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2019/10/03

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  • 小さき花-第4章~36

    尊敬する母様。私はいかに熱き感謝の念を以って、天主様の御慈しみを歌いましょうぞ…「私の精神が世間の俗悪な風に汚されない以前、偽りの虚飾のために迷わされない以前……(知恵の書4の11)に」天主様は私をこの世間から離れさせてくださいました。それで私はこれを待つ間「マリア児童会」に入る許しを願い、特別に聖母マリア様に身を捧げる決心を致しました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~36

  • 小さき花-第4章~35

    私は堕落する霊魂を非常に深く憐れみます。実際花で飾ってあるこの世間の道を迷うのは、如何にもたやすい事ではありませんか、無論高尚な霊魂の為にはこの世間が与えるところの甘味にいつも苦みが混じり、その限りない希望が到底一時のへつらいの言葉をもって満足する事が出来ません。これは至当の事であります。しかし私はここに繰り返しますが、もし私は幼い時から天主様のほうに心を惹かされず、また世間が私に微笑みを示したならば、今日、どんなものになったでありましょうか……。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~35

  • 小さき花-第4章~34

    無駄心遣いの話しに戻ります。ついに私は小心のあまり病気に罹りましたので13歳の時から学校の寄宿舎から出て学校をやめねばならぬ様になりました。しかし父はなお別に教育を授ける為、徳の優れた某夫人の許に一週間に数回連れて行ってくれましたが、今までの学校と違ってこの夫人の自宅に通うのでありますから、自然この世俗に近づいてきました、この夫人の部屋の中には古い珍しいものが沢山ありましたので、これを見るためにいろいろの人が訪ねてきておりました。それで大抵先生の母親が客のもてなしをしておられましたが、私は教えを受ける間、眼は書物に注いでおりましても、耳には聴かなくとも良い事まで入りまして、ある夫人は「この娘の毛髪は綺麗である」とか「この若い美しい娘は誰であるか」とか、直接私に向かって話しするのではないですが、おのへつらい...小さき花-第4章~34

  • 小さき花-第4章~33

    そのころ私のために大いなる利益となった一つの事がありました。従姉妹のマリアは度々頭痛がしましたが、その都度母の叔母は彼女にへつらいの言葉を言って機嫌を取ろうとしましたが、しかしマリアはなお頭が痛い痛いを繰り返して涙ながらに不平を鳴らしておりました。私もその時大抵毎日のように同じく頭痛がしておりましたが黙って辛抱しておりました。ところがある夜図らずも私はマリアのようにすぐに部屋の片隅にある椅子に寄りかかって泣き出しました。すると私が深く愛していたマリア従姉妹のヨハンナと叔母がすぐ私の側に来て「なぜ泣くのか」と訊ねましたから、私はマリアの真似をして「頭が痛い痛い」と申しましたが、いままでこういう事をせず、またこの嘆くのはどうも私の性質に合わないと見えて、実際に頭が痛むために焚いているという事を誰も信じません。それゆ...小さき花-第4章~33

  • 小さき花-第4章~32

    その年の夏季休暇は私等は十五日間ほど海辺に行きましたが、叔母はいつも私等に対して母親の如く親切に愛し、ロバに乗せて散歩させるとか、魚釣りをさせるとか、いろいろの楽しみをさせてくださいました。また身なりまでもよく注意してくれました。ある日私は叔母から空色のリボンを貰いました。私はこの時12歳6か月でありましたが、まだ幼児の様なものであって、この美しいリボンで髪を結ぶのが嬉しくありました。しかし私は後これが大いに心遣いの元となって、罪悪のように思いましたから、この無邪気な楽しみさえも、告解の時に神父に言い表しました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~32

