プロフィールPROFILE

糸田十八さんのプロフィール

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ブログタイトル
糸田十八文庫
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/barzillai21c
ブログ紹介文
キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ 聖書・キリスト教・プロテスタント関係
更新頻度(1年)

2回 / 78日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2019/08/17

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ハンドル名
糸田十八さん
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糸田十八さんの新着記事

1件〜30件

  • 適用は聖霊の導きと忍者本人の責任による

    大忍の奥義書講解(説教)において、その適用が聞く忍者の世代や生活感覚から乖離しているから、大忍にもそれなりの社会生活の経験を積んで欲しいというような要望を聞くことが有ります。大忍が高齢化のために、感覚がずれている場合も有るという指摘も聞こえます。確かに、大忍に任じられる者は見識が広いに越したことは有りません。しかし、社会全般に渡ってもれなく見識を持つことは不可能ですし、世代による認識の違いは確実に有ります。また、分類すれば16以上有るとされる性格プロフィールの中には相性の悪い組み合わせも有り、大忍と忍者の組み合わせがそれに当てはまっていたりすると、奥義書講解も把握しずらいということも出てきます。そこからよく考えると、大忍の示す適用が忍者達に合うようにするというのは、中心的な要素ではないと思われます。奥義書から神...適用は聖霊の導きと忍者本人の責任による

  • 心・霊の目を開いてください

    「心の目を今開いてください」というような歌詞のワーシップ・ソングが有ります。この願いと祈りは、私たちが常日頃ささげているものでなければなりません。奥義書の詩編百十九編十八節には「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」という告白が有ります。また、エペソ書一章十八、十九節には、使徒パウロはの祈りとして、「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」という言葉が記されています。これらの告白、願い、祈りのように...心・霊の目を開いてください

  • 映画を上映しない映画館は

    「彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。」詩編八十四編四節(新改訳三版)この箇所を読んだ時の瞑想です。同時に、コリント書の記述が思い出されました。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。コリント前書六章十九、二十節(新改訳三版)神殿もしくは宮は、祭儀や礼拝が行われる場所です。律法においては毎日の礼拝が規定されていました。神殿で礼拝が行われていなければ、そこに存在する意味が有りません。そう思った時、映画館なのに、映画が上映されなかったら、その映画館は存在する意味が無いという考えが思い浮かびました。自分自身...映画を上映しない映画館は

  • 忍者の用語は世間とニュアンスが異なる部分

    先日の礼拝でも説明させていただいたのですが、忍者の用語は世間のニュアンスとことなっていて、誤解が生じる、もしくは印象が違いすぎると思う点があります。時には忍者までもそのニュアンスの違いをきちんと把握してないように見受けられることがあります。先ず、多くの指摘がなされてきたものではありますが、代表的なのは「罪」とか「罪人(びと)」であろうかと思います。罪は倫理的に悪いことという印象が有り、里の子供の教室でもそういう言い方をしてしまう部分が有りますが、それは実際とは異なっています。忍者の言う罪というのは、神から断絶していることであります。神から断絶している、関係が無いということがその本質ですから、倫理的、道徳的に悪いか否かは関係ありません。「信仰によらないものはすべて罪である。」(ローマ14:23)と奥義書は述べてい...忍者の用語は世間とニュアンスが異なる部分

  • バテ・シェバ考

    ダビデ王の妻、ソロモン王の母であるバテ・シェバの印象は、人によってかなり違うものになっています。ある人にとっては良家のお嬢さん育ちで、弱々しく情勢に翻弄される女性という印象になります。またある人にとっては、良家の出ではありますが、少し世間知らずで頭が足りない印象になったりします。一方で、三浦綾子女史などは、比較的計算ずくな人ではなかったかと疑っている様子が有ったりします。私のこれまでの印象は、どちらかと言いますと、ちょっと世間知らずで頭が足りないという立場に寄ったものでした。そして、列王記上二章に出てくるエピソードもそういう背景で理解していました。そのエピソードというのは、ソロモン王が王位に就いた後、兄のアドニヤが義母であるバテ・シェバの所に来て、シュネム人のアビシャグを妻にしてもらいたいという願いをソロモン王...バテ・シェバ考

  • シェーヴィングで失敗

    カテゴリーがおかしいと思われるかもしれませんが、奉樂に関わった事件?でしたので、こちらでお願いしたいと思います。楽器の割り当てが有った日曜日の朝、さあ、里に行くぞと思いながらヒゲを剃っていました。当時割合気に入っていた二枚刃のものを使っていました。何も考えずに鼻の下のヒゲを剃っていまいたら、勢い余って上唇の突き出ている部分にザクッと刃が入ってしまいました。想像以上に深く入ってしまったので、止血に大変時間がかかりました。里には出かけましたが、奉樂のご奉仕にはとうてい間に合わず、担当の中忍に電話をして失礼させていただきました。唇のへりは微妙に盛り上がっていたり、角張っていたり突き出ていたりする場合があるように思います。少し慎重に、ゆっくり気を付けながら剃るのが良いのでしょうね。日常でもそうですが、忍者としては、里で...シェーヴィングで失敗

