「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」
「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」【説明概略文】富士山の火口は浅間神社の奥ノ院にあたります。かつて登山者は無事の登山を感謝し一族の幸せを願い火口に賽銭を投げるお散銭(さんせん)の習慣がありました。火口は巨大な賽銭箱だったわけです。その習慣は室町時代にはすでにあったといいます。賽銭を投げればそれを拾う人がいるはずです。遠藤秀男「富士山よもやま話」によれば、散銭の処務を富士山八合目以上の所有者である村山修験辻之坊が受け持っていたといいます。江戸時代になると浅間大社がその処務を受け持ち、一番拾いを浅間大社、二番拾いを須走浅間が行ったということです。しかし一番が拾ったあとでは賽銭の額が大違い。一番拾いの権利争いが相次ぎ、元禄時代には本宮と須走で4対6の配分に決まり、江戸末期までつづいたといいます。...「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」
2024/04/03 12:55