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  • 家族は不幸の始まり

    人生のあらゆる不幸は「家族」によってもたらされる。「家族」なんて概念なくなれば、みんな幸せになれるのに。私を傷付けるだけの人間、私に押し付けるだけの人間、私を嘲笑うだけの人間、私から搾取するだけの人間、そんな「家族」ならいらない。

  • 親と距離を置いてみた結果

    親との連絡を絶ってから、わりと調子が良い。メンタル的に大きく崩れることがなくなり、自己肯定感も上がった気がする。これで良いのかも知れない。このまま、もう関わりたくない。親不孝でごめんね、と思わなくなったら、もっと楽になれるん

  • 1対1の関係を求めてしまう。

    友達付き合いより恋愛の方が楽なのは、基本的に1対1の関係だからだと思う。友達付き合いは不特定多数対不特定多数の関係だから、距離感も図りにくいし、気を遣う範囲も事柄も広すぎてよくわからなくなる。空気の読み合いや本音と建前の使い分けも、恋愛

  • 愚痴の聞き役。

    子供に愚痴や悪口を聞いてもらってストレス解消するのが日課の親→いつもスッキリ!精神科無縁の人生親の愚痴の聞き役として育てらてた子供→成人後、高確率で精神科の常連客というパターンは多いと思う。汚いものを他人にぶつける側と、

  • 人間失格。

    家事も育児も満足にこなせない私は、専業主婦を名乗る資格すらないのだよ。全てにおいて落第点。人間失格。せいぜい頑張れよボタンです。押して頂けると励みになります。

  • どちらか1人しか助けられないとしたら?

    例えば、目の前に溺れている人間が2人いたとする。一人は自分の親で、もう一人は自分の子供。ロープが1本しかなくて、どちらか一人しか助けられないとしたら?私は、迷わず自分の子供を助けるし、多くの人はそうするんじゃないだろうか(ど

  • 加害者だって何かの被害者(ということもある。もちろんその逆も)

    17歳の兄が妹を殺した事件について。事件の詳細を見た。やはりこの兄も、被害者だった。むしろ「いいお兄ちゃん」だったように思う。留守がちな母親の代わりに妹の面倒を見て、自分も生きることに精一杯だったはず。母親にどんな事情があったのかはわ

  • 私は自分の両親を「毒親」とは呼びたくない。

    実家の周辺地域で通り魔事件とか報道される度に「犯人、うちの兄じゃないよな...」って本気でガクガクブルブルする気持ちわかりますかね?わかってくれる人、全員友達んこ。実際に昔、事件のニュースで自分の兄弟の名前見てビックリして母親に電話したこ

  • 兄が妹を殺した事件。

    17歳の兄が、6歳の妹を殺したっていう事件。現実はこの手の事件は山ほどある。「命に別状は無い」けれども、心は殺してる事件。報道すらされない、永遠に裁かれることのない事件。信頼できるはずの周りの大人に相談しても「家庭内のことだか

  • 人間なんてただの猿

    正しくない、社会的に間違っている、と承知した上で私の個人的な本音を言ってしまえば、自分はいらん存在だと感じた時、消えたくなった時、手っ取り早くそれを打ち消す方法はSEXなので、不貞行為に走る人の気持ちはまぁわからなくもない。というかと

  • 父に認められたかった。

    父は専業主婦を見下している。育児や家事労働を甘く見ている。何気ない言動に、その思想が滲み出ている。当然、専業主婦である私は父から認められない。育児が辛いとグチをこぼせば「お母さんだからしょうがないだろ」家事が辛いとグチをこぼせば「み

  • 可燃ゴミ。【4/29訂正あり】

    私は可燃ゴミだ。焼いたら骨だけが残る可燃ゴミ。役立たずな人間だったけど、焼く前に、使える部分はリサイクルしたい。だから、アイバンクに登録しているし、臓器提供意思表示カードにも全て丸をつけている。地獄に行く前に、少しでもいいから人の役

  • 暴力的な衝動

    いつの頃からか、暴力的な衝動や破壊衝動が心の底の方にあり、抑えきれない時がある。乱暴で投げやりな言動をする自分が嫌いだし、最悪だし、消えて欲しい。せいぜい頑張れよボタンです。押して頂けると励みになります。

  • 私は誰かに愛される資格など無い

    私は誰かに愛される資格など無い。そういう人間ではない。だから全ての人間関係を断ち切って、ふらっと居なくなりたい。私にはそれがふさわしい。誰もいないところへ。そして本当の寂しさを知りたい。知って、後悔して、「寂しい」

