本のことをメインに、社会に対するうすぼんやりとした主張を展開しています。文学、ノンフィクション、人文系の内容が多いです。
『鬼滅の刃』1シーズンアニメを23話観た。だから、コミックスで言うと6巻の中間くらいだ。楽しかった点を書いてみる。 舞台は大正自体の仮想・日本。この仮想・日本には人を喰う鬼が存在していて、その鬼を狩る鬼殺隊なる部隊がいる。主人公の炭次郎は、家族を鬼によって惨殺され、唯一生き残った妹も鬼化してしまうが、「妹を元に戻す方法を見つけるため」「もう家族のような犠牲者を出さないため」「復讐するため」に、猛烈な修行を経て鬼殺隊に入隊する。 面白いなぁと感じるのは動機の部分で、鬼の方は、すべての鬼の元祖たる鬼舞辻無惨という大ボスがいる。現時点で感じるこの大ボスの根源には、「不安」がある。不安が彼のすべての行…
みなさんそれぞれに、ダメ人間観、がある。逆に言えば、どういう人間がダメか、というところに、その人の人間観があらわれるんじゃないか。 たとえば、不倫はダメだ!と叫ぶ人がいる。不倫は、字そのままで言えば、倫理に悖るってことだけど、その倫理は何かってことは人によって分かれる。多数派は、モノガミーの結婚観、つまり1人の人をずっと愛し続けるべきだし、同時に何人もの愛人を作るってのは倫理にもとる、不倫だ!ダメ人間め!って意見だ。ただ、これはポリアモリー、同時に何人もの人を愛する人の性を無視した在り方で、当人同士が同意しているなら別に良いじゃん、的な見方もある。白樺派の重鎮、武者小路実篤は愛人がいて、ついで…
「話しても分からないヤツ」はわりとたくさんいるので、コミュニケーションは基本、絶望。
コミュニケーションは絶望から始まる。僕の声は相手に届かないし、相手の声も、僕には届かない。良識派の犬養元首相は「話せばわかる!」と信じていたけれど、2010年代も終わりに近づいて分かってきたのは、「話しても分からないヤツは確実に存在する」って事実だった。 今までと違うのは、その、「話しても分からないヤツ」が俺の私の話を聞け、と、他人に対して押し付けるようになってきたことだ。たぶん彼ら彼女らもまた、抑圧されていた。立場の強い弱いに関係ない、心のうちにある、コンプレックスの問題である。立場が弱くとも、きっちり自分を持っている人はこんな風にならない。立場が強くとも、その自信の元が貧弱なのであれば、話…
電車内はパブリックだ。公共だ。もちろん、JR、私鉄ともに、民間の営利企業だけど、不特定多数の人がそれぞれの目的(地)を目指し、バラバラに何となく寄り集まっている。機能としては、公共である。 こと日本においては、公共の場は、我慢の場所だ。公園ではボール投げをしちゃいけない。バーベキューもいけないし、煙草も吸えない。公共だから何をしても良い、ではなく、公共の場だから私的領域とは違って身勝手なふるまいは許されない。なんて日本的な感覚だろう。事実、電車内で電話とかしてて、ふとそっちを見ると、外国人だったりする。外国人なだけで、誰も注意しない。外国人はこうした日本の公共性から免除されている。だからそもそ…
日曜にやってる「僕らの時代」ってテレビで、リリー・フランキーが往年の監督と俳優の会話を語っていた。「丹波ちゃん痩せたねぇ、癌?」とか言い合って、ゲラゲラ笑っている。なんかこう、こういう雰囲気は、いいなぁ、と思う。 歳をとることでしか、分からない痛みがある。身体的にもそうだし、精神的にもそうだ。病気にもなりやすくなる。もちろん若くたって病気になるし、病気っていうのは「病気じゃない自分」から「病気である自分」に強制的に移動させられる現象で、可能性がご年配より開かれ気味の若者にとって、可能性を狭められるそれは、特にしんどいことかもしれない。 年齢を重ねると、経験値が増える。経験値が増えるってことは、…
なんちゃってマナー、というものがある。かつては細木数子が「墓石に水をかけるなんて言語同断、あんた死ぬわよ」的ななんちゃってマナーを宣っていたが、彼女の論拠には根拠がない。仏陀が言った?最澄が空海が日蓮が法然がそんなこと言った?言ってないよぉ。亡くなった人も大事だけど、生きている人が亡くなった人に想う気持ちが・大事だ。墓石ができたのはそもそも近世の後期くらいからで、つーかその前は古墳とか、ある程度身分がある人じゃないと墓ってなくて、だから、今を生きる僕らが大切に、扱いを決めて良い。 マナーは、ある程度、人間関係が円滑になる制度。明文化されていないけれど、要は、「我々はこういう態度であなたに臨むの…
ブラック企業、ブラック部活、ブラックバイト。ブラックな場所が増えた。「一寸先は闇」とか言うけれど、一寸ちょっと先が闇だったらもうすでに闇じゃね?すなわち世の中だいたい闇≒ブラックじゃね。 このブラックって、イメージはいろいろできる。理不尽なシゴキ、デスマーチ、法令違反、人権侵害。。。ただ、定義っていうと、人それぞれな気がする。人それぞれなので、まあ、定義は必要ないってことかもしれない。 なので、あんまり深くは考えていないんだけど、ブラックって、シンプルに「思想信条の自由を認めないこと」なんじゃないかなぁ。独裁体制下でも、たとえば中国みたいに、ある程度の経済発展を遂げた場所ではうっすら自由度があ…
顔って一つのコミュニケーションツールだ。何も言わずとも表情一つで伝わるものはたくさんある。むしろ、言葉でない分、重厚に伝わるようなモノもある。 その時、恰好良かったり不細工だったり。あるいは、美人だったりブスだったり。こうした時、相手方に「誤解」を与えるようなこともありうる。顔で本来、伝えたいことが伝わらないもどかしさ。でも、顔「だけ」のコミュニケーションが使われるのは、ぱっと見の、通り過ぎていく人たちばかりだ。近くの友達ならば、「あいつ怖い顔してるけど、今めっちゃ喜んでるから」みたいな、ぱっと見だけではない所をしっかり見てくれる。 そのぱっと見の良さを鍛えていけば、確かに楽にになる部分もある…
村上春樹『ノルウェイの森』で、主人公のワタナベが言う台詞だ。僕はこの台詞けっこう好きで、いわゆるリベラルって、あらゆるものから距離をとる姿勢な気がする。高畑勲監督などは、ジブリで正社員として働いたことはなく、都度都度の契約だったし、どんな人にも深入りしなかった。この姿勢ですよね。 逆に、あらゆるものとの距離が近すぎる場合は、原理主義、または極端な思想、である。何かしっかりした、国とか、パートナーとか、そういうものにぐ~っと近づいていく。もうなんか、一体になろうとするぐらいに。それはある意味、心地よいことかもしれない。しれないけれど、『ノルウェイの森』でも、直子はキズキの自殺に引きずられてしまっ…
映画『アルキメデスの大戦』観てきた。 西の湯川・東の櫂、と称される百年に1人の天才・櫂直(かいただし)は、日本が戦争に突入する事態を阻止するため、巨大戦艦大和の「正確な見積」算定に挑む。映画は巨大戦艦大和が沈む場面から始まり、その戦艦大和建造会議にさかのぼる。根拠なき精神論で巨大戦艦を作ろうとする海軍の勢力は、建造費も不当に安く見積し、しかもその算定の根拠を「軍紀だから」という理由で提出しない。 そこで、山本五十六チームは、戦艦大和がいかに予算を喰うものか。数学の天才・櫂に計算させ、敵勢力を糾弾しようという作戦である。 こうした歴史系映画の難しさは、「史実の壁」を超えられるかにある。たとえば、…
遠藤周作『沈黙』の面白いところは、何度も神を裏切るキチジローが、頑強に信仰を捨てようとしないロドリゴ神父のとこに、幾度も幾度も現れることだ。ぶっちゃけ、ロドリゴ神父はキチジローのこと嫌いなんだけど、神父たるものそういう差別はできない。映画『沈黙 サイレンス』ではこのキチジロー役を窪塚洋介がやってて、なんならちょっとイエスの顔だちに寄せて来てた。 自分が痛めつけられるなら耐えられる。それは気持ちの良い殉教だ。でも、江戸幕府のねっとりした棄教政策は、神は、殉教を許してくれない。むしろ、自分が信仰を捨てないがために、「もう棄教する!神を踏む!」と言ってる村人たちを執拗に拷問し続ける。そうして懊悩する…
