります。 帰ってくるなり、お向かいの奥さんが声かけてきて 「取り入れてあげたかったけど、鍵かかってるし―― はらはらしながら見てたのよ~」 と、おっしゃいました。 その当時、子どもたちや そのお友だちが ちょくちょくおねしょをするので、 夜中に布団をひっくり返して寝かしたこともあります。 そんな布団でしたから、結局、こまめに裏返しながら 三日間干し続けて、使ったのでした。
春季高校野球九州大会で具志川商業が初優勝した。 このようなご時世で、直接ではないにしても、 さわやかな汗に魅せられて、 今年もまた あちこちで 歓声が上がる。 そういえば 昔 プロレス中継に、 爺ちゃん達が テレビに向かって 唾飛ばして叫んだり、椅子から転げ落ちたり、 やんや やんやの大騒ぎしていたな~。 その姿を見て、うら若き乙女の私は 「あ~、恥ずかしい。 みっともない」と、 眉を顰(ひそ)めていたけれど、今となっては、 高校球児の好プレーに、 思わず大声を上げてしまう自分がいる。 人って、誰かを応援している時が、 一番幸せなのかもしれない。
ツネミのお母さんが 田舎から やってきた。 ツネミの仕事が終わるまで、ココーヨーカドー 一階の喫茶店で待つことにした。 ブレンド? キリマンジャロ? モカ?・・・?? メニューをしばらく見ていたイネは、 ウエイトレスにこう聞いた。 「ネスカフェは ないの?」 ウエイトレスは吹き出しそうなのを危うく押さえて 「いえ。ございません」と答えた。 「こ~んな立派な店構えで ネスカフェも なかとね」 と、ここはツネミの母ちゃん、 都会もんに 負けてはいない。 「しかたない。ウインナーコーヒーでよか」 「はい」 と承(うけたまわ)っていったウエイトレスは、 しばらくすると薫り高き ウインナーコーヒーを運ん…
この絵本に出会った時、 まず、タイトルが嫌だ と思いました。 なぜ、わざわざ 悲しい物語を 読まなければいけないのか。 私は今まで、ずいぶんと 悲しみや苦しみに馴染んできたから、 もう そろそろ そんな奴らとは 縁を切ろうと考えています。 絵本の主人公は、愛する一人息子を失った男。 1ページに、その男の 笑顔があり、 「悲しく見えると、ひとに好かれないのではないか と思って 幸せそうにしている私」 とあります。 その絵が、哀愁を帯びた笑顔が 実に見事で つい 買ってしまったのです。 どうしようもない 悲しみがあります。 拭っても拭っても 拭いきれない涙があります。 時間が経てば 自然に無くなる…
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I 'm proud of me. 最近 よく 胸に手を当てながら この言葉を つぶやいています。 I 'm proud of myself. でも いいかもしれません。 今日 自分らしく生きられた とか 朗らかだった 優しかった 思いを素直に伝えられた 愉快に踊っていた などなど・・・・。 時には 頭を なでなでしながら 自分を誇らしく思うのです。
脅さないでください こんなことをしていたら ダメになるよ とか そんなことをしていたら 痛い目に遭うよ とか 恐れると 緊張します 緊張すると ミスります ミスると ますます緊張して 負のループに ハマってしまいます それより こうすれば 素敵になるよ とか ああすれば もっと元気になれるよ とか 言ってあげてください わたしたちは 恐れて縮こまるのではなく 喜んで 前進するために 生まれてきたのですから
イヤなことがあったら まず リラックスすることを考えよう イヤなことの衝撃で 硬くなった体と心をほぐすんだ 海を眺めたり 花の香りをかいだり 好きな音楽を聴いたり そうやってほぐれてきたら 自分に言うんだ たとえ 世界中の人に 嫌われているかのように思えても わたしはわたしの味方 親友だよって わたしはわたしを見捨てない 絶対 絶対 見捨てない