  • 「家族のゴミ捨て場」という存在。

    「家族のゴミ捨て場」という言葉を知った。歪んだ家族には、家族の負の部分を押し付けられる存在が1人いるらしい。それが家族のゴミ捨て場。私はたぶんゴミ捨て場だったんだ。そして私だけ精神科送りになった。他の3人は趣味や旅

  • まるでパチンコ玉。

    私の中心部は安っぽいパチンコ玉みたいだ。冷たくて硬い金属の塊だ。他人の気持ちや友人や家族の気持ちすら想像できない、冷酷で独りよがりな人間だ。優しくて温かい人になりたいけれど、結局ど真ん中はキンキンに冷えた安っぽいパチンコ玉だ。そん

  • あーーー

    私の人生返してよ。絶対に許さない私の人生返せ私の人生を返せせいぜい頑張れよボタンです。押して頂けると励みになります。

  • 悪夢

    また悪夢で目が覚めた。いつまで付きまとって来るんだろう。永遠に消してやりたい。全ての登場人物と、記憶を持ってる自分丸ごと。せいぜい頑張れよボタンです。押して頂けると励みになります。

  • 母からの電話

    母から電話がかかってきた。しばらくぶりに話した。全然楽しくないし嬉しくないしもうなんの感情もわかず、形式的な返事だけして、あとはひたすら話を聞かされていた。いつものように。ただただ、早く切りたかったし出なければ良かったと後悔した。ゴ

  • ゲスの極み。

    性被害って精神科医にも打ち明けるハードル高い。兄弟からの性被害を親に打ち明けても無かったことにされる。ましてや友人知人に打ち明けたところでドン引きされるか無神経なこと言われて余計傷つくだけ。結果、自分一人で抱え込んで一生苦しみ続ける。兄弟に

  • 母のやってた新興宗教。

    うちの母は、とある新興宗教の信者だった。あまりメジャーではないので、知ってる人は少ないかも知れない(でも、玄関に布教のパンフレットを入れられた人もいるかも知れないかも知れない)母がその宗教に入会したのは、私が小学校1年生のあたりだったと思う。家に

  • 地元でも有名な治安が悪い中学校。

    私が通っていた中学校は「不良が多い」「荒れている」と地域でも有名なところでした。ただまともな生徒は普通にまともだし、私はクソ真面目で陰キャでカースト底辺でしたが特にヤンキーに絡まれたりカツアゲされたりということはなく、学校では比較的平和に過ごせま

  • 兄も被害者である。

    兄も幼少期から色々と辛いことがあったはずだ。まだ兄が就学前。父方の祖父の家で暮らしていた頃。ちょっと悪さをすれば父方の祖父に縄で縛られて、真っ暗い倉庫にしばらく閉じ込められてたのを私は記憶している。どんなに泣いて謝っても許してもらえず

  • 統合失調症と診断されて、実家に強制連行。

    統合失調症と診断されて、最初に飲み始めた薬が「ルーラン」という黄色い錠剤だったと思う。(記憶が定かではないが)覚えてるのは、ルーランが闘病中最も長く飲んでた薬だったはず、ということ。診断後すぐのかなりヤバかった時に、両親が実家(東京)から雪

  • 精神科の仲間が好きだった。

    精神科に入院してた時、同世代の若いメンバーー(10代〜20代)で自由時間に集まって、お喋りするのが楽しかった。退院して、デイケアに通ってた時も、世代の近いメンバーでお喋りしたり、遊びに行ったりしたの、すごく楽しかった。みんな変なんだよ。一見普通なんだ

  • 人生を搾取されているという感覚。

    「自分の人生を、何者かに搾取されている」という感覚がずっと抜けない。統合失調症時代の妄想的なものとは違う。もっと別の、私の心の底に貼り付いた怒りとか、悲しみの、根源となるようなものだ。もう二度と取り戻せないものを、返して欲しい。叫びたいし

  • 父と母へ。

    私の父と母はダメな人だと思う。反面教師としてたくさんのことを教えてくれた。彼らにされて嫌だったことは、絶対に自分の子にはしないと心に誓っている。反対に、私がして欲しかったことを子供たちにしてやるんだ。例えば、遮らず否定せずに最後まで話を聞

