金剛般若経 二十三
おはようございます。二十三 さらにまた、スブーティよ、実に、その法は平等であって、そこにおいてはいかなる差別もない。それだからこそ、<この上ない正しい覚り>と言われるのだ。この、この上ない正しい覚りは、自我がないということにより、生きているものがないということにより、個体がないということにより、個人がないということによって、平等であり、あらゆる善の法によって現に覚られるのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、『<善の法><善の法>というのは法ではない』と如来が説いているからだ。それだからこそ、<善の法>と言われるのだ。(中村元紀野一義訳岩波文庫)※無著の頌を引用します(無著造世親釈長尾雅人訳注中公文庫)。頌56さとりは、"この上もない"(無上)のである。そのことは、(それ以上には、さとりの対象としての)"法が...金剛般若経二十三
2020/02/29 05:15