  • 小さき花-第4章~31

    私は第二に聖体を受ける少し前から、何事にでも無駄に気づかいするという恐ろしい小心の病気に罹りましたが、一度試みに罹った人でなければ、とてもその苦しみを悟る事が出来ません。私は二年の間この病気にひどく苦しめられました。私の想いや仕業や、子細なことでも皆悲しみと憂いの種となり、これを長姉マリアに打ち明けてからでないと安心しません。しかし私の全ての想い、殊につまらぬ事までも、ことごとく打ち明けねばならんと思っていたから非常に辛くありました。そしてこれを打ち明けますと一時安心する事が出来ますが、この安心が稲妻のごとく過ぎ去ってまた他の心遣いが起こるのであります。これが為に長姉はさぞうるさかったでありましょう。また彼女自身にとっては忍耐の徳を守るよい機会となったでありましょう。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~31

  • 小さき花-第4章~30

    ちょうどこれと同じく、私は父なる天主様に深く愛される子の子供でありまして、聖書にも「我が来たりしは義人を招ぶ為にあらず、罪人を招びて改心せしめん為なり(ルカ5の32)とある通り、罪人を改心させるためにご自身の御子を遣わされたるところの天主様に愛せられる子供であります。そして私は多く赦されたからではなく、みな赦されたのでありますから、深く愛せねばならぬ義務があります。否、罪悪にに陥らないよう私に恵んでくださったばかりでなく、この誘惑を遠ざけてくださったのでありますから、私は聖女マリア・マグダレナよりもなお一層深く聖主を愛さなければなりません。発狂するまでに愛さねばならないのであります。私は黙想会や説教の時に度々こういう事を聞きました。それは「真に痛悔した霊魂よりも多く主を愛した霊魂がまだ見当たらぬ」という事であり...小さき花-第4章~30

  • 小さき花-第4章~29

    ここに一人の上手な医者の息子があって、彼は路傍の小石につまづき倒れ、胸部の骨を折りました。そのとき父の医学士が急いで来て、その子を抱き起しその巧みな技術を以ってこれを療治し、なお心を尽くし大切に介抱しましたので、間もなくその子は全快しました。それでその子は父の深い愛情を厚く感謝しましたが、無論その感謝は至当の事であります。が、今一つ或る父が自分の息子の通らねばならない道に、危険な石があるという事を聞いて息子のまだ通らぬ以前に急ぎ走って行き誰も知らぬよう、この石を取り除いておきました。しかしこの深く愛せられる息子は、父のおかげで危険を免れたという事を知りませんから、父に対しても別に有難く感謝の意を表さず、また前の息子の如く死に迫るような傷を直してもらった人ほど父を愛しませんが、これは父の仕業を知らないからでありま...小さき花-第4章~29

  • 小さき花-第4章~28

    ああ私は良く知っております。慈しみ深き聖主が私が弱すぎる者であるという事を良くご存じでありましたから、この誘惑には逢いませんでした。万一私がこれに逢ったならば此の世間の偽りの光に全部焼かれていたかも知れません。しかしこの偽りの光が私の眼に入りませんでした。強き霊魂はもしこいいう場合罪悪の便りとなることがあれば、その楽しみは直ぐに棄ててしまう勇気がありますが、人々がこういう愉快を感ずる場合には私はいつも却って悩みに遭いました。それで弱き私の霊魂が、こういう儚く危ない世間の愛情に身を委ねなかったのは私の手柄ではなく全く天主様の御憐れみ、慈しみの結果であります。もし主が私を助け護ってくださらなかったならば、私はマリア・マグダレナの如く、大いなる罪悪に陥っていたかもしれません。聖主がかのファリサイ人なるシモンに向かって...小さき花-第4章~28

  • 小さき花-第4章~27

    また数人の生徒が特別に某童貞と心易くなるのを見て私も同じくこの童貞の気に入るようにしたいといろいろに力を尽くしましたが、どうも思う通りに行きませんでした。しかしこれは主の厚き恩寵であって、私は此の世間の俗悪な友情に唯苦みだけを与えてくださった事を今日主に深く感謝いたします。実際私の様な愛情に満たされたる心を以って世間の人々と親しく交わったならば、すぐに罪悪のために囚われ迷わされて、遂には翼までも切られ、後、主のもとに飛んで行って、楽しい休みに就く事が出来なかったのに相違ありません。これは自分の心を世間的の愛情に委ねるような者は、どうして天主様と親密になり一致する事ができましょうか、とても出来ないと断言致します。私はこの偽りの光に迷わされた多くの霊魂が哀れな胡蝶の如くになって、俗悪な愛情のもとに飛んでゆき、その偽...小さき花-第4章~27