  • 私の人生のときめきハイライト☆前編

    こちらのブログは当初、きちんと時系列に沿って書いていこうと思っていたのですが気まぐれに書きたいことから書いていくわけのわけらない回想記になってしまいました。私の中では「特に強烈に記憶に残っていること」「人生への影響が大きかった出来事」などを優先して書い

  • 空想の世界に救われた。

    主に、中学時代が人生で一番辛かったです。統合失調症の闘病時代もかなり辛かったし発達障害児育児中の現在もかなり辛いですが、中学時代を振り返ると「なんて平和で幸せな毎日なんだろう!」と本気で思います。当時、何が辛かったかというと、家庭環境です。

  • #MeTooやフラワーデモで感じていたこと。

    ここ数年の、#MeTooとかフラワーデモの流れを遠目に見ながら、私も声を上げたい、でも思い出してぶり返すのも辛いし無かったことにしたい、でも無かったことにしてたまるか、みたいなモヤモヤの中にいました。勇気を出して過去の性被害を訴える人たちに対して「勇気を出

  • 前の記事のこと

    前の記事書いた時、私ちょっとおかしくなってました。たまにそういう時がある。後から消そうかと思ったけどそのままにしておきます。全部事実だし、全部本音なので。何がいちばん辛かったかって、とても気軽には人に話せないってこと。勇気出

  • 前の記事のこと

    前の記事書いた時、私ちょっとおかしくなってました。たまにそういう時がある。後から消そうかと思ったけどそのままにしておきます。全部事実だし、全部本音なので。何がいちばん辛かったかって、とても気軽には人に話せないってこと。勇気出して打ち明けても

  • 母ヘ

    兄からの日常的な強制わいせつ、暴力、窃盗、脅迫、支配、監視、奴隷のように扱われ、殴られたくなければ、強制性行為のエスカレートを避けたければ、黙って従うしかない。大人に助けを求めても、誰も助けてくれない。まともに感情を機能させればおかしくなってしまうか

  • 母ヘ

    兄からの日常的な強制わいせつ、暴力、窃盗、脅迫、支配、監視、奴隷のように扱われ、殴られたくなければ、強制性行為のエスカレートを避けたければ、黙って従うしかない。大人に助けを求めても、誰も助けてくれない。まともに感情を機能させればおかしくなってしま

  • 子供の頃からの夢

    子供の頃からの密かな願い事。無人島でひとりで暮らすこと。小学生くらいからずっと思ってた。夫と出会って、そんな夢は忘れた。でもここ数年、また同じことを願っている。わざわざオンラインでまで飲み会するなんて、理解できない。でもそういうことを心から望

  • 子供の頃からの夢

    子供の頃からの密かな願い事。無人島でひとりで暮らすこと。小学生くらいからずっと思ってた。夫と出会って、そんな夢は忘れた。でもここ数年、また同じことを願っている。わざわざオンラインでまで飲み会するなんて、理解できない。でもそういうこ

  • いちばん古い記憶。

    私の中で、おそらくいちばん若かった時の記憶を書き残しておきます。脳内の「小さい頃の記憶ファイル」の中でいちばん最初に置いてあるやつです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー場所は、父方の祖父母の家。少し前に、両親と兄と私の4人で

  • 子供の頃触り心地が大嫌いだったもの。触覚過敏?

    お久しぶりぶり、ぶりぶりぶりっこ。このブログの方向性と時系列が予想以上にカオスになってしまい収集がつかなくなり、なんかめんどくさくなって放置してました。もう開き直って、思い付いたことから順に書きまくっていこうと思います。(後でちゃんとカテゴリに

  • 親のお節介でいたたまれない気持ちを味わったあの日。(ローラースケート続編)

    とはいえ、運動神経ゼロの私が生まれて初めてのローラースケートを乗りこなせるわけなどなく、転ばずに立っているだけで精一杯です。無言&無表情でただただ棒立ち(たまに小刻みに1cmほど前進)の私と、「がんばれー」とか言いながらそれを見守る女児2人。ビミョーな

  • 【場面緘黙症】近所の子とローラースケート。無言で。

    学校で全く喋らない私は、当然クラスで浮いていました。「栗山さんって暗いよね~」という陰口が毎日のように聞こえる学校生活。もはや陰口ですら無いですね。そんな私にも、時々遊んだり声かけてくれる女子はいました。純粋な善意というか「仲間はずれは良くな

  • 実母「今日は学校で20文字以上喋ってくること!!わかった?!」

    こちらのブログなかなか更新できなくてすみま千昌夫。飲酒しながらグフフフフ!!久々の更新death☆(メンタル薬飲んでるのでずっと禁酒してましたが我慢できずに解禁しちゃいましたアハハハハ!)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー小3の転校を期

