昨日4/26(金)、朝起きたらとても体がだるい。しかし今日午前中は外せない仕事があるのだ。例によってカウントナインで立ち上がるボクサーのようにベッドから立ち上がり、仕事に向かう。与えられた仕事を何とかこなした後、また仕事の方向性が掴めない虚無感が襲う。「
36年間のサラリーマン人生を定年退職(2020年3月末)。その後しぶとく短時間再雇用で仕事していますが、いつまで続くことやら。読書、音楽、釣り、旅行、定年その後などについて書いていこうと思っています
アメリカ人黒人女性で初のノーベル賞文学賞を受賞したトニ・モリスンの作品について感想を書くのはこれで3作目である。最初読んだ『青い眼がほしい』では黒人少女の頭の中で花開く至純の世界が描かれていたのではあるが、その取り巻く状況はそれに反して絶望的なものであっ
梅雨の暑さにくたばりながら、仕事を終え自転車をこいで家に帰りつく。どうせ投げ込みチラシしか入っていない一人暮らし老人の郵便受け。数日に一回しかチェックしないのだが、先日A4大の緑色の封筒が、〇〇ピザ、〇〇不動産の投げ込みチラシに交じって入っていた。差出人は
コロナの後遺症でもなかろうが、ここ数週間とてもしつこい倦怠感に悩まされている。カウントナインでベッドから起き上がり、重い自転車のペダルをこいで出勤。終業時間まで体がもたず、金曜日も1時間早退してしまった。(任期が来年度までなので、年休消化の意味もある)こ
この長大な作品を網羅的に一編のブログ記事(それもこの拙いブログで)で語ることは元より不可能だ。広く知られるように、この作品はナチスが戦時中行ったユダヤ人虐待が中心的なテーマである。この小説に浸っていると、人種差別というものが古来から現代に至るまで、そして
(とれたてのアブッテカモ塩焼き。本来は鱗・内臓ごと塩漬けし焼いたものである。)コロナ明け以来ずっと体調不良が続いている。しつこい倦怠感が毎日のように襲ってくるのだ。そこで先週は休養として月曜日休みを取って土曜日から3連休とした。土曜日、相変わらずベッドに横
使い残した札束を棺桶に詰め込んで火葬される図を何とか避けたい。「天涯孤独」を貫き通し、「家族愛」と引き換えるようにして貯めこんだお金を使い残すという愚か者になりたくない。これまでいくつかそれを避けるための作戦を立ててきた。1)年間支出目標設定計画・・年間
今から50年ほど前、中学生の頃この本を夢中になって読んだ記憶がある。半世紀ぶりの再読となるわけである。物語の詳細はほとんど忘れていたのだが、そのときの読後の感想は憶えている。「女の一生とは何と空しくみじめものだろう。」何と生意気な中学生。もちろん、今回読み
私は秋の誕生月で64歳を迎える。ところで、私の年代ぐらいがおそらく最後になるようだが、64歳の誕生月から年金の一部(報酬比例分)が支給されるのだ。年金をもらうまでくたばるまいぞ・・というのが老境に差し掛かった私の生きていく推進力であった。さらにグッドタイ
(左:香草焼き、右:塩焼き)この1か月間というもの、コロナ熱に始まり、足関節の痛み、それに最近は倦怠感(特に出勤時の)に悩まされどおしであった。休みに日といえば、ひたすら体力の回復に努め、ベッドで読書がお決まりであった。若かりし頃、例年であればこの季節、天
ローベルト・ゼーターラー『ある一生』・・私もこういう風に人生を振り返りたい
ゼーターラーは1966年生まれの、オーストリアの作家である。この作品では、オーストリア山岳地方の片田舎で生まれ育った、きわめて素朴な、ある意味地味に生きた男の一生が描かれている。主人公エッガーは私生児として生を受け、引き取られた親戚の家では厳しい養父から
60歳で定年を迎え、再雇用として働き始め、早3年2カ月が過ぎた。そしてこのほとんど保障されている5年間の再雇用期間も、残りあと22カ月に迫った。これまで「完全リタイア」というものを考えるとき、必ず「毎日が日曜日という地獄」という負の面が頭に付きまとい続け
2010年にノーベル賞を受賞したペルー出身のバルガス=リョサの作品はこれまで幾つか読んできたのだが、そのいずれもがとても感動的な作品であった。『悪い娘の悪戯』、『チボの狂宴』、『緑の家』、『楽園への道』この作品『密林の語り部』は、それらとかなり隔たった、