  • 小さき花-第4章~26

    そのころ私は親友として同年の二人の小さき友を選びました。しかし人々の心は如何にも狭きこと、そのうち一人は数か月のあいだ、家に帰らねばならぬようになりました。しかも、私は子の不在の間でも常にその友の事を思い、再び学校に帰った時には、大いなる喜びを以って迎えましたが、彼女は一向に無頓着で私の友情を少しも悟りませんでしたから、我が愛を悟らないということを強く感じました。強いてこんな儚い愛情を決して求めませんでした。しかし、天主様は特に忠実の心を与えてくださったので、私は、一度誰かを愛せば、いつまでもその愛情を続けております。この友人のためには尚続いて祈り、今日でも彼女を愛しております。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~26

  • 小さき花-第4章~25

    私はこの忘れる事の出来ない、愉快な喜ばしい初聖体、堅信の両秘蹟を受けた翌日からまた生徒となって学校に通いました。学校ではいつも成績が良く、学ぶ事はみなその意味を容易く記憶することが出来ました。しかし言葉通りに暗記することは非常に困難でありましたが、そのうち公教要理の暗記は立派に成功しました。この時分司祭は私を指して「小さき博士」と申しておりましたが、大方これは私の名が聖女テレジアと同じでありましたから、その名に対してであったと思います。そして休憩の時間には、いつも少し離れて生徒達の遊びを眺めつつただ一人高尚な問題について考え耽っておりました。私にとってこれは得意の気晴らしであったのです。また気に入る遊び方を工夫し、大きな樹の下に落ちてくる哀れな小鳥の死骸を探し拾い、同じ芝の中へ丁寧に葬って遊んでおりました。また...小さき花-第4章~25

  • 小さき花-第4章~24

    私は初聖体の後、間もなく堅信の秘蹟を受ける為再び黙想会に入りました。私はこの秘蹟を受けるために特に熱心なる注意を以って聖霊を受ける覚悟に勉めました。そしてこの秘蹟を受ける日が都合によって少し延びましたので、それだけ長く黙想する事が出来ました。私の霊魂が昔の使徒たちの如く、約束された慰めもの即ち聖霊のたまものを受ける事を待ち完全なる信者となる秘蹟を受ける事を望み、この秘蹟によって私の額に永遠に遺る十字架の印を刻み付けられる事を如何に望んでおりましたでしょうか。私は使徒たちの上に、初めて聖霊が天下った時の様な、大風を感じずむしろエリアスの預言者がオリーブ山の上に聞いたような、そよ吹く暖かな風に迎えられつつ、穏やかにこの聖きたまものを受けました。その日には私のために必要なちから……苦難に耐える力を受けました。即ち私は...小さき花-第4章~24

  • 小さき花-第4章~23

    私はまた一つの大なる望みが起こりました。それは天主様のみを愛する事、天主様のみを想うて喜ぶという事でありまして、私は聖体拝領後の感謝の祈祷の中に度々「ああ主よ、口に言うべからざる甘味よ、願わくは現世の全ての快楽を私のためにことごとく憂いに変え給え(キリストの模範3の26の3)という言葉が自然に出ますので、ちょうど子供が愛する人から聞いた言葉が、たとえ意味が分かりませんでも、これを繰り返しているように、私もこの言葉をそのまま繰り返しておりました。そして聖主がいかにして、私のこの希望を果たせてくださったか、またいかにしていつも聖主のみ私にとっていうべからざる愉快の喜びの基であったかは、後に母様に申し上げましょう。もしただいまこれを申し上げますと私の中年時代に先立つようになり、かつまた幼年時代のことについて申し上げた...小さき花-第4章~23