「医者に 原因不明と言われたら 治る見込みがあるってことなんだよ」と 気功の先生が言っていました。 とりあえず渡される 痛み止めや うつの薬をもらって どれだけの人が しょんぼりと病院を後にしたことでしょう。 まるで自分が小さなことで 騒ぎ立てているように思えたり 世の中には戦争や飢餓で 苦しんでいる人がいるんだ これくらいなんてことない と無理に自分を𠮟咤激励しようとしたり なんて いじらしい なんと 健気で 愛おしい人たちでしょう! もう充分です。 あなたの痛みは 比べうるものではなく あなたにとっての一大事です。 ただでさえ苦しいのに 自分を責めるなんぞ もってのほかです。 「辛いね。 …
ガムをあげたら けんかして 涙ぐんでた 子の機嫌が直った 一瞬一瞬に生きてる 好奇心の赴くままに 手放して もう忘れてる もう 次に向かってる それでいいのだ
洗濯物を干していると 強い日差しがきつく 太陽に 「しばらく 和らいでくださ~い」と お願いしました。 すると 間もなく雲に隠れ しかも 見事な後光がさしたのです。 もう 嬉しくて たくさん 「ありがとう」を言いました。 奇跡は毎日起こります。 それに 感謝するか それを あたりまえととるかは 自分次第です。
昨日はわたしの誕生日でした。 それをきっかけに やめたことがあります。 それは 本人が望まない限り 人の誤りを正さない ということです。 自分のことはさておき 誤字 脱字 言い間違い 誰がどこで何をしたの 思い違い 勘違い が気になると すぐに辞書を引いたりして 正さずにはおれませんでした。 自分の気が済むように というより 家族や友だちがよそで恥をかかないように という思いが大きかったです。 自分が言われると 「ありがとう 勉強になりました」と 感謝もするのですが せっかく大事な話をしていても 水を差されて 何だか不消化に終わる時もあります。 これからは ささいな間違いはスルーして 相手が伝…
椅子から立ち上がるとき 階段をのぼるとき 重たい物を持ち上げるとき やりたくないことを やらねばならぬとき ついつい 「ヨイショ」 が 漏れてしまいます 試しに「ヨイショ」を 「ヨッシャー!」に変えてみました 力が湧いてきました
ドラマの中の 小さな販売店で 客が 三本入りのアスパラを あれこれ手に取って品定めしていると 奥から店主がやってきて 「どれも おんなじだよ。 最初に手にしたもの買いな」 という場面がありました。 それを観て 友人が 桃に ちょっと指をかけたとき 店のおじさんが「さわるんじゃない!」 と大声で𠮟ったのを 思い出しました。 随分気まずい雰囲気になりましたが 店の人にしてみれば 大事な売り物を 乱雑に扱う客も多くて つい いらだってしまうのでしょう。 わたしの恩師が 子どもたちに 言い聞かせている方法を 教えてくださいました。 「お母さん。 どれがおいしいかって どうやったらわかるの?」 と聞く子…
筋トレをしていると ついつい 顔がこわばってしまう おっと! わたしにとって 一番大切な筋肉を 鍛えなきゃ マスクをしててもスマイル 表情筋UP!!
二人の人に親切にする 「お礼は 私ではなく あなたも 二人の人に親切にしてください」 そう言うと その二人がまた 同じことをするので 二人が四人に 四人が八人に・・・ そうすると またたくまに 世界は住みよい場所になる そういう映画もあったなぁ ペイ・フォワード 親切の先送り
おはようございます 新しい朝を迎えることができました ありがとうございます わたしのからだは 朝の清々しい光で覆われています その光を通すと 良いものしか入ってきません 良いものしか出ていきません わたしの血管は通り良き管です どこにも詰まりはありません その中には 喜びと感謝と 新鮮な酸素を含んだ血液が 元気よく流れています わたしの声は 小鳥のように軽やかで美しい そして気高い 会場の隅々まで 聴く人の耳と心に 心地よく響きます わたしはこの星を 平和で豊かで愉快にするために 生まれてきました 今日も最高の自分を発揮して 世の中に貢献します!