だいたい、伝統を重んじる系の人が、下の人に向かって喚く言葉。「礼儀をわきまえろ!」について、考えてみたい。これは、先週の「ノーサイド・ゲーム」で、サイクロンズの監督が共同記者会見で言っていたことだ。 やっぱりここは、孔子さんから振り返るか。 孔子は、儒家の開祖とみなされているけれど、だいたい儒家の思想というのは、彼の弟子たちが練り上げた体系だ。孔子自身は、その「儒」の字に近い「濡」が表すように、各地をまわる呪術師的な側面があった。雨乞いだをしてまわる祈祷師。これより後の中国では、「天」って概念が主流になって、天から見放されるような主君は引きずり降ろしてOKって考え方になった。孔子がやってたのは…
メガネを外したら美少女、がアリなら。メガネをかけたら美少女、がいてもいいじゃんか。
あれですね、『いちご100%』みたいなのですね。ヒロインと目されていた謎の美少女・東條が、普段はメガネなんだけどそれを外したら美少女、だったのとは逆に、普段ギャルっぽい西野がたま~にメガネをしたら何か良かった、という。 ギャップ、と言ってしまえばそれまでだけども、では何故、メガネを外した方が美少女になる描写が多く、普段冴えないのにメガネかけたら美少女、みたいなパターンが少ないのか。先の『いちご100%』の西野にしても、もともとが可愛いイメージだったので、メガネはプラスアルファ的な位置づけだし。 まずもって、メガネが、何を表象しているか。 まあ、言わずもがな、「賢さ」である。「真面目さ」の方が正…
友だちって、ある時期を境に減少してくる。学校とかは、ある程度、生活環境とか価値観が似てる人たちが半強制的に集まる場所で、同じ活動(部活とか)をみんなで目標を持ってやるので、友だちができやすい。日本だと、ほとんど、全人格を学校に預けているから、学校を出た後も学生時代の友だちは続きがちだ。同時に、全人格を学校に預けているから、その場所で苦しい思いをすると、もうずっとその苦しみが一生続くみたいな感覚になって、しんどい。そのしんどさは人生のスパンでみると割と一瞬、って言ってみても、当事者のその瞬間には、なかなか届かない。 まあこの辺は、別の機会に考えてみるとして。 会社について考えてみる。会社にはミッ…
カエサルはローマから進軍し、ガリア地方、今のフランス~ドイツ国境あたりまでを速攻で攻めたてた。そう、速攻だった。ヘルウェティー族が河を渡るのに20日かかったところ、カエサル軍は1日で済ますことができたとか。背景には、アッピア街道をはじめとした古代ローマのインフラ力と、統率力がある。 特に、統率力の方は、現代よりも運に対する信頼が強い時代だったから、「自分はこの軍団に所属してれば大丈夫!」って部下に思わせなければ、たちまち瓦解したんだろう。事実、強敵のゲルマーニー人などは、主婦がクジや占いで戦争をするのが得か損かを決めるのが習慣であり、ゲルマーニー人の捕虜になると、焼き殺すかどうかを毎晩クジで決…
『罪と罰』は、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフが、「百の善行を積んでれば悪人(この場合守銭奴の金貸しの老婆)を殺したってよくね?」という思想を抱き、殺人を犯す話。彼の本名をロシア語表記すると、Pが3つ並ぶ「PPP」。これは、世界の終末に現れるアンチ・キリスト(オーメン!)の「666」を裏返した文字で、かなり世紀末的な、世も末的な思想であることが表現されている。 最近だと、『殺人出産』(10人産めば1人殺しても良いよね?)にそういったモチーフが使われたり、『マチネの終わりに』では、もう決定的に人としてそれしちゃアカンだろって行為も、「わたしは完璧に善良な人間じゃないけど完璧な人間ってこの…
90年代から00年代前半くらいまでだろうか。テレビとかでは、心霊現象についての番組が多かった。奇跡体験アンビリーバボーでも、不思議な現象についての回が何回かあったし、「お分かりいただけただろうか?」みたいなナレーションとともに曖昧な(ぼや~っと人の顔が写っているような)映像を2回見せる手法の特別番組もいろいろあった。 時代も、あったのかもしれない。1999年は世紀末。ノストラダムスの大予言など、オカルトな時代の空気感もあった。 翻って現代。なかなか、心霊現象のようなエンタメを見なくなってきた。 1つには、「画素数」があるのかもしれない。4Kとかで心霊現象とか見るのイヤだしね。あれは、ブラウン管…
亡者たちは『蜘蛛の糸』を登ろうとでなく、引きずり降ろそうとしてたのか。
芥川龍之介『蜘蛛の糸』。お釈迦さまが弟子のカンダタとイチャイチャしてて、戯れに下の階層に蜘蛛の糸をつつーっと垂らす。一人の人間がその蜘蛛の糸を登ろうとすると、亡者たちが群がってきて、蜘蛛の糸が切れてしまう。シンプルながら人間の業を的確についてくる芥川の短編。 僕はこれは、1人の人を助けようとすると、みんながみんな助かろうとして我先に奔ってくるから、全員を救おうとするのは容易じゃないし、人はこうした自分が一番な人間ばっかりだからどうしようもないよね、という話かと解釈してた。 その根底には、俺が私が最初に蜘蛛の糸を登ったる!精神だと。 でも徐々に、ちょっと違うかなと。 人は、「他人が自分を差し置い…
他人のことはいくらでも分析できるのに自分はできないのは何故か 『何者』論
朝井リョウ『何者』は、就職活動に奮闘する大学生5人を描く群像劇である。最後にマジかーって返しがあるので詳細は控えるけれど、このうちの1人は、分析を得意としている。他人の状況を客観的に把握し、的確っぽいアドバイスをしている。まあ、こうしたアドバイスができるのにも理由があったのだけれど。 他人について、評価をすることは簡単だ。簡単というより、こんなもんじゃね?という線引きをしてしまえば、深く入りこまなければ、表面的なところで抑えておけば。簡単だ。本当は、誰かがある行為をする時、たとえば「就職活動をしない」という決断をした時、世の中全般へのレジストとかそういうことを標榜していても、実体は違うこともし…
立場の強い人に対しては、何を言っても良い、みたいな風潮ってある気がする。その際たるものが「おじさん」。おじさんは頑丈だから、超合金だから、何を言っても傷つかないし、こちらは相対的に弱い立場なのだからOk!という姿勢。 だからつい、言ってしまう。「このハゲー!」 関西圏の文脈においては、「バカ野郎」的なニュアンスとして使われるかもしれないけれど、「ハゲ」と身体的特徴を罵ることは、明確な差別である。ヘイトである。別に好きでハゲているわけではなく、いや好きでハゲてても良いのだけれど、それに対して侮蔑の意を込めて「ハゲー!」をぶつけることは、よくない。 それは、強い立場弱い立場に関係ない。ある意見に対…
子どもを「子ども扱い」するのってすごく大事だと思う。 高校野球では、岩手の佐々木朗希くんが連投の不安から、決勝戦の登板を回避した。野球において、160km/の球を投げる投手は少ない。少ないけれど、それはとても「肘」に負担がかかることだ。米国では、肘のじん帯を手術するトミー・ジョン手術を受ける投手が全体の2割に達するという。松坂も、ダルビッシュも、大谷もこの手術を受けた。筋肉は、鍛えられる。でも、筋肉や骨をつなぐじん帯は、鍛えることができない。剛速球を投げ続けると、どうしてもこのじん帯に傷がつく。連投していったら、小さな傷でも治らなくなる。根性とか鍛え方の問題でなく、ここが人間の限界なのだ。 そ…
なんて下衆いテーマなのだろう。 クトゥルー神話を最近読み始めた。ご存知、アメリカの作家ラヴクラフトが、同時代の作家たちと創り上げた人工の神話、クトゥルー。人類最凶の悪夢とも言われるその神話はカルト的な人気があり、最近だとモンスター・バースの最新作『ゴジラ・キングオブモンスターズ』などでもそのモチーフが使われている。 失われた古代文明。古代を支配していたとされる、圧倒的な生命体(From 宇宙)。この世とは思えない狂気の表現と、人間の思想の奥底に眠っている恐怖を呼び起こすような幻想描写。僕も読み始めたばっかりでうまく言えないけれど、そのキモは、ぶっちぎりの「それっぽさ」だと思う。 そう。「それっ…
