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正覚ノ門 徒然帖 https://blog.goo.ne.jp/shogakujivihara

正覚者の言葉の書き写しをメインに、仏教の話題、折々の出来事、日々の雑感など。<br>自他法界同利益 倶生極楽成仏道

正覚寺住職 千葉県東葛地区在住 ハンドルネームは「クリームコロッケ」又は「えびちゃん」 ※正しく覚った先人方の言葉の書き写しをメインテーマに、日々の小さな出来事や写真、雑記等のご紹介をして行きたいと考えています。自他共に、このブログが覚りの機縁となり、正覚に至ることを祈念いたします。

クリームコロッケ
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2020/01/15

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  • 金剛般若経 十四b

    おはようございます。静かな風が吹いています。天上から飛行機の音が聞こえてきます。本日も宜しくお願いします。十四bしかし、師よ、この法門が説かれているときに、わたくしがそれを受け入れ、理解するということは、それほど難しいことではありません。しかし、師よ、これから先、のちの世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、ある人々がこの法門をとりあげて、記憶し、誦え、研究し、他の人々のために、詳しく説明するでありましょうが、その人々はもっともすばらしい性質を具えた者ということになることでありましょう。☆今回は本文に関する追加説明はありません。金剛般若経十四b

  • 金剛般若経 十四a

    おはようございます。たくさんの雲の合間からいくつかの星がのぞいています。穏やかな朝です。十四aそのとき、スブーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った。―「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです。《この上ない道に向かう人々》のために、《もっとも勝れた道に向かう人々》のために、この法門を如来が説かれたということは。そして、師よ、それによって、わたくしに智が生じたということは。師よ、わたくしは、このような種類の法門をいまだかつて聞いたことがありません。師よ、この経が説かれるのを聞いて、真実だという思いを生ずる求道者は、この上ない、すばらしい性質を具えた人々でありましょう。それはなぜかというと、師よ、真実だという思いは、真実でないという思いだから...金剛般若経十四a

  • 金剛般若経 十三e

    おはようございます。雨は上がり、少し暖かな朝です。十三e師は言われた―「また、実に、スブーティよ、ひとりの女、または男が、毎日、ガンジス河の砂の数だけの体を捧げ、捧げ続けて、ガンジス河の砂の数ほどの無限の時間の間、その体を捧げ続けたとしても、この法門から四行詩ひとつでもとり出して、他の人々のために教え示し、説いて聞かせる者があるとすれば、こちらの方が、一層多くの計り知れず、数えきれない功徳を積むことになるであろう。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※無著の頌を引用します(無著造世親釈長尾雅人訳中公文庫)。頌24a (自らを捧げ供養し)その結果(として享ける身体)は最もすぐれたものであるが、(同時にその身体を無限に捨てることは)苦に満ちたものであるから(その功徳は劣っている。説法の功徳はそれに比して、はるかにすぐれて...金剛般若経十三e

  • 金剛般若経 十三d

    おはようございます。微かな雨。雪は降っていません。十三d 師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人は、偉大な人物に具わる三十二の特徴によって見分けられるであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そうではありません。如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人は、偉大な人物に具わる三十二の特徴によって見分けられるものではありません。それはなぜかというと、実に、師よ、『如来によって説かれた、偉大な人物に具わる三十二の特徴は特徴ではない』と如来が説かれているからです。それだからこそ<偉大な人物に具わる三十二の特徴>、といわれるのです。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※偉大な人物に具わる三十二の特徴 ー1月11日のブログ、金剛般若経五<特徴>と同じ。無著の頌を引用します(無著造世親釈長尾雅人...金剛般若経十三d

  • 金剛般若経十三 c

    おはようございます。十三c師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。この果てしなく広い宇宙の大地の塵は多いであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、それは多いですとも、幸ある人よ、それは多いですとも。それはなぜかというと、師よ、『如来によって説かれた大地の塵は、大地の塵ではない』と如来によって説かれているからです。それだからこそ、大地の塵と言われるのです。また、『如来によって説かれたこの世界は、世界ではない』と如来によって説かれているからです。それだからこそ<世界>と言われるのです。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※無著の頌を引用します(無著造世親釈長尾雅人訳中公文庫)。頌23c (七種の宝の供養が煩悩の原因となるのに対して、土の塵も世界も煩悩の原因ではない。まして説法は)よごれの原因とはならないから(その功徳は...金剛般若経十三c