人の必要に応えているうちに 心が疲れてきた なので 気が乗らないのに ホイホイ引き受けるのを 減らそうと思う そして 引き受けると決めたからには こっちの責任なので グダグダ言わずに やる! けれど 言われるがままにやっていると 利用された気持ちになったり つまらなくなったりするので 相手の必要を満たすだけでなく 相手の必要に盛る この出来事を通して 自分の ステップアップにつなげるんだ! という気合いを込めてやる そうやって 人の必要に ちょっとずつ ちょっとずつ 盛っていくと いつのまにか もっと大きな必要に 応えられる人間に なっているかもしれない
早朝 砂浜を歩いてきました。 人がいないので 後ろ向きでも歩けます。 歩きながら考えました。 後ろ向きでも 進んでる。 冥土(あっち)に向かって 進んでる。 あっちに行ったら 互いに 経験を語り合うんだろうな 足裏の砂の感触 夜明けの橙(だいだい) こんなに 悲しいことがあったよ とか こんなに嬉しいことがあったよ とか 良いも悪いもない わたしの生きた証を スクリーンに映し出して 「おつかれさま わたし」 って 言うのかもね。
わたしの地域のスーパーでは 一部のカウンターで 購入した食品の袋詰めをしてくれます。 自分でやったら とても 1枚の袋に 入りそうにない数でも ものの見事に しかも 崩れないように 行儀よく入れてくれます。 その手際の良さに わたしは 毎回 感心するのです。 それで 「すごいですねー!」とか 「うわ~、きれい!」とか 「こんなに入っちゃうんだ!」とかの 感嘆符を発します。 初めは 機械的に 「いらっしゃいませ~」と言っていた レジの人も 人間に戻ったような 照れ笑いをします。 その笑顔を見て わたしも更に嬉しくなります。 わたしは ほめおしみ をしません。
自分が充実していたら 人を責めてる暇はない 自分が愉しんでいたら 人の粗探しなんか しようとも思わない
読み聞かせボランティアに参加しようと 図書館を訪れた時のことです。 駐車場の入口にチェーンがしてあって その前に車が一台停まっていました。 「え? なになに? 何なの?」と チェーンにぶら下がっている札を見ると なんと臨時休館とのこと。 せっかく いいことしようと 意気込んできたのに! と めっちゃがっかりしました。 「あ~あ! なんっでよ~!!」と 頭を抱えて大げさに嘆きました。 すると こちらも多分当てが外れたであろう 隣の車のおじさんが クスッ! と笑ったんです。 それを聞いて すっかり機嫌の良くなったわたしは 元気に帰路に着きました。 とさ。
自分を大切にするって わたしがわたしの子どもだったら わたしがわたしの親友だったら と 考えると うまくいくような気がします。 ただ甘やかすだけでなく 将来を見据えた助言や たとえ世界中の人が敵対しても わたしは味方だよって 言ってあげられます。
わたしの朝一番の贅沢は 小鳥のさえずりで目を覚ますことです。 澄んだ 軽やかで 美しい 高い音が大好きです。 ソプラノなので 真似てみたりもします。 ところが 日が昇るにつれ 鳩の低く くぐもった声が混じってきます。 わたしは それが 好きではありません。 聞きたくないなぁ と思うと なおさら 聞こえてくるものです。 すると なんと 「フウフ ハ ナカヨシ」 「フウフ ハ ナカヨシ」 「夫婦 は 仲良し」 と 聞こえてきました。 ありゃりゃ! 確かに 鳩さん夫婦は仲良しですものね。 鳩の声も まあいっかぁ となりました。
わたしは 結構おせっかいで 「こりゃあ いい!」 と思うと すぐさま 人に 伝えたくなってしまうのです。 でも ある時 ストレートな物言いをする友人に 「あんたが 今まで薦めたので 良かったのは パン教室だけじゃん」 と言われて 考えました。 わたしは 人の役に立つことで 自分の価値を 示そうとしていたのかもしれない と。 自分がまず満たされ 輝くことによって 他人が憧れ 聴いてくるまで 待っててもいいんだ。 急いで 十分な結果や 効果が得られてないものまで 人に薦めることは もうやめよう。 かえって 軽んじられるだけだ と。 まず自分! 自分が心地よく 機嫌よく 過ごすことが先 なんだね。