賛否両論あろう。新海誠監督について書いてみる。 新海監督は、デビュー作『ほしのこえ』を、ほとんど独力で作った。協働が常識のアニメ界において、最初から異端だったのだ。『ほしのこえ』は、女の子がなんでか知らないけど地球代表で宇宙の果てに飛んでいき、地球に残る少年とケータイで連絡を取り合う。取り合うのだが、どんどん時間軸が離れていき、二人が共有できるものはなくなっていく。 良くも悪くも、セカイ系の旗手として持ち上げられた新海監督は、その後『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『星を追う子ども』などを手掛けていくも、カルト的な人気に留まっていた。それが、川村元気との出会いで、『君の名は。』により一般の…
「暗いから」という理由で、明るい場所(飲み会などの場)で文学系の話をしない人の話をきいた。谷崎『陰翳礼賛』で書かれていたごとく、陰があるから綺麗なモノ・明るいモノがより映えることは間違いない。問題は、それで他人が説得できなことだ。いくら、人の闇が楽しいよって話をしたところで、それは個人的な感性に依存することなので、通じない時はとことん通じないし、そうして明るい場所の空気を澱ませることになる恐れが、本の話を公共の場から遠ざけている。 でも、「恋バナ」とか、ニヤけ満載のハッピーエンドばっかりじゃないじゃないですか。付き合っている人のダメさとか、場合によってはそれぞれの性癖とか、自分の恋に対する信念…
ドラマ『凪のお暇』を面白くて観てる。30代目前の会社員・凪は、空気を過剰に読んでしまう女子だ。或る日、付き合っていたシンジの裏切りや、同僚たちからの圧に耐えきれず、過呼吸を起こしてしまう。「あれ?空気って、吸うものだったっけ?」 そうして会社を退職し、東京の郊外(立川!)へ引っ越す。お暇のはじまりだ。 さて、ここで過去が追いかけてくる。ダメ彼のシンジである。もうなんか、彼が凪ちゃんを好きな理由全然分かんないんだけど、「常に自分が相対的優位に立てる」ことと、「俺より下位の人間のくせに健気に俺に尽くそうとする姿勢」かな。強いてシンジが彼女を好きな理由を挙げるとすれば。まあ、まず「好き」って感情が先…
どうしてしばしば、男子は自分よりも下のステータスっていうか、自分よりも賢くなさそうだったり、いかにも可憐だったりみたいな女子のことが好きなのか。上野千鶴子先生も東大生への激励の言葉で言って話題になったこのテーマ。本当に、僕は不思議でならない。 よく言われる例に、「守ってあげたい」とかがある。 いや、何から? 暴漢?反社会的勢力?ポン引き?貧困?毒親?あらゆる社会的マウンティング? よく分かんない敵を想定し、彼女を弱者側として位置づけ、そうすることで自分の相対的優位を確立しようとする。という風に見える。一種の性癖だ。別にこれは批判とか否定とかしてるわけじゃなく、だったらなんかこうオブラートに包ま…
飲み会の席は、最大公約数の話題が尊重される。みんな何となく知っていて、適当にそれぞれの意見を持っていて、当たり障りなく笑えるもの。 三島由紀夫は、笑えない。ぜんっぜん、笑えない。 と、言うことで、せっかく飲み会の席で周囲に座った人が文学を読んでいることが判明したにも関わらず、話をすることができない現象。 まあそもそも、「どんな本読んでます?」という質問に対しても、相手は警戒する。読書はある意味、自分の内面をさらけ出す行為でもあり、どんな相手か分からないうちは開示するのが危険に感じるのだ。三島由紀夫とか特にそうだ。もはや、性癖の暴露と変わらない。 でもねぇ。面白いと思うんですけれど。 『金閣寺』…
『となりのトトロ』は、要は、巫女なしで異界に行ける話である。たぶん、条件はある。子どものある時期にしか開かれていないとか。日常の、リアリスティックな世界に、ちょっとはみ出してくるこの世ならざるモノ達との不思議な交流。確かに、暗闇のなかに、「まっくろくろすけ」みたいなモノを想像できるのは、子どもの、ある時期だけかもしれない。 いっぽう、村上春樹作品も、しばしば、リアルな現実からちょっとはみ出す話である。ホテルで少し降りる階を間違えたら「羊」がいるとか。ただ、たとえば『ノルウェイの森』におけるレイコさんとかそうだったけど、その異界に至る過程において、儀式みたいなものを彼はおく。相撲取りが神事として…
他人に対し、アレをしてはいけない、「普通」そんなことはしない。みたいなことを厳しく言う人がいる。この人は、人生ハードモードだ。してはいけないこと、や、強固な「普通」にガチガチに固められている。 れいわ新撰組の、ALSの患者さんが国会議員として国会に行く際は、色々な合理的配慮が必要になる。れいわ新撰組、ってネーミングは、新撰組が幕府お抱えの殺人集団だったことを考えるとちょっとどうかねぇ、と感じていたが、この取り組みは良いことだと思った。 こんなことに税金を使うな!なーんて批判もあるだろう。でも、じゃあ、その批判してる人が同じ状況になったら、あなたには税金での支援を一切しないし、極端に言うなら病気…
主張は、基本的には下から上に。或いは、フラットな関係性でなされるものだ。未成年の主張、とか。そう言うと年功序列のトップには主張ができないのか、って批判があるかもだけど、ご年配の方は、国家とか、そういう大きなモノに対して主張できる。 ということで、主張は、立場が弱い時期にできる、特権なのだ。立場が強くなってから何かを主張すると、周囲の人はそれを言いっ放しにしない。忖度する。圧力になる。だから、立場の強い人は何かを主張する際は、その影響力まで考えた上で、主張をマイルドにすべき。 そうした影響力のことを考えず、反論できない下に向かって主張する人は、本質的に絶望的に、上に立つべき人じゃない。かつては上…
人を笑わせることは難しい。何を面白いと感じるかは、その人の感性による。その感性に、びみょ〜に触れるくらいのところを狙うこと。すでに知っていることは、面白くないから。 例外は、ダチョウ倶楽部。あれは、みんなが「押すなよ〜、絶対押すなよ〜」の後、押すことを知ってるから面白い。あえて押さなくても、「押してよー!」と上島が困り顔で怒れば大丈夫。誰も傷つけない。 いっぽう、人に笑われることもまた、変にプライドが高い人間にはできないことだ。よく、人間的にダメなことやって、それが「芸の肥やし」って言うことあるけど、ある意味、勇気のあることだ。だって、普通の人からのダメ出し前提なんだから。あえて、逸脱していく…
アジフライを頼むのでなく、カキフライを所望する人になるということ。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』には、「人は自由の重荷に耐えられない」なる言葉がある。フロムを始めとしたフランクフルト学派は、ナチス・ドイツから文字どおり絶滅寸前まで追い詰められた人たちが中心になって、当時のドイツ人たちが何故ナチスに同一化していったかを分析した。 選択することは、しんどい。責任が伴うからだ。しかも、常に成功するとは限らない。毎回、定食屋でアジフライを注文していたら、楽だ。味は想像できるし、これをしたらこのぐらいの満足感にはなる、という安心がある。わざわざ、カキフライを選択するリスクを負う必要は、別にない。 個人化、つまり、みんなっていう大きなものが行く方向でなく、別の方向…
基本的に、ここからの話は、花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』を参考に、というか全面的に頼って書いています。 本書には、本をおススメする際の注意点として、 ・特定のジャンルに詳しい人に、その道の本を紹介しない(だいたい読んでるから) ・本を読まない人には、ベストセラー、定番本OK ・本を読む人は、その人が読む本から遠いジャンルが良い。その人のスペックではなく、雰囲気から洞察すること。 花田さんも、いきなり本を紹介するのではなく、その人のひととなり、「どんな笑いの型がはまるのか?」を会話の中で見極め、それに合わせた本をチューニングして…