  • 金剛般若経 十三b

    おはようございます。新月です。ぱらっぱらっと微かな雨が降っています。十三bスブーティよ、どう思うか、如来によって説かれた法というものがなにかあるだろうか。スブーティは答えた―「師よ、そういうものはありません。如来によって説かれた法というものはなにもありません。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※無著の頌を引用します(無著造世親釈長尾雅人訳中公文庫)。頌23b (説法は、個人の作為ではなく、世界の真実のすがたとしての法界から自然に)流れ出たものとしての偉大さがあるから(説法の功徳はすぐれたものである)。金剛般若経十三b

  • 金剛般若経 十三a

    おはようございます。十三a  このように言われたときに、スブーティ長老は師に向かって次のように問うた―「師よ、この法門の名はなんと申しますか。また、これをどのように記憶したらよいでしょうか。」このように問われたときに、師はスブーティ長老に向かって次のように答えられた。―「スブーティよ、この法門は《智慧の完成》と名付けられる。そのように記憶するがよい。それはなぜかというと、スブーティよ、『如来によって説かれた《智慧の完成》は智慧の完成ではない』と如来によって説かれているからだ。それだからこそ、<智慧の完成>と言われるのだ。」※この法門ーこの経典、この世尊の法金剛般若経十三a

  • 金剛般若経 十二

    おはようございます。十二さらにまた、スブーティよ、どのような地方でも、この法門から四行詩ひとつでもとり出して、話したり、説いたりして聞かせたりされるとすれば、その地方は、神々と人間と、アスラたちを含む世界にとって、塔廟にもひとしいものとなるだろう。ましてや、この法門を余すところなく記憶し、読み、研究し、他の人々のために詳しく説いて聞かせる者どもがあるとすれば、スブーティよ、かれらは《最高の奇瑞をそなえた者》となるに違いない。スブーティよ、そういう地方には師と仰がれる者が住み、また、さまざまな《聡明なる師の地位にある者》が住むのだ。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※アスラ(阿修羅)アスラは、インド神話・バラモン教・ヒンドゥー教における神族または魔族の総称。「神(sura)でない(a)もの」,すなわち「非天」とも言わ...金剛般若経十二

  • 金剛般若経 十一

    おはようございます。本日もよろしくお願いいたします。十一師は問われた―「スブーティよ、どう思うか、ガンジス大河の砂の数だけガンジス河があるとしよう。それらの河の砂は多いであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、それらのガンジス河でさえも、おびただしい数にのぼりましょう。まして、それらのガンジス河にある砂の数にいたってはなおさらのことです。」師は言われた―「わたしはあなたに告げよう。スブーティよ、あなたによく理解させよう。それらのガンジス河にある砂の数だけの世界を、ある女なり、あるいは男なりが、七つの宝で満たして、如来・尊敬すべき人、・正しく目ざめた人々に施したとしよう。スブーティよ、どう思うか、その女なり、あるいは男なりは、そのことによって、多くの功徳を積んだことになるであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、...金剛般若経十一

  • 金剛般若経 十 c

    おはようございます。十・c「それだから、スブーティよ、求道者・すぐれた人々は、とらわれない心をおこさなければならない。何ものかにとらわれた心をおこしてはならない。形にとらわれた心をおこしてはならない。声や、香りや、味や、触れられるものや、心の対象にとらわれた心をおこしてはならない。スブーティよ、たとえば、ここにひとりの人がいて、その体は整っていて大きく、山の王スメール山のようであったとするならば、スブーティよ、どう思うか、かれの体は大きいであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、それは大きいですとも、幸ある人よ、その体は大きいですとも。それはなぜかというと、師よ、如来は『体、体、というがそんなものはない』と仰せられたからです。それだからこそ、<体>といわれるのです。師よ、それは有でもなく、また無でもないのです。...金剛般若経十c