ウカツであった.これも加齢に伴うボケか。残り2,3枚と思っていた松屋株主優待券が丸々10枚残っていたのだ。有効期限は来月6月末まで。あと5週間あまり。どこでどう勘違いしたのか。家の近所には松屋・松乃屋はなく、利用するとすれば(福岡市の繁華街)天神・中洲方面
GW最後の2日間、福岡はずっと途切れなく雨だった。よく言えば読書三昧、悪く言えば「寝たきり老人」状態。海外どころか、近所の公園散歩さえ行く気がしない。その間、いろいろな本を読んだのだが、アメリカ南部がらみの本を2冊読んで・・ウィリアム・スタイロンの小説の根
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昨日4/26(金)、朝起きたらとても体がだるい。しかし今日午前中は外せない仕事があるのだ。例によってカウントナインで立ち上がるボクサーのようにベッドから立ち上がり、仕事に向かう。与えられた仕事を何とかこなした後、また仕事の方向性が掴めない虚無感が襲う。「
再雇用最終年で夢にも思わぬ驚天動地の人事異動。何とか自分をごまかしごまかし、爬虫類上司N氏のワニ・スペシウム光線攻撃をのらりくらりとかわしながら、4月分の異動後初の給料をもらった。この間、途中退職や高齢者雇用に関するYOUTUBEなどを随分見てきたが、(本当かどう
来年3月下旬までの再雇用期間最後の1年を迎えようとしている64歳のジイサンに対しての、明らかに異例な理不尽極まりない人事異動の言い渡し。その言い渡し直前まで、私のリタイアまでの道筋は何と見通しがよく、なんと平坦な道が連なっていたことであろう!残り1年、4年
発作的に「退職願」は書いたものの、これを何時提出したらいいかなかなかタイミングが掴みにくい。法律的には2週間前までとか、1か月間前とか、出来れば3か月間前とかいう情報もある。私の理想は9月5日で退職することだが、だとすれば3か月前の6月上旬に同日付けの退職願を
この新しい呪いのような職場に来て約1週間が経過した。時がたてば経つほど、早期退職の決意は固まる一方だ。この決断に至った要因は複合的なものである。しかし、たった一つの要因さえなければ、その他の理由を昇華して目をつぶって、もしかしたらあと1年頑張って、晴れて5
(ドナル・ライアン『軋む心』)4/1に新しい職場に初出勤。職場の近くに桜が咲いている。しかし、今年の桜ほど心ときめかないサクラは見たことがない。サクラの花は見ようによっては、寂しいものだ。それは、まもなく散ってしまうことを予感させる寂しさを裡に内包してい
(4年間、通勤で苦楽を共にしてきた自転車)私の理不尽極まりない人事異動の原因らしきものは分かった。もうこうなったら、転勤先で1年頑張りとおすしかない。何しろ私に与えられている雇用期限は、あと1年なのである。木曜日に転勤先の前任者から電話があった。最低限のすぐ
(今年は桜の開花が本当に遅い。3/27近くの公園でたった1本だけ花開いていた。)64歳の再雇用期間があと1年しか残っていないこのよぼよぼの老人に、なぜこの理不尽極まりない異動が言い渡されたのか・・この数日間胸塞がれる思いであった。心には、さまざまな疑念が
前の記事で「人事異動の荒波」について、第3者的立場で、サラリーマン人生の過ぎ去った回想として、やや上から目線で書いた。その「人事異動の荒波」が、まさかこの定年後再雇用4年を過ぎ、残り1年の64歳の老人を襲うことになるとは夢にも思っていなかった。職場の同僚の誰
多くの会社・組織が正に今、人事異動の季節に突入していると思う。我が職場も来月4月にかけて人事異動や昇任などの発表が控えているところだ。辛いことも多いサラリーマン生活で、私にとって特に辛い時期がこの人事異動の時期であった。サラリーマン生活も40年が過ぎようと
最近職場で驚いたことは、Y氏の突然の入院である。Y氏は私より1年先輩(65歳)、定年後5年の再雇用期間が今月末で切れる。そして以前書いたように、さる団体に再就職が決まっている。今Y氏は私と同じ短時間(週3日休)であるが、氏の再就職先はフルタイム勤務。「今更フ
あと1年と3週間ほどで定年後の再雇用5年を終え、晴れて仕事から解放されてリタイア生活に入ることができる。それを「解放」だと素直に感じるようになったのは、昨年ぐらいからだったと思うが、特に朝仕事に行くときにベッドから立ち上がるのが毎日とても辛く感じるようにな