地球温暖化について、「恐怖」を根拠にして動くのはもうやめよう、みたいな話がある。たとえば、肉食について。畜産業は、二酸化炭素よりさらに温室効果があるメタンを大量に排出している。動物愛護の観点からも、野蛮極まりない。肉を食べない方が健康である、なんて研究もある。だから、肉を食べるべきでない。畜産は全面廃止すべき、っていう意見があるとしよう。 残念ながら、それじゃ人は動かない。 肉が好きで食べている人にとって、肉を食べないというのは、「望まない人生」を強制されるってことだ。地球が滅ぼうと、動物たちが劣悪な環境に置かれていようと、そんなことは自分にとって関係がない。「望まない人生」を強制させる力は、…
もちろん、比喩である。 芥川が、葬式のシーンを描くとき、参列者はみんな神妙な顔をしているけれど、「腹減ったなぁ」とかそういう、どうでも良いことを考えている人々を描写した。人が大人数集まると、独特の「こうあらねば」なる雰囲気が生まれ、それが習慣化すると、学校の教室や会社のオフィスのような空気になる。この空気に抗うことは、難しい。 教室でゲロを吐くと、普段は表に出てこない、雰囲気に紐づけられた演技の仮面が崩れる。緊急事態だ。エマージェンシーだ。だから、人間性が出る。率先して雑巾でゲロを吹く人がいたり、「うわー!」って叫んだ後放心して遠目に見ている子がいたり、教室外に助けを求めに出たり、吐いた子の背…
そう、「反」です。 飲み会であるマナー、たとえば、サラダとかの大皿取り分けね。トマト嫌いな人にトマトたくさん盛るとかの嫌がらせ以外に、あれやる意味あんすか? アレルギーがある人だっているんだから、各自で良いじゃん各自で。 って感じで、飲み会のそれおかしくね?をぶちまけます。 そもそも、酒の注ぎ合い。いや、自分で注ぐし。「俺の酒が飲めねーのか!」って、あんたの酒蔵の酒じゃねーし。ちょっと注いだくらいであんたの酒になるなら、あんたのメガネを僕の指紋でべったべたにしたらもう僕のもんですね裸眼で帰りやがれコノヤロウ。 またね、飲みにケーションは、全員の士気を高め、目標をチームで共有できるようにするとか…
新海誠監督、『天気の子』は、新宿が物語の舞台だった。 基本的に、ここからはネタバレしかないというか、そんな感じです。 新海監督で新宿といえば、『言の葉の庭』である。あれも、雨だった。新宿という街は、渋谷のように動乱が起こらない。騒乱は起こる。原宿のようにスタイルは生まれない。不思議な出会いは生まれる。混沌として、あらゆるモノがあり、猥雑として、多様なモノを受け入れてくれる街だ。 振り返ってみると、新宿にも神社がある。小さな社がある。 『天気の子』のヒロイン、陽菜は、ある日、願う。晴れることを。病床の母と、晴れた天気を一緒に見るために。強く、切に、代々木の小さな社で「願った」。願いは聞き届けられ…
人はみんなちょっとずつ闇を抱えているので、僕はあなたを愛することはできないかもしれない
結局、人間はグラデーションだと思う。真っ暗に闇な人ばかりではないし、クリスタルに明るい人ばかりでもない。『バッドマン』のジョーカーみたいに狂気に取りつかれた人はめったにいない代わりに、自分を全面的に明るく開放できる人も滅多にいない。 デヴィッド・フィンチャーの『ソーシャルネットワーク』は、ザッカーバーグがFacebookを立ち上げ、成り上がっていく過程で、つながりを極めるテクノロジーを生み出したはずが、どんどん孤独になっていく話だった。Facebookの思想は、その人自身に信念があれば、匿名でこそこそやる必要なんかなく、クリスタルのごとく透明に、情報を開示していくべき、という。 旧ソ連から独立…
綿谷りさの同名小説を映画化。『勝手にふるえてろ』 ヨシカは恋をしている。中学生時代から、10年にわたる恋だ。「天然王子」であるイチのことを、社会人になっても何度も脳内再生している。運動会の閉会式の時、「俺を見て」と言ってくれたこと。そうした思い出を何度もリフレイン。 いっぽう、社会人として経理で働くヨシカに、営業部の男子が恋心を打ち明ける。ニだ。経理に持ってきた書類で、「2」がめっちゃ下手だったからだ。ニは、ちょっとズレているが、優しい。好きとか嫌いとかでなく、「違和感なく」付き合うのであれば、なかなかに良い相手である。 イチとは、同窓会で再会を果たす。ヨシカは、絶滅動物の情報を得ることが趣味…
僕が媚びてる系女子が苦手なのは、僕の中の女子が叫んでるからだ。
自分の心のうちに異性が存在している。LGBTQの方とか、そもそも性別に対してまったく興味ないというか何で区別にそんなにこだわんの?って方とか、性に対しては多様な、それこそ人の数と同じだけの差があるのだろう。だからここでは、あくまで僕の個人的なことについて、書いてみる。 僕は性自認も身体も男性だけど、心のうちには「女子」がいる。 ジェーン・スー『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』によると、女子は「魂」のことであり、年齢と関係ないらしい。だったら、性自認とも関係ないんじゃね?要は、その女子の「魂」を、他人様に刺青のように公共の場で見せつけるのでなく、それによって不快になる人がいたら差し控えるのが…
今週のお題「海」 お題に初参加です。よろしくです。 まあたぶん、以下のような内容を期待されているもんじゃないかと想像しますが、ブログの自由さと自由の精神を信じて投稿します。海の話なのに、全然爽やかじゃないという。 アレですね、最近の海と言えば、五十嵐大介原作、STUDIO4℃制作の『海獣の子供』と言わざるをえない。母なる海、のその言葉どおり、生命の誕生を圧倒的な画力と壮大な音楽で描いた怪作だった。ラストシーンで、宇宙から来た隕石の欠片をウミが自分で食べようとしたのに対し、ルカは「ダメ!」と言ってそれを奪う。そんで「食べさせる」。あたかも、母親が子どもにご飯をあげるように。 海に生きる生き物たち…
ハンセン病家族訴訟について、安部首相は、「異例の判断」により、控訴しない、とした。ただ、法的には問題があると言っていて、同時に出た政府見解では、全面的に反論していた。要は、法律論でみると穴だらけの判決なので政府としては認めがたいが、今回は首相以下の温情により、異例の政治的判断で、ハンセン病に苦しむ方・家族さんを補償しましょう、ってことだ。 補償が難しいのは、まずは時効の問題。どの時点で起きた被害から補償するのか。何年経っても認められるのか。範囲の問題もある。国からどの程度のことをされたら補償になるのか。後は、補償の方法。ハンセン病ということで、ある人が「強制隔離」され、家族がバラバラになり、亡…
一個人が語るにはおこがましいテーマを出してしまった。でも社会とはそんな一個人で出来上がっているわけであり、総選挙といっても一人なわけで、別に誰を傷つけるわけでもない。だから、語る。皆さんも語れば良い。最強の小説について。 まず、何を持って最強となすか。僕は、「全部盛り」が最強だと考えた。 パフェにしろ何にしろ、好きなモノ「全部盛り」は最強だ。何故なら好きなモノであふれているのだから。小説の場合、その物語に、人間の尊厳、信仰、社会観念、時代、普遍的な何か。だいぶ難しい語彙を使ってしまったけど、要するに人間そのものを描いていたら最強だな、と考える。 それで行くと、やはりドストエフスキー『カラマーゾ…