  • 金剛般若経 十 b

    おはようございます。今日の三日月はややオレンジ色。十・b師は言われた―「スブーティよ、もしも、ある求道者が、『わたしは国土の建設をなしとげるだろう』と、このように言ったとすれば、かれは間違ったことを言ったことになるのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、如来は<国土の建設、国土の建設というのは、国土の建設でないことだ>ととかれているからだ。だからこそ、<国土の建設>と言われるのだ。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※国土の建設ー国土荘厳(こくどしょうごん)、国土の光輝(かざり)この部分に関する無著の頌を引用します。頌20(無著造世親釈長尾雅人訳中公文庫)(浄土というのは、仏陀の)知から流れ出たもの、ただ表象としてのみあるもの(唯識性)である。それゆえに、国土(の光輝)は捉えられるものではない。それは個別的な形状の...金剛般若経十b

  • 金剛般若経 十 a

    おはようございます。外気温0℃、三日月がくっきり見えています。十・a師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。如来が、尊敬さるべき人、正しく目ざめた人であるディーパンカラ如来のみもとで得られたものがなにかあるだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。如来が、尊敬さるべき人・正しく目ざめた人であるディーパンカラ如来のみもとでえられたものはなにもありません。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※ディーパンカラ如来 ー 燃燈仏(ねんとうぶつ)。釈尊以前に現れたと言われる24仏のひとり。釈尊が過去生でスメーダという苦行者のとき、汝は後に仏になるであろうと授記(予言)したと言われる。金剛般若経十a

  • 金剛般若経 九 e

    おはようございます。九・eそれはなぜかというと、師よ、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人は、わたくしのことを《争いのない境地を楽しむ第一人者》と仰せられました。師よ、わたくしは、尊敬さるべき人であり、欲望を離れています。しかし、師よ、わたくしは、<わたしは尊敬さるべき人であり、欲望を離れている>というような考えはおこしません。師よ、もしも、わたくしが、<わたしは尊敬さるべき人という状態に達している>というような考えをおこしていたとするならば、如来がわたくしのことを、『立派な若者であるスブーティは、争いを離れた境地を楽しむ第一人者であり、どこにもとらわれないから、争いを離れたものである。争いを離れたものである。』などと断言したりはなさらなかったでありましょう。」(中村元class="s2"style="fon...金剛般若経九e

  • 金剛般若経 九 d

    おはようございます。初雪は来らず。冷たい風が静かに吹いています。九・d師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《尊敬さるべき人》が<わたしは尊敬さるべき人になった>とういうような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。尊敬さるべき人が、<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、師よ、実に、尊敬さるべき人といわれるようなものははなにもないからです。それだからこそ、《尊敬さるべき人》と言われるのです。師よ、もしも、尊敬そるべき人が<わたしは尊敬さるべき人になった>というような考えをおこしたとすると、かれには、かの自我に対する執着があることになるし、生きているものに対する執着、個体に対する執着、個人に対する執着があるという...金剛般若経九d

  • 金剛般若経 九 c

    おはようございます。朧月が中天にかかっておりました。無風、外気温3℃、今日も静かな朝です。九・c師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《もう決して生まれ変わって来ないもの》が、<わたしは、もう決して生まれ変わって来ないものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。もう決して生まれ変わって来ないものが、<わたしは、もう決して生まれ変わって来ないものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、師よ、実に、もう決して生まれ変わって来ないものになったといっても、なにもそういうものがあるわけではないからです。それだからこそ、《もう決して生まれ変わって来ないもの》と言われるのです。」(中村元紀野一...金剛般若経九c

  • 金剛般若経 九 b

    おはようございます。九・b師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。《もう一度だけ生まれ変わって覚るもの》が、<わたしは、もう一度だけ生まれ変わって覚るものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。もう一度だけ生まれ変わって覚るものが、<わたしは、もう一度だけ生まれ変わって覚るものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずがありません。それはなぜかというと、もう一度だけ生まれ変わって覚るものになったといつても、なにもそういうものがあるわけではないからです。それだからこそ、《もう一度だけ生まれ変わって覚るもの》と言われるのです。」(中村元紀野一義訳岩波文庫)※もう一度だけ生まれ変わって覚るものー斯陀含(しだごん)、一来、サカ...金剛般若経九b