  • 私の失敗談

    数年前にした私の失敗を思い出しましたので、書いておこうと思います。聖餐式の有る日曜日でした。パンの分餐、ブドウジュースの分餐と進み、講壇に戻った時に、何かおかしいと感じたのです。そして、しまった!と思いました。私の後頭部には、サングラスが収まっていたのです。その日は、日差しが強かったので、里に出かける時にサングラスをかけて行きました。里の建物に着いたのですが、清掃等での出入りが予想されましたので、サングラスをしまわないで、グラスが後ろ向きになるようにして耳にかけました。しかし、その感触があまりに自然といいますか、負担が無かったものですから、そうやってサングラスを後ろ向きにつけていることをすっかり忘れてしまったのでした。パンやブドウジュースの分餐をして献卓に戻る度に、里の会衆は私の後頭部にくっついているサングラス...私の失敗談

  • 正教師学科

    私、糸田十八は、一応大忍として働いてはおりますが、現在の里の規定ではまだ中忍のような立場でありまして、何とは申しませんが、四つの学科の学習を修了しなければ正式には大忍となりません。二科目は修了しているのですが、三科目目が手強く、課題量も多くて苦労しております。中里の書記からは一月中にその科目を終わらせるようにという努力目標を与えられましたが、七割ほどまでしか進みませんでした。ということで、二月一日の本日これをご報告している次第であります。なんとか二週間程の内に課題を済ませて、こちらの講義所の師匠に提出し、四科目目の指示をいただきたいものだと思っております。お読みくださった仲間の皆様がお祈りしてくださいますれば幸いであります。にほんブログ村にほんブログ村↑応援の意味でクリックしていただければ幸いです。正教師学科

  • 説教という捧げもの

    礼拝における説教については、以前も触れたことが有ると思いますが、再度書いておこうと思います。説教は、牧師が教えて礼拝者が学ぶような感覚でとらえられることが有ると思います。勿論、そういう要素が全く無いわけではありませんが、私たちにはいつも心掛けておくべきもう一つの面を覚えておかなければならないと思います。それは、表題にも示しましたように、説教の時間に行われていることは、神への捧げものであるということです。礼拝に出席している忍者たちは、その時間と場所を礼拝所に限定し、聖別して神の前にいます。そこに身を置く間は他のことはできません。それで、そのこと自体が捧げものであるという部分が有ります。そして、説教の時には、そこに「傾注して聞く」という態度の捧げものが加わるのです。旧約聖書でも「聞け」という命令が度々記録されていま...説教という捧げもの

  • 説教者とストロー

    私が説教のご奉仕の機会をいただくと、時々礼拝後に「素晴らしい説教でした。」と言いに来られる忍者がいます。私はそういう時には心掛けて、「ありがとうございます。でも、素晴らしいのはみ言葉です。」ということをお伝えしています。その聖書の意味が説き明かされて、傾聴するという捧げものをした忍者が、聖霊の働きによって何等かの恵みを感じた、開かれたことが有ったという事実が大事なのであって、取り次いだ説教者はその勤めを全うしたにすぎません。司会者や説教者が説教の直前の祈りで、「通り良き管としてお用いください。」という表現をすることが有ります。そういう歌詞が含まれる讃美歌等も有ります。説教者も礼拝に出席する忍者も、説教者はその管であるという認識が必要であると思います。皆さんいかがでしょうか。例えば、1992年に四国で食べたカツオ...説教者とストロー

  • 昔から聞いたこともない (ヨハネによる福音書九章三十二節)

    特にまとまった講解ということではないのですが、この箇所を理解する背景として明確にしておくと良いことだと思いましたので、このカテゴリーでお願いしたいと思います。ヨハネによる福音書九章は、生まれつき盲目だった人についての話が記録されています。この人がそういう状態で生まれたのは、神の栄光を現すためであるとイエス・キリストは明言されました。そして、この人の目がイエス・キリストの神としての権威によって癒され、正に神の栄光を現すためにこの人は用いられたということになります。イエスがこの人を癒したのが安息日であるということで、敵対するパリサイ人たちはイエスに難癖をつけるばかりでなく、この人の両親を尋問したり、この人を再三尋問したりということをしました。それだけ、この状況は強烈な部分が有ったと言えます。それは、メシア預言とみな...昔から聞いたこともない(ヨハネによる福音書九章三十二節)

  • 良心なのに邪悪? (へブル書十章二十二節)

    私、糸田十八の父親は現在は隠居しておりますが、大忍でありました。過去の説教の動画を見ましたら、この箇所についての言及が私には考えたことがない内容でした。そこから思ったことなどを書き留めておきたいと思います。父が言うには、ここで「邪悪な良心」という表現に行き当たった時、印刷の間違いではないかと感じて何度か読み返したということでした。「良心」なわけですから、良いものに決まっていると思うのに、そこに「邪悪な」という悪い様子を表す言葉が着いていることに違和感を持ったということでした。人間は皆アダムとエバの堕落を継承しています。故に、原罪を持つ身となりました。改家は人間は完全に神の基準を離れて堕落したとことを奥義書から読み取るものです。すると、良心と言えど、神と断絶し、信仰と神の霊に導かれていないならば、「良い」という評...良心なのに邪悪?(へブル書十章二十二節)

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