徒歩30分ほどの所に 海浜公園があります。 早朝 周りに人がいないのを確認して 浜辺で歌いました。 家では ご近所の手前 声を張り上げて 練習することが なかなかできません。 その点 浜辺では 風も 海に向かって吹いているので 申し分なく オペラのアリアを二曲 歌い上げることができました。 気持ち良く 浜辺を後にして 階段を上がり公園に向かうと 「ちょっと ちょっと」と 年配のご婦人に手招きされました。 何だろう?と 近づいていくと 「あなた 若い頃から 声楽をやっていたの?」 驚いて 「え~! 聞こえたんですか?! お騒がせしました」 と 早朝の 静かな散歩を邪魔したことをあやまると 「騒が…
ごちゃごちゃも 子どもにとっては 宝探しになるのかもしれない 白一色の家では 子どもは育たないというから
人に合わせるのではなく 自分に合わせる 自分の心に寄り添う もう食べたくない と思ったら 食べない とりあえず乾杯! もいいけれど もう飲みたくない 苦い と思ったら 飲まない 出されたものは 全部残さず食べなさい の呪縛から解かれて 途中でも止めてみる もったいないのは 食べ過ぎ 飲み過ぎで 自分の身体の調子を崩すこと よく味わって 食べる 飲む 自分の心と体が喜んでいるか それが基準
別に聞かれてない 「助けて」なんても言われてない 大きなお世話をして 疲れきるのはよそう ちまちまと人や家族の機嫌をとる それも一種の承認欲求 嫌われるのが 怖いだけかもしれないよ 気づきをもっと 自分と人と世界の ためになることに使おう 空を見上げよう 高く高く生きるんだ
このところ 夜中に 蚊が やってきます なるべく 殺虫剤を使いたくないので 暗闇の中 パチリ! パチリ! と 格闘することになります ほとほと疲れ果てた 三日目の晩 また ブ~ン・・・・・・・・・ その時です こんな小さな蚊の羽音が聞こえる! わたしは なんて 幸せなんだろう そう思ったのです 心から イヤなのは イヤなんですけど
「すみません」って 言葉が多いなぁ なにも 悪いこと していないのに 「ありがとう」だけで いいんだよね
会ったとたんに 「太った?」とか 「瘦せた?」とかって言うの それより 「最近どう?」 「何か楽しいことあった?」とか 「わたしね 面白いの見つけたんだよ」とか わくわくするような話で 始めようよ
ゆるす前に 認めないと 傷ついたことを それを 受け止め 慰めてからの 話でしょ 傷つけた人を きれいごとで いいよ いいよ なんでも感謝だよ と ゆるして 付き合い続けるんじゃない 「わたしは 他の人に 絶対 あんなことをしない」 と 決心するんだ 自分の 肥やしにして 思いやりの花を 咲かせるんだ
「感謝する」は 言えるけど 「感謝しなさい」は 言えない 「許す」は 言えるけど 「許しなさい」は 言えない 待つしかないんだ その思いが 自然に芽生えるまで 「愛する」という言葉 欧米人ならまだしも わたしにはハードルが高い ましてや 見知らぬ「隣人を愛せよ」 なんて言われても 困る 「思いやる」「尊重する」なら 言いやすい そして 人として 「思いやりなさい」「尊重しなさい」も 言いやすい
「感謝しなさい」って 言うけれど 感謝は 内から湧くもので 強要されて 出せるもんじゃない 「ありがとうは?」って 礼儀として 子どもに 言わせたりはするけれど 「感謝しなさい」は なんか 押しつけがましくて 言えないなぁ
愛から出て 愛に還るのだから その間も 愛しかない 太陽のように あたたかい光が 分け隔てなく 注がれている 物事の背後にある 愛を見抜け わたしを責める要素など 微塵もない あるはずがない 責めや裁きの光など ありはしないのだ ただ 心地よく 光を浴びよう そして気づくんだ 自分が愛されていることに この出来事を通して さらに癒され 輝けることに