  • 金剛般若経 九 a

    おはようございます。外はしとしと雨が降っています。明け方には雨は上がるとの予報です。本日もよろしくお願いします。九・a(世尊が言われた―)「スブーティよ、どう思うか。《永遠の平安の流れに乗ったもの》が、<わたしは、永遠の流れに乗ったものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか」。スブーティは答えた―「師よ、そういうことはありません。永遠の平安の流れに乗ったものが、<わたしは、永遠の流れに乗ったものという成果に達しているのだ>というような考えをおこすはずはありません。それはなぜかというと、師よ、実に、彼はなにものも得ているわけではないからです。それだからこそ、《永遠の流れに乗ったもの》と言われるのです。彼は、かたちを得たのでもなく、声や、香りや、味や、触れられるものや、心の対象、を得たわけでも...金剛般若経九a

  • 金剛般若経 八

    おはようございます。無風気温4℃月は南方向上空1時の位置。八師は問われた―「スブーティよどう思うか。立派な若者や、あるいは立派な娘が。この《果てしなく広い宇宙》を七つの宝で満たして、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人々に施ししたとすると、その立派な若者や立派な娘は、そのことによって、多くの功徳を積んだことになるであろうか。」スブーティは答えた―「師よ、幸ある人よ、その立派な若者や立派な娘は、そのことによって、多くの、多くの功徳を積んだことになるのです。それはなぜかというと、師よ<如来によって説かれた、功徳を積むということは、功徳を積まないということだ>と如来が説かれるからです。それだから、如来は、<功徳を積む、功徳を積む>と説かれるのです。」師は言われた―「そこで、また、スブーティよ立派に若者や立派な娘があ...金剛般若経八

  • 金剛般若経 七

    おはようございます。窓を開けると、何処からか蝋梅が匂ってきます。春の知らせがやって来ました。今日も宜しくお願いします。七さらに、また、師はスブーティに向かってこのように問われた―「スブーティよ、どう思うか。如来が、このうえない正しい覚りであるとして現に覚っている法がなにかあるだろうか。また、如来によって示された法がなにかあるのだろうか。」こう問われたときに、スブーティ長老は師に向かってこのように答えた―「師よ、私が師の説かれたところの意味を理解したところによると、如来が、このうえない正しい覚りであるとして現に覚っておられる法というものはなにもありません。また、如来が教え示されたという法もありません。それはなぜかというと、如来が現に覚られたり、教え示された法というものは、認識することもできないし、口で説明すること...金剛般若経七

  • 金剛般若経 六

    おはようございます。六このように答えられたとき、スブーティ長老は師に向かって次のように訊ねた―「師よ、これから先、のちの時世になって第二の五百年代に正しい教えが亡びるころには、このような経典の言葉が説かれても、それが真実だと思う人が誰かいるでしょうか。」師は答えられた―「スブーティよ、あなたはそういう風に言ってはならない。これから先、のちの時世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、このような経典の言葉が説かれるとき、それが真実だと思う人が誰かいるに違いない。スブーティよ、また、これから先、のちの時世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、徳高く、戒律を守り、知恵深い求道者・すぐれた人々は、このような経典の言葉が説かれるとき、それは真実だと思うに違いない。スブーティよ、また、かれら求道者。す...金剛般若経六

  • 金剛般若経 五

    おはようございます。今日も霜は降りていませんでした。無風、穏やかな朝です。本日も宜しくお願いします。五「スブーティよ、どう思うか、如来は特徴をそなえたものとして見るべきだあろうか。」スブーティは答えた。「師よ、そう見るべきではありません。如来は特徴を備えたものとして見てはならないのです。されはなぜかというと、師よ<特徴をそなえているということは、特徴を備えていないということだ>と如来が仰せられたからです。」このように答えられた時、師は、スブーティに向かって次のように言われた。「スブーティよ、特徴をそなえているといえば、それはいつわりであり、特徴をそなえていないといえば、それはいつわりではない。だから、特徴があるということと、特徴がないということとその両方から如来を見なければならないのだ。」(中村元紀野一義訳岩波...金剛般若経五

