現存する私のホームページで、今ままでも論じてきたし、これからも生命ある限りは論じるであろうバルトの諸著作に即したその総体像に向かっての論述を、さらに再<推敲>と再<整理>を積み重ねることによって、今後により良い形で残すことを目指す。
カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2-2)
カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2-2) 1951年、バルトは、通常の授業に専念するために、バーゼル大学の学長の職を「再び辞退した」。したがって、「パウロのヨーロッパ到着一九〇〇年記念祝典のためのアテネへ
カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2-1)
エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づくカール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2-1) 1946年、バルトは、バーゼル大学学長の職の要請を断って、夏学期だけという限定において
カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2-2)
カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2-2) 1937年の夏、『教会教義学Ⅰ/2 神の啓示』(邦訳Ⅱ/1:言葉の受肉・イエス・キリスト、Ⅱ/2:聖霊の注ぎ・聖霊論、Ⅱ/3:聖書、Ⅱ/4
カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2-
エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づくカール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2-1) バルトは、処女作『ローマ書』「第2版序言」からはじまって、『
<自然神学>あるいは<自然的な信仰・神学・教会の宣教>とは何か?(その2-2)
<自然神学>あるいは<自然的な信仰・神学・教会の宣教>とは何か?(その2-2)自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を根本的包括的に原理的に止揚し克服した、バルトの<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階について(1
<自然神学>あるいは<自然的な信仰・神学・教会の宣教>とは何か?(その2-1)
<自然神学>あるいは<自然的な信仰・神学・教会の宣教>とは何か?(その2-1)カール・バルトの、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教に対する根本的包括的な原理的な批判について 先ず以ては、次のような認識を必要とする――バルトは、客観的可視的に存
カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2-2)
エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づくカール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2-2) バルトとトゥルナイゼンは、1933年10月から『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる
カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2-1)
エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づくカール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2-1) 先ず以て、この『ルートヴッヒ・フォイエルバッハ』を経由させた成熟の書としての『福音と律法』は、神の
カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2-2)
カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2-2) ブッシュは、バルトの『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』について、簡潔に、次のようにだけ説明している――バルトは
カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2-1)
エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社、1989年に基づくカール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2-1) バルトは、1920年代を
カール・バルト――自由主義神学者アドルフ・フォン・ハルナックとの論争(その2-2)
カール・バルト――自由主義神学者アドルフ・フォン・ハルナックとの論争(その2-2)『カール・バルト著作集 1』「アドルフ・フォン・ハルナックとの往復書簡」新教出版社に基づ論争3ハルナックの問い:(1)「神体験」と「その他の一切の体験」とが対立しているとすれ
カール・バルト――自由主義神学者アドルフ・フォン・ハルナックとの論争(その2-1)
カール・バルト――自由主義神学者アドルフ・フォン・ハルナックとの論争(その2-1)『カール・バルト著作集 1』「アドルフ・フォン・ハルナックとの往復書簡」新教出版社に基づ まさに近代以降において神と人間との「混淆」論、神学と人間学との「混合」学、「神人協
シュライエルマッハーからリッチェルに至る神学における神の言葉
『カール・バルト著作集4』「シュライエルマッハーからリッチェルに至る神学における神の言葉」に基づく 翻訳者・吉永正義は、「訳者解説」で、この書は、「『十九世紀プロテスタント神学』のすぐれた要約」である、と述べている。この書を、吉本隆明が教える連鎖式勉強法
カール・バルトの生涯――カール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書』「第2版」へ向かって(その2-2)
カール・バルトの生涯エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社、1989年に基づくカール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書』「第2版」へ向かって(その2-2) 1911年、バルトは、牧師としてザーフェンヴィル教会に
カール・バルトの生涯――カール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書』「第2版」へ向かって(その2-1)
カール・バルトの生涯エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社、1989年に基づく はじめに ブッシュは、「はじめに」で、表出と表現あるいは創造と享受という言語表現の言語の指示表出性あるいは享受の側面に依拠して、「バルトの生涯の
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