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2019/11/23

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  • 10/31 変わらない不思議

    二週間ほど私用により、間をあけました。 ブログを始めて、こんなに間を開けたのは初めてですごく新鮮だったし、考えることも書いている時に比べて新しいことが見えやすかったように思う。 例えば、私は今まで、精神性の完全な解放つまりは善への歩みこそが唯一の使命であり、成すべきことだと考えていた。 しかし、この二週間で考えは少し変わった。 精神性の解放の点では変化はないものの、せっかくこの世に、人間として、〇〇家の末っ子として生まれたのだから、この固有の魂を味わうのも悪くは無いと思うようになった。 自分の好き嫌いや癖を観察し考察する。その面白さに目覚めたのである。何故私はこう考えてしまうのか、何故私はこれ…

  • 10/30 お知らせ

    皆さん、お久しぶりです。ニ週間ほど私用により間が空いてしまいました。楽しみにしてくれていた方にはお待たせして申し訳ありませんでした。明日からまた再開したいと思います。読者の皆様にはいつも感謝しております。本当にありがとうございます。

  • 10/14 生きていても、死んでいても

    生きていても、死んでいても、実は大差がないのではないか。と最近考える。 どっちにしろ存在しているのだから、一度存在したものは決して「無」になることは無い。無はないのだから。 すると、やはり生きていても、死んでいても結局は存在するのである。執着など今さら生まれるはずもない。存在は存在する限り、愛されている。 「有」というのは、どれも「有り難い」のである。 存在というのは、その意味でどれも、価値があるのだ。優劣はあるにしろ。 むしろ、私は早く肉体を脱ぎ捨てたいとさえ思う。肉体は快楽を与えてくれるが、同じ道理で苦痛も肉体から生まれるからである。 老いれば、老いる程に苦痛は増えるはずであろう。 その苦…

  • 10/13 災害に思うこと

    大きな台風が来た。台風前日には近所のスーパーからは、食料がほとんど消えうせ、コンビニも半分空っぽになっていた。 鳴り止まぬ警報と雨風。人々は恐怖に打ちひしがれたであろう。 災害が来る度我々は思い出す。自然という力の大きさを、人類の力の及ばなさを。西暦が2000年も経って、科学がこれだけ進化した現代においても、われわれは自然に太刀打ちする手段を持たない。 われわれに出来るのは、せいぜいが予測、備蓄、逃走である。 われわれはかくして思い知る、自然の恐ろしさを、非情さを。そして自分たちの日常がどれだけ、不安定な足場の上に成り立っているかを。 自然はわずか一撃で、われわれの日常をなきものにし、そして無…

  • 10/11 人間の価値

    肉体はこの世のものである。 それは自然的に生存を欲する。 生存はそれ自体、他との争いにほかならない。 弱肉強食。その言葉に尽きるであろう。 ただ生きんが為に生きている。その意味で動物は完全だ。 目的も意味も決して求めはしない。ただ己の生を全うする。 しかし、人間は言葉を精神を理性を所有した。 ただ生きる、ということがおよそ不可能になった。 価値を理由を目的を問うことをやめることなど出来るはずもない。 現代では、現世的な「物」がそれを誤魔化した。 人は物欲、金銭欲、快楽などに溺れることによって、生きる目的をそこにこじつけた。 「生きたいから、食べている」だったはずが、 「食べたいから、生きている…

  • 10/10 「 」

    全てが無であり、有である。 不変、無限的で、静寂に包まれておりながら、一切がカオスである。 そういう世界を言葉で語るのにはおよそ無理がある。しかし、これは確実に感ずることのできる世界である。 言葉というのは、カオスを秩序づけるもの。 混沌であるところの世界に記号をつけ、本来境目などないものを、とりあえずの区切りで、分割させ、「もの」を出現させたのが言葉というものである。 元々「 」だった世界を、言葉によって分けたということである。私が言いたいのは「その」世界のことである。 やはり「そこ」は一切の言葉を拒絶する。言葉で語った瞬間に嘘になる。「そこ」という指示語ですら、違和感を覚える。 そういう世…

  • 10/7 私は何故私か

    私はなぜ私なのか。私にはこれが甚だ疑問である。 この精神であっても、別の人でもよかった。 この肉体であっても、別の人でもよかった。 Aは何故Aかと問う、これはおよそただの言い換えゲームにしかならない。「Aは何故Aか」と問うて、「AはBだからAである」ではやはり答えにはならない。 「で、AはBでも、なぜAはAなのですか?」とたちまちこうなるからである。 これは答えようがない、というより言葉では決して語りえない。昔の人はおよそ、この語れぬものを語ろうとして、言葉を所有したのではないか、と私は考えている。 しかし、語れぬものはやはり語れぬのが道理である。今、私はその語れぬものはいかに語れないのかを語…