  • 小さき花-第4章~22

    マリアはいつも私が聖体を受ける度に、その前日からちょうど初聖体の覚悟をさせておったとき、よく覚悟をさせてくれました。私はまたよく記憶しておりますが、マリアは苦しみについて話をし、天主様は私に対して苦しみの道を歩まされるのではなく、幼き子供のごとく愛し携えてくださるのであろう、と言い加えました。私はその翌日聖体を受けてからマリアの言葉を思い出したので、私は聖主のために苦しみ悩みに遭いたいという熱望が起こり、続いて多くの十字架が私を待っているという事を確かに感ずると同時に、これを受けたいという望みが起こりました。この時私の霊魂は一生涯に感じた事のないような大きな慰めと愉快を覚え、苦しみが私の心を惹くようになり、そして苦しみの中に何とも言えない愉快があるという事を感じましたが、まだ充分にその愉快を悟ることが出来ません...小さき花-第4章~22

  • 小さき花-第4章~21

    あくる日は、幾分か私の愉快が減りまして陰気な日となり、昨日貰った時計やその他の物品は私の心を満たすに足らず、その日から後は、ただイエズス様のみ私に満足を与えてくださることが出来たのであります。そこで私は再び聖体を受ける幸いを待ちかねておりましたが、御昇天の大祝日にあたって2度目に聖体を拝領することが出来ました。そのとき私は父とマリアの間に入って聖体拝領台に跪き、うれし涙を流しながら聖体を受けました。そしてその時「我は活くといえどもそれは最早我ではなく、イエズスキリストこそ我において活き給うのである」と聖パウロがガラテア人に贈られた書簡の内の句を何回となく繰り返し、それから後は度々聖体を受けたいという事を望み、それは大祝日に許されておりましたから、大祝日を待ちかねておりました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~21

  • 小さき花-第4章~20

    家に帰りますと、私のために大いなる祝宴をしてくれ、また父から立派な時計を貰いましたので、私は大いに喜びました。しかし私の喜び幸いは穏やかな静かで心の平和を乱しうるものがなかったのであります。ついにこの愉快な日も夜になり、光明は暗黒となりました。ああ、いかに愉快な日も暗闇と暮れてしまいます。真に暮れない日は、ただ本国(天国)の永遠に入る時のみであります。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~20

  • 小さき花-第4章~19

    この喜ばしい日の午後、父は小さき女王の手を取って「カルメル会」の修道院に参りました。最早霊魂の上でイエズス様の浄配となっていたポリナに会い、私と同じ白いベールをかけ、薔薇の花冠を冠っているのをみて私はこの上もなく喜び自分は間もなく彼女と同じこの修道院に入ることが出来、その側で天国に行くのを待とうと思いました。読んでくださってありがとうございます小さき花-第4章~19

  • 小さき花-第4章~18

    午後、私は生徒(みんな)に代わって「瀬尾ぼに身を捧げる祈り」を唱えました。この総代に選ばれたのは大方私は幼い時から肉親の母に死に別れていたからでしょう。この時私は心の底から熱心に聖母に身を捧げ、なお私を護ってくださるようにと願いました。聖母もまた、必ず愛を以ってこの「小さき花」をご覧になり、以前のように今一度微笑みなさったに相違ありません。先に私を治し、助けてくださった聖母の微笑みをよく記憶しておりました。私はこの御恩寵に報いるようにしなければならないという事も良く知っておりました。聖母はまたこうして5月8日の朝も私の霊魂のうてなの中に「野の花と谷の百合(雅歌2の1)と歌われているイエズス様を置いてくださったのであります。読んでくださってありがとうございます。小さき花-第4章~18

  • 小さき花-第4章~17

    この日、私の歓喜は大きく深く、とても小さき心の中にその歓喜を保ち抑える事が出来ませんでしたから、うれし涙にむせびました。ところが友達はみなこれを不審に思って、式が終って後、互いに囁きあって「テレジアはなぜ泣いていたのでしょうか、何か気にかかる事でもあったのでしょうか」とか、ある人は「いいえ、母親やポリナが側に居らなかったので泣いたのでしょう」などと申して、誰も私の涙の訳を悟りませんでした。即ち天の全ての喜びの基なる聖主の一の心の内に天降りてこの島流しに会い、かよわき死すべきものがとても感謝の涙を流さずにはおられません。初聖体の日にはどうして母や姉がいない為に泣きましょうか、天の喜びが我が心に天降り、聖主と共に天国に在す親愛なる母が私を訪問してくれました。またポリナがいないからといって、泣きません。彼女もちょうど...小さき花-第4章~17