  • 「左手切り落としたい衝動」を紛らわせるためにやっていたクレイジーな行為。

    統合失調症と診断される少し前に、ある日突然、「何かしらねーけど無性に己の左手切り落としたくてたまらねー」衝動に支配されてどうしようもなくなった…という話は最初の頃にしましたよね。しかし幸いにも、私は非常に痛がり&怖がり人間のため、自分で自分

  • 統合失調症の時、母の勧めで飲まされた謎のドリンク。

    こちらのブログは長らく放置プレイでしたが、突然過去の記憶を思い出しちゃったので書きます。この画像見たら思い出しちゃったんですよ...リアルタイムでは子供が児相に一時保護されてかなり凹んでいます。見事に心身の調子を崩し、ほぼ寝込んでいるよう

  • 言葉も表情も、学校では封印される。

    学校で喋れなくなった私。転校してすぐの「無口でおとなしいけれど喋れる」状態から「全く喋れない」の状態になるまでは、ある日突然ガクンと喋れなくなったわけではなく、少しずーつグラデーション状に進行していきました。言葉を発しないだけではなく、表情

  • 小3の転校がきっかけで場面緘黙になりました【場面緘黙症体験談】

    11月になったので、突然「場面カン黙編」をスタートします。統合失調症編は12月から再開します。書きたいことだらけで頭の中がとっ散らかっているため申し訳ありません。どうかお許し下さい。このブログの最終目的は「私の息の根のあるうちに(そし

  • 献血って気持ちいい!!学生時代の私の、密かな願望…

    最近、献血ポスターの炎上とか血液クレンジングとかの話題に触れて、ふと思い出したことがあります。それは、10代後半から20代前半にかけて密かに抱き続けた自分の血液を体内から抜き取ってしまいたいという謎の願望でした。こういう願望が病的なものかどうかはわ

  • 妄想以外に困っていた症状。

    「左手切り落としたい」から始まって「アメリカの最新型の殺人ウイルスが(以下省略)」の辺りは、今考えると典型的な統合失調症の症状(妄想)だったんだな~と思います。ただ、その少し前に精神科を受診して「神経衰弱」と診断された頃や、妄想が始まった頃に同時進行

  • 【統合失調症 体験談】「統合失調症」という診断〜そして、休職へ〜

    ちょっと脱線しましたが、統合失調症の話に戻しますね。1. 統合失調症と診断される「アメリカの最新型の殺人ウイルスが頭に埋め込まれている」という衝撃の事実()に気付いてしまった私は、当然ながらまともに仕事していられるような状態では無くなってしまいました

  • 父が送ってきた昭和のパソコン。

    仕事の話を書いていたらパソコン絡みの思い出フォルダが脳内でOPENしまい、どうしようもないので放出します。(話が脱線しまくりですみません。たぶんこんな感じで脱線を繰り返しながら続いていくブログです。遺書か何かの類だと思って気長にお付き合い下さい。)

  • 統合失調症の発症時、勤めていた会社。

    ここでちょっと、当時の仕事の話をさせて下さい。20歳の新卒で入社したその会社は、いわゆる「PCカチャカチャ系」です。だいたい一日中座ってプログラミングっぽいことしたり、時々通信機器をガチャガチャやったりする仕事です。こう書くと、「実はお前さんそっ

  • はじめまして。

    ※このページは初めて訪問された方向けにトップページに固定し、随時必要に応じて情報の追加と更新を行う予定です。当ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。「このブログはこれから一体何を伝えていくのか?」について、簡単に説明させていただきます

  • 【統合失調症 体験談】初期の妄想 その2

    ある日突然身体の底からわき上がってきた「自分の左手を切り落としたい」という謎の欲求に頭が支配されていた私(ガクブル)でも、ちゃんと頭の中に残っているんですよ。「そんなこと考えている自分はおかしい!!」というマトモな部分が。だって、左手

  • 【統合失調症 体験談】初期の妄想。

    私は社会人2年目あたりで統合失調症と診断され、その後7〜8年の闘病生活を送りました。マジで辛かったです(´;ω;`)統合失調症というと幻覚&幻聴のイメージが強いですが、私ははっきりとした幻覚や幻聴の症状はなかったんですよ。その代わり、

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栗マロンさん
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メンタル病んでるマイライフ〜ときめき、自分GATARI〜
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