私の職場では、60歳定年後65歳の年度末までの5年間は、普通に勤めていれば(1年ごとの契約更新はあるが)、再雇用がほぼ保障されている。しかし、それを過ぎれば全くのフリーとなり、こちらから何らかの行動を起こさなければ直ちに無職となるのである。私の場合、先日
ときどき私は同僚らに尋ねられることがある。「海外旅行で一番良かった場所はどこですか?」と。私は「ウイーンですかね」と答えることにしている。本当は「それはウイーン・中央墓地のベートーベンのお墓」と声を大にして言いたい所であるが、ベートーベンの本当の偉大さを
来年度も今の条件で働けることが決まった。再雇用最後の年、そしてサラリーマン人生最後の年になるのだが、振り返ってみて定年退職後この4年間、いったい私は何を成しとげてきたのだろう、・・という疑問に捕らわれることがある。家族がいれば、何らかのイベント・・例えば
働き方改革の一環として、事業者には65歳までの就労を保証する努力義務があるとされる。そして、4月からの新年度にその最後の65歳を迎える私に、事業者はその「努力義務」を果たし、気前よく仕事を与えてくるのか?何しろ1年ごとの契約である。「来年度も来てください」
ザジはフランスの田舎町に暮らしている女の子である。その子が、地下鉄に初めて乗ってみたくて伯父のガブリエルを頼ってパリにやってくる。何かというと「け〇食らえ」というお下品な言葉が少女の口から発せられる。勝手に伯父のアパートから抜け出して街に出るザジ。それを
「老人」、「お年寄り」には誰でもできればなりたくないはずだ。(笑)私も漠然とそういう思いであったが、高齢者の大方の定義である「満65歳」を、あとわずか7か月で迎えようとする今現在、急にその時を迎えるのが楽しみになってきた。前の記事で二つほど、「高齢者(満6
(福岡市花畑園芸公園へ梅を見に行く)人は誰でも「歳は取りたくない」と思っているはずだ。「早く歳を取りたい」などと思う人はほとんどいないだろう。しかし、今現在の私に限っていうと、早く「高齢者(満65歳)」になりたくてたまらないのだ。(あと8カ月ほど)この間、
作者はアイルランド人。2012年アイルランド最優秀図書章受賞作品。アイルランドといえば、一昔前は<アイルランドのような田舎に行こう>という詩にイメージするような、牧歌的な印象があったものだ。ところが、そんな国が2000年ごろ突然不動産バブルに沸き立ち、そ
いわゆる「ロリータコンプレックス」の語源となった『ロリータ』で有名なロシア出身の初期の作品。初期の作品であるが、すでに『ロリータ』(これは日本のノーベル賞候補といわれるM氏の作品に比べれば、その〇〇〇性も低く、文学的により純粋な作品と感じる)の緻密で装飾的
ネコ好きになって1年以上がたった。この間、家の裏庭には入れ替わり立ち替りいろんなネコちゃんたちが姿を見せた。孤独な一人暮らし老人にとっては、このネコちゃんたちは心を和ませてくれる良きお友達である。この間、裏庭に遊びに来た薄いサバ毛のネコちゃんが我が家裏庭に
(1)からの続き引き伸ばしに引き伸ばした「社会からの退出」の時期。「退職届の撤回」、定年、そして一年も続けばと思い再び始めた「定年後再雇用」の仕事も3年が過ぎた。我々の職場では65歳の年度末までは、一応「再雇用」としての仕事はほとんど保障されている。再雇
「訳者あとがき」で作者モディアノ(2014年ノーベル文学賞受賞)が語っている。<(幸福な思い出は別として)幼い時の思い出は、いつも断片的で奇妙なものです。>まして19歳の 孤独な女テレーズにとっては。彼女は小さい時、母親から「かわいい宝石」と呼ばれていた
4月の乗っ込みチヌシーズン(産卵のためクロダイが岸近くまで寄ってくるのだ)がやってきた。この間、お手軽釣り場でチヌを狙ったのだが不発に終わった。(そのかわりコノシロ大漁)ここはやはり、1回だけでもじっくりと本格的にチヌを狙いたい・・とやってきたのは、2年前ま
私の50歳代後半からの人生は、モラトリアム人生であった。「モラトリアム」・・今の若い世代には聞き覚えがない言葉かもしれない。本来は借金などの「支払い猶予」を意味する言葉であるが、我々の世代(60代前半)が学生だったころ、この言葉がその時代の社会現象を批判