  • 金剛般若経 四

    おはようございます。四ところでまたスブーティよ、求道者はものにとらわれて施しをしてはならない。何かにとらわれて施しをしてはならない。形にとらわれて施しをしてはならない。声や、香りや、味や、触れられるものや、心の対象にとらわれて施しをしてはならない。このように、スブーティよ、求道者・すぐれた人々は、跡を残したいという思いにとらわれないようにして施しをしなければならない。それはなぜかというと、スブーティよ、もしも求道者がとらわれることなく施しをすれば、その功徳が積み重なって、たやすくは計り知れないほどになるからだ。スブーティよ、どう思うか、東の方の虚空の量は容易にはかり知られるだろうか。」スブーティは答えた。「師よ計り知られません。」師は問われた。「これと同じように、南や西や北や下や上の方角など、あまねく十方の虚空...金剛般若経四

  • 金剛般若経 三

    おはようございます。今日は少し寝坊しました。暖かな冬の朝です。車は凍っていませんでした。外は優しい風が吹いています。三師はこのように話し出された「スブーティよ、ここに、求道者の道に向かう者は、次のような心をおこさなければならない。すなわち、スブーティよ『およそ生きもののなかまに含められるかぎりの生きとし生けるもの、卵から生まれたもの、母胎から生まれたもの、湿気から生まれたもの、他から生まれず自から生まれ出たもの、形のあるもの、形のないもの、表象作用のあるもの、表象作用のないもの、表象作用があるのでもなく無いのでもないもの、その他生きもののなかまとして考えられるかぎり考えられた生きとし生けるものども、それらのありとあらゆるものを、わたしは、《悩みのない永遠の平安》という境地に導き入れなければならない。しかし、この...金剛般若経三

  • 金剛般若経 二

    おはようございます。今日の関東地方の天候は大荒れの模様です。午前中は雷雨、暴風、午後は日差しが戻って海沿いでは一気に気温気温上昇、18度超えの予想も。みなさまの安寧を祈念致します。さて、金剛般若経のつづきです。二ちょうどそのとき、スブーティ長老もまた、その同じ集まりに来合わせて坐っていた。さて、スブーティ長老は座から起ちあがって、上衣を一方の肩にかけ、右の膝を地につけ、師の居られる方に合掌して次のように言った。「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人によって、求道者・すぐれた人々が《最上の恵み》につつまれているということは。師よ、すばらしいことです。如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人によって、求道者・すぐれた人々が《最上の委嘱》をあたえられて...金剛般若経二

  • 金剛般若経 一

    おはようございます。本日より金剛般若経を書き写してまいります。よろしくお願い致します。金剛般若経(金剛般若波羅蜜経)邦訳尊ぶべき、神聖な、智慧の完成に帰命したてまつる一わたくしが聞いたところによると、あるとき師は、千二百五十人もの多くの修行僧たちと、多くの求道者・すぐれた人々とともに、シュラーヴァスティー市のジェータ林、孤独な人々に食を給する長者の園に滞在しておられた。さて師は、朝の中に、下衣をつけ、鉢と上衣とをとって、シュラーヴァスティー大市街を食物を乞うて歩かれた。師はシュラーヴァスティー大市街を食物を乞うために歩かれ、食事を終えられた。食事が終ると、行乞から帰られ、鉢と上衣とをかたづけて、両足を洗い、設けられた座に両足を組んで、体をまっすぐにして、精神を集中して坐られた。そのとき、多くの修行僧たちは師の居...金剛般若経一

  • プログのはじめ

    令和2年、西暦2020年、皇紀2680年、仏暦2563年1月6日(月)大安・小寒の候正月休みも終わりたれば、年の初めとてブログなど始めんとす。自他法界同利益倶生極楽成仏道※正しく覚った先人方の言葉の書き写しをメインテーマに、日々の小さな出来事や写真、雑記等のご紹介をして行きたいと考えています。自他共に、このブログが覚りの機縁となり、正覚に至ることを祈念いたします。プログのはじめ

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