  • 小さき花-第4章~16

    私は、聖主に愛されているという事を深く感じましたので「私は主を愛します。そして私の一生涯を主に捧げます」と申しました。しかし聖主は私に対して、別に何の願いをもなさらず、また何の犠牲も要求になりませんでした。最早ずっと以前から聖主とこの小さきテレジアとは相互いに見え、心が通じて相通じておりましたので、この日について聖主と私とは全く一致しておりました。そしてこのテレジアはあたかも大洋に流れ入った一滴の水のようになって、ただ残っているのは聖主なる大洋のみでありました。実に彼は主人であって、また王であります。テレジアは自由を奪い取ってくださるように度々祈りを願っておりました。なんとなればこの自由を持つのを恐れていたのであります。自分が至って弱く壊れやすい者であるという事を悟っておりましたから、いつまでも天主の御力と一致...小さき花-第4章~16

  • 小さき花-第4章~15

    イエズス様の初めて我が心に降りて我が霊魂になさった最初の接吻はいかに楽しかったでしょう。実はこれが愛の接吻でありました。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~15

  • 小さき花-第4章~14

    ようやくにして、一生涯中、一番喜ばしい日が来ました。この日の事はいかなる些細な事でも深く頭脳のなかに浸み込んで忘れることが出来ません。まず朝早くから快く目が覚め、童貞方の友達との挨拶、それから雪のように純白の衣装を着たこと、聖堂に入りました時「天使達に取り囲まれた祭壇よ!……」と、讃美歌が始まりました時のことを皆よく記憶しております。しかし、実際を申せば私はこの日の事柄をみな言い表すことが出来ません。よし、これを言い表す事が出来ましてもこれを申したくありません。なぜならばちょうどある物の中には、一度空気に触れるとすぐその良い香りを失うものがあります。それと同じく心のなかにある深い喜び、感想を、この地上の言葉を以って言い表せば、すぐにその深い意味と天の香りとを失うからであります。読んでくださってありがとうございま...小さき花-第4章~14

  • 小さき花-第4章~13

    私はこの黙想の間になさった神父様(ドメレ師)の説教をよく気をつけて聴き、部屋に帰ってから、その概略を記しました。そしてこの説教について感じたことが沢山ありましたが、別にその観念を記さなくても決して忘れないと思って省きました。が、実際その通り今日でもその時の感じを忘れておりません。私はいかに大なる愉快をもって、童貞方と共に全ての日課に与っていたのでしょう。私は「親愛なるレオニアから貰った大きな十字架を、ちょうど宣教師のように常に帯の間に吊るしておりましたので、よく人目についておりました。それで人々は私は「カルメル会修道院」に入っている姉に倣いたいのであるという事を思っていましたが、真にその通り、私の思念思考はいつも姉ポリナの方に飛んで行っておりました。ちょうどその時ポリナも私等のようんび黙想中であることを知ってお...小さき花-第4章~13

  • 小さき花-第4章~12

    三か月も前から初聖体を受けるための覚悟を与えておりましたが、早くもこれが終わって黙想会がありました。その間、修道院の寄宿舎に止まらなければなりませんでしたが、いかにも恩寵豊かな黙想であったでしょう。その時の喜びは修道院の外では決して味わう事が出来ないと思っております。またそのt機に初聖体の覚悟をする子供の数がすくなかったので、童貞方は各々に対して母親のように、良く親切に注意を与えてくれました。大切にしてくださいました事については、なお感謝の念が起こります。そしてどういう理由かそのうちにも特に私を大切にしてくださいました。童貞様が毎晩、小さいランプを提げて私の寝台の側に来られ、愛情をこめて私の額に接吻をしてくださいました。私はその深い親切に感じ、ある晩「母様!私はあなたを深く愛しておりますから、私が秘密にしている...小さき花-第4章~12