  • 10/6 ただ知りたい

    私はただ知りたいのである。 自分とは何か。存在とは何か。生きて死ぬとはどういうことか。まぁ全部同じことである。 この知りたいという欲求は人間本来のそれであろうか。はたまた個人的なものなのだろうか。 世の中にはあまり見受けられないのはなぜなのか。 自分とは何か。これは分からないのは目に見えている。自分とは何か、と考えている自分とは何か、と考えている…以下無限に続き、掴んだと思ったらスルッと抜けて、とそんな具合である。 自分は自分の外側には決して出られないから、これは捉えようがない。 そして存在とは何か。これは言ってしまえば一番の謎なのではないかと思う。なぜ宇宙なんてものが存在するのか、そしてそこ…

  • 10/5 誰かを思う

    大切な人を思う。それだけで心が暖かくなる。 感謝の念と共に思い出を懐古する。 そして、「あの人ならきっと」という無根拠だが、圧倒的信頼に基づいてその人の今を想像する。 人を思うとは、自分を思うことにほかならない。 誰かを思えるということは、その誰かは自分だからである。その人に自分を重ねるのではない。その人は私そのものなのである。 誰かを思い、想像する。これを人は「愛」と呼ぶ。 愛とはその人は、現に自分なのだと知ることである。 その人が生きていようが、死んでいようが、そんなことはどうでもいい。「思う」ことによって私達は常に一つなのである。 そして、その人の「魂」へと思いを馳せる。 あぁなんという…

  • 10/4 生存 存在

    生存とは、生きて存在することである。 生きて存在する。つまり、生きると存在する、は別のことである。 生きている「から」存在しているのではない。生きるという「形態」で存在しているのである。 存在はどう足掻いても、存在することしか出来ず、「無」とは決して相容れない。 簡単に言えば「あるものはある、ないものは無い」 それだけの事だが、これは恐ろしく不思議なことである。 宇宙の最も奥深い法則であるが故に、最も当たり前になっているのである。 この当たり前の不思議に目覚めるか否かで、人生の生きやすさはグーンと変わる。 生存しかないと思い、生きることにしがみつき、死に恐怖するか、 生存という一形態を宇宙の側…

  • 10/3 家族、親子

    血縁とはこの世で最も固く結ばれた縁であろう。 人は血が繋がっているというだけで、親しく思えるものである。 これはよくよく考えてみると、私にはとても不思議なことである。遺伝子を受け継いでいると、はて何を受け継いだことになるのだろうか。 見た目が似るというのならまだ分かるが、性格まで人は遺伝だという。 自分のこういう嫌なところは遺伝で両親に似たのだ、と。 しかし、遺伝でなくとも似てる性格の人など五万であろう。なぜ親の場合だけ、それは遺伝子のせいになり得るのだろうか。 また、人はなぜ子供が欲しいと思うのだろうか。 例えば、遺伝子を残したいから。人はそれを生物の自然と思うようだけれど、なるほど理性を、…

  • 10/2 人生は死への過程

    人は生まれた瞬間に死への歩みを進めることになる。どこで生まれようが、どの時代に生まれようが、必ずそうなのである。 毎日一歩一歩着実に死へと近づいている。 死は一人の人生、文字通り人としての生の終わりである。即ち終焉。 死は人生という物語のとりあえずの終わりである。 よって生は物語の終わりへと向かう、過程である。 常に過程なのである。過程即ち結果。未完成即ち完成。結果をとるなら、人生は味気なく中途半端に未完成のまま終わるであろう。しかし過程をとるなら、人生は常に、完成されたものとなる。 コインの表裏である。裏にいるから、表なのだ。 表が欲しけりゃ、裏に徹する。 世界は必ず逆に出来ているからだ。言…

  • 10/1 精神は平等

    精神は絶対自由である。 あらゆる人に開かれており、「〜思う」という形は絶対に揺るがない。 精神性において、人は皆平等である。 そして、生まれて生きて死ぬという形式もまた、皆同じである。 故に、精神を鍛えることのみが、人生の課題であり、精神の優劣だけが、その人の価値を決める。 精神が優れているものだけが、本当に優れているということである。 容姿や職業、その他のあらゆるものは、せいぜいこの世の価値に過ぎない。即ち相対的な価値であり、簡単にその価値は失われる。 失われる可能性がある価値など、最初から価値ではない。 だが、精神性において、優れているものは絶対的価値である。なぜなら、精神性において優れて…

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