最初にエクスキューズを入れておくと、特に結婚を礼賛するわけでも非難するわけでもなく、ごくごく個人的な体験談として、結婚について書き残そうというわけで。世間のご夫婦の数だけ結婚のカタチがあるし、別に結婚しなくたって生きていけるから、おススメするわけでも辞めとけって言うわけでもない。フラットに、結婚について書いてみる。 まずもって、結婚すると、家族が増える。子どもちゃんができるとかでなく、単純に物理量として、親族が増える。当人同士は、価値観とか、思想信条が近しいから一緒にいるってこともあるけれど、家族は、考え方がまったく違っても家族であり、むしろ一致しないことが大半だ。 だから、その増える家族が理…
僕が学校に通っていた頃、陰キャ・陽キャって言葉はなかったけれど、確かにそれらしい区別のようなモノはあった。クラスの中で大きな声で雰囲気を盛り上げる陽キャ、自分1人か少数のグループにこもり目立たない存在である陰キャ。閉鎖的な学校空間は、どの時代でも同じようなものだ。 もうなんか、ゴールディング『蠅の王』感がすごい。無人島に少年たちだけが漂流し、生き残るためのルールを作ったはずが、いやもっと積極的に狩りに出るべき!みたいな過激派が登場、太ったおどおどした子とかは邪険に扱われていき…。 でも、大人が島に来た瞬間に、その関係性は変わる。 クラスにおける陰キャ・陽キャも、そんなとこはないだろうか。みんな…
なんかこう、付き合った人数が多すぎる、そしてそれを自慢するタイプの人って、実はモテてないんじゃね問題というのがあって。つまるところ、「義経と出会えてない弁慶」状態だよね。渇ききっていて、刀狩りのように、相手を倒した数を示すものがないとやってられない。 適度な、今まで付き合ったことある人の数はそもそもない。別に何人だって良い。さらに言えば付き合ってるのかどうか微妙な状況だってありうる。 だから問題は、実態がどうかではなく、「俺はあたしは今まで●●人と付き合ってきた」と自慢する性向そのものにある。アドラーじゃないけど、過去そのものって言うより、そんな輝かしい(と自認してる)過去があると思っている現…
あれですか、思わせぶりなことをしつつ、最後までは開示しないみたいな。そういうアレでしょうか。昨今の情勢から鑑みるに、それは恋を一種のゲームとして捉える空間があってこそ成立するのであり、ゲームをゲームとして遊べない層がいて、そんな人達とネットで簡単に出会えてしまう場合、ちょっと危険な気がする。 そもそも、その駆け引きは必要なのだろうか。 恋って、なんとなく二人の空気感とか価値観とか、他の人とは違うくらい深く通じ合った時に発生するものではなかろうか。竜巻ですね。僕は学生時代、無風状態だったので、いつどこで恋の竜巻が発生しているのか、まーったく分からなかった。 そして、たいていの場合、竜巻は勢いを失…
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』しかり、ブロンデ『嵐が丘』しかり。お金とか地位とか、そういう外面的なステータスが上がらないと、女子に自信を持って告白できない現象ってある気がしていて、別に女子の方は外側のステータスそんな気にしてないんだけど、いや気にしてる場合もあるんだけど、なんかその辺のズレの話。 何でしょうかね。こう、「俺も昔は悪かった」みたいに言う人って、悪かったことを何故か誇っているみたいな感じ。イヤ、普通に悪いと思うんですけど。たくさんの人に迷惑をかけ、不快な思いをさせ、当然に若いから自分1人では尻ぬぐいできないので誰かが肩代わりをし。それが時間が経っただけで、悪かったことが…
森見ワールドをいかに再現するか。森見ワールドは、古風でありながらポップな文体とともにあり、また京都という舞台設定も「ああ、こういう不思議なことありそう」みたいな感覚を補強している。だから無理に映像化しようとするとその不思議な感覚を損なってしまうので、けっこう難しい気がしていた。 でも、映画『夜は短し歩けよ乙女』は、一夜に起きた不思議な出来事をスピード感をもってテンポよくやってた。まずもって乙女ですね。彼女は、好奇心赴くまま、あらゆる出来事に一直線に関わり、古書店祭の本と同じように、あらゆるモノをつなげていく。孤独と猜疑にさいなまれ、偽電気ブランをまずそうに呑んでいた李白さんすらも彼女の環の中に…
怒りという感情は拡散しやすい。怒りって、敵に対する威嚇であると同時に、自分たちに対して危機が迫っている時に発現する感情だから、他人の怒りであっても共感しやすいのかもしれない。「中国が領土とりにくるぞ!」なんて危機感とともに怒りを拡散されると、どうも穏やかでいられない感覚。 ところで、怒りには公憤と私憤があるように思う。 公憤は、たとえば痴漢行為を許せないとか、香港でおきてる逃亡犯条例廃止デモとか、自分だけでなく他人も同様に苦しんでいる理不尽に対して、怒りを向けること。基本的に弱い立場の人が強権的な方に対するプロテストとしてあるもの。何かを良い方向に変えていくのはこの公憤のほう。 いっぽうで、私…
名付け、は大きい。名付けることによって、不可解な現象を理解することができる。僕は長年不思議だった。不可思議だった。「この人は、なんて馬鹿なのだろう。こんな馬鹿な人は、どこから来てどこに行くのだろう」と。 IQとか偏差値とかの問題ではない。知識のあるなしでもない。同じ事実を見ているはずなのに、全く意味不明なその人独自の真実を生み出すのである。それも量産するのだ。 んで。ちょっと前に馬鹿な人のことが何となくわかってきた。あふれ出ているのだ。自意識が。マシュマロマンのように自意識でぱっつぱつゆえ、自分の意に沿わない新しい知を受け付けない。自分が持ってる知識に合うように、事実の解釈を歪める。さらに悪い…
こと東京に限っていうと、昔からの江戸っ子を除いて、大半は地方からの移住者である。また、昼間だけ都心に働きに出て、同心円状に広がった郊外の自宅に戻っていく人たちもたくさんいる。 とすれば、都市は、田舎に住む人たちが見る夢なんじゃないか。それも、白昼夢。 都市の特徴は、匿名性だ。隣に誰がいるのか知らなくても暮らしていける。行きつけの店を除き、ファーストフード店やコンビニにいる人は別に誰だってかまわない。あたかも夢に出てくる人たちのごとく、記憶にも歴史にも残らない。 えーと、特に揶揄をしたいわけではなく。なんと言えば良いのか、この夢は、自覚的に見ている分には良いと思う。そんなもんだろ、と。ただ、無意…
まず何をもって、健常者とみなすのか。その境い目は曖昧だ。 まあ確かに、医療費の財源は限られていて、どこにお金をかけるかって問題はあるから、あえて「障碍者」としてくくって、金銭的・治療的ケアを受ける、ってのは必要ではあるだろう。だから制度的なところでは、健常者と障碍者の別は明確なのだ。 問題は、僕らの意識のこと。 今度、10月にやるという「ジョーカー」の話とか楽しみでならないのだけど、彼みたいな人はどうだろうか。まあね、『バッドマン ダークナイト』などで、ゴッサム・シティを狂気のどん底に陥れた悪のカリスマは、健常の側ではないかもしれない。しかして障碍の枠でもない感じがする。それは、彼のような心性…
マンガ『違国日記』は、高校1年生の女の子と、“姉の遺児”である彼女を引き取ることになった小説家の同居モノだ。さすがはヤマシタトモコと言うべきか、響くものが多いマンガである。 遺児を引き取ることになった叔母は、「あなたのことを愛せるか分からない」という。でも、「あなたのことは決して踏みにじらない」とも言う。すごいいいことだ。その人の気持ちは、その人だけのものである。愛するという感情が、相手の気持ちに素手で入り込むことであるならば、それは快感であると同時に、嫌悪でもある。だから、まだ何も知らない二人が、お互いの気持ちを踏みにじらない、という最低限のルールのもとに一緒に住む、というのは、いいことだと…