  • 小さき花-第4章~11

    そのとき私は黙想する事を習いたかったのですが、しかしマリアは私を充分に信心深いものと思ってか、口禱だけしか許してくれませんでした。ある日学校の童貞が「休日には家で何をしているのか」と尋ねましたので「童貞!私は度々部屋の片隅に隠れて、寝台の前に垂れ下がっている布で身体を囲って、そこで「考える」とこわごわ答えました。すると童貞は笑いながら「何を考えてるのですか」と申されましたから、私は「天主さまの事、生命の儚き事、永遠の事などを考えます……」と答えましたが、童貞はこの答を忘れなかったものと見えまして、その後私にその時の事を思い出させて「まだ昔考えていた事を思い出すか、やはり今日でもお考えていますか」と度々訊ねられました。私はこの「考える」という事は聖主は穏やかに私の心に教えてくださった真の黙想であったと今日悟ってい...小さき花-第4章~11

  • 小さき花-第4章~⒑

    長姉のこの教訓は如何に立派で、私の心の底深く響きました。私はこのような深い教訓をたった一人で聴くのはいかにも惜しいような気がして、なお多数の聴聞者を望みました。そして私は心密かに思ったことは、もしこの教訓を聴くのなら、たとえいかなる大悪人でもすぐに改心し、またこの世の儚き名誉財産に執着している者でも、天の唯一の宝だけを探すために力を尽くすようになるに違いない……と。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~⒑

  • 小さき花-第4章~9

    この覚悟を為す為、長姉のマリアはポリナに代わって、私に良き覚悟を為すため、毎晩、大切な事柄を話してくれましたので、私はいつも喜んで、ずっとその側に居りました。そしてその感じることを聴くと同時に、マリアの勇ましく高尚な精神が私の心に映るように感じました。ちょうど、むかしの武士が子供に武士道を説くように、マリアが私の心を励まし報いられる榮譽の冠を示しながら、人生の戦いを教えていました。そしてまた一日でたくさん積み集めることが出来る永遠の宝を話され「この宝を摘み取るためには、ちょっと身を屈めさえすれば足りるという程容易な事であるのに、却ってこれを足の先で踏みにじるというは如何に不幸な事であろうか」ということについて、詳しく話されました。読んでくださってありがとうございますyui小さき花-第4章~9

  • 小さき花-第4章~8

    私が初聖体を受けた日の事は、少しも曇りないように、記憶に残っております。私はこれ以上の覚悟を為すことが出来ないほど、充分に覚悟していたと思います。母様、あなたが初聖体の三ケ月前に私に小さい立派な書籍を与えてくださったことを、まだ記憶しておられるでありましょう。私はこの書籍のおかげで立派な覚悟が出来ました。実は私はずっと以前から初聖体の事を思っていました。この書籍にあるように、私の精神に新しい励みを与える事、私の精神に新しい花を満たす事が必要であったことをこの書物によって悟りましたのに、毎日多くの犠牲を捧げ、花に変わるべき愛の所業に努めておりましたが、なおこの大小の犠牲をもって、スミレとかバラとはヒナギク、瑠璃草というように、この自然界の全ての花として私の心のなかに飾り、聖主のため……初聖体のために、この花かごを...小さき花-第4章~8

  • 小さき花-第4章~7

    ああ、世間の人々は現世の楽しみ、喜びに耽りながら天主さまに仕えようとするには、如何にも上手であります。彼らは「死」という観念が如何にも薄いからであります。その時、私の知っていた多数の年若い者、富豪、また豊かな生活を送っていた人々が、最早死んでしまいました。ただいま、私は彼らが住んでいて大快楽をしていたところを思い起こして、彼らは今どこにおるであろうか、彼らは生前生活していた立派な建物や庭園について今なんと思っているでしょうか。また、彼らが栄光栄華に耽り、贅沢な生活をしていたことが、今日いかなる利益となっているでしょうか……などという事を度々思い浮かべます。そして「ただ、天主さまを敬愛し天主さまに仕え奉るほか、現世のことは全て無益である」(キリストに倣いて1-3)という事も思います。私のこの旅行は必ず天主さまは、...小さき花-第4章~7

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