南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
思ってたんと違う(13)どうする家康!?誤算だらけの関ヶ原の戦い。
2023年大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が、その勝利によって天下の覇権を握った関ヶ原の戦いは、司馬遼太郎の『関ヶ原』などの小説やドラマなどの影響もあり、従来、家康必勝の戦いとしてイメージされることも多い合戦です。 しかし、近年発見された史料で浮き彫りになった事実を追うと、石田三成の挙兵から関ヶ原での合戦に至る経過は家康の思惑を大きく外れ、関ヶ原の戦いは家康の人生最大級の危機だったことが浮き彫りになります。巷間伝わる従来のイメージと、その実情を見比べながら、合戦に至る経過をご紹介していきましょう。
奈良県斑鳩町の高安環濠集落は、在原業平の『高安通い伝説』ゆかりの環濠集落。集落内の勝林寺は聖徳太子ゆかりの古刹であった高安寺(現在廃寺)の名跡と寺宝を継ぎ、所有する3つの仏像が国の重要文化財指定を受けています。重文の仏像3体は現在奈良国立博物館に寄託され、タイミングが良ければなら仏像館で鑑賞できます。
奈良県天理市の龍王山城は奈良県下最大級の中世山城です。 北城、南城の二つの曲輪群からなる巨城で、北城は複雑な曲輪の構造や堀切、石垣などの遺構が残り、南城本丸は龍王山山頂で奈良盆地一望の絶景スポット。 大和の有力国人・十市氏の栄枯盛衰の舞台となった城郭で、「じゃんじゃん火」の伝承は十市氏の悲劇的な衰亡にまつわる物語を今に伝えます。
山城国一揆の拠点・上狛環濠集落(大里環濠)と茶問屋街(福寿園)・旧山城町中心街区を巡る
京都府木津川市のJR上狛駅西側に広がる旧山城町中心地域は、中世の環濠集落と幕末以降発展した茶屋問屋街の町並みが残ります。 上狛環濠集落は京都府下最大級の環濠集落で、一部の環濠は農業水路として両行に残ります。環濠集落南側の茶問屋街には、幕末からの古い商家の町並みと、「伊右衛門」ブランドで有名な福寿園本店があります。
戦国大和の最前線~片岡城~AR(拡張現実)で在りし日の城郭の姿を偲ぶ
奈良県上牧町の片岡城跡は、城域のほとんどが民有地で、以前は立ち入りできる場所がほとんどなく表面観察できる遺構も限られていましたが、近年城跡が整備され、主郭にも立ち入ることができるようになりました。 城跡には片岡城の往時の姿をCGで再現したAR(拡張現実)を手持ちのスマホで体験できる場所も設置されるなど、現在は失われた戦国時代の片岡城の姿を実地で感じることのできる整備も進められていました。
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南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
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