あたかも、親が子ども選べないのと同じように、上司もまた部下を選ぶことはできない。子どもの権利条約と同じように、部下はそもそも立場が弱いので、上司(親)を選べないことによる嘆きは周囲からきいてもらいやすい。もやいやすいし、きちんと立場の弱い人は保護されてしかるべきだ。 ただ、上司の側からみたとき。 特に、昭和マインドべったりの上司が抱える悩みは、親が抱える悩みと似ている気がする。部下(子ども)だって、自分とは異なる「他人」なのだということを、頭で分かってはいても、心情としてなかなか理解できない。だから、毒のような部下(子ども)ができた時、ひたすらに戸惑う。 特に日本の教育・社会制度は、軍隊式だっ…
メンタル系の障害にかかったら、会社は辞めない方が良いんじゃないか説
はじめに断っておくと、僕は専門家ではないので、あくまで一つの意見ということで。 メンタル系の障害にかかった時、なるべくなら、その勢いで会社は辞めない方が良いと思う。もちろん個別具体的な事情はある。休職制度がないとか、もうとにかく何が何でもすぐに去らないと身体もたん!という時は、さっさと逃げた方がいい。 ただ、障害を抱えた状態は、冷静な判断はできず、今・その時の苦しみで精いっぱいの状態だ。だから、まずは休むこと。休む際にも、次の職が決まっていないと、毎月の国民年金とか住民税とか何だとか、そういう細かい支出がダメージになってしまうから、休職という制度があるなら、まずは目いっぱいそれを使って休む。 …
ピエール・バイヤール『読んでいない本を堂々と語る方法』には、本そのものだけでなく、本Aと本Bとのつながり、或いは本だけでなく、著者や時代背景など、本に関する網目のようなネットワークのことを知っていれば、その本を読んでいなくても大抵のことは語れる、みたいな話があった。 朗報である。 というか、ある本が面白いことを紹介する時、その本自体だけで閉じていたら、人にはなかなか伝わらない。類似作品や、その作品がインスパイアされたと思われる先行作品群、つまりその本が広い世界の中でどういう位置づけにあるか、を伝えること。 もともと本というか、物語は、音読するものだった。文字自体が、俗世とは離れた異界との交信を…
ここ数年、東京都美術館でやってる「世界報道写真展」に毎年行っている。毎年行くと、ああ、これはこうなったんだ、というのが時々ある。 2016年にコロンビア政府と反政府ゲリラ組織FARCとの間で和平合意が成立した後、ゲリラの人たちがいかにして日常に返ってくるかが課題だった。去年は、確か、一緒にサッカーをすることが日常に戻ってくるための第一歩とかだったけども、今年はゲリラに参加していた女性たちが「ベビーブーム」とのことだった。 ゲリラ戦自体は、メチャクチャ働きづらい職場である。家庭との両立などとてもできない。反政府ゲリラには女性兵士も参加していたのだけども、その女性たちは恋愛や、まして子どもを産むこ…
ハードボイルドとは何か、と問われたら、漫画『ONE PIECE』に出てきたドンキホーテ・ドフラミンゴ海賊団の、事情があっていつも赤ちゃんの恰好をしているアイツ、のことを思い浮かべる。つまり、「世界全部が俺を笑ったとしても、君が笑ってくれるならば、俺は世界に笑われようとも構わない」態度である。 レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』は、夜中に助けを求めてきた友だちのため、ハードな世界から追われることになる男が主人公だった。ハードボイルドは、孤独とは異なる。守りたいモノを守る、つーか守り切れないモノに対しても全方位的にがんばるヒーローとも異なる。その中間、ある特定の人のために世界を敵にまわす決意で…
読書猿『アイデア大全』は、さまざまなアイデアを生み出す方法論を図録風にまとめた良書だ。その中に、レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れ、生涯、ノートをとり続けた「エジソンノート」の紹介がある。 ダヴィンチは、まさにルネサンス型の天才で、3分の2が失われたと言われるダヴィンチノートでも、5000頁が現存している。そのダヴィンチに勝るとも劣らない発明王エジソンは、とにかくノートをとりまくり、1300の発明を生んだ。ノートをとる、という行為自体は、簡単に誰でもできる。でもそれを、ダヴィンチやエジソン級の、圧倒的な物量で記録をとり、しかも何度も見直し生産性を高めた資産となると、なかなか真似できない。 僕は古い…
任天堂スマッシュブラザーズ。任天堂のキャラクターたちの押し出し合戦ゲームである。ところで中国の思想・歴史というのは、このスマブラみたいなものだと思う。 中国は、圧倒的な武力をもって中央を征服しても、ものの数百年もすれば中国の文化に取り込まれる。元もそうだし、清もそうだ。あたかも、スマブラで激戦地にいるとダメージが蓄積していき、ちょっとの刺激、乱とかで吹っ飛んでしまうがごとく。 思想についても、たとえば孔子の集団は、もともと葬儀屋だった。官職につかず(生まれ故につけず)じまいだった孔子とその弟子たちは、各地の辺境をまわり、祖先崇拝マジ大事、と売り込んでいく。儒教は、後の支配者階級が肉付けしたもの…
BLを読んだことない30代男子が、BLについて考察してみた。
当方の属性は30代男子。水城せとな、よしながふみ、など所謂BLと呼ばれる分野出身のマンガは読了経験あり。あと、サンキュータツオ、春日太一『僕たちのBL論』は読みました。そこまでやって、ふるふるして実地に踏み込めておりませぬ。 同性同士だと、ノンケならば、恋愛風味な重力が発生しない。その軽さ、軽妙さが良いという向きもある。BLはそこに、重力を妄想によって発生させたりする。スラムダンクとか、黒子のバスケとかに、オフィシャルとは違う感情・関係をつけて遊ぶこと。 これは、すでにある創作物に妄想を付け加える作業だから、たぶんなるべく原作には書き込みがない方が行間を広げられるし、制作者側がBLってこうっし…
勉強は「人間」にしてくれるものだと思う。 『ちはやふる』で、色々あってスランプに陥ったヒロインの千早が、普段はまったくしない勉強を猛烈にするシーンがある。何かに没頭することそれ自体が、ぐちゃぐちゃした感情を整えてくれることでもあるのだけども、この時の千早の気持ち分かるなぁと感じた。 千葉雅也『勉強の哲学』では、勉強は「変身」だと。一時的にキモチワルイ存在になることだと。勉強をすると、それまで自分が居た居心地の良い共同体から、一時的に出ることになる。その時、仲間たちは、勉強をした彼を彼女を「キモい」と感じる。今までの「ノリ」が通じなくなるから。でも、それを恐れるべきじゃない。安心した安穏とした場…
平野啓一郎『マチネの終わりに』 天才ギタリストの蒔野と、国際ジャーナリストの洋子は、たった3回会っただけだが、お互いを深く愛し合うことになる。現代における「愛とは」を思索した良い作品だった。 まずもって、蒔野は天才なのだけども、30代後半という年齢を迎え、音楽的スランプを迎えようとしていた。若い時には超絶技巧のど直球で攻められたモノが、人間的深み、みたいなものを求められる時期に来たわけだ。その蒔野のコンサートに、ユーゴスラビア出身の映画監督・ソリッチの娘であり、国際ジャーナリストの洋子は来ていた。 なんというか、人と人が分かり合うというのは、こういうことか、という感じだった。周囲がまったく理解…
映画『主戦場』を観てきた。 従軍慰安婦に対し、右派・左派の意見を国内外問わずインタビューとして集め、様々な論点について明らかにしたドキュメンタリーだ。従軍慰安婦像は、なんか韓国のプロパガンダが強く頑なだな~と、映画を観る前は漠然と思っていたけれど、すべての性被害に遭った方に対する寄り添いと捉え直すと、米国やその他の国でも慰安婦像が建てられる背景についても理解できる。 性被害に遭った方の心情は、慮るのも難しい。けれど、家父長制の意識が強い儒教国の韓国で、性被害に遭ったこと自体をケガレと捉えられ、長年、沈黙を強いられた人たちのことを「忘却」することは、本当に酷い暴力だ。この暴力は、教科書から記述が…
そもそも電子書籍で本を読んでいて、「所有」という概念がない人や、図書館で借りて読むなど、同じ読書家であってもその在り方は多様だ。僕はその中で、ごりっごりの買って読む派で、しかも読み終わった本を捨てられないタイプだった。引っ越しのたびに大量の段ボールに入れた本を移動させていた。 ただ、結婚し、同居する際に、大量の本を連れていくわけにいかないので、厳密に厳選をかさねたオールタイム・ベストを小さな、ほんとうにささやかな本棚に収まる範囲で持ってきた。そして妻に約束した。「これから、本は、この本棚におさまるようにするよ。」 はみだした。 マウナロア山のマグマのように、ゆっくりとだが確実に、本があふれ出し…
人を納得させる言葉を持たないヤツが、他人を殴ってニヤついてるわけで。
言葉によって人を納得させるのは難しい。たとえば、先々週の大河ドラマ「いだてん」では、女学生が靴下を脱いで走ったとき(走りやすいからね!)、父親をはじめおじさん連が学校に猛抗議し、金栗氏を辞任させようとした。で。なんで靴下を脱いではいけないのか、と問われた時の回答は、「みっともない」からだった。 まあようは、説明できないわけだ。 よく、ミニスカートを履いたりとかすると、男を欲情させるからよくない、とか言う。全然説明になっていない。なぜ、加害者側に寄りそうのか。まあそりゃ、パンツ丸出しとかはいかがなもんかと思うけども、自分が自分として一番好きな恰好をしたくてするだけなのに、欲情するかどうかはそいつ…
フェチ、について考えたい。検索をすれば意味とかは出てくるのだけども自分でむんむん考えた末にこういった概念は捉えたい。 メガネフェチとか、足フェチ、○○フェチというように、それは「部分」への過剰な愛であるっぽい。あるいは状況。川端康成『眠れる美女』は、生きているのか死んでいるのか分からない美女と添い寝する老人を描いたけど、あれとかフェチですね。もう何フェチと言えばいいのかわかんないが。 フロイト風に言ってしまえば、幼少期に傍にあって、でも触れられなかったもの。幼児はあまりに無力だけども、世界をしっかり見ている。見ているけど、絶望的にそこには届かない。そういうもんが影響してるんじゃね説。まあ確かに…
本文は三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室』によっています。スクリプトドクターとは、映画やドラマなどの脚本・物語を整理する役割の人で、監督やプロデューサーなど内部の人たちで煮詰まったとき、有効に助言してくれる外部である。 さて、まず、あるキャラクターを生み出したならば、彼・彼女を、少なくとも生みの親である作者は、責任を持って愛さなければならない。そして物語に強度を持たせるため、キャラクターを甘やかしてはならない。 いわゆる、窓辺系の作家は、会社勤めの女性がふとズル休みをして窓辺でぼんやり回想し、うすぼんやりと日常に戻っていく、みたいな話に流れがちだ。作者の心情風景とか、別にあなたサルバドール…
村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』所収の短編には、3人の中国人が登場する。その中の1人、たまたま試験会場で監督官をする中国人が、「そして誇りを持ちなさい。」と言う場面が好きだ。 誇りを持つとはどういうことか考えたとき、それは自分の生まれつきの属性(性別や国籍や生まれ)まで含めて責任を持つ態度だと思う。自分が得意な部分、飛び抜けている箇所、ここを見て!ってポイントを自慢することは、誇りではない。凹んでいる部分、自分が選択したわけじゃないけど必然的に絶望的に自分にくっついてくるものまで含めて、誇ることができるかどうか。 『みんなの「わがまま」入門』を読んでいて、差別的な扱いを受けた時に、「あなた…
映画『海獣の子供』観てきた。もともと、五十嵐大介の原作マンガも好きだったのだけど、あの STUDIO4℃ が映像化すると聞いて、しかも6年かけてとなれば、観に行かざるを得ない。 原作マンガは世界中で起こる海洋奇譚や、海に関する神話・不思議を圧倒的な画力で描き、生命の根源、「人間(僕たち)はどこから来たのか」をテーマとした壮大なものだった。カギとなるのはジュゴンに育てられた二人の少年、ウミとソラである。映画は、1人の思春期の女の子ルカの、ひと夏の海洋浪漫ジュブナイルに落とし込んでいる。 ただねー、神話クラスの話を、「あんたの手のひらの物語」にしたもんで、もう密度が半端じゃなく、映画の間中、僕は放…
『アラジン』においては、自由を志向するアラジン、ジャスミン側と、支配を趣向する国務大臣側が対立している。そもそも魔法のランプ出身のジニーが叶えられる願いには制約がある。人を殺すこと、人を恋に落とすこと、死人を甦らせること。これはできない。何故ならそれは、「生きる自由・恋する自由・死ぬ自由」を、それぞれ奪う行為だから。だからそもそも魔法のデフォルトの設定として、抵抗権がないような自由をはく奪する願いは排除されてる。 まあなんか、不倫とかでよくある、「まさか」的な、交通事故のような、まるで巻き込まれたかのような、そういったモノは恋じゃないってスタンスですよね。恋とは選択的に、自由に、それこそ生きる…
ヤニス・バルファキス『父が娘に語る経済の話』を読んだ。さすが古代ギリシャの歴史を持つ国の人だけあり、文化的素養がすごかった。 なかでも、「人を支配するためには、物語や迷信に閉じ込めて、外を見させないようにすればいい」というのが響いた。ゲーテも外国語学ぶべし!みたいなこと言ってたけど、自国の言葉だけだと自国の物語に閉じこみ、それがどんなにおかしくても違和感を抱くっていう感覚すらなくなってしまう。 たとえば、「Fish」という単語。同じ魚が複数匹いても「Fish」だけど、金魚とサンマとか、違う種類の魚がいた場合は複数形「Fishes」になる。カノ国の人たちはだから、ぶわーっとしたサンマの群れとか、…
少し前のノーベル平和賞は、子ども達に紙とペンを!と主張し、武装勢力に襲撃されながら信念を貫いたマララ・ユスフザイさんにあげられた。僕は悲しく、情けなかった。彼女は十分以上に成熟した考え方の持ち主だけど、子どもに、こういったことを言わせてしまうような世界に大人がしたことに。そしてまた彼女に、平和の使者という使命を負わせてしまうことに。 香港では今、雨傘運動が繰り広げられている。中国における民主主義・自由の最前線にして、ここが崩れたら中国に希望が潰えるとも言われる最後の防波堤だ。この雨傘運動の女神とされる女性もまた、相当な信念を持った人だけど、20代の女性である。 ジャンヌ・ダルクの時からそうだけ…
E.H.カー『歴史とは何か』によると、僕らは現在の視点から過去をみることしかできないわけで、純粋な過去は理想であり、どうしたって現在のバイアスがかかるという。だから逆に、歴史は面白い、とも言える。 僕が習ったとき、今や世界遺産になる古墳は、仁徳天皇陵だった。ただしこれは、古文書とかでそうだと言われているだけで、聖域であるがゆえに実地調査ができず、学術的に不正確な名称ということで、大山古墳となった。これは分かる。根拠に基づいた歴史のアップデートだ。 問題は、維新の長谷川議員のように、被差別部落の人たちを性犯罪者と決めつけるような、改竄の方だ。民話とか資料をあたっていくと、士農工商に入らなかった人…
もう本当につらくて仕方ないことがあった時、そのつらさの内容にもよるけれど、ひたすらどん底に落ちて閉じこもるのもアリだと思う。血の繋がった家族も、理解してくれる恋人も、共感してくれる友人も、誰も他人が入りこめない自分だけの暗い場所でしか、自分を再構成できないものがある。 これには時間がかかる。再構成するには、自分の本当にダメなとこ、どこで道を間違えたか、その選択をしたのは何故か、など、スルーして見なかったことにしたいものをたくさん、洗い出さなきゃならないからだ。 この領域までくると、誰もその人を助けられない。しかし、待つことはできる。暗い暗い1人だけの場所の外で、待っていてくれる人がいるだけでそ…
コンプレックスは多様だ。目元が気になる人がいれば、学歴、自意識、もっと深い個人史に根差したもの。コンプレックスがあるから明日への活力が生まれることもあるし、コンプレックスがあるから自縄自縛で身動きがとれなくなることもある。 僕? 僕は中学校まで、学校の勉強ができるタイプだった。ついでに足が速かった。だから大抵のことはうまくできると感じていた。成功体験が先にあったからだ。 んで、世間の大半の人と同じく、高校あたりから「おやおや?」と気づくようになる。県内だけをみても、自分より勉強ができる人はたくさんいるし、運動ができる奴など数多おられる。 そこで僕は方向を変えてしまった。学校のテストができずとも…
名探偵コナンのマンガ冊子のカバー後ろにある探偵紹介が好きだった。今では96巻になっていて、これだけ大量の殺人事件があって登場人物たちはよく日常をおくれているものである。まあ、基本的に、コナンはラブコメであって、殺人事件もラブコメのちょっとしたスパイスに過ぎない。もちろんそのスパイスも面白いのだけど。 さて、最近、古典ミステリを読み始めまして、そこで出てきた名探偵をまとめてみます。 シャーロック・ホームズ 帰納的推理の元祖。驚異的な観察眼から、ワトソンくんがアフガニスタンで従軍していたことを見抜いた。また、1000の事件をすべて知っていれば、1001件目の事件解決は容易いと語るとおり、圧倒的な知…
村上春樹好きあるあるに、村上春樹にさほど関心のない人から、「何がオススメ?」とか「春樹作品では何が好き?」と質問され戸惑う現象があると思う。結論から言えば「気分による」のだけども、その気分の1つに、『ノルウェイの森』がしっくりくる時がある。 作者自身も言っているとおり、『ノルウェイの森』はリアリズムで書かれている。羊とかやみくろとかイデアとか、ジョニーウォーカーとか双子とか、出てこない。ついでに言えば、今までは「鼠と僕」みたいな二人の関係だったものが変化したり(ノル森には3人のシーンが多い)、主人公に名前がついたり(ワタナベ)といった変化がある。 物語は、親友を失った傷を抱えたワタナベくんが、…
上野・東京都美術館でやってる「クリムト展」に行ってきた。 僕は美術については門外漢であるが、なんかこう、「芸術って言葉を超えたもんじゃん?だからそれをごちゃごちゃ説明するのって野暮じゃん?俺感性すげー大事にしてっし」みたいな志向は嗜好しない。 確かに芸術は言葉で捉えられないところにあるかもしれないけれど、それは言葉での説明を放棄して良いこととイコールではない。ダヴィンチも遠近法や黄金比とかについて「言葉」でめっちゃノートに書き残し、研究していた。その上で『最期の晩餐』や『モナ・リザ』を描いた。言葉を尽くし説明した先にしか、言葉を超えた芸術はない。言葉での説明なしに感性で芸術を分かれっていうのは…
昨日の記事で2019年上半期読んで面白かったランキングをやりましたが、惜しくも、本当に惜しくも、ランク外とした作品についても語りたい。というかもう1位!と言っても過言ではない。そんな読んで面白かった本を書きます。 ○島本理生『ファーストラヴ』 直木賞受賞作。父親を刃物で刺し殺した女子大生・環菜を、臨床心理士の由紀が面会を通して彼女の心の謎を解いていく。いわゆる家族の呪い系の作品。過去の積み重ねが現在の自分につながるとしたら、その過去を適確にとらえ直さないといけない、そんなスタンスを感じた。全体にサスペンス調でぐんぐん読めた。 ○桑木野幸司『記憶術全史 ムネモリュネの饗宴』 古代ギリシャで弁論術…
あくまで僕個人が読んだもので、この期間に発売したものとは限りません。また、便宜上ランキングをつけましたが、好きな本に厳密なランク付けなんてできるかコノヤロー精神でやってますので、あくまで暫定・参考の順位です。 10位 ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』 イギリスのジャーナリストが最低辺の仕事を潜入取材。「風邪で休むなど生意気」として懲罰1ポイント、5ポイントで解雇になるアマゾン。「え?タクシー運転手は自営業で社員じゃないんで、補償とか何もないよ。だってそれが自由じゃん!」と宣うウーバー。現実の厳しみ。 9位 今村昌弘『屍人荘の殺人』 そんなクローズドサ…
ポケモンマスターになりたかった僕は、コダックを愛することができなかった。
ポケモンGOで屈指の人気を誇るコダックで、少し前に大喜利が起こっていた。頭を抱え、頭を抱え、ぱああっ。みたいな動作をするコダックに合わせ、みんな様々な言葉をのせていた。(スリザリンは嫌だ。スリザリンは嫌だ。………グリフィンドぉール!とか。) さて、僕は世代的に、赤と緑の時にポケモンに触れた。ゲームボーイの素朴なデザイン。圧倒的すぎるエスパー属性の強さ。個性溢れる街とキャラクター。 また、映画『ミュウツーの逆襲』は、ナウシカ(マンガ版)級のテーマを扱っていた。人間に設計された“セカンド”として生きる意味とは。この世に生を受けた時、祝福でなく、クローンとして生きる道筋が定められたミュウツーの想いは…
アベンジャー(復讐者)ものの最高峰に位置づけられる『岩窟王』。フランス革命期の動乱下、船乗りのエドモン・ダンデスは、婚約者を狙う恋敵や、自分の地位を守ろうとする検事などの陰謀により14年にわたり投獄された。 エドモンは19歳とかで投獄されたので、彼は20代をまるまる獄中で過ごすのだけど、この獄中でファリア神父という、狂人と見なされている人から薫陶を受ける。この神父がまた、ダヴィンチ級の万能の人であって、粗暴な若者だったエドモンは立派な教養人になる。 アベンジャーものを観るとき、その復讐に同意できるかどうかは重要なポイントだ。大事なものを奪われたり、また復讐が衝動的でなく、長期にわたり計画された…
ジョン・クラカワー『荒野へ』は、ある若者がアラスカの荒野で餓死するまでを追ったノンフィクションだけども、なんかこの若者の気持ちも分かったりする部分がある。 僕は大学の先輩と2人で、以前、湖沿いにて焚き火をしたことがあった。もうね、最高である。確かに時々、焼きおにぎりをやったりマシュマロをやったりするが、焚き火は調理道具ではない。なんかこう、家族とか友人とか、そういう人間関係という閉所から抜け出し、ただただぼんやりと荒野で自由に在る時の、明かりなのだ。 ということで、僕は先輩と5時間くらい何を目的にするでもなく、ぼん~やり話をしていた。ときどき、薪を拾いに行くくらいで、後はひたすら焚き火を眺めて…
『ゴジラ』を観に行ったとき、券売機付近で外国人(たぶんタイとかその辺な感じ)のお父さんから声をかけられた。 「すみません、映画チケット買ってもらえませんか?」 横をみると、チビちゃんたち5人を連れたお父さんだ。たぶん、会話はできるけど日本語の文字を読むのが難しいんだろう。USシネマでは外国語対応まではまだやっていないっぽい。要望を聞いてパパッと操作する。自称小3の男の子は「コナンをお願いします!」と元気良く観たい映画を教えてくれる。うむ。明るい。良いことだ。 ということで、無事に6人分のチケットを買ったところで、お父さん含め、チビちゃん軍団から「ありがとうございました!」と元気良くお礼を言われ…
ゴジラ観てきた。たぶんネタバレというか、全体のストーリーについて書くので、真っさらの状態で観たい人はまたいずれ。ごきげんよう。 迫力はあった。怪獣同士の対戦だと、往々にしてプロレスになりがちだけど、カメラの視線が常に、怪獣たちのそばにいる巻き込まれた人たちの視点なので、大きさとああもうこれダメだ…と絶望感がよく伝わってくる。 物語は、キングコングでも登場したモナーク機関が目覚めさせないようにしてきた古代の神々、超巨大生物が次々に目を覚まし、その神々の王たるキングギドラvs人類の味方ゴジラの対戦になり、さあ世界の行方は。という。 うーんと思ったのは、今回、起こされた怪獣たちは、人為的に起こされた…
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