ここしばらくオースターの「どん底からの再生」とも言うべき小説にはまっている。この小説はその数冊の本の中で最も感銘を受けた本だ。主人公ジンマーが落とし込まれた地獄は、愛妻ヘレンと二人の幼い息子が航空機事故であっけなく命を落とすという最悪の出来事だった。大学
(左からツワブキの葉、ツワブキの茎、ワサビ葉漬け)ワサビ葉漬けは懐かしい父の味である。父がどこから素材を手に入れていたものか、時々自分で作っていた。噛んだ瞬間、ピリッとする味わい。大人の味であるが、まだ小学生のころではあったのだが、その「大人の味」を嚙分
読了したその日、その部分を思い返すごとに何回も涙がにじんできた。それは219ページ、「青い目」をあれほど欲しがっていた黒人少女ピコーラが半狂乱の頭の中で自己と会話するシーンである。音楽で言えば人類最高峰のピアノ曲であるベートーベンピアノソナタ第31番第1楽
私自身の人事については、晴れて希望通り留任となったことは以前書いた。そのことを知ったとき、体調は芳しくなかったのだが、満開の桜のように晴れ晴れしさを感じたものだったのだが・・。(今は亡き父と母も心配そうに見守る)年度当初の仕事始めの日に必ず行っている儀式
若いころは、暑さ寒さもなんのその、ミゾレ降る中釣りをしていたこともある。しかし63歳ともなれば、そうはいかない。真冬はもちろん、この季節の気温上昇の天気予報にも、途中から寒風が吹くかもせれない・・ベッドで読書していたほうが快適ではないか・・歳を重ねるとと
私は独り身の63歳男性である。このまま生涯孤独であり続けるであろう。数十年間決定的な出会いがなく、還暦を過ぎたて今更「決定的な出会い」を期待するほど私は〇〇ではない。これは宿命だ。一つ残念な事は、使い残した資産を残してやりたいと思う人がいないということで
とても非凡な女性ソーネチカの生涯である。その生き様や考え方は、「寛容」「心の広さ」という単純な言葉で言い表せない、もっと大きなものだ。生まれつき残念な容貌(梨みたいな団子鼻、不格好な体つき)を神から与えられたソーネチカであるが、その代わりではないだろうが
人事異動が希望通り「留任」となり、今日は再びの花見のあと、お祝いに裏庭焼肉をすることにした。午前中は読書(オースター、ナボコフ)し、3時ごろから行動開始。前日桜の開花を見た同じ近所の公園は晴れ間ものぞき、花も昨日より一層綺麗に見える。この公園は20年以上
ここのところの体調不良(倦怠感、首・肩回りのコリなど)でただでさえ鬱陶しい日々であるが、それに加え通奏低音のように常に頭から離れないのは人事異動の恐怖である。昨日その発表があるものとばかり、仕事をしながらも、いつ上司の声が掛かるかと神経をびくつかせ、結局
物語中物語が頻出する、凝りに凝った小説である。本筋の物語は、小説家の卵であるシドニーが死の淵を彷徨う病を乗り越え、病院から退院することから始まる。退院後、待っているのは最愛の妻グレース。そして夫妻を毎週食事に招待してくれるのは、小説家シドニーの師匠であり
(旅行2日目その7)甘樫丘を降りて、電動自転車で飛鳥宮跡周辺を見て回る。(飛鳥宮跡)昔ここは「飛鳥板葺宮(いたぶきのみや)」という案内板があったようだが、今は単に「飛鳥宮」とされている。ここら一帯に4つの宮が築かれたのだ。当時天皇が代替わりするごとに宮(
ここ数日、仕事の上で大変な日々であった。私の仕事は1件の案件について、いくつかのプロセスを経て最終段階に至る。その最終段階が、ありえないほど立て込んできたのだ。それはゲリラ豪雨的だというべき立て込み具合だった。それに加えて、私の仕事では年間数件ほどしか発生
フランスのノーベル賞作家、ル・クレジオによる力強くも気高く生きる少女の物語である。物語の主人公ライラは、まだ記憶もはっきりしないような幼年時にアフリカの部族間の争いの巻き添えになり、団袋に入れられモロッコに売り飛ばされてしまう。幸いこの女の子ライラを「買
今の車を買って約17年が経とうとしている。今年は車検の年。前回の車検の時は16万円位かかったと思う。今年は18万円位かと予想していたのだが、何とディーラーの見積もりは約22万円!タイヤ、バッテリー・・いろんな〇〇オイルの交換も必要だという。この金額に何か