「北ア立山・神のお使いライチョウを食っていた登山者」

「北ア立山・神のお使いライチョウを食っていた登山者」

【概略文】山で人気者のライチョウは、普段はハイマツの中にいて、雷がなるような時や、霧がかかってきた時などに親子づれで出てきてイネ科の植物の実をついばんでいます。北アルプス立山ではライチョウを立山の神の眷属として大事にしていたそうです。加賀藩代々の藩主はとくにライチョウを大事にしていたという。江戸時代初期の1648年(慶安元)、加賀藩三代藩主前田利常は立山一帯の「来鳥花松硫黄」のなどを盗むものがないよう見回ることを命じています。十一代藩主の前田治脩も1788年(天明8)、絵師の梅田陳和斎久栄を立山に登らせライチョウを写生させています。「来鳥図会」(栗山文集)によれば、そのライチョウの絵につけた、漢学者の柴野栗山という人の解説文に、「僅カモ山ヲ離ルレバ、スナハチオツ」との記述があり、飼育が不可能のことを知って...「北ア立山・神のお使いライチョウを